第33話 雪牙丸4

雪牙丸せつがまる殿」


 ——瑠璃るりだ。


 呼ばれた方は竹林に向かって無言で頷く。そもそも月明かりのせいで名を呼ばずとも彼である事はわかっているはずだ。それでも親しげに名を呼んでみたかったのだろう。


 鬼の少女はそっと姿を現した。


 竹の影から出てきたのではない。


 全く見えなかった姿が空中から浮き出る様に現れたのだ。慎ましやかな彼女に似合う、身を隠す能力。それが瑠璃の持つ鬼力である。


 雪牙丸が驚かないところを見ると、既にこの能力を知っていたとみえる。彼の気を引きたくて、瑠璃が教えたのだろう。或いは巧みに聞き出したか。


 瑠璃が雪牙丸を見ると、いつになく優しげな表情をしている。いつも凛々しく名前の通りの冷たささえ思わせる整った顔が、今夜は柔和な笑みを浮かべているのだ。


 瑠璃は胸を踊らせた。


 今夜は良い事が起こりそうだわ——。




「さっさとやれ」


 冬の凍てつく川の流れよりも冷たく言い放つと、雪牙丸は足元に転がる瑠璃のむくろを軽く蹴飛ばした。


「ひっ……!」


 シヨロは目の前に転がる青い宝石の様な二つの塊を怯えた目で凝視した。瑠璃の頭蓋から折り取られた角だ。


 鬼の力の源——命とも言える角が無造作に転がっていることに、シヨロは恐れを抱いた。


 そしてあろうことか、目の前の少年はそれを砕いて人の身体に埋め込むよう要求しているのだ。


「な、なんとむごいことを……」


 ぶるぶると震えるシヨロの肩を葛山くずやまがそっとなでさする。


「のう、シヨロ殿……お主も常々つねづね言うておろう? 里の者たちはお主を嫌っておると……このむすめもそうであったのではないかのう?」


「……そ、そう……か……」


 うめくシヨロを、まるで赤子をあやすが如くなだめると、葛山は震える彼の手に自分の手を添えた。


 葛山がそばにいれば落ち着く。


 シヨロは今ほどそれを痛感したことはなかった。目の前にある少女の骸も気にならなくなる。


 彼は震えの収まった手で青い角を拾うと、目を妖しく光らせた。


「——で、どなた様にこれを?」




 それからというもの、鬼の里では人攫ひとさらいが頻発した。


 初めは子どもや赤子——。時には大人も攫われる事が起こった。


 もちろん、雪牙丸の命を受けた落人おちうど達の仕業である。姿を隠す瑠璃の鬼力きりきを与えられた者たちが角を集めるために人攫いを行ったのだ。


 もちろん鬼達もすぐに人間どもが怪しいと疑い、距離を置く。しかしその頃には雪牙丸の望み通り、いくさに使える鬼力きりきの角はいくつも奪われていた。


 そして、小さな島は地獄の様相をていしていく——。






 つづく

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