第3話 探し者は賢しき者

 ベージュの短いトレンチコートに、すらりとした脚が際立つデニムのスキニーパンツ。大きなシルエットのキャスケットの下には、後頭部で団子状に纏められた黒髪がちらりと覗く。スラリとした身長に相まって、大人な雰囲気の女性だった。しかし、そんなスレンダーな姿には不釣り合いな黒い大きなリュックサックを、ぴったりと、背中にくっつけるように背負っていた。手にもう一つ、革の手提げを持って。

「あの、槻山ノエルさんはいらっしゃいますか」

 その女性は、存外高い、鈴のような声で問いかけた。ノエルは黙って立ち上がり、視線を向けた女と目を合わせる。

 女性は店の奥へと進み、リュックサックを背負ったままノエルの目の前に座る。

「お姉さん、コーヒー飲む?」

「あ、ホットでお願いします」

 店主と一通りのやり取りを終えると、女性はノエルと改めて向き合った。

「あの、依頼受けてくださると聞いて連絡いたしました」

 そういって、女性は手に持った革の鞄から名刺を一枚取り出してノエルに差し出す。

烏丸からすまと申します」

「この会社……もしかしてムーム?」

「はい。ムームの編集員です」

「まじで⁉ じゃあヒエログリフとか、ノストラダムスの予言は終わってないとか!」

「それ、だいぶ前に出したネタですよね? よくご存知ですね、お若いのに」

「そりゃ勿論! ムームは私のバイブルと言っても過言じゃないのよ。ちっちゃいときにばあちゃんが読み聞かせしてくれて……って、話が逸れたわ」

 ノエルはごほん、と咳払いをし、名刺を受け取る。

「槻山さんの評判は耳にしています。都市でも指折りの懸賞金ハンターだと」

「懸賞金ハンターなんて母数が少ないんだから指折りも何もないんじゃ」

「それで? 依頼があるっていってたけど」

「ええ……実は」


「鼠を捕まえてもらいたくて」


 鼠。げっ目ネズミ科の哺乳類の総称。一般に小形で、体毛は灰色・黒褐色で尾は細長い。繁殖力は旺盛だが、寿命は短い。農作物・貯蔵穀物などに甚大な損害を与え、また病気を媒介する、あの鼠。

「鼠……って、私が?」

 呆気(あっけ)に取られたノエルは問い直す。

「唯の鼠ではありません。『渋谷の大ネズミ』。ご存知ですよね?」

「ええ。この前ムームに載ってたわね。厄介な妖怪鼠って」

「はい。名前の通り、渋谷に現れる、巨大なネズミ。特大スクープです」

 記者らしく息巻いて、烏丸は話す。

「じゃあその『渋谷の大ネズミ』を駆除してこいってこと? この私が――」

「槻山さんしにか頼めないのです!」

 そこで初めて、烏丸は声を上げた。キャスケットの下から覗く真紅の瞳で、真っ直ぐにノエルを見つめて。

 そして、烏丸は立ち上がって、ずっと背負っていたリュックサックを下ろす。どうやらリュックサックには背面部に切れ込みが入っていたらしかった。その隙間から、ばさり、という音と共に折りたたまれていた大きな黒い翼が広がる。トレンチコートの背後で広がる濡羽色(ぬればいろ)の羽は、烏丸の呼吸に合わせてかすかに上下する。

「私、鴉天狗からすてんぐという妖怪です」

 キャスケットの下から覗いた真紅の瞳は、りんとノエルを見据えていた。その大きな翼と相まって大妖怪の威厳が溢れ出ている。

 その姿にノエルは目を見張る。それは店内にいた店主と田之倉も同様であった。視線が彼女の翼に集まる。しばし圧倒されていた。

「……初めて見た、鴉天狗」

「驚かれるのも慣れています。普段はこうして翼を隠してますから」

「……妖怪は人間に順応する、なんて言うけど。こりゃレベチだわ」

 ノエルは、押し寄せた情報を整理するようにコーヒーに口をつける。

 鴉天狗。名前の通り、烏の天狗。山伏装束で、烏のようなくちばしをした顔を持ち、自由に飛翔することが可能とされる伝説上の妖怪。時に神ともされる伝承が残る日本の大妖怪、重鎮の一角である。

 そんな大妖怪が今、トレンチコートを着て目の前に立っている。伝承通りの嘴はなかった。

「鼠が掲載されたときの記事内容、覚えていますか?」

 大きな羽を閉じて座った烏丸は、手持ちの鞄から一冊の雑誌を取り出し、ノエルに向けて開く。ノエルが覗いた先には、『危機! 渋谷の夜をべる小さき王』という字が、蛍光色に踊っている。

「ん、なんとなく……そう、これ。確か、巨大化した鼠がカラスの羽を食べてて……あ」

「はい。私達カラスなんです。彼らの天敵は」

 烏丸は深刻そうな顔で頷いて、口を開く。 

「普段私達記者は、発行部数を伸ばすために記事を書いています。だから若干の記事の誇張というのはつきものなんです。ネタのためならなんでもするのは記者のポリシーです」

「あー、提灯記事ってやつね」

「はい。特に、ムームなどのオカルト雑誌は、エンタメ要素を色濃く出す必要があります。話を盛ることで、記事は面白くなってしまいますからね」

「それがオカルトの種だものね、良い商売じゃない」

「ええ、そうなのです。しかし、私達ムー編集者が『渋谷の大ネズミ』の特集を組んだとき、失敗してしまいまして」

「失敗?」

「はい……渋谷に実在する鼠は、実際に区の中で問題にもなっていて。区役所も対応に追われているそうです。人間の食べ残しを食べて巨大化した鼠が、都市中をうろついていると。烏を食べたのも、本当にあった話です。レアケースでしたけど、実際、私は現場を抑えていますから」

 そこで、烏丸は唇をきゅっと噛みしめる。

「しかし、その『烏を食べていた』という事実を、例のごとく誇張してしまったのです」

「じゃあ、困ってることって」

「鼠が烏を食べていたのはたまたまだったはずが、雑誌の誇張された内容が世間に伝わって、「巨大ネズミは烏を食べるもの」という認識が一般化してしまったのです……我々鴉天狗にとって、街の烏は共同体です。それに、単に鴉天狗である身として、同じ烏が食べられることなど我々のプライドが許しません。しかし、私の正体は編集部の人間には明かしていません。だからこの記事を書いた同僚に変に干渉できなくて。そうこうしていたうちに、噂が広まってしまいました」

「認識、ね」

 オカルトにとって、認識というのは最重要事項である。

 妖怪であれ、都市伝説であれ、人間が「存在する」と認識、思い込まない限り、姿かたちを保つことができない。見た目であれ特性であれ、多くの人間が持つ同じイメージを元に、彼らは存在を保つのである。

 伝承のように、脈々と受け継がれてきたものならまだしも、今回の『渋谷の大ネズミ』のような漠然としたトピックは、伝わる噂によってくるくると姿を変えてしまう。それがある一定数の人間の集合の間で同じ認識が持たれれば……その形が「あるべき姿」として『認識』される。

「また記事を書き直したり、やっぱり烏なんて食べてなかったなんていう噂を流し直したりしても、恐らく今までの話に掻き消されてしまうでしょう」

「うーん……」

 ノエルは顎に手を添えて唸り、目の前で眉をハの字にする大妖怪を眺めた。

 彼女はどうやら本気で困っている。

「じゃあ話をまとめると、お仲間のカラスが危ないからなんとかしたいけど、敵が強すぎるから私にその鼠を捕まえて倒してほしい、ってこと?」

「はい」

「なあ、一ついいか」

 口を挟んだのは田之倉だった。

「そこのお姉さん、天狗なんだろ?」

「お姉さんって言い方が尚キモいのよ」

「言い方変えても既にキモいのかよ……あんた、天狗なんだろ?」

「はい、そうです」

 呼ばれた烏丸は、田之倉の方を振り向いてその羽をぱたぱたと動かす。この女、無意識なふりして狙ってあざといんじゃないかな。まあお惚気のろけ修道士には意味ないだろうけど。ノエルの頭にそんな考えが浮かんだが、今は無視した。

「なら、その大妖怪の力でなんとかならないのか?」

 田之倉の質問は、とても根本的であり単純だった。

「天狗が強い妖怪だってことぐらい、俺でも知ってる。なら、数の問題は置いておいても、鼠ぐらい倒せるんじゃないか?」

「……全盛期だったら、確実です」

「全盛期?」

「これは、古典妖怪と近代妖怪の差です。リアルタイムで認識されている鼠にとって、落ちぶれた妖怪は敵じゃないんだと思います。それに、私はもうかぶれましたから」

「……かぶれたちゃった、じゃないんだ」

 ノエルは、そっと呟いた。何かすっきりしないノエルの口ぶりに、烏丸は穏やかな笑みを見せた。

「はい。ここで生活しているのは、私の意思です。かぶれたのは私です。伝承が残ってますから、これでも少しは自由が聞くんですよ」

 そういうと、烏丸はどこか自慢げに羽をぱたぱたと動かした。

 オカルトの意思。おそらく、彼女はすっかり人間社会に溶け込んでしまったのだろう。今朝の怪異とは違う。彼女の意思で、人間に屈したのだ。

「尻拭いのような形になってしまい、本当に申し訳ないと思っております」

 烏丸は頭を深々と下げた。その声は、何故か堂々としているように思えた。

「どうかお願いします。鼠を、捕まえてくださいませんか?」

「……いいわ。捕まえてきてあげる」

「……えっ、いいんですか」

 ノエルの了承をダメ元と見ていたのか、烏丸は顔を上げて驚いた表情を見せた。そんな烏丸の顔の前にびっ、と指を突き出し、ノエルはにやりと笑った。

「勿論、依頼金はもらうけどね。そういう商売だし、文句は受け付けないわ」

「……ありがとうございます」

 その姿に烏丸もつられて笑みをこぼす。

「気をつけてくださいね。あの鼠はなんでも食べますから」

 その言葉に、にやりと口元を歪(ゆが)めた。

「ええもちろん。報酬は後払いでいいわ。たかだか鼠一匹で手こずる私じゃないもの」

「フラグだな」

「うっさいのよ!」

 田之倉の呟きに言い返し、ノエルは席を立つ。そして、ドアベルの音がかき消されるほどの音を立てて店を後にした。

「……槻山さん、大丈夫ですよね?」

「大丈夫やて。あんたもあの子の腕わかって依頼したんやろ?」

 乙八は不安げな顔を浮かべる烏丸に微笑みかけた。田之倉も同調する。

「問題は鼠があいつに脅かされないか、だ。鼠の方が気の毒だな」

「確かに……あ、コーヒー代! ノエルちゃんコーヒー代払ってないんやけど!」

 思い出したように唐突に叫ぶ女店主。声を張り上げたときには、既に嵐は去っていた。

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