第173話 ヨウコさんに起きた出来事2

 その夜、もう日付が変わろうかというころ、ヨウコは馴染みの客の見送りに出ていた。


「また来てね」


「ううん……そうらねぇ、ヨウコちゃん、かわいいねぇ」


 酔っている相手はヨウコの手を握って来た。店の中でも散々あちこち撫で回したくせに、まだ触る気か。ヨウコはそう思ったが「コイツは金、コイツは金」と心の中で唱えて気持ちを落ち着ける。


「おい、宮前みやまえ、お前飲み過ぎだぞ」


 二人連れの相方はあまり酔っていないらしく、宮前とやらをヨウコから引き剥がして支えた。こっちは割とイケメンだから名前も覚えてる。


「ありがとう紺野こんのさん」


「またねヨウコちゃん」


「ヨウコちゃんも、俺と、帰ろうよう」


 ぐずる宮前はよろよろと引きずられてヨウコの前からようやく動き始めた。が、数メートルほど進んで、紺野と宮前は足を止めた。


 背を向けかけていたヨウコも何気なく目をやる。二人の酔客の前に小柄な人物が立っていた。


 スポットライトのように上から街灯を浴びたその人物は被っていたキャップを仰々きょうぎょうしく取り去った。


 ——子どもだ。


 小学生くらいの男の子が、両手を広げて大げさにお辞儀する。ヨウコは一瞬で男の子が酔客相手に小遣い稼ぎをするのかと思い、その理由を思い浮かべて胸がギュッと締め付けられた。


 親に虐待されているのか、育児放棄か、お金が欲しくて彷徨さまっているのか——。行き場のない子どもを見てヨウコは自分と重ねてしまい、目が離せなくなった。


 何かあったら助けてあげなくちゃ。


 そう思ったヨウコは少年の行動を邪魔しないよう、気配を消して様子を伺う。ライトの下の少年は深々とお辞儀したあとゆっくりと顔を上げた。


「覚えているか? 宮前、紺野?」


 男の子はタメ口で二人の大人を名指しした。


 初めは驚いた二人も、子どもに突然呼び捨てにされてカッとなったらしく、宮前は肩を怒らせて前に出た。


「なんだぁ、お前? 大人を、呼び捨てとは、いい度胸じゃねえか」


 すると少年はキャップを弄びながら上目遣いで宮前を見て残念そうに、しかしどこか嬉しそうに笑った。


「やっぱり忘れてるんだね。うらやましい。僕はずっと苦しんできたのに——小学校三年のときに君らがいじめた片田かただユウタだよ。忘れた?」


 名前を聞いた二人はビクッと震えてその場に釘付けになる。


「覚えてるだろ? いじめて、追い回して、この街に放り出して殺したユウタだよ」


「……嘘、だ……」


 絞るように声出した紺野も紙のように真っ白な顔になって呆然と立っている。


「よくまあ、ここに来れるよね。神経を疑うよ。おかげでこうやって二十年前の復讐ができるわけだけど」


「……ヒッ……」


 宮前も一気に酔いが覚めたらしく、真っ赤だった顔が真っ青になっている。膝を震わせて後退りした。


「長かったなぁ。二十年だよ。この街から僕にとって、今日こそ待ち望んだ祝祭の日だよ!」


 叫ぶように言葉を吐くと、少年はキャップの中からナイフを取り出した。街灯にギラリと光ったそれはあっという間に宮前の腹部に差し込まれた。


「あっ……!」


 酔っていたせいかさしたる抵抗もなく宮前は膝をついた。太り気味の身体が前に倒れる。


 目の前で見たものが信じられないという顔で、紺野は逃げようと背を向けた。


 が、しかし。


 いつの間にいたのか赤いダッフルコートの人物がそれをさえぎった。フードを被ったその人は顔が見えない。


「邪魔だ!」


 紺野がその人物を押し除けようとしたその瞬間、紺野のスーツが胸元から裂けた。


「ぎゃああっ!」


 紺野は腹から胸にかけて三本の線が走っていた。そこから吹き出した血飛沫が辺りを濡らす。


「ちぇっ、僕がやるって言ったじゃないか。忘れたの? レッド」


 レッドと呼ばれた赤いダッフルコートの人物は特に反応を見せず、地面に倒れた紺野を見下ろしている。


 隠れて見ていたヨウコからは、赤いダッフルコートの人物の右手が異様に大きく、膝丈を越えるほどの刃物のような湾曲した刃が五本出ているのが見えた。


「ま、いいか」


 少年はキャップを被り直すと、倒れている宮前と紺野の身体をさぐった。ほどなく彼らのスマホが見つかったようだ。


「行こう、レッド」


 スマホを自分のポケットにしまいながら、少年はレッドを呼ぶ。それに従うように、赤いダッフルコートの人物は動き出した。


 やがて幾人かの通行人が血溜まりに気がつき、悲鳴が上がる。大騒ぎする人々を眺めながら、ヨウコは自分が見たものが映画かなにかのように思われて仕方なかった。




 つづく

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