第199話 記憶の残滓


「なぜ……?」


 呆然としながら、曲垣まがきは思わずつぶやいた。


 それでも一瞬で全てが繋がる。


『反魂玉』を口にしたかなめは四つ足の化け物になって姿を消した。それが九十年の時を生き抜き、いま曲垣の目の前にいるのだ。


『驚いたな。まるで鬼の亜種だ』


 逃げた時は獣の如く四つ足だったが、今は人と同じく二本足で立ち、右手には蒼牙そうがを造り、らんらんと眼を光らせている。


 この人物も、こうなった事態も、『一志かずし』の記憶には無い。


 ——俺の知らない記憶だ。だが一体なぜ記憶にないことが起きている?


 初めて見る光景に戸惑いながらも『一志』は『鬼丸』を構えた。


 ——何が起きているか、などと言えば俺が高校生のに憑依するのも不思議な話なのだが。


 内心、苦笑しながらも表情は崩さない。


 そしてさびの効いた声でレッドに尋ねた。


かなめ、という名を覚えているか?』


「……」


 大人びた少女のような顔にはなんの変化もない。ぼんやりと『一志』を眺めている。


「レッド! そいつの言うこと聞くな!」


 ユウタの声に反応して、レッドがピクリと震えた。先ほどからユウタの指示だけを認識している。『一志』はそれを確信すると、先手を取った。


 上段から振り下ろした『一志』の刀を、レッドは右手の蒼牙で受け止める。するどい金属音があたりに響いた。


 ガッキと組み合ったまま、『一志』はレッドを間近で観察する。あの手帖の世界——過去において確かに見たかなめの顔。


 ——間違いない、彼女だ。


 ならば、あの名前なら覚えているだろうか?


榑松くれまつ——榑松孝之くれまつたかゆきの名を覚えているか?』


 その名前を耳にして、レッドの目が見開かれる。初めて無表情が崩れ、驚きの顔になる。


「あ……う……」


 苦しげな声が漏れる。


 かなめの愛した人の名は、彼女の古い記憶を呼び戻していく——。


 父親の手によって倒れ伏した榑松孝之。意に染まぬ結婚から自分を救い出してくれようとした彼。想いが通じ合ったのはほんのひと時。それでもそこにあったのは本物の暖かい気持ち。


 記憶を閉ざしていた何かがはらはらと剥がれ落ちていき、思い出されるのは最後に見た榑松の無惨な姿——。


「いやぁあああ!」


 レッドは凄惨な悲鳴を上げると、前触れもなく飛翔した。風に巻かれて、赤いコート姿の少女は灰色に曇った空に吸い込まれていった。




 つづく

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