第30話 雪牙丸1


 元服げんぷく前の雪牙丸せつがまる福原ふくはらから落ち延びた平氏の落人おちうど達の中にいた。


 父は平重忠たいらのしげただ——あの清盛の外腹そとばらであるというから、雪牙丸は孫にあたる。世が世なら雪牙丸は清盛に元服親を頼んで立身出世の道を歩んでいたはずだ。


 幼い頃仲良く遊んだ従兄弟は阿波・屋島へ渡るのだと聞いた。


 自分達もそうであるはずだった。


 しかし野蛮な坂東武者共に追われ、内海の嵐に遭い、この島に流れ着いた。よわい十二になる雪牙丸はそこで初めて鬼に会う。


 彼らは死にかけた落人達を憐れみ、結界を解いてこの島へ招き入れたのである。


 鬼は強大で美しく慈悲の心を持ち、雪牙丸にとって、彼らは憧憬どうけいの対象となった。


 初めのうちは。


 生まれながらにして不可思議な能力を持つ彼らを、雪牙丸はうらやみ始めたのだ。


 ——何故なにゆえ、我らは世をべる平氏でありながら、あのような技が使えぬのか?


 結界の外では、すでにかの名高い壇ノ浦の戦いは終わっていた。島にかくまわれた落人達はそれすら知らず、未だ打倒源氏の夢を胸に抱いていたのだった。


 雪牙丸はみやびな母に問うた。


「あの者らの技は、何故、雪牙丸には使えぬのでございましょう」


 母は身重みおもの身体をゆっくりと動かしながら、微笑ほほえんだ。


「我らは人である故です。人には人の、彼等かれらには彼等の、成すべき事のために其々それぞれ御力おちからが与えられているのでしょう」


 雪牙丸は優しげに赤子のいる腹を撫でる母を見て、尚更なおさら『鬼の力』を欲しがった。生まれてくる赤子とたおやかな母を護る為には、自分に力が無ければならぬと考えたのだ。


 父は戦に出てそれ以来会っていない。この島へ辿り着いた一族の中で、雪牙丸は子どもながらに最も身分の高い貴人であった。その為に余計に直接的な力が欲しかった。


 つまりここに生き残った平氏の頭領足らんと考えたわけだ。


 ——我らにあの力が有れば、源氏など恐れはせぬ。


 全て元通りだ。


 東国とうごくの荒くれ者どもを叩き、都へ戻って御所ごしょに上がる。それから西国へ向かった幼帝と周りにさぶらう一族を呼び戻すのだ。


 にわかに雪牙丸の瞳は明るく輝き、それが最善であるかに思えて来た。


 哀れなり雪牙丸。


 既にこの世に居られぬ帝を救う為に、彼は鬼の力を欲したのだった。




 つづく

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