第8話


「っつぁ――――――! 疲れた……」


ボフン! と部屋のベッドに飛び込むと、いい香りがするクッションがふんわり優しく身体を受け止めてくれる。


私にとってギルはゲームを通じて限られた選択肢でしか交流していない相手だから、特に心を痛めず「婚約破棄して!」って言えると思っていた。でも、この世界では選択肢なんてもちろん無くて。ギルもちゃんと血の通った一人の人間だった。


「なんか、結構ダメージ大きいな……」


ギルのすこし照れてはにかんだ表情や、私の申し出を受け入れてくれた時の感情を読み取られないようにつくろっている表情が思い起こされる。


「だめだめ! あんまり感情移入しない! だってギルにはこれからエミリエルとのバラ色展開が待ってるんだから! 私は自由を謳歌するのだ!」


これから、何をしようかな。まずは私に備わっている魔力をどうやって使うか、それを知りたい。クラリスのドレスを作り上げた魔法、すごかったな…………


 ◆


次にフッと目を覚ました時には、柔らかい日の光が部屋を照らしていた。

光の中に粒子が静かにきらめいて、穏やかな朝の訪れを感じる。


「私、あれから寝ちゃったのね」


気づけば私の服もネグリジェに変わっていて、柔らかな毛布がかけられていた。

これもクラリスの魔法でやってくれたのかしら。

この世界に来てからというものの、いろいろと準備をするために睡眠時間を削ったから、反動でぐっすり寝てしまったみたい。


「ん〜〜〜っ」


上半身を起こし思いっきり伸びをして、毛足の長いカーペットに足をおろす。

窓に近づいて前庭の様子を眺めていると、一輛いちりようの馬車が入ってきた。

目を凝らしてみると、ドアにロレーヌ家の薔薇の紋章の装飾がついている。

あれって……ひょっとしてお父さまとお母さま……?


リリアは溺愛されているらしいし、早々にお目通りになるかもしれないわね。

となれば、すぐに着替えないと!


「クラリス、そこにいるかしら?」

「はい、お嬢さま。――失礼いたします」


部屋に入ってきたクラリスに馬車について尋ねると、やはり両親のものらしい。急いで着替えを手伝ってもらい、昨日の水色のドレスに袖を通す。


「クラリス、わかっていると思うけれど」

「はい、大丈夫ですお嬢さま。記憶の件についてお二人には秘密、ですね」


さすがクラリス。その落ち着きはどこからくるのかしら。うちの課長もこれくらいどっしりと構えててくれたらよかったのになぁ。

過去の職場を思い返していると、背中の編み上げリボンが思い切りグッと締められて「ぐぇっ」と変な声が出た。


――やっぱり上司に向いてそう。


髪の毛を綺麗に纏める暇はないので、簡単にブラシで梳かし終えると、何やら廊下が騒がしくなった。


「リリアさま、失礼いたします」


神経質そうな訊きなれない男性の声。お父さま付きの執事かしら。

あとでクラリスに教えてもらお――


「リリア!!!!!!!!!!!」


思考を遮るほどの大きくどっしりとした声で、私の名前を呼びながら体格のいい男性が入ってきた。これがお父さま? あれだ、ラガーマンみたい。

勢いの良さに言葉を見失っていると、お父さまは

「がはは! びっくりしたか? 入学式に間に合わず申し訳ない。急いだんだが、こんなタイミングになってしまった。早かったがリリアが起きていると聞いてな。どうだ、変わりはないか?」と、一気にまくし立てた。


「お父さま、お帰りなさいませ。変わり……というほどでもないのですが、この度学園には入学せず、ギルさまとの婚約も解消してまいりましたわ」


早いうちに打ち明けたほうがいいと思っていたし、「変わりはないか」なんてタイムリーな質問をしてくるものだから思わず言ってしまった。


「――奥様!?!?」


後ろで控えていたメイドたちの慌てた声。

あっけにとられた表情のお父さまの後ろに視線を移すと、線の細いきらびやかなドレスを着た女性が、今まさにゆっくりと倒れるところだった。

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