第32話 雪牙丸3


 雪牙丸せつがまるがまとめる落人おちうど達の中には妙齢の女達もいた。身重みおもの母を頂点に、数人の貴族とその世話をする侍女、それから婢女はしため達。


 もちろん男どもも多く居た。同じ平氏の貴族とその下に幾人かの武士。こうしてみれば女の方が多いかもしれない。


 その女達の中に葛山くずやまと呼ばれる女人がいた。見目も良く細やかに仕事をするたちであったが、いかんせん身持ちが良くなかった。


 さまざまな男達と浮名を流した女であったが、雪牙丸はそこに目をつけた。


「そなたに頼みがある。ある男を籠絡ろうらくして欲しい」


 雪牙丸の突然の頼みに、初めは目を丸くしていた葛山は次第に目を光らせた。


「籠絡というからには、相手はここのおのこではないという事でございますなぁ?」


 葛山の察しの良さに驚きながら、雪牙丸は続けた。


「そうだ。……鬼の中にシヨロという男がいる。そいつをこちら側につけたい」


 葛山は眉根を寄せた。少しばかり嫌悪の表情を浮かべると目を閉じた。


 雪牙丸の言うシヨロという鬼の男は平穏にまとまる鬼の里においてはずれ者であるのだ。


 荒くれ者というのではない。


 卑屈なのだ。


 気量に恵まれない彼は、見目良い者が多い鬼の中でも目立つくらいにやせ細って、落ち窪んだ眼窩がんかにギョロリとした目を持ち、骨張った身体にいつもぼろ切れの様な服を身につけていた。


 葛山が逡巡するのも無理はない。


 しかし雪牙丸がシヨロを味方につけたいのには訳があった。シヨロは手先が器用であったのだ。細かな作業をして器を作ったり小物を作ったりしている。


 そういう意味では里で生業をして鬼の輪の中にいるのだが、いかんせん見た目と性格の悪さで村人からは——特に女達からは——相手にはされていなかった。


 だから葛山が親しげに近づけば——。



 シヨロが落ちるのにそう時間はかからなかった。


「予想通りだな」


 雪牙丸の褒め言葉に、葛山は「ほほほ」と高らかに笑った。彼女の蠱惑こわく的な肢体に耽溺たんできしたシヨロは大きな眼をどろんと濁らせて、葛山の言いなりとなった。


其方そなたの手先の器用さをかって、頼みたい事がある」


「へ?」


 シヨロは普段会ったことのない雪牙丸の面前で頭を下げた。額が床につくほどに這いつくばってかしこまる。葛山からさんざん「雪牙丸殿は貴きお方である」と言い含められていた彼にとって、まさに殿上人のごとく思われたに違いない。


 憐れにも田舎暮らしのシヨロには雪牙丸からの頼まれごとは至上の喜びに感じられ、彼は這いつくばったまま二つ返事で引き受けた。


 シヨロの返事に満足気に頷くと、雪牙丸は『材料』が必要であると勇んで闇の中、屋敷を出た。


 その頃には、雪牙丸には鬼を敬う気持ちは消え失せ、力の源となるツノを持つ生き物——鹿や水牛の様なそれを見る気持ちになっていた。


「素材、か」


 獲物が怯えぬ様、せいぜい優しくしてやらなくては。


 彼は瑠璃との逢瀬の待ち合わせの場に足を向けた。あの青い角を持つ少女はどんな顔をするだろうか。


 いや、いてはならない。


 雪牙丸は自分を戒めると、至極穏やかな表情を作った。青い月明かりが降り注ぎ、時折彼の服に織り込まれている銀糸がきらめく。


 鬼の里と落人達の集落との境に古びた石仏が並んでいる。月明かりがそれらの影を黒々と地に落とし、雪牙丸はその影を踏みつける様に歩いていく。


 不意に近くの竹林が風にさざめいた。





 つづく

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