第113話 鬼ヶ島の記憶8


『これ以上、身内を傷つけることはなりません』


 いつになく母は強い口調で雪牙丸せつがまるいさめた。普段と違う空気を感じて美羽みうは物影に隠れて、厳しい表情の母を見つめた。


母者ははじゃにはわからぬのか? あ奴らはこの雪牙丸の命を狙ったのだぞ』


 一部の郎党ろうとう達が、封じられ島から出られぬ憤りと恐怖を雪牙丸のせいにして彼を襲ったのだった。


『それはそなたが引き起こしたこと。お互いを思いやり、慈しむことこそ人の道というものです』


『ではなにか? 下々しもじもの者にへつらえと申すか!』


『人を想うというのはへつらう事ではありません。其方そなたもこの母や美羽みういつくしんでくれるでしょう? その心です』


『母者は、そうではあるまい』


『なんのことです?』


『美羽に鬼のつのを埋めた我を恨んでおるのだろう?』


『何を馬鹿なことを! それは……』


『知っておるぞ。母者が我の事をなんと呼んでいるか。雪牙丸こそ鬼だと嘆いているのこの耳で聞いたぞ!』


『おやめ! 雪牙丸——』


 雪牙丸の腕の一振りで、あっけなく母は地に伏した。


『ふん、鬼のつのを埋めて居ればこんなにもろくはないものを』


 血に濡れた右腕を振って血飛沫ちしぶきを散らす。それから苦々しげにつぶやいた。


『それにしても忌々いまいましい鬼めらが。どこのどいつがこの島に結界を張っておるのか?』


 足音も荒く雪牙丸は部屋を出て行った。


 物影から飛び出して来た幼い美羽は倒れている母親に駆け寄った。美羽の気配で薄羽うすばかたは目を開けた。


『美羽……弱き母を許してたもれ……』


 それは抵抗する事なく雪牙丸の手にかかったことだけではない。もっと早くに雪牙丸を止める事ができたはずなのに、それをしなかったことも指しているに違いない。


 美羽に白い手を握られたまま、彼女の母は亡くなった。





「なんということか……。美羽、嘆くでない。我もおる。其方そなたは一人ではないぞ」


「うん……うん、ありがとう美紅みく


「我は鬼だが、其方の味方じゃ」


 そう言うと美紅は小袖の中から緋色の紐を取り出した。長い亜麻色の髪を持ち上げる。自らのつのを隠すように二つの尾ができるように髪を結う。


「この髪はつのを隠すためだ。そして其方が鬼の友が居ると知られないためにつのを隠す。其方にこの身体を返す時まで——」


 今になればもはや明白である。


 美紅は美羽の身体をのだ。


 死の間際に口にした転生卵てんせいらんは、美紅の魂を手近にあった身重みおもの女性の腹に居る胎児に運んだ。


 二つの魂を宿した胎児は無事生まれ、『美羽』と名付けられ——。


「我が雪牙丸と戦おう」


 つのを隠した美紅は美羽の手をとって誓った。


 せめて血を分けた兄妹同士を戦わせないように。




 つづく

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