第78話 トラウマ。−2

 あの頃の俺は茜がここにいてもあんまり気にしていなかった。

 誰がいても結局同じだったから、いてもいなくても何一つ変わらないから…、ずっと部屋の中に引きこもって目を閉じていた。夜でもないのに、目を閉じた方が開ける時より楽だった…。こんなことをやってもお母さんが戻ってこないのは知っているのに、それでもどうしたらいいのか俺は分からなかった。


 じっとしていたら、扉にノックをする茜の声が聞こえた。


「神里くん…。一緒に遊ぼう!」

「いや…。僕はいい…、適当に遊んでて」

「……何で…?私と遊ぶのは嫌?」

「嫌じゃないけど…、今は一人にして…」

「うん…」


 それからどれくらいの時間が経ったのか、目を開けた時にはもう日が暮れていた。

 寝ただけなのにお腹も空いた…。馬鹿馬鹿しい…茜の方から「よろしく」って言ってくれたのに、結局俺は何もやってあげられなかった。俺だって、こんなこと考えたくない…。でも、忘れる方法を分からないから、誰も俺に教えてくれなかったから…。お父さんも、同じだろう…。


 ベッドから起きて部屋の扉を開けると、なぜか体を丸くした茜が床に倒れている。俺は一瞬だけ、その姿からお母さんが見えてびっくりした。心臓が止まるような気がする、あの日のお母さんも今のように倒れていたから…。息ができないほど、緊張していた。


「……茜ちゃん?」

「……」

「起きて…、起きて!」

「ううん…。寝ちゃった…」

「寝ちゃったって…、何で床で寝るんだ」

「神里くんが出る時まで待つ…つもりだったけど…、寝ちゃった。へへ…」

「びっくりさせないで…、心配したよ…!」

「ご、ごめん…なさい…」


 せっかく来てくれたのに、俺の意地で茜のことを無視していた。

 それでも俺と遊ぶために待ってくれたのか…、なんって優しい子だ…。目の前の顔は純粋そのもので、茜から感じられる全てが不思議だった。茜と一緒に遊んだらこの嫌な記憶を消してくれるのか、さりげなく彼女の頭を撫でていた俺はぼーっとしてそんなことを考えていた。気づいたら、目をパチパチする茜が赤くなった顔で俺を見つめていた。


「か、神里くん…?」

「あっ、ごめん…。なんとなく、ごめん」

「いや…。頭撫でられるのが初めてで…」


 なんか…可愛い。

 初めての友達になれるかな…?茜と俺がいい友達になれるかな…?そんなことを考えながら、俺はこっちを見ている茜の手を掴んで居間に連れて行った。


「茜ちゃん…、今から一緒に遊ぼう!」

「ほ、本当に?遊んでくれるの?」

「うん」


 俺のことはどうでもいいけど、茜には一人になる記憶を作ってあげたくなかった。

 それはとても悲しくて、寂しい記憶に残るから…。俺と一緒にいる時だけでもいいよ…、一緒に遊んで楽しい思い出を作ろう茜…。それでいい、それがいいんだ…。


 ぐぅぅぅぅぅ…。


「神里くん…、お腹空いた?」

「あ、恥ずかしい…。うん」

「お母さんがお弁当作ってくれたから一緒に食べよう!」

「本当?いい?」

「うん。一緒に食べるのがもっと美味しいよ!」


 女の子と遊ぶのは初めてで何が好きなのか、趣味ややりたいことなど…、そんなこと全然知らなかったから話すのも苦手だった。


「あーん!」

「一人で食べられるから…」

「一緒に遊んでくれるって言ったよね!」

「そうだけど…?」

「ままごとなの!」


 そばに座って、一緒にお弁当を食べる時の茜はすごく楽しそうに見えた。


「楽しい…!」


 小さい頃から黒髪ロングをして、俺を見て笑うその笑顔は相変わらず可愛い。

 それにいつも癒されるような気がした。


 毎日仕事で忙しいお父さん、その代わりにお母さんがいつも俺と遊んでくれたから…、お母さんがいなくなったのがすごく虚しかった。


「よしよし…、美味しい?」

「うん…。美味しい…」

「私ね!今は包丁とか火とか…怖くて使えないけど…!もっと大きくなったら神里くんに美味しいご飯作ってあげるからね!」

「うれ、嬉しい…!楽しみだね!」

「でしょ!」


 お母さんが亡くなった時からずっと忘れていた人の温かさを、茜が感じさせてくれた。その笑顔と優しい声が好きで、つい笑みを浮かべる。なんの共通点がなかった俺たちはただ一緒に過ごすその時間が好きでずっと…、ずっと一緒に遊んでいた。


 でも、そんなに明るい茜も結局家のことで悩みを抱えていたんだ。

 泣きながらうちのベルを押したあの日から、たまに聞こえる二人の声に俺は耳を傾いていた。自分のお父さんに殴られて、震える体で涙を流す茜をいつも俺が抱きしめていた。俺にできるのはこれくらいしかなかったから、ここにいる時は何も思い出さなくていい…と、小さい声で話しながら茜のそばにいてあげた。


 数ヶ月間、茜と過ごしたその時間は俺の大切な思い出になっていた。

 俺は茜が幸せになって欲しかった…。いつもそばにいて、もはや妹みたいな存在になっている茜に、俺は「お兄ちゃんって呼んでもいいよ」と、彼女に答えた。


 今、俺と茜に必要なのは誰かそばにいてあげることだった。

 お互いの温もりを感じながら…その傷を慰め合う。


「お兄ちゃん…と一緒に寝るのが一番好き…。暖かい…」

「そう?茜ちゃんは甘えん坊だね」

「知らない…。ねえ、私お兄ちゃんの体抱きしめてもいい…?」

「うん」

「やった…!へへ、おやすみ…お兄ちゃん…」

「おやすみ…、茜ちゃん」


 俺は…、そんな日々が続いていくことを願っていた。


 カナン…。

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