第5話 楠木千代という少女

「家出?」

 神田、とあるファミレスにて。青年――豊鳥とよとり緋色ひいろは、目の前でハンバーグを口に運ぶ白髪の少女に問い直す。

 千代の腹が限界を迎えたことをきっかけに、二人は近くのファミレスへと足を運んだ。平日の午後七時過ぎ。客足はまばらで、空席がぽつりぽつりとある程度であった。

 咀嚼そしゃくしたハンバーグを飲み込んでから、千代は答えた。

「……はい。家出です」

「お嬢様の家出……スクープかな?」

「大した騒ぎにはしないつもりです」

「君の意思の問題ではないよね⁉︎ 記者パパラッチが目の前にいることわかってる?」

「こういうとき、お金を差し出すようにと従者に言われました! 東京を生き抜く為の処世術だと」

「何故主人に賄賂を唆す⁉︎ 君の従者ぶっ飛んでない?」

 彼女の天然発言に突っ込むのにもそろそろ慣れてきた豊鳥であった。

「……家出のきっかけって?」

「……えっと」

「あ、いや、言いたくないなら言わなくていいんだ」

 人から話を聞くとき、必要以上に詮索をしてしまうのは記者の性分であろう。相手はあまりよい表情をしないため、多少の気配りは必要だ。特に、この少女相手には。

「……すみません」

「謝ること無いって。謝罪より感謝。これ大事」

「……ありがとうございます。命の恩人にはそれなりの誠意を見せろ、と、お父様に言われました。だから、正直にお話ししします」

 千代は、フォークとナイフを音を立てずに置き、改めて豊鳥の目を見た。

「お父様とお母様が、私のことで言い争いしていました。珍しいことでした。二人とも、普段は穏やかな人ですから。それで私、いつの間にか間に入って声を上げてたそうです」

「上げてたそう、って、覚えてないの?」

「はい、お恥ずかしながら。後で従者に聞きました。だいぶ頭に血が上ってたって」

「……」

「多分、必死だったんだと思います。二人が喧嘩しているところなんて、見たくなかったから」

 そういって千代はうつむいた。どこか後悔の念が浮かんでいる表情であった。

 励ましに、と豊鳥は声をかける。

「素直だね。喧嘩してもお父様の話は聞くんだ」

「当たり前です。喧嘩したのと、人に誠意を見せるのとは、話が別、ですから」

 とぎれとぎれの彼女の言葉に耳を傾けながら、豊鳥はメロンソーダに刺さったストローに口をつける。

 路地裏で会った時は冗談混じりにからかっていたけど、彼女が心の奥に抱えるものは、俺が思っている以上に大きい。豊鳥は痛感した。

 一体、この少女は今まで何を抱えて生きてきたのだろう。頭にふと、そんな考えが浮かんだ。

 オカルトを初めて見た、と彼女は言った。今までの彼女を取り巻く環境は、どれほど外の世界と隔てられた環境だったのだろうか。オカルトと接することなく生きていくなど、現在の日本のどこを取ってもほぼ不可能だろう。噂の根源である人間が住まないところであれば考えられないこともないが、千代の話を聞く限り、彼女は相当育ちがいい。今身につけているワンピースも、一見軽装ながら、一般庶民の豊鳥でさえ上質なものであるとわかる程度だ。家出してきてまだ日が浅いことも考えれば、東京からそう遠くない、ある程度裕福な家庭で生活をしていたはずだ。

 それに、彼女の家族のこと。喧嘩する以前から、そして今でも、千代は父親も母親も相当尊敬している。最初は些細なこと、なんて言っていたが、相当なことでない限り家出になど至らないだろう。

 彼女のことだ。両親や従者を始め、人の話はよく聞くし、加えてそれに従順なまでに従う。見知らぬ人間への警戒は強くても、見知った人を信じやすく、裏を返せば騙(だま)されやすい性格。

 そこまで考えて、豊鳥は詮索するのをやめた。

「身寄りが一つあって。その人を訪ねるように従者に言われて神田ここに来ました」

「だけど右も左もわからず途方にくれていたわけだ」

「はい。私、地図は読める女です」

「だけど地図をなくした女ね……行く住所がわからないんじゃ、地図があってもしょうがないし」

「いえ、もしかしたらそもそも渡されてなかったのかもしれません」

「なくしたのを認める気はないんだな?」

「私の従者は頼れるおっちょこちょいです」

「それが本当なら君の従者も中々のドジっ子だな……君もだけど」

 そうです、と、千代は胸を張る。いや、胸を張れるところではないと思うのだが。小柄な体格にしては豊満な胸……と心に入り込んだ邪な思いを振り払い、豊鳥は彼女を見つめ直した。

 それにしても、だ。

 彼女は本当に美味しそうにご飯を食べる。育ちの良さが現れているのか、食べ方はとても行儀がいい。しかし、一口食べるごとにそれはそれは幸せそうな表情を浮かべるのだ。

 普段、こういった庶民的な食事を食べ慣れていない様子であった、ハンバーグやら付け合せのポテトやらを食べるごとに、

「これ、美味しいです!」

 と、満面の笑みで感想を述べる。こちらがそれを頼んだ折もないのに、だ。彼女の素直さが微笑ましく、豊鳥も自然と唇が緩んだ。

「いくらかお金は渡されているので、数日それで生活したいのですが、どこで寝泊まりをすればいいのかすらわからなくて」

「こりゃ、とんだ箱入りお嬢様だな……」

 豊鳥が呆れるのも無理はなかった。顎に手を添え、うーんと唸って数秒。

「しばらくウチくる? まあウチといっても事務所だけど」

「もしかして、お職場ですか?」

「ああ。流石に男の部屋で共同生活させるなんて大問題だからね」

「……? 共同生活に何か問題でも?」

「だめだ問題を問題と認識していない‼」

 彼女の純粋さ、素直さ、転じて世間知らずで汚れを知らない心。むしろ都合がいい――わけがない。一人の純粋な少女の(恐らく)初めてを貰うほど豊鳥に度胸も責任感もなかった。

 頭を抱えた豊鳥を気にすることなく、千代はいつの間にかハンバーグ一皿を平らげていた。紙ナプキンで行儀よく口元を拭き、空になった鉄板の前で手を合わせる。

「ごちそうさまでした……あの」

「ん、どうかした?」

 千代は、傍らに置いていたシックなポーチから、スマホを取り出す。そして、おずおずとした手つきで操作する。機械に慣れていないのだろうか、目をぱちくりさせながらスマホを操作する姿は、さながら年配のようである。

「らいん、は、どうすればいいのでしょう」

「……あー、ちょっとそれ貸して」

 千代からスマホを借り、豊鳥が代わりに操作する。千代のメール画面には、履歴が全く無かった。彼女の口からよく飛び出るくだんの従者すら、連絡先がないように思われる。通りで彼女が機械に疎いわけである。

「スマホ、使ったことない?」

「はい。家出する直前に、従者に渡されるがままに渡されました。連絡手段にはらいんを使え、と言われたので」

 見知らぬ環境に放り出される――いや、出てきたのは彼女の意思なのかもしれない。それでも、不安は少なからずあるのだろう。それに、先走った行動に対する後悔とか。

「まだ完全に信頼するのは難しいだろうからさ。少しずつ、慣れていけばいいよ」

 豊鳥はなるべく少女の不安を払拭しようと、にかっと笑いかけた。

「……ありがとうございます」

 豊鳥の笑顔に釣られるようにして、千代も微笑んだ。

「あの、豊鳥さんのお仕事、伺っても?」

「ああ、一応雑誌記者やってんだ。といってもまだ下っ端だけどね」

 豊鳥は、ベストの胸ポケットからネームホルダーを取り出す。

「うちの編集部が作ってるのが月刊のオカルト雑誌。結構面白いんだぜ」

 そう自慢するも、箱入り娘の千代にとってはどの雑誌、どの出版社をとってみても差がないのかもしれない。案の定千代はきょとんとして、

「雑誌……読んだこと、ないです」

「じゃあ読んでみてよ。オカルト知らないから、ちょっとは勉強になる……といいんだけど」

 だんだん失速した豊鳥の言葉に、千代は口元に手を添えて、くすくすと笑う。笑い方までお上品だ。豊鳥は感心した。

「たくさん聞かせてください。私、オカルトのこと、知りたいです」

「そう言ってもらえると、記者冥利に尽きるね」

 豊鳥は、千代の紫紺しこんの瞳をまっすぐ見つめて言った。

「君のことをちゃんと送り届けるのは、見つけた俺の責任だからさ。約束する」

「ありがとうございます、豊鳥さん」

 そういって、千代はくすくすと笑った。その穏やかな笑顔を見て、豊鳥もつられてはにかんだ。

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