第2話 槻山ノエルという少女

「納得いかないのよ」

 神田三丁目、割と駅近。中々の好立地な喫茶店でノエルは不満げに頬杖をつく。

 神田にはカフェが多い。多くの企業ビルが立ち並ぶ街において、カフェ、喫茶店、飲食店の類はサラリーマン達のオアシスである。そして、それはサラリーマンでない人間にとっても同じことであった。

 槻山ノエルという少女にとってこの喫茶店、『WeirdoSウィアーズ』は、居候先のようなものであった。こじんまりとした店内、レトロな内装。ほのかに色褪せたバーミリオンのボックス席を陣取って、退屈を潰す。

「この私にあんな壮大なフリを作らせておいていいところを全て軍にもっていかれるなんて、納得いかないのよ」

 そう唇を尖らせるノエルに、カウンターの向こうの女店主は答える。

「まあまあノエルちゃん、それまで自転車でドリフトまでしてかっこよかったんやろ? ならええんとちゃうの」

 店主はコーヒーをドリップする手元に目線を向けたままだったが、まともにノエルの話を聞いていた。ゆるく結われた橙色の三編みを肩に流し、幾何学模様が描かれた着物姿を着こなす女店主。常連客の愚痴に耳を傾けるのも、奇天烈な彼女の仕事の一つであり、そんな親身な彼女の姿勢も、常連客をとどめ続ける要因の一つである。

 しかし、店主の慰めに痺れを切らし、ノエルは勢いよく立ち上がる。カフェテーブルの上のソーサーがかたりと音を立てて揺れた。

「だからって、この私の活躍をぞんざいに扱う軍は許せないのよ!」

「体張るのは軍の仕事、トラブル解決は管理局の仕事。活躍の場が欲しければ国のワンちゃんになることやね」

「ぐにに……」

 正論を突き出されてノエルは悔しげな鳴き声を上げる。事実、女店主の言っていることは的を射ていた。

 肩を落として座る少女に、店主はせめてもの慰めをかける。

「今日は付喪神付きの古本の配達……だったっけ?」

「あの後ちゃんと謝りに行って、お金も貰ったのよ。ママチャリの修理代は差し引かれたけど」

「お金にはなるやろけど、ノエルちゃんにゃ消化不良ちゃうの?」

「だからって、軍に入る理由にはならないわ! 国の犬になるつもりなんてないのよ」

「じゃあノエルちゃん、一人で戦えるん?」

「……それは、その」

 人差し指同士を合わせて急に言葉を濁らせる少女に呆れ、店主は軽く溜息をつく。

「諦めて軍入ったら? 運動神経よくて、頭も切れて、武器なんて持たせたら誰も敵わんよ?」

「……別に、いい。私はここでなんでも屋やってれば」

 目を伏せたまま、ノエルは答えた。

「……そう、それに、軍に入ってあの男の二の舞になるなんてごめんだわ」

 再び声を張り直し、店主の期待を払いのける。そして、ノエルはコーヒーに大量の砂糖を入れる。むきになってじゃりじゃりとスプーンを回す少女を眺め、

「相変わらず困ったちゃんやねえ」

 女店主は笑い流し、淹(い)れたてのコーヒーを白いカップへ注いだ。独特の苦味と酸味が混ざった香りが、こじんまりとした店内に充満する。

「てか、忘れてた。あのちびっこに逃げられたのよ」

「ちびっこ? 別のオカルトでもいたん?」

「いや、白い髪のがきんちょだったわ。配達終わった後、あのオカルトに襲われかけてるのを見たから自転車の後ろに乗せてたんだけど、いつの間にかいなくなってた」

 そう唇を尖らせる少女に、店主はノエルをからかうように口を出す。

「同じ女の子に逃げられて、寂しいんとちゃう?」

「う、うっさいのよ‼ 別に寂しくなんかないのよ!」

 ノエルはわかりやすく頬を赤らめ、店主の茶々をはねのける。その姿を見て店主もけらけらと笑う。

「ノエルちゃん、友達少ないもんねぇ?」

「だーかーら! 余計なお世話なのよ!」

 すると、からん、と可愛らしくなったドアベルの音と共に、コーヒーの香りが神田の街へ逃げてゆく。代わりに来店した一人の修道服姿の青年は、店主に小さく会釈をすると店の奥のボッスク席を贅沢に独占するノエルを一瞥(いちべつ)し、

「またサボりか? ろくな仕事も受けずに」

 小馬鹿にしたように笑う。ノエルはわかりやすくムッとし、返答する。

「その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」

 その来訪者――田之倉たのくらひびくは、ノエルの返答をさらりと聞き流し、

乙八おとはさん、ホットコーヒーで」

 軽く店主に声をかける。はいよ、と朗らかに返事をした店主は、先程のあまりのコーヒーをカップに注ぎ、カウンター席に腰掛けた青年に差し出す。

「お、ノエルちゃんのお友達一名ご来店?」

「この女に友達なんていやしないですよ」

「じゃあ親友?」

「誰が友だちできないチキ山の親友なんですか」

「チキンじゃないのよ! てかさっきの話、ちゃっかり盗み聞きしてるんじゃないのよ‼」

 ノエルは口の減らない青年をぎっと睨む。灰茶色の外はねした髪。耳に下がる小さな錆色の鈴飾り。気怠げながら鋭利さを包含した碧眼はいつ見てもいけすかない。

 田之倉は携えていた長杖をカウンターに立て掛け、差し出されたコーヒーカップに手をのばす。

「聞こえちまうんだから仕方ないだろ」

「言い訳がましいのよ盗聴」

「難癖つけるなんて、相変わらずぼっちは暇で仕方ないよな。俺のほうがまだ忙しい」

「フン、のろけるのに忙しいのかしら? シスターが可哀想だわ、こんな奴に毎日絡まれて」

「際どいところをつくんじゃねえ」

「ほーらやっぱりあってるじゃないの‼︎ やーい非リア!」

「構う相手すらいない暇人はさぞ羨ましいだろうな、お前の相手は閑古鳥か?」

「暇人じゃないですぅー! 私の方が忙しいのよ!」

 こんな中学生のような言い争いをする十七歳と十九歳のどこが忙しい人間なのだろうか。女店主の頭にいつも通り感想がよぎった。それでも二人共お金は払ってくれるので、店主はいつも通り何も言わなかった。

「それで? 女児に逃げられたこいつが寂しがってるって話だったか?」

「せや。お友達一人連れてこないノエルちゃんやから、うちも心配やわぁ」

 本当に心配しているのか定かでない言葉を横に、ノエルは小さく溜息をついた。

「アンタたちには言われたくないわね」

 しかし、ノエルが友達、と呼ぶ者を女店主は見たことがないのもまた事実であった。彼女が店の外でどんな交友関係を持つかなど店主のしれたことではないのだが、あれだけの多様な依頼を受けて友人一人店に連れてこない辺り、彼女の友好関係の狭さは自然と伺えた。

「友達がいなくたって知り合いはいるの!」

「その中に俺は入れるなよ」

「フン、言われなくたって入れないわよ」

「まあ、ノエルちゃんはスターやからなあ。流石懸賞金ハンター」

「そうよ。パンピーには手が届かない高嶺の花なの。敬うがいいわ」

「高嶺……そういや、『死神』って友達おるんかな?」

 店主の何気ない一言に、ノエルはぎくりと背筋を伸ばし――何事もなかったようにコーヒーに口をつける。溶け残った砂糖がやけに甘い。

「あーでも都市伝説やからなあ。ノエルちゃんとはベクトルが違うか」

 けらけらと笑い、一人で解決に至る女店主。

 田之倉がちらりとノエルに視線を送る。ノエルは渋い顔をして手で視線を払った。

 すると、ノエルに助け舟を出すかのように、折よくカフェの扉が開く。そして、ドアベルの音とともに、一人の女性が姿を現した。

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