第11話 鼠は貴女のすぐ側に

 祝勝会は鶏の唐揚げだった。

「乙八さん、これすごく美味しいです! ハンバーグもそうだったけど、お料理お上手ですね!」

「味が濃い。衣が厚い。1円の価値もないわ。だから代金は払わない」

「おちびちゃんは素直でいい娘やねぇ。どっかのチキ山とは大違いやわ」

「あ?」

「文句が多いなぁ唐揚げにするで?」

 カウンター越しに包丁をノエルに向ける女店主だが、ノエルは気にする様子もなく唐揚げをつまむ。文句はあれど腹は減っているのだ。払う金はないけれど。

「代金なら私が払います。責任は私にありますから」

 ノエルの隣で、付け合せのレタスを食べていた烏丸がおずおずと挙手する。例え鶏といえど、同じ鳥を食され、挙げ句代金まで払わないといけないとなると、烏丸にとってとんだ拷問のようにも思える。

「ええほれがいいは」

 不機嫌そうに唐揚げを頬張りながら、ノエルは賛成した。

 烏丸――基、トンカラトンと成り果てた鴉天狗の暴走を止めたノエルと千代は、意識を失っていた烏丸と共に『WeirdoS』に帰還し、祝勝会へともつれ込んだ。

「『死神』に助けてもらえたなんて、運がいいねぇカリスマちゃん」

「直接会えたらお礼をしたいぐらいです。まあ都市伝説だから受け取ってもらえないかもですけど」

 烏丸の言葉に、隣に座るノエルは落ち着かない様子でいる。千代は苦笑いをして、何個目かわからない唐揚げに箸をのばす。

「そういや、鼠は捕まったん?」

 店主の言葉に千代は背筋を伸ばす。唐揚げに伸びていた箸は直前で止まる。

 そこに助け舟を出したのは烏丸だった。

「ええ。ちゃんとお話もしましたよ。鼠と鴉の不可侵条約を結ぶ、と」

 烏丸は、千代に小声でフォローする。

「あまり気に病まないでください。千代さんは悪くないですよ」

「でも、豊鳥さんは」

 千代は、下唇をぎゅっと噛んだ。

「彼は元々奇妙なオカルトオタクです。オカルトに食べられるなんて、彼の本望ですよ、きっと」

 烏丸は、千代に優しく微笑んだ。

「彼の記憶が貴女を助けるのなら――彼が生きた意味があったわけですから」

 後に予定のあった烏丸を見送ると、ノエルは千代を連れて屋上へと上がった。四月のまだ寒さが残る夜空の元で、ノエルはフェンスにもたれる。

「それじゃ、本題よ」

「本題……」

『『死神』のこと、だな』

 千代の脳に、低くしわがれたハードボイルドな声が響く。千代が驚きで体をびくと震わせると、

「出てきなさい、D」

 ノエルは左手に力を込め、手の上に白い頭蓋骨を生み出す。先程までノエルがつけていた仮面とは違い、若干デフォルメされていた。

 すると、何かが取り憑いたかのように、その骸骨が漆黒に染まる。そして、規則正しく並んだ歯をがちがちと鳴らす。

『あァ、これでいいか?』

「……」

『まァ驚くのも無理ねェ』

 Dは目を丸くする千代を諭した。

『俺が『死神』……D。本体だ』

「で、私が契約者。体貸してる」

 小さく挙手するノエル。

「最後にあの修道士にバレたのが三年前だったかしら……まさか鼠とアンタが繋がってるなんて思わないから、私も迂闊だったわ」

 開き直ったように声を上げるノエル。

「あの、何か問題でも?」

「大問題よ! 本当ならここでアンタの息の根を止めることだって考えた……」

『だが流石にあの数を敵にゃ回したくねェからな。仕方なし、だ』

 あの数、と聞き、千代は先程のネズミの群れを思い返した。千代は一度あの数にやられているのだ。ノエルの決断にもうなずける。

「アンタが世間知らずで良かったわ。これが烏丸みたいなやつだったら、今頃パパラッチの餌食よ」

『ま、だとしたら軽く捻ってやるけどな』

 さらりとシャレにならないことを言う。

「さっき、烏丸さんと戦ってたのは……」

「魂に干渉しただけよ。天狗の持ってた魂と融合したオカルトを殺した」

「オカルトも、死ぬんですか?」

「その気になれば、ね。安心しなさい。アンタはそう簡単に死なないから」

 ノエルは、千代の肩に乗った鼠を一瞥する。鼠は毛を逆立てたが、千代がそれを撫でてなだめた。

「アンタが鼠になった経緯だけど……」

『嬢ちゃんもなんとなく思い出してきたんじゃねェか? あんなショッキングな食事風景見ちまったんじゃよ』

「……食べられたときのこと、少しだけ」

「家出してすぐ、身寄りへ向かおうとした途中でアンタは鼠に食べられた。そして、『渋谷の大ネズミ』になったアンタは、そのことに気づかないまま事務所に向かう途中でその雑誌記者を食べたってこと」

 ノエルは両手をジャンパーのポケットに入れたまま、淡々と答える。

「その日の夜、私達が渋谷で必死こいて鼠探したのが無駄足だったわけがわかったわ」

「でも、食べたのは豊鳥さん一人だけですよね?」

「ほんとに言い切れる?」

 ノエルにぴしゃりと問われ、千代は口をつぐむ。鼠を追う途中で通りかかった路地の店たちには、確かにネオンが点っていた。しかし、千代が目を覚ました路地の店先に、灯りは一つもついていなかった。寂れた路地の、半分空いた店のドアの中を確認することはなかったが……その先を想像して、千代の背筋が凍った。自分の腹を擦る。

「……」

『それと、嬢ちゃんが雑誌記者の荷物を把握してるのが不自然だって思ってなァ』

「……言われてみれば、確かに」

「出会ってすぐの他人のカメラ使えるところとかね」

『ちょうど、俺たちにも魂の記憶を共有する知り合いがいてなァ』

「最後に、大量の鼠を呼び出したこと。確信したわ。鼠を呼び出す親玉がアンタだって」

「でも……なんで豊鳥さんを食べたんですか?あの子達は、理由もなく人を襲ったりしないのに」

 千代は、髪の毛の中から先程の鼠を呼ぶ。肩にちょこんと乗った鼠は、指先で鼻に触れると愛らしくちぃちぃと鳴いた。

「さっき、鼠達は千代の命令で動いたわね。切羽詰まった状況で」

「じゃあ……鼠が豊鳥さんを食べたのは」

主人アンタを危険に晒す何かがあったのかもね」

 千代は口をつぐんで俯いた。脳裏に浮かんだ、青年の優しい笑顔。

 千代がショックを受けているのは、ノエルにも見て取れた。カフェで話したときもその名前が飛び出し、挙げ句荷物まで抱えてきたのだ。

 ノエルは、なるべく傷つけない言葉を選んだ。

「ほんとのことはわかんないわよ。アンタが覚えてないんだし」

 ノエルはフェンスから立ち上がり、夜空を見上げた。

「それに、アイツの記憶は生きてるんでしょ?」

 千代は、胸に手を当てた。不思議と心強い、そんな気がした。

 あの笑顔を二度と見られないとして――彼の生きた証は胸に残っている。千代もノエルと同じ空を見上げた。真っ黒な夜空に浮かぶ星は、さほどまばゆくないが、確かにそこにあった。

「まだわからないことがたくさんあるし、しばらくはここにいるといいのよ」

「いいんですか?」

「だってしょうがないじゃない。どうせ行くところないんでしょ?」

 千代がこくりと頷くと、ノエルはずかずかと千代に詰め寄り、屋上のフェンスまで追い込む。そして千代の目の前に顔を寄せ、至極真剣な表情をする。

「いい? これは取引よ。アンタは私とDの秘密をバラさない。その代わり、私はアンタのことを面倒見てあげる……どう?」

 千代は、ノエルのマゼンタ色の瞳を真っ直ぐ見つめた。

「……約束です。ちゃんと、約束守ってくれるって、約束してください」

「約束でも取引でも、守る保証はしてあげる。だってこの私が死ぬわけないもの」

 そういって、ノエルは誇らしげにニヤリと笑った。

「あと、それ。敬語なし。ノエルでいい」

「え」

「取引を結んだ関係よ。対等じゃないと意味がないでしょ」

 どこか照れくさそうに言ったノエルに、千代はくすくすと笑った。

「ありがと、ノエル」

 結局、ノエルの温情が仇となったのか救済措置だったのか、答えは出ないままが正解だと、Dは思った。

 理性では烏丸を疑い続け、千代に素っ気なく接したが、心のどこかで烏丸に憧れを抱き、千代を最後まで気にかける――彼女がいくら見栄を張って冷酷な都市人間を演じようと、根のウェットな感情はどうしたって捨てられない。そんな相棒だけれど、Dはそれでいい、それがいい、と思えるのだ。

「ふふっ、ノエルも可愛い所あるね」

「べ、別にそういうわけじゃないし」

 友達は……今からでも遅くない。今まできっかけがなかっただけであろう。ノエルは頑なに取引だ、と強調するが、千代という友人ができて、彼女が少しずつ変わっていけるのであれば、それ以上Dが望むことはない。

『よかッたな、友達できて』

「……フン」

 鼻であしらったノエルだったが、その頬は仄かに紅く染まっていたのを千代は見逃さなかった。

 千代はくすくすと笑い、ポーチからスマホを取り出した。

「これからよろしくね、ノエル」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る