第6話 路地裏って落ち着くよね

 鼠を捕まえる――そう意気込んだノエルは、肩を落として神田へと帰還した。

 依頼を受けたのが昨日の夕方。現在時刻は午後六時過ぎ。神田駅が帰宅ラッシュの波で賑わいを見せ始める頃である。ただでさえ居酒屋が多く立ち並ぶ下町に、だんだんと人の数が増えてゆく。

 ノエルは人混みを避けるように路地裏へ入り、誰もいないことを確認して壁に凭(もた)れる。そのまま座り込み、深い溜め息をついた。

「巨大ネズミって言うからすぐ見つかると思ってたけど……みつからないものね」

『まァ、鼠っつったって人に比べりゃまだ小せェからなァ』

「わざわざ夜に行ったのに。無駄足だったわ」

 神田駅から渋谷駅まで片道二十二分。死神因子を駆使して街中くまなく探した結果、捕まえたのは鼠一匹のみだった。

「てか、なんで渋谷中探してみつからないのよ。因子の罠まで仕組んだんだから、捕まったっていいじゃない」

『手がかり見つけるどころか、危うく補導されるとこだったからなァ』

「フン、この槻山ノエルを非行少女扱いだなんて、随分舐められたものね」

『そりゃ道端でゴミ捨て場漁る女に目ェつけないほうが舐めてんだろ!』

 二人の会話は、ビルから漏れる換気扇の音や回る室外機に紛れてしまう。実際、Dの声はノエルにしか聞こえていないので、ノエルの大声がかき消されるだけなのだが、ノエルとDにとってはとても都合のよいことだった。

「鼠の匂い、やっぱり追えないの?」

『妖怪鼠がどの匂いなんだか、わからねェからな。それに、あったとしても匂いが紛れちまう。あの天狗の嬢ちゃんみてェに人間にかぶれちまってちゃ、判別なんてできねェよ』

「鼠なら尚更、ってこと?」

『鼠の意思に関係ねえだろうけどよ、人間が偶発的に作った害獣だ。たちが悪ィ』

「そう、仕方ないわね」

『悪ィな、老いぼれで』

「……」

 Dの言葉に、ノエルは俯いたまま何も言わなかった。

「Dがいないと、私は戦えない。でも『死神』の正体を隠さなきゃいけないから、わざわざ私が戦えないふりまでしてる。だからそんなしけたこと言うんじゃないのよ」

『……あァ、そうだな』

 相棒の不器用な励ましに、Dは安堵あんどした。毎度のことながら、彼女の言葉はDにとってなくてはならないものとなってしまった。物理的にも精神的にも、互いに支え合う存在。昨日カフェで女店主や田之倉に散々なことを言われていたノエルだったが、彼女は決して一人ではないのだ。友達がいるかどうかは別として。

『それにしてもノエル、やけにあっさり依頼受けたなァ』

「正体を隠すもののよしみよ。気持ち、よくわかるもの」

 同情ではなく、共感。人間とオカルト、その狭間で生きている懊悩を、ノエルは少なからず烏丸から感じていた。

 『死神』――軍とも管理局とも相容れることなく、魂の管理を行う髑髏頭(どくろあたま)の正体がノエルであることを知る者は数少ない。現に、あの女店主は正体を知らないのだ。彼女がノエルに軍への入隊を勧めるのも無理はない。彼女がノエルの実力を嘱望するのは、彼女の資質あってである。彼女が『死神』であることに関係はない。

「それにあの人、なんかカッコよかったし」

 自ら都市にかぶれることを選んだ鴉天狗――その堂々たる姿に、背は向けられない。ノエルの中の揺るぎない信念が、彼女の体を動かしていた。

 一見独りよがりな相棒の答えに、

『……そうか、ならいい』

 Dは精一杯寄り添った。相棒の導き出した答えに、楯突く必要などないのだ。

「自己満足な共感で構わないわ。そんなもんでしょ」

『そんなもんか』

 他愛のない会話に一区切り付き、ノエルは腰を上げる。 

「さて、残りの魂の回収も兼ねてさっさと鼠を探しにいきましょ。今日こそひっ捕まえてやるのよ」

 そう言って、ノエルは忌々しげに足元に転がったコーヒーの缶を蹴る。からん、という音が喧騒に消える。

 すると、その音に反応したかのように、室外機の裏から鼠が飛び出した。

「おわっ」

 ノエルは声を上げ、足を上げる。鼠はうろちょろとノエルの足元を駆け巡ったと思うと、ちぃちぃ、と鳴き声を上げて、ノエルのスニーカーに齧(かじ)り付く。

「ちょっ、何するのよあんた‼︎」

 慌てて反対側の足を上げ、つま先に引っ付いた鼠を摘(つま)む。対する鼠も、その小さな体で必死に抵抗し、歯を向ける。

 片足を上げての抗戦。バランスの取りづらい体勢ながら、ノエルは自慢の体幹を頼りに腕に力を込め、鼠を引き剥がす。

「この私に歯向かうなんていい度胸じゃない、のっ‼︎」

 そして、鼠をおおきく振りかぶってから前方へ放る。丸まった鼠は放物線を描き、ぢぃっという鳴き声と共に不時着する。そのまま動かなくなったそれに近づき見下すと、ノエルは不満げに鼻を鳴らす。

「フン、死神たる私に歯向かうからこうなるのよ」

『ノエル、鼠相手に容赦ねェな……仲間呼ばれたらどうすンだ?』

「フン、こんなチビ風情が妖怪だなんて、『死神』も舐められたものね。てか、なんで神田に『渋谷の大ネズミ』がいるのよ。こいつが妖怪なわけないじゃない」

 不満げに敵をあしらい、不時着した鼠に近寄る。すると、うつ伏せの鼠のそばに、他のゴミに混ざるように一枚のボロボロな紙が落ちていた。

「……なにこれ?」

 ノエルは、疑念と共にその紙を拾う。それはもはや紙と呼べるような代物ではなかった。大きさは十分あれど、その随所に虫食いのような跡が残っていた。辛うじて見て取れる紙面には、地図が書かれている。ココ、という手書きの文字と共に一点に赤い丸が書かれているが、地図の殆(ほとん)どが食い破られてしまっているため、それがどこを現しているのかは判別し難い。

 まるで子供のように穴の中を覗き、ノエルは呟く。

「……なんでこれ、こんなに穴だらけなの」

 疑念を浮かべるノエルに、Dが呟く。

『これ、ここら辺の地図だな』

「えっ、まじで? どこどこ」

『おら、ここがカフェで、そこを曲がってちょっくらいったら神田駅』

 すると、ノエルの右手が一人でに動き、見て取れる地図の一点から指で道を追う。

「……確かに、言われてみれば見覚えのある地形なような」

『地図ぐらい読めるようになッておけって』

「安心しなさい、あんたがいるならしばらく困らないわ」

『俺を褒めたつもりかてめェはぐらかすンじゃねェ!』

「それにしても、何で食べられてるの?」

 ノエルとDが凝視するその地図は、食い荒らされたところを覗けば、新しいものと捉えられなくもなかった。食い荒らされた以上、使い物にはならないが。

 ノエルは烏丸の言葉を思い出した。

“気をつけてくださいね。あの鼠は何でも食べます”

「……もしかして、あんたが鼠?」

 そういって、ノエルは足元の鼠に問いかけた。しかし、それはすっかり動かない。

「はー、不殺生不殺生」

『仏教徒面するンじゃねェ!……普通の鼠だって紙の端くれぐらい食うだろ』

「ま、これじゃ使い物にならないわね」

 そう言って、ノエルは穴だらけの地図をぽいと放り投げ、

「この鼠は念の為捕まえておきましょ。華々しい一戦目勝利よ」

『華々しかったか?』

 ノエルは左手に力を込める。すると、ノエルの手の中に、小動物が数匹入る大きさの、直方体の真っ黒なケージが生まれた。格子状の網目の蓋を開けると、コンクリートに這いつくばって動かない鼠を掴み、そのケージの中に放り込んだ。

「これで捕まえていけばいいわ。さ、渋谷に戻りましょ」

 そういってノエルはケージの蓋を確かに閉め、そのまま歩き出す。

 すると、進行方向からこちらに走ってくる人影があった。

「はぁ、はぁ……ま、待って! ちょっと、止まってっ……!」

 聞き覚えのある可愛らしい声の主を記憶から探る前に、ノエルの足元を、一匹の鼠が通過する。ノエルはそれをひょいとつまみ上げ、

「お、二匹目」

 じたばたと抵抗する鼠だったが、主導権はすっかりノエルにあった。しばらくして鼠は抵抗を止めてうなだれる。

「あ、あの‼ その子……あ」

 人影と目が合う。顔を上げたその少女は、昨日出会った少女だった。

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