第195話 悪事

 ユウタは小さな手にナイフを握りしめて躊躇ちゅうちょなく的場まとばに襲いかかる。


「うわあ!」


 的場は両手で顔を覆ってきらりと光るナイフを避けようとした。その襟首をガタイのいい黒木くろきがむんずとつかみ、真横へ放り投げた。


 ユウタのナイフは空を切る。


 そこへ追いかけるように黒木のデカい手のひらが飛んで来て、ユウタの横っ面を平手打ちにした。


 小柄なユウタは横ざまに吹っ飛んだが、すぐにぱっと跳ね起きる。


「邪魔するな!」


 怒りに燃えてユウタは叫んだが、目の前の巨漢はニヤリと笑って彼を見下ろした。まるで子どもの言うことなど耳に入らないとばかりに指を鳴らす。


 黒木の大きなこぶしが振り下ろされた瞬間、ユウタの身体が後ろは引っ張られて、鉄剣は空振りに終わる。


 ユウタを引っ張ったのは曲垣まがきだ。


「な、何すんだよ!」


「助けたつもりだが?」


「子ども扱いすんな!」


 ユウタは曲垣の手を振り払った。


 曲垣はそれに驚きもせず、木刀の先で黒木を指し示した。


「体格差がある。やめておけ」


「うるさいっ!」


 ユウタは曲垣の方を見もせずに化鳥けちょうのように飛び上がると、黒木を飛び越えて的場の眼前に降り立った。


 黒木が慌てて反転した時には、ユウタは再び的場にナイフを向けている。しかしその振り上げた手は黒木にガシッと掴まれた。


 そのまま小さなユウタは持ち上げられてしまう。


「……コイツが例の奴かね?」


 黒木が的場に確認する。的場はガクガクと頭を振って肯定し、目の前にぶら下げられたユウタを血走った目で睨んだ。


「チッ、くそ、離せよ! おい的場タカシ、一人じゃ何もできないのは昔から変わらないねぇ」


 ユウタは悪態をつくが小さな身体では黒木の手をほどけない。宙に浮いている足で黒木を蹴ろうとするが、黒木の脇腹をかするくらいくらいしか届かなかった。


「まあ、人ひとりヤッてるとはいえ、所詮はガキだな。サツに突き出して終わりってか」


 黒木はユウタをぶら下げたままニヤニヤと笑う。


 的場もようやく落ち着きを取り戻し、だらんとぶら下げられた子ども——ユウタを見つめた。


 ——間違いない。片田ユウタだ。


 小学校四年生の時、ミヤッチ(宮前)と紺ちゃん(紺野)とふざけて追い回した、アイツ。いつもウジウジと俯いて何一つ言い返さないアイツ。


 そして二十年前、この街に追い込んで、目の前で車に轢かれたアイツはその後姿を消した。遺体が見つからなくて、行方不明のままだったはずだ。追い詰めたがわの俺たちはダンマリを決め込んで、ばっくれた。


 それからそんなことはすっかり忘れ、もう三十に差し掛かろうというころ、宮前と紺野が死んだ。小学生に襲われて亡くなったのだと聞かされ、さらに自分をそいつらが探していると耳にした。夜道で尾行された事もある。


 そして今、小学生の時に死んだはずの片田かただユウタを目の前にしている。


 ——幽霊?


 こんな真っ昼間から出て来る幽霊か。


 この街ならあり得るのでは無いか?


 スマホで検索すればアンダーグラウンドの職業にだって簡単に繋がれる。的場がボディガードを依頼したのは幸か不幸か反社組織だったが、そんなところと一般人が簡単に繋がれるのもこの街ならではだ。


 ならば、死んだ片田ユウタに会えたのもこの街の見せる狂気なのかもしれないじゃないか。


 的場はここしばらく自分を悩ませた恐怖の正体を幻影と決めつけ、唇を振るわせながら黒木に懇願した。


「頼む、そいつを始末してくれ!」




 つづく

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