第77話 トラウマ。

 幼い頃から隣にお父さんの知り合いが住んでいることを知っていたけど、茜と会ったのはそれから数年経った後だ。多分、これが俺と茜が出会ったきっかけになったかもしれない。


 冬と言う季節、初冬のひんやりした天気に白い息が出る。

 あの頃の俺はお父さんやお母さんと一緒に雪だるまを作っていた。いつもカッコいい父と綺麗な母、それがすごく好きで…俺は幼い頃からそんな両親が羨ましかった。いつか、お母さんみたいな優しい人と出会うように…願った時もある。


「大きい…!」

「よくやった!柊」

「柊くん、えらい〜」

「へへ…」


 笑う時の笑顔も、褒める時の笑顔も全部好き…。

 俺もお父さんみたいなカッコいい大人になって、お母さんみたいな綺麗な人と結婚したかった。俺に仲がいいと言えるような友達はいない、引っ越ししてきたばかりだからまだ学校で友達を作っていなかった。


 今はただ、そんな両親と一緒に過ごす時間が好きでそれだけで十分だった…。

 でも、幸せな時間はいつか終わりを告げる。


「……お母さん?」


 学校から帰ってきた時はもうお母さんがキッチンで倒れていた。

 医者は何年前から患っていたお母さんの病がもう手遅れになったって言ってくれた…。そんな話を聞いたのに、診察室にいるお母さんは何気なく俺に笑ってくれた。今更考えてみると、お母さんは自分がそうなることを知っていたかもしれない。だから、引っ越ししてきた時からずっと一緒にいてくれたと思う…。残り僅かな時間を…、俺に使ってくれたんだ。


「柊くん…!今日も来てくれたんだ!嬉しい〜」

「早く病気治ってい、一緒に遊ぼうね!」


 入院したばかりのお母さんはけっこう笑ってくれたけど、どんどんお母さんは自分の体もろくに動かせないほど衰弱していく。ずっとその姿を見ていた俺は…、ただ「早く元気になって」みたいなことしか言えなかった。そんなことを言ってもお母さんが元気になるわけないのに、日増しに弱くなるお母さんを見ると、この意味もない日々が恨めしくなるんだ…。


 もっと話したかった。

 もっと遊びたかった。

 もっと一緒にいたかった。


 何もできなかった。

 物心がつく前に、お母さんは病気で亡くなってしまったんだ…。


「こうなるのは知っていたのに…、それでも家族にお別れを言うのは悲しい…」

「……」

「柊くんが可愛い女の子と付き合うのも見たかったのに…、中学、高校…までずっとお母さんがそばにいてあげたかったのに…。ごめんね。柊くん…本当に…」

「……そんなこと言わないで、行かないで…。ずっと一緒にお母さんといたい…」

「……」


 何も言えず、俺の頭を撫でていたお母さんの手が落ちる。


「……あ…、あ…一緒にいたかった。ずっと、一緒にいたかった…」


 あの日のことは、病室で泣いていたことしか覚えていない。


 それからずっと家に引きこもってお母さんの写真を見つめていた。大切な人がいなくなったのがとても悲しくて、その真実を受け入れなかったから…お父さんが仕事から帰ってくるまで、俺は一人で寂しい時間を過ごしていた。


「……まだやりたいこといっぱいあったよ」


 それから何年が経っても、俺はお母さんのことを忘れられなかった。

 大切な人が亡くなった衝撃は子供だった俺をずっと苦しめていて、死んだ目と無口だった俺をお父さんが心配していた。たまには話もかけてくれたけど、お父さんには昔のように明るい声で答えるのができない。何を言っても、お父さんのそばにいたお母さんの姿を思い出してしまうから全部無駄だった。


「……お父さん、もう心配しなくていい…よ」

「……でも、柊はまだ…」

「大丈夫、もう心配しなくていい…。お父さんは仕事に専念して…」

「うん…」


 それでも心配になったのか…。お父さんが仕事に行ったあの日、うちにある女の子が自分の母と一緒にベルを押した。


「は、初め、初めましへ…!」

「お、おはよう…」


 ドアを開けたところには、すごく緊張している女の子が俺に挨拶をしていた。


「あら、カッコいい。柊くんだよね?」

「は、はい。神里柊です…」

「こっちは小林茜、柊くんより一つ下だよ」

「か、神里くん!よろ…しく!」

「よろしく…」

「じゃあ〜、これで仲良くしてね。お母さんは仕事に戻るから!あの弁当は二人で食べてね!」

「あっ、うん!お母さん、仕事頑張って!」


 なんか、俺に自分の娘を任せたような気がする…。

 後でお父さんが残した手紙を読んだけど、ずっと一人で引きこもっている俺が心配になって隣に住んでいる茜を呼んだって…。でも、今までちゃんと友達を作ったことがないからどうやって話せばいいのかよく分からなかった。しかも、女の子と一緒に遊ぶのができると思うのか…、趣味も違うし、好きなものも違うから難しいんだよ。


「は、入ってもいい…?神里くん」

「あっ…、うん。入って」


 話すのが苦手なのか、あるいは男と一緒にいるのが嫌なのかよく分からない…。

 茜の第一印象は明るいけど、人見知りをする女の子だった。


「今日はよろしく…」

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