第86話 容赦。

「何が…?」

「実は…私、カナンと…」


 カナンの遺影写真を見た時、俺は昔のことを思い出してしまった。それも全部…。

 耐えられなかった。あの日からずっと…体に残っているカナンの温もりと感触が俺を苦しめていた。目を閉じると、カナンの姿が見えて…部屋を出る時もカナンと過ごした時間を思い出してしまう。カナンはもう死んだのに、まるで俺のそばにいるような気がした。


 忘れられないほど、どんどん俺の体を占めていく。


「知っているよ」

「はい…?」

「カナンちゃんが柊くんのことどれだけ好きだったのかは…お母さんずっと知っていたから…」

「……じゃあ、どうして止めてくれなかったんですか…?」

「……」


 お母さんが沈黙した。

 そこまで知っていたのに、どうして俺のことをずっと放置したんだ…?


「お母さんはずっと前から知っていたのに、止められなかった…」

「……」

「カナンちゃんにとって柊くんの存在が…、生きる理由だったから…」

「ずっと病院に通ってたんですよね…?」

「カナンちゃんは治療を拒否したよ。痛いのも、苦しいのももう嫌だったから、そのまま諦めるつもりだったってそう言ってくれた…」


 こっちを見ているお母さんの頬に涙が伝う。


「家族としていけないことをしていたのはお母さんも知っていたよ。最初は止めようとしたけど…。柊くんと一緒に過ごす時間が増えるほど、カナンちゃんが元気になって病院にもちゃんと行くようになった」

「……私は別に」

「小学二年生の頃からずっと体が悪かった。カナンちゃんはいつも一人で病室の虚しい景色を見ていたから、治療を受けるって言った時は本当に嬉しかった…」

「そうですか…」

「私が神里さんと再婚することになって、カナンちゃんは柊くんと出会った。家族を作れば昔のように、元気になれるんじゃないかな…と思ってたのに…」


 カナンが欲しかったのは…、もしかしてそんな思い出だったのか。


「二人が今までやってきたことは…、カナンちゃんが亡くなる寸前に言ってくれたからね…?お母さんは柊くんのことを責めたりしない、むしろ…ありがとうって言いたい…。それを伝えたかったのに、気づいた時はもう柊くんが家を出た後だったから」

「いいえ…。私は何もできなかったんです。何一つ…」

「カナンちゃんは…、ずっと後悔をしていたから…」

「後悔…ですか?」

「うん。あの子はね。一人でいる時はドラマとかアニメーションを見てたから…、好きな人といろんなことがしたいってそばで言ってたよ」

「……」

「でも、体がどんどん弱くなってるから…。出かけたりするのは無理、だから残り少ない時間を柊くんと過ごしたかったように見える。カナンちゃんは柊くんのことが好きだったから…」

「はい…」

「柊くんの一番大切な一人になりたかったから、近所の茜ちゃんにももう来ないでって言ったかもね」


 素直に言ってくれたら、俺だってカナンのことを…。


 どうして、カナンはそんなことを言ってくれなかったんだ…?俺にそこまで執着するような雰囲気を出した理由はなんだ。今まで俺がどれだけ苦しんだのか、カナンは知っていたんだろ…、どうして俺には黙ってたんだよ…。


「どうして…」

「理由が知りたいよね?」

「はい…」

「そこまでカナンちゃんが柊くんを追い詰めた理由…」

「……」

「それは…、自分だけが好きになりたかったから…」

「はい?」

「カナンちゃんが後悔している部分は、自分のせいで柊くんに変なトラウマが残したんじゃないのかな…ってこと。柊くんが自分のことが好きにならないように…、全てはカナンちゃんに合わせるように強いられたよね?」

「はい…。でも、カナンちゃんは私の嫌な部分まで…」

「それはカナンちゃんに友達がなかったから…、ずっと一人で人と話すのが苦手だったからだよ…。それでも柊くんがそばにいて欲しくて、嫌なところまで言い出したかもしれない」

「そうですか…」

「ごめんね。柊くんにそんな役割をさせてしまって…、お母さんとして何一つやってあげられなかった。全部、柊くんに任して…私は何一つ…カナンちゃんにやってあげられなかった」

「もういいです…」


 こんな話をしたことがあったのか、お母さんとはずっと話してなかったから知らなかった。何を考えているのか、耳を塞いで俺の世界から出ようとしなかった。唯一、俺が聞いた声は「好き」と言ってくれるカナンの声、ずっとカナンのそばで二人の世界にいたような気がする。そうだよね…?俺たちしかいない世界で、生きてきた。


「あの…、ありがとうございます。もう、帰りますから…お父さんにも…」

「……待って!柊くん」

「はい?」

「これは…カナンちゃんからの手紙だから持って行って…」

「あ、はい」


 この手紙をお母さんからもらった時に、もう私は世にないかもしれない。

 お兄ちゃんのことは本当に好きだったよ。いつもそばにいてくれて私のことを大切にしてくれたから、私はそんなお兄ちゃんがとても好きだった。残り少ない時間、私はお兄ちゃんと幸せになりたかったけど、私は嫌な方法でお兄ちゃんを従わせた。


 それが正しいとは言わない。でも、本当に時間がなかったからね…?少しでもいいからもっと、お兄ちゃんとの幸せな時間を味わいたかった。私はお兄ちゃんが家族でもいいから、初めて感じたこのドキドキする感情を知りたかったよ。お兄ちゃんは優しくて、カッコよくてずっとそばにいてくれるから…。そんなお兄ちゃんと死ぬ前にいろんなことがしたかったの。


 ごめんね…。嫌なことをさせちゃって…、今更こう言っても遅いかもしれない。

 でも、言葉で伝えないからこうやって手紙で残すね。


 それと、茜ちゃんのこと…。お兄ちゃんが私の代わりに「ごめんね」って言ってくれない…?ずっと羨ましかったからね。お兄ちゃんとずっといられる人が茜ちゃんだと思ったら、悔しくなって意地悪いことを言っちゃったよ。でも、茜ちゃんも理解してくれると思う…。


 だって、茜ちゃんはこれからずっとお兄ちゃんと一緒にいられるから…。

 ずっと一緒にいられる二人だから、ちょっとだけはいいんだよね?


 じゃあ、内容が長くなったけど…今まで私に付き合ってくれてありがとう。

 お兄ちゃんのことは絶対忘れないから、本当にありがとう。


 さよなら、お兄ちゃん。


(手紙に残されたカナンの涙痕)


「……バカ」


 家から出た俺は、すぐカナンの手紙を読んだ。

 本当に…、俺は何をしてきたんだ…。カナン…、ごめんね。


「お兄ちゃん…!」

「……カッ」

「はあ…、ここにいたよね!ずっと探してたよ!」

「茜…」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る