第10話 『死神』

 夜の神田は、仕事帰りの会社員たちで溢れかえる。街の居酒屋や飲食店は彼らを歓迎し、日中とは違った活気を生み出す。ノエルとDにとって、人気のない屋上は非常に都合のいい道であった。ここなら眼下の誰にも見つかることなく『死神』の力を発揮できるのだった。

「こういうことが起こるから軍には入りたくないのよ! オカルトはまだ死んでない!」

『くそッ、あの鴉、油断しやがったなァ』

「どいつもこいつも面倒事増やして……D!」

『あァ‼』

 そう叫ぶと、ノエルは走りながら左手に力を込める。すると、ノエルの手のひらの上に、黒い粒がぽつぽつと生まれる。それらはだんだんと大きくなり、同時に色が抜けてゆく。黒、灰色、白と移り変わった雪のような粒は、次第に質量を持った集合体となり、一つの仮面を作り出した。

 ぽっかりと穴が空いた2つの目元と鼻、欠けることなく並んだむき出しの歯、頭部と顎部の付け根には空洞が広がっている、誰が見ても骸骨、と答える仮面。

 ノエルは、それをすかさず顔に装着する。そして、ジャンパーのフードを被り、チャックを一番上まで引き上げる。

「ノエル、体借りッぞ」

『ええ』

 仮面でくぐもった、低くしわがれたハードボイルドな声。少女と入れ替わった怪異は、ビルの屋上をさながら忍びのように転々と飛び移っていく。唯でさえ運動神経の良いノエルに、『死神』の力で更に拍車がかかる。軽い身のこなしで夜空の下を疾走し、黒い翼を追う。大きな翼に絡まって風に靡く白い包帯は、暗い夜空で良い目印となる。

 そして、『死神』は速度を上げ、仮面越しに上空を駆ける鴉天狗をぎりっと見据える。

『駅の方に誘い込むわっ! そこなら人もたくさんいる!』

 ノエルがDに告げると、Dは走りながら右手を掲げる。すると、鴉天狗を包囲するかのように、無数の漆黒の矢が形取られる。

「食らいやがれッ‼︎」

そう叫び、Dが腕を勢いよく振りかざすと、同時に因子の矢は速度を持って鴉天狗へと飛び、包帯が絡まった翼へ刺さる。鴉天狗はよろめき、矢の刺さった翼を大きくはためかせる。

「逃げられると思うんじゃねェぞ」

 Dは速度を更に上げ、屋上を駆ける。スピードを落とした鴉天狗をリードするように前方を走る。

「ついてきやがれ天狗‼︎」

 その声に反応し、鴉天狗は負傷したことを気にする様子なく黒フードを目掛けて飛ぶ。

 駅の周辺に差し掛かった辺りで、『死神』は足を止め、左手を振りかざす。すると、仮面と同じように黒い粒子がふつふつと現れ、やがて集合し、その背丈と変わらない長さの、細く黒い棍棒となる。

 屋上で立ち止まった標的めがけて、鴉天狗は急降下する。『死神』は生み出した棍棒で受け流し、鴉天狗の体を吹き飛ばす。ざざざ、と音を立て、鴉天狗は屋上に倒れ込む。

「かかってこいや、相手してやる」

 Dの挑発に乗るかのように羽をぴくりと動かし、鴉天狗は起き上がった。握った日本刀を回し、その勢いのまま『死神』に突っ込む。

 『死神』は棍棒で日本刀を受け止め、跳ね返す。天狗の斬撃は、その威力もさることながら、尋常でない速さで繰り出される。昨日のトンカラトンよりも明らかにスペックが違う。

『ただでさえオカルトが厄介なのに……』

「流石あんま鴉天狗は敵にしたくねェな、速すぎんだろ」

『感心してる場合⁉』

 ノエルとDの不平不満すら斬る勢いで、連撃を見舞う鴉天狗。体に巻き付いた包帯の先が動きに合わせて上下する。

 『死神』は後退し、棍棒をくるりと回して構え直す。すかさず天狗は地面を蹴って、真っ直ぐ『死神』に突っ込む。下から刀を払うが、棍棒で受け止められる。銀色の刃と黒い棍棒は拮抗し、跳ね返った途端に再び競り合いが始まる。

「奴の隙を作ったら畳み掛ける! それまでアイツの攻撃をなんとかかわせ!」

 ノエルにそう告げると、Dは体の主導権をノエルにパスする。

 ノエルは、鴉天狗の振りかざした刃を横に跳んで躱す。

「無茶、無茶、無茶じゃ……ないッ‼」

 奮迅し、空振った天狗の鳩尾に棍棒を勢いよく突き刺すと、天狗はよろめき、交代する。

 ノエルは仮面越しに天狗を睨みつけ、棍棒の先を向けて握りしめる。

「D、行くわよ」

 くぐもった声でそう告げると、棍棒が淡い光を帯びる。天狗に向けられた先が、歪み、曲がり、やがて美しい弧線を描く刃を形取る。

 骸骨頭はその口元を鎌のように歪める。

「こっからが本番よ。かかってきなさい」

「ぅぅぅうううゔぁあああああぁぁ」

 天狗は、再び地面を蹴り、飛び上がる。そして、上空から『死神』めがけて垂直降下する。

 『死神』は携えた鎌を回転させて防御し、その回転の勢いのまま鎌を眼下の天狗に振り下ろす。鎌を差したまま地面を蹴ってふわりと天狗の身を越えると、瞬間鎌を抜いて横に薙ぐ。そして、天狗の体を鎌で掬い、

「おらあああああッ‼」

 宙に放る。まだ矢のダメージが抜けない濡れ羽色の翼は動かず、無造作にその身を投げ出される。

「D‼ 今よ‼」

 ノエルは声を張り上げる。

 真下は神田駅。入り口に集まった多くの目が、天狗と『死神』に奪われる。

「奥義」

 『死神』の鎌は暗い夜空で銀色に発光し、刃を巨大化させる。

「『神懸狩かみがかり』――」

 その声と同時に『死神』は巨大鎌を振りかざす。銀色の刃は空間もろとも天狗を切り裂き、天狗の体は同じ銀色の炎に包まれる。

「妖怪トンカラトン。これで終わりだ」

「あああああああああああああぁぁぁぁ」

 『死神』が屋上に着地すると同時に、炎は燃え上がり、銀色は赤紫色になる。

「あああああああああぁぁぁ――――」

 断末魔が止み、燃え尽きた炎から鴉天狗が落ちる。『死神』は鎌を放り宙にかき消すと、落下する天狗を素早くキャッチし、再び軽い身のこなしで屋上を転々と飛び跳ねてゆく。

「あんだけ派手にやればトンカラトンも退治できたでしょ」

『分離なんて荒業、一か八かだったが……なんとかなったなァ』

「当然ね。だって私達だもの」

 ノエルの普段どおりの高慢な言葉にDは鼻を鳴らした。

 ノエルは、お姫様抱っこされる烏丸を仮面越しに見つめる。どうやら意識を失って眠っているようであった。その穏やかな寝顔に安堵し、また地面を蹴った。

 

 一匹の小鼠が、千代の足元に駆け寄る。そして、彼女を励ますかのように、その灰被りのような頬を小動物らしく擦り付けた。

 ふるふると頭を振るその鼠に安堵して、千代は屈み込む。鼠の小さな耳の裏を撫で、感謝の言葉を告げた。

「ありがとう、守ってくれて」

 その言葉に反応するように、鼠は千代を見上げて、ちぃ、と小さな鳴き声を上げた。細めた赤い双眸は、任せとけ、とでも語っているように思えて、千代はくすりと笑った。

「千代!」

 突然背後から聞き覚えのある甲高い声がして、千代は立ち上がり振り返る。ノエルは烏丸をお姫様抱っこして近づく。

「烏丸さん、無事だったんですね!」

「ええ。一時はどうなるかと思ったけど」

「でも、やっぱりノエルさんすごいですよ! 鴉天狗と張り合うなんて……あの」

「?」

「ノエルさん、『死神』なんですよね」

「……やっぱりね」

 千代はハテナマーク浮かべてノエルを見つめる。ノエルはそんな千代の手首を掴んだ。

「捕まえたわよ、『渋谷の大ネズミ』」

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