闇に捕らわれたアドラーの魔女

結城芙由奈@12/27電子書籍配信

黒い魔女

 ユリアン・ノイヴァンシュタイン王子は残虐非道な限りを尽くし、塵となって消えていく愛するフィーネ・アドラーを泣きながら見つめ、必死になって訴え続けている。


「フィーネ…お願いだ…私は貴女を愛しているんだ。私を置いて消えないでくれ…」


ユリアンは涙を流しながら地面に横たえられた魔女・フィーネの名を呼び続けるも、既に彼女の身体は殆ど塵となって崩れ落ちて、その場にあるのはフィーネが着ていた漆黒のドレスのみだった。

やがて塵となったフィーネの身体は朝日が差し込んでくると同時に風に乗って飛んでいく。


「駄目だ!フィーネッ!逝かないでくれっ!」


ユリアンは無駄とは知りつつも飛んでいく塵に手を伸ばして掴もうとするも指の隙間から無情にも零れ、風に吹かれ飛び去って行く。


「フィーネ…。何故だっ!彼女は…彼女はアドラー一族の犠牲者なのに…!彼女を魔女にしたのは彼らなのに…神よっ!何故このような仕打ちをフィーネに与えたのですかっ!!」


ユリアンは地面に泣き崩れた。


その時―


コロン…


フィーネが着ていた漆黒のドレスの袖から何かが転がって来た。


「これは…一体…?」


転がって来たのはドングリ程の大きさの丸い石だった。まるで黒水晶のようにも見える。しかし、ユリアンはすぐにこれが何かを理解した。


「もしかすると…これはフィーネではないだろうか…?私の事を憐れんで…このような形で…私の元に帰って来てくれたのかい…?」


ユリアンは黒い丸石に話しかける。しかし、当然石は何も訴えかけてはこない。しかし、それでもユリアンは満足だった。


「いいよ、フィーネ。私と一緒にノイヴァンシュタイン城へ帰ろう?城に戻り、私は父に貴女の事を話すよ。貴女が私の愛する人だって…」


ユリアンは石に話しかけ、そっと胸ポケットに入れると笑みを浮かべた。


「では、フィーネ。ノイヴァンシュタインへ戻ろう」



そしてユリアンは馬車に乗り込むと、夜明けの湖を後にした。


遠くにあるアドラー城は今もまだ、黒煙を上げて燃え続けていた―。




****



「な、何だと…ユリアン。お前…今、何と言った…?」


現国王であるレオナール・ノイヴァンシュタインはユリアン帰国の知らせを受け、すぐにユリアンを執務室に呼び寄せた。そこで耳を疑う話をユリアンから聞かされたのである。


「はい、父上。私の花嫁を連れて参りました。彼女がフィーネ・アドラー令嬢です」


笑みを浮かべながら手のひらに乗せた黒石を差し出してくるユリアンにレオナールは我が耳を疑った。


「ユリアンッ!ふざけた事を申すなっ!」


「ふざけた事…?父上、一体何を申しておられるのですか?彼女はここにいるではありませんか?ほら…こんなに美しい姿で…何故そのような事を仰るのですか?」


ユリアンは手の平に乗せた黒石に頬ずりをした。


「こ、こいつ…狂いおった…!そ、そうだ…。きっとアドラー家の持つ魔力に当てられたのだ…。そう言えば曾祖父の日記に合ったぞ。グレン・アドラー伯爵という恐ろしい黒魔法の使い手があったが…ある日領民全てを残虐に殺し…自ら命を絶ったと…。やはり、フィーネという娘は本物の魔女だったのだな…?」


するとユリアンは叫んだ。


「違うっ!!彼女は魔女では無いっ!!むしろ…、むしろ彼女の周囲にいた者達が…余程闇に捕らわれた…恐ろしい悪魔でした!」


「ユ、ユリアン…お、お前は…一体何を見て来たのだ…?」


レオナールの傍に仕える2人の側近達も気味悪げな目でユリアンを見つめている。


「可哀相に…フィーネ。貴女は単なる犠牲者だったのに…」


黒石に話しかけるユリアンの姿はまさに狂気に満ちていた。


「陛下…恐れながら申し上げます」


レオナールの隣に立っていた1人の側近が口を開いた。


「何だ?申してみよ」


「恐らくユリアン様はアドラー城で恐怖体験をしたのでしょう。噂によるとあの城は燃え落ち、焼け跡からは数えきれない程の人骨が発見されたそうです。きっと壮絶な体験により…正気を失ってしまったのではないでしょうか?」


「う、うむ…そうかもしれん…」


レオナールは今も黒石に向かって笑顔で話しかけているユリアンを気味悪そうに見つめるとため息をついた。


「何と言う事だ…いくら王位継承権から外れているとはいえ…このような結果になると分かっていれば…ユリアンを決してアドラー城へ行かせる事等、無かったのに…」


「陛下…どうされるのですか?この後は…」


もう一人の側近がレオナールに尋ねた。


「ノイヴァンシュタイン家から狂人が出たと言う事を皆に知られるわけにはいかない…。王子を今は使われていない東の塔に幽閉し、その存在をこの世から消してしまうしかあるまい」


それはレオナールにとっては苦渋の決断だった。


「許してくれ…ユリアン…」


レオナールは溜息をつき…狂人となってしまったユリアンを憐みの目で見つめた―。





****


 16年後―



「父さん、あの東の塔には一体何があるの?」


 その日、父親と2人で馬に乗り、城の敷地内ある森の中で狩りをしていた第一王子エミールが父親であるロベルトに尋ねて来た。


「え?あの東の塔か…?」


ロベルトは息子、エミールが見上げた東の塔を目にし…心の中で後悔していた。


(しまった…つい、うっかり狩りに夢中になってこんな場所まで来てしまった。あれは…狂人になってしまった兄のユリアンが幽閉されている塔じゃないか…)


彼が死んだと言う話は聞かされていない。恐らく今もあの塔で誰かの世話になって生きているのだろう。


「さぁな…私はあの塔に近付いた事が無いから分らない。だが、悪いことは言わない。決してあの塔に近付くなよ?幽霊が出ると言う噂話を聞いた事があるからな」


「幽霊…」


エミールはポツリと言った。


「ああ、悪霊が住んでいるかも知れないし…だからこそあの塔は使われていないんだよ。そろそろ風が冷たくなってきた。城に戻ろう」


ロベルトはそれだけ言うと、馬の向きを変えて城へ向かった。その後をエミールも大人しくついて来る。


(よし…あれだけ脅しておけば、きっとエミールはあの城に行こうとは思わないだろう…)


しかし、それはロベルトの判断ミスだった。かえって18歳の青年の好奇心を呼び起こしてしまったと言う事に彼は気付いていなかったのだ―。




****


 その日の夜―


エミールは父の言いつけを破って、夜の森の中を馬で駆けていた。目指す場所は勿論東の塔である。


「父さんは悪霊が出るとか何とか言っていたけど…そんなものがこの世に存在などするものか。きっとあの場所には何かがあるんだ…!」


エミールは夜の森を月明りを頼りに東の塔を目指し…ついに辿り着いた。


「やっぱり…!この塔はまだ使われているんだ…!」


入口には銅製の錠前が取り付けられ、石壁から飛び出たフックには明かりの灯されたカンテラがぶら下げられている。


「…これを持って上に登ればいいんだな…?」


エミールはそびえ立つ細長い塔を見上げた。そして一応武器として腰に下げて来た剣で錠前を切断し、カンテラを手にすると扉を開けた。すると目の前には螺旋階段がある。中へ入り、天井へカンテラを向けると螺旋階段は最上階まで続いていた。


「成程…多分最上階に部屋があるのか…」


エミールは呟くと、カンテラを掲げてゆっくりと…慎重に螺旋階段を上り始めた。



カツーン

カツーン

カツーン


どのくらい上り続けていただろうか…。ついにエミールは最上階へと辿り着いた。目の前にはアーチ型の木の扉がある。そして何やら人の話し声が聞こえて来る。


(やっぱり…!誰かかがこの塔に住んでいるんだ…っ!)


エミールは扉の鍵穴から室内を覗いて見ても、何も見えない。仕方ないので意を決して扉をノックした。


コンコン



「…」


しかし、何の反応も無い。


「聞こえなかったのだろうか…?」


首を傾げたエミールは再度、扉をノックした。


コンコン


しかし、それでも無反応だった。


(もう構うものか…開けてしまえっ!)


エミールはノブに手を回すと、ゆっくり扉を開いた。



ギィ~…


扉がきしんだ音を立てて、ゆっくりと開く。


「失礼します…」


緊張しながらエミールは扉を開けて中へ入り、驚いた。そこは月明りのみの薄暗い部屋の中で、父親によく似た男性がベッドの上に座って宙を見て1人ごとを話している姿がそこにあったのだ。


「うん…へ~…そうなのか…え?誰か来たって?」


不意に男性はエミールの方を向くと人懐こい笑みを浮かべた。


「こんばんは。いらっしゃい」


「あ…こ、こんばんは…」


エミールは突然訪ねて来た自分を不思議がることも無く、挨拶をしてくる男性に何故か恐怖を感じた。その恐怖をごまかす為に男性に話しかけた。


「あ、あの…貴方はここで何をしているのですか…?」


「うん、妻と2人で一緒に暮らしているんだよ」


「え…?つ、妻…?」


狭い室内を見渡しても、男性以外は見当たらない。


「一体どこに…?」


「何言ってるんだい。目の前にいるじゃないか…」


「え?」


エミールは男性の指示した方角を見て…息を飲んだ。


(そ、そんな…さっきまでは誰もいなかったのに!!)


そこには半透明の女性が立っていたのだ。その女性は漆黒の床にまで届く長い髪に、闇の様に黒いドレスを着ている。そしてその顔は…まるでこの世の者とは思えない程に絶世の美女だった。


「あ、あの…あ、貴女は…?」


震えながらエミールが尋ねると女性は目を伏せ、悲し気に言った。


『私は…フィーネ・アドラー。私の死を悲しむユリアンが気の毒で…私の塵を集めて黒い石を作り上げたら…ユリアンはおかしくなってしまったの。その石が私だと思い込んで…とうとう私という霊体を作り上げてしまったのよ…』


「え…?ユリアン…?」


(そう言えば聞いたことがある…。父には腹違いの兄がいたって…でもおかしい。確か10年以上前に病気で死んだって聞かされていたのに…!)


「ま、まさか…ユリアンおじさんっ?!」


「え?私はユリアンだけど…あ?そうか…どこかで見たことがあると思ったら…ロベルトじゃないか?何だか久しぶりに会った気がするよ」


ユリアンはニコニコしながら言う。


「何を言っているのですか?ユリアン叔父さん。ロベルトは僕の父の名前です。僕はエミールと言います」


『…駄目よ…もうユリアンは…心が壊れてしまったの…私のせいで…』


フィーネは悲し気に言う。


「そう…ですか…」


するとフィーネが言った。



『貴方にお願いがあります。私はもう…とっくに死んだ人間です。静かに眠りにつきたいの…。あの棚に黒い石が乗っているわ。その石を踏みつけて壊してくれる?お願い…』


フィーネは目に涙を浮かべてエミールに懇願する。


「…」


一方のユリアンは鼻歌を歌いながら窓の外から月を眺めている。


「…この石を壊せば…叔父さんは元に戻れますか…?」


『多分…戻れるはず…』


フィーネは両手を胸の前で組んだ。


「…分りました」


エミールは立ち上がると、壁の棚に飾られていた黒い石に手を伸ばした。


「あ!フィーネに何をするんだっ!!」


驚いたユリアンは石を奪おうとエミールにつかみかかって来た。


「いい加減にして下さいっ!叔父さんっ!正気に戻って…僕と一緒に城に戻りましょう!」


エミールは黒い石を床にたたきつけ、思い切り石を踏みつけた。



パリーンッ!!


すると、あろう事か黒石はまるでガラスの様にもろく割れてしまった。



「ウワアアアアアッ!!フィーネッ!フィーネッ!!」


ユリアンは激しく絶叫し…突然胸を押さえた。


「ウグッ!!」


「えっ?!お、叔父さんっ?!」


『ユリアンッ?!』


フィーネも驚いた様に口元を手で覆った。


「ガハ…」


そしてそのままユリアンは口から泡を吹いて、床の上に倒れて動かなくなってしまった。


「お、叔父さん…?」


震えながらエミールはユリアンの首筋に触れ…。



「うわああああっ!!し、死んでるっ!!」


「そ、そんな…!」


妙にはっきりフィーネの声が聞こえたので、エミールはフィーネを振り向き…驚いた。


「う、嘘だろう…?じ、実体化してるっ!!」


「え…?」


フィーネも自分の両手を見て…驚きの表情を浮かべ、次に床の上に倒れていたユリアンを見て悲鳴を上げた。


「キャアアアアッ!!ユ、ユリアンッ!!」


見ると、そこに合ったはずのユリアンが服だけを残して消え去っていたのだ。


「き、君が…?君が…叔父さんの命を喰ったのか?!答えろよっ!僕を…僕を騙したのかっ?!」


「ち、違うわ!!」



フィーネは必死に首を振る。


「嘘をつくなっ!お前…何者だっ!」


エミールは腰の剣を引き抜くと、フィーネに向けた。


「!」


その光景はフィーネに16年前にジークハルトに剣を向けられた光景を蘇らせてしまった。


「イヤアアアッ!!」


フィーネは悲鳴を上げると、窓に駆け寄り、エミールの見ている前で飛び降りてしまった。


「あ!な、何て言う事をっ!」


エミールは慌てて窓に駆け寄り見下ろしても、そこにはもう誰もいなかった。


「そ、そんな…」


エミールはズルズルとその場に座り込み…床の上に転がっている真っ二つに割れた黒石を拾い上げた。


「あの2人は…本当にこの世に存在していたのだろうか…?」


ポツリと石に向かって呟くエミールに答える者は誰もいない。


ただ、エミールは思った。




もう一度だけ…あの女性に会いたい―と。








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