第9話 少女デジャヴ

 東京の夜景は美しい。特に、ビルの屋上から眺める神田とか。街の中からだと、居酒屋の文字が踊るネオンが程よく自己主張を織りなす都市景観を望めるが、ビルの屋上からだと事情が変わってくる。頭上を仰げば、暗い夜空に月が輝き、眼下を見下ろせば、無数のネオンがあたかも星のように壮大な景観を作り出す。

「な、なんで私捕まったのー!」

 千代は、夜空の元で叫んだ。両腕は椅子にくくりつけられ、脚を動かそうとも自由に身動きがとれない。ただ椅子の後ろに垂れた白く長い髪がゆさゆさと揺れるばかりである。

 屋上のど真ん中に座っているので、これでは眼下の星々も見下ろせない。否、今の千代に都市景観を楽しむ余裕などそもそも存在しないのだが。

 そんな純粋無垢な少女の悲痛な叫びに、ノエルはにやりと笑う。

「言ったでしょ、協力してもらうって」

「だからって荒業すぎやしませんか!」

「ほんと騙されやすいわねアンタ」

「乗せたのはノエルさんでしょ!」

「私の金でハンバーグ食べたのはアンタでしょ! その分ぐらい働きなさい!」

 一見理不尽そうに思えてそうじゃない仕打ちに悲痛な叫びを上げる千代。悲痛な叫びを上げたいのはノエルも同様であり――鼠を捕まえられなかったストレスは最悪な形で具現した。

「本当に、これで『渋谷の大ネズミ』が出てくるんですか?」

 ノエルに急遽電話で呼び出された烏丸は、怪訝そうな顔で屋上のど真ん中に座る千代を見る。

「こいつの仲間に『渋谷の大ネズミ』をおびき寄せさせて、それをアンタに突き出す。そんでその記者の手がかりを聞き出すの。ウィンウィンでしょ?」

「そんなに都合よくいきますかね……?」

「こいつが鼠と繋がってるのはなんとなくわかってきた。利用できるものは利用しないとね」

「それ悪役が言うことですよね?」

 渋い顔でノエルに突っ込んだ烏丸。ノエルは気にする様子もなく千代に近寄る。

「み、身柄の安全確保ぐらいは保証してくれますよね……?」

「安心しなさい。生まれてこの方誰かを泣かせたことなんてないから」

「今泣かせようとしてるんですけど!」

 ぱんっ

 夜空に、銃声が響く。

 真っ黒な空に現れた、大きな穴。同じ黒色でも、その底しれない深さに、三人の視線が集まる。

 トンカラトントンカラトン――

 聞き覚えのある不気味な声。ノエルと千代の背筋が凍る。

 そして、そのゲートから自転車ごと白い人影が落ちてくる。がしゃんと音を立てて着地すると、

「――烏丸っ‼︎」

「え」

 ノエルが叫んだ時には、もう遅かった。

 烏丸の目の前に落ちた、白い人影。全身を包帯で巻かれたその怪異を、見間違えるはずがなかった。

「――っ!」

 次の瞬間。怪異は背中の日本刀を抜き、一太刀で目の前の烏丸を切り裂いた。

 烏丸の胸元から腹部にかけて鮮血が噴き出した。キャスケットが宙を舞う。

「烏丸さんっ‼︎」

 千代の叫びは虚しく夜空に消える。

 烏丸の身を、傷口から飛び出た白い包帯がぐるぐると巻きつける。ところどころ、赤く染まったトレンチコートやスキニーパンツが覗く。

 都市伝説、トンカラトン。

 その名前を不必要に呼んだり、怪異の命令を聞かなかったりした場合、対象は斬られ、怪異の仲間となる。こうして仲間を増やしていくのだ。そんな口上。

 包帯が形どった日本刀を握り、真紅の瞳は、鋭利な剣のようにぎらりとノエルを見据える。まさしく理性と野生を兼ね備えた大妖怪の瞳である。昨日見た穏やかさは消えていた。

「の、ノエルさん、あれって……」

「フン、なんでこんなときに限って帰ってくるのよ」

 ノエルは忌々しげにつぶやき、

「私はカラスを追う! そっち頼んだのよ!」

 ノエルはそう言って、ぴょい、と屋上のフェンスを飛び越え、宵闇に消えた。その後を追うように天狗が屋上を飛び出す。

「えぇっ! ま、待って!」

 困惑の声は届かず、千代はゆっくりと振り向く。

 昨日も見た怪異。自転車を捨てると、背に背負った刀を抜き取りじりじりと千代に詰め寄る。

 この屋上に、獲物は千代しかいない。

「嫌、来ないで」

 なんで。なんでこんなにうまくいかないの。

 スカートの裾を握る。喧嘩して、昨日もこいつに追われ、居場所を失い、豊鳥が消えて。何が何でもおかしい。もう、何回も泣きたい気分で。

 でも、豊鳥はずっと笑顔だった。

 まだ取り返せるものがある。まだ失っていないものがある。まだ生み出せるものがある。

「まだお父様に、謝ってない。まだ豊鳥さんを見つけてない」

 千代は声を絞り出す。

「まだ、何もできてない」


「まだ、いきなきゃいけないのっ‼」


 すると突然、だだだだ、という音とともに、ビルが小さく揺れ始める。次第に大きくなる音と揺れに、千代は顔を上げる。

 ビルの下から、無数の鼠が飛び出した。

 百、二百……数え切れない灰色の群れは、一斉に怪異へと駆ける。そして、構えられた刀に怯む様子もなく飛びかかる。あっという間に白い人型は鼠に覆い尽くされ、そのままコンクリートの地面に倒れ込む。

 ばりばり。むしゃむしゃ。

 呆気なく、そして残酷に、その怪異は食い尽くされてゆく。

「……どういうこと?」

 目の前に広がる惨状に、千代は呆然とした。ただ一つ確かなことは、その光景に強いデジャヴを感じたことであった。それが何か、はっきり認識することはできなかった。

 獲物を食らい尽くした鼠達は雲散霧消して、残った数匹が千代の元に走り寄る。そして、縄目を齧って解く。

「……ありがとう」

 驚いたように千代が感謝すると、鼠達はちぃちぃと誇らしげに鳴いた。

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