第6話 広まった噂

 今日は往診の日だった。アルバは町を歩いて巡る。

 人の往来が多い道を通るのが好きだ。

 活気のある人間を見るのは、自分も元気になれるから。


「おや、先生。聞きましたよ、おめでとうございます」


 道すがら声を掛けられ、首を捻った。

 めでたいことに心当たりはない。

 しかし、それを聞いた周りの人も「おめでとうございます。よかったですねえ」と言い出す始末。


「え、何がですか?」


 あっという間にできてしまった人垣に揉まれながらアルバの混乱は大きくなるばかりだ。


「いやいや、山の上のお屋敷で働くことが決まったんでしょう。良い勤め先ではないですか」

「は、」

「あたしゃ寂しいけどねえ、でもこんな機会なかなかあるもんじゃあないからさ、しっかりやるんだよ」

「ばーさん、ちょいちょいこっちにも見に来てくれるって話だったじゃないか。なんにも寂しがることねえや」


 そこへ伸びてきた手がアルバの腕を引っ張った。

 あまりに力強く、転ぶかと思った。

 が、しっかりと受け止められ、よろけない。見上げればそこにはナトリの顔だ。


「アルバ! ちょっとこい! みんなわりいな、ちょっと急患で」


 そのまま腕を引っ張られ、人の輪から脱出した。

 走りながら、アルバは声を荒げた。


「急患!? 症状は!」

「わりぃ、嘘」


 人通りが少ない路地まで走り、ぱっとナトリは手を離す。

 それで理解する。ナトリはあの人垣から連れ出してくれたのだ。

 息を整えながら、走って乱れた髪を耳にかける。


「ねえ、さっきのあれ、なんなのか知ってる? みんなおめでとうって言ってくれたんだけど、何のことかさっぱりで」


 ナトリはレンガ造りの建物に寄りかかり、深い溜息を吐いた。


「やっぱ知らねえんだな。噂になってるぞ。アルバが山の上の領主様の屋敷で、治療師として住み込みで働くって」

「はあ!?」


 アルバは目を剥いた。

 何それ、知らない。どういうこと。何の接点もない私がいきなり住み込みで?


 領主には気難しいとの噂があり、招待状を送っても町の行事にはとんと参加しない。

 そのため姿を見る機会はなく、老人だとか、実は女性なのではとか、屋敷にはいないのではないかとか、いろいろな憶測が飛び交っている。

 しかし土地を治める人間としては優れているようで、税はあるものの正当なものであるし奇抜な法もなく、領民からのひんしゅくもない。

 結果、何も関わりのないアルバにとって無縁の存在だった。アルバが驚くのも当然である。


 戸惑うアルバの前に、見知った銀髪の少年が現れる。

 それはいつも診療所の前で見る、可愛らしい笑顔だ。

 走ってきたのか、少し息の上がる姿も大層見栄えする。


「あ、いたいた。アルバ。ごめんね、ちゃんと説明しようと思ってきたんだけど」


 少し遅かったみたい、とナトリを向いて笑うリオ。

 ナトリが珍しく、警戒したように目を細めたのがやけに気になった。


「え、リオ? どうしてここに」

「うん。アルバのことはどこにいてもわかるから」


 意味深に笑う姿もかわいいなんて、天使じゃなくて悪魔かな。

 どこにいても自分の居場所がわかるなんて、人間業じゃないし。

 人が少ない路地でアルバを見つけられたことを不可思議に思いながらも、綺麗な顔に悶え、葛藤する。


 そんなアルバを置き去りに、ナトリはとうとうリオを睨んだ。


「──お前だろ。噂の元凶」

「やだなあ、そんな怖い顔しなくたって。別に悪いことしたわけじゃないんだしさ」

「アルバに一言もないのに、か?」

「だから、今から説明するんだって」


 そう言うとリオはアルバの服の裾を掴む。

 いつものように可愛らしくアルバの瞳を覗き込んだ。青色の目が今日も眩しい。


「黙ってたけど、僕、山の上の屋敷に住んでるんだ。でね、アルバと一緒に住んだら楽しいだろうなって説得したら、屋敷の治療師として働いてもらうことになってね」

「え?」


 何それ決定事項なの。私の意志は聞かれもしない。

 あんぐりと何も言えないアルバにリオは言葉を重ねていく。


「それでね、嬉しくなって、町のみんなに話しちゃった。あ、前アルバに町を案内してもらったあと、僕もよく町にきてたんだ。けっこう仲良くなったんだよ。みんな優しいよね、好きだなあ」

「ちょ、そんな、勝手に」

「え、でもみんな喜んでくれてたよ。あの領主様の屋敷で働けるなんてって」


 無邪気な顔はかわいいが、言っていることはかわいくない。これが貴族のご立派な教育の成果なんだろうか。


 町中に広がった、アルバの出世話。気難しいとの噂はあるが、領主の屋敷となれば良い働き先であることは間違いなかった。

 みんなが喜んでくれているなら、今さら間違いでしたとは言いにくく、断りにくい。

 あまり目立つことはしたくないのにすでに目立ってしまっている状況で、間違いでしたと喚こうものならそれこそ注目を浴びる。


 最悪、領主からの良い話を蹴った傲慢な治療師などと噂されようものなら、たまったものじゃない。

 そもそも断れる状況になっていないのは、自分の意志など無視されているからだ。断りの文句を入れたところで聞き入れてもらえるのかもあやしい。


 アルバは、急速に移り変わりつつある現状に、ただ茫然としていた。

 その背後でリオはナトリに笑い、ナトリは顔を険しくした。


「あげないよ。アルバ」

「別にお前からもらうもんでもねぇよ」


 そんな台詞も、アルバの耳には届かなかった。

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