第7話 新しい勤め先

「別に行かなくたっていいと思うけどな」


 ナトリのそれは何回も聞いた。

 しかし、結局アルバは領主への住み込み治療師の話を受けることにした。


「だって、今さら断りにくいじゃない。みんなだって応援してくれてるし」

「だからなあ、それが思うつぼなんじゃねぇか」


 ナトリの言う意味もわかっている。

 外堀を埋められ、逃げ道を先回りで潰されたようなものなのだ。


「だけどねえ、給金もいいし、経験にもなるし。三年ほど働くことができれば領主様のところで治療師してましたって肩書ももらえそうじゃない?」


 そうなればその後の信頼度はアップするに違いない。

 治療師としての評判も上がるだろう。


「さすがに働いてすぐに戻ってくるってなれば、信頼度は下がりそうだけど。しばらくは頑張ってみようかなって。この場所も残しておいてくれるんでしょ?」

「まあ、そりゃあ。アルバが残しといてくれっていうならそのままにしとくけどよ」

「うん、お願い。戻る場所があると、安心できるからね」


 アルバはまとめた荷物を持ち上げた。

 最後の最後まで引き留めようとしてくれたナトリには悪いが、これも今後の人生のためである。


「がんばってくるね」

「……ああ。いつでも戻ってきていいんだぞ。みんなが何か言ってくるようなら俺からも説明するから」

「まったく、心配性ね。そうならないようにするつもり」


 じゃあ、いってきます、とアルバはナトリに手を振った。

 突然降って沸いた話だが、転機であることには違いなかった。




 手配された馬車に乗って、アルバは領主の屋敷に到着した。

 山の上ではあるが、道は整備されており、町からも見える屋敷だ。到着までそう時間はかからなかった。

 馬車から降りれば使用人に出迎えられ、屋敷の前まで案内される。


「こちらがこの屋敷の主、アルバさんの雇い主でございます」


 さっそくの対面にアルバは身構えた。そこには綺麗な身なりの青年が立っている。

 銀の髪に、アルバの好きな青色の瞳。

 まるでリオが大きく成長したような姿の青年に目を奪われた。


 ──美人過ぎる。


 それが第一印象だった。

 リオだって綺麗だ。しかし、幼さの残る姿はかわいらしいが勝っていた。

 けれど目の前の領主からはさらに大人の気品と色気が感じられ、まるで一級の芸術品。


 これだけでもきた甲斐があったわ。目の保養、目の保養。


 ぽかんとみっともなく口を開いて眺めそうになるのを一瞬で引き締め、さっとお辞儀した。


 第一印象が何よりも大事。

 ここで働くからには、領主からの印象は必ず良くしておきたい。

 戻るところはあるにせよ、すぐに屋敷を追い出されては、格好がつかない。町での信用問題にも繋がる。


「はじめまして。この度は、お屋敷で働く機会をいただきありがとうございます。大変光栄です。しがない町の治療師ですが、精いっぱいお力になれるよう、精進してまいります。これからどうぞよろしくお願いいたします」


 深々とお辞儀したアルバに、領主は一瞥をくれ、去って行った。

 歩き方さえも品がある。最高の芸術品が見えなくなってから、アルバは脱力して天を見上げた。


「あああ、一言もなし? 第一印象良く、失敗かしら」


 領主の屋敷で挨拶をしなければいけないから、とアルバは格好には気を付けていた。

 普段は身に着けない小ぶりのネックレスと、薄化粧に、髪はまとめて清潔感を出した。ワンピースもこの日の為に町で見立ててもらった。

 嫌われない程度には整えてきたつもりだったが、そう上手くはいかなかったようである。


「まあ、庶民とは話もしたくないのかもね。かわいいリオに懇願されて、仕方なくって感じでしょうし」


 あーあ、すぐに出戻りはちょっときついかな。


 落ち込みかけたときに、見知った顔が近づいてきた。カールである。


「アルバさん。お待たせして申し訳ありません」

「カールさん。その服……」

「ええ、普段はこうして執事として働いております」

「似合いますね!」

「いえいえ、仕事着ですから。今日のアルバさんのお召し物のほうが、とても素敵で、お似合いです」


 社交辞令とわかるが、いつもと違うのだとわかってくれて嬉しい。

 沈みかけた気分も少し復活する。


「リオ……様は?」

「本日は少し、予定が詰まっておりまして、明日、改めて挨拶をすると申しておりました」

「あ、そうなの。わかったわ。……カールさん色々教えてもらっていい?」

「ええ。そのために参りましたので」


 アルバに与えられた私室に、仕事の内容、生活で必要な区域や入ってはいけない部屋など、一通り案内してもらった。

 屋敷は客人が出入りするエリアと、家族が過ごすプライベートのエリアが完全に分かれており、基本的にアルバはプライベートエリアで行動しなければいけないらしい。


「ふうん。まあ私みたいなのとご立派なお客様と鉢合わせしても困りますしね」

「そういった意味合いはございませんが、なにぶん、領主様の指示ですので」


 カールにはお礼を言って別れ、私室で荷解きを始めた。

 長くここに滞在できるとは思っていないし、これまでの家も遠いわけでもない。

 必要になったら取りに戻ればいいかと、持ってきたのは必要最低限の荷物。あっという間に荷解きは完了する。


 ちょうどそのタイミングでドアからノック音がした。


「アルバさん、カールです。お食事の準備が整いました。開けてもよろしいでしょうか」

「ええ。ご飯も用意していただけるんですか?」


 顔を出したカールに驚きの声を上げた。


「もちろんです。毎日三食食事つき、毎月お給金ももらえます。良い勤め先でしょう?」

「ええ……なぜここまでしてもらえるのかさっぱりですが」

「それは私の口からは申し上げることができませんので」


 どうして屋敷で働けることになったのかも教えてもらえていない。

 明確な答えをもらえるとも思っておらず、アルバはただ「残念ね」とだけ言って、カールの案内のもと、食事へ向かった。




 貴族のご飯ってどんなものかしらと内心楽しみにしていた食事は、見事に期待を裏切られた。


 長いテーブルの両端に椅子が一つずつ。

 出された料理はどちらの椅子の前にも並べられ、遠く向かいに座る相手はまさかの領主本人である。

 無表情の領主は何を考えているのかさっぱりとわからず、つい先程無視された身としては非常に気が重い。

 こんなところに連れてきてくれたカールを心の中でとことん呪う。


 料理は素晴らしいわ。こんなに綺麗に盛り付けられている料理なんて見たことないし。

 きっと高いのよ。味も美味しいはず。なのに!


 動く芸術品に見られながらでは味もわからない。


 なんでこんなところに連れてきたのよ、カールさんは! 使用人の方たちと一緒で十分なのに!


 カールばかり気楽にご飯を食べられると思うと怒りは増した。

 怒りを心のうちに秘めながら、黙々と料理を口に入れる。会話は無い。一刻もこの場を離れようと必死で皿を空にしたのだった。

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