第13話 【綾乃視点】眠れない夜に

 最近の私は随分と満足しているように思う。

 ハルくんと再会して、恋人になって、二人で同棲生活を始めて。

 彼と一緒に過ごす何気ない日々が、いちいち嬉しくてしょうがない。


 アイドル活動をやめた今の私には、まるで背中に翼が生えたようだった。

 あるいは、籠の中から解き放たれた鳥だ。幽閉の時は過ぎ去り、どこでも自由に飛んでいける。そんな開放感で私は満たされていた。


 深夜の一時を少し過ぎた頃、眠れないでいた私はコンビニで夜食でも買おうかと思い立ちジャケットを羽織る。すでにベッドで就寝中のハルくんを起こさないよう静かに身支度を済ませて部屋を出た。


 マンションの外に立つ。夜闇が世界と私を包み込んでいる。


 暗いのは安心すると同時に、変な好奇心も刺激される。そこの道を歩いていたらお化けでも現れやしないかな。実際に現れるのは変質者とか飲み会帰りのリーマンぐらいだろうけど、否応にも非日常を期待してしまうのは私がまだ幼稚だからだろうか。


 ジャケットのポケットに両手を突っ込みながら、徒歩で三分も経たない場所にあるコンビニに向かう。


 深夜のコンビニは人が少ないが、たまに個性的な人物が出現するので観察させてもらっている。背伸びしたいお年頃の不良少年とか、堅気じゃなさそうな強面のおじさんとかを見ていると面白い。どこが面白いと聞かれたら、はっきりとは答えられないけど。


 今夜のコンビニには、残念ながら私一人しか客がいなかった。

 レジの奥にいた店員が出てきて、興味深そうに私を見る。

 何度か来ているうちに顔を覚えられたようで、二十代前半ぐらいの青年店員は私が雑誌コーナーに向かうのを見届ける。


 棚に並べられた数々の雑誌から、アイドル専門誌を選んで手に取った。

 ななみんが所属する出版社の雑誌で、ゴシップ記事が多い。その中で後輩が書いた記事は若干浮いている。


 この前に私から聞き出した当たり障りのない情報がそのまま明かされており、最後にライターの個人的な感想として『アイドル活動休止とのことで心配していましたが、元気そうで安心しました』と書かれていた。


 あの娘らしい、純粋な記事だなぁ。

 ななみんの記事を読んで何となく安心した私は、いくつかのおつまみと雑誌を持ってレジに向かう。会計で千円札を店員に渡しておつりを受け取り、レジ袋を手に下げてコンビニを出る。


 自動ドアを通り抜けた際に、一人の女性とすれ違った。整えられていないボサボサなロングヘアーと色白の肌が特徴的で、どことなく不健康そうな印象の、私と同じぐらいの年頃の娘。


 すれ違った瞬間に、香水とは違う独特な良い香りが鼻腔をくすぐった。私は、この香りを過去に嗅いだことがある。確か本人は芳香体質と言って申し訳なさそうに身を縮こまらせていた。


 生まれつき身体から匂いを発する特異体質らしく、私は良い匂いだから気にしないでと言って慰めた記憶がある。あの時に縮こまっていた少女の面影が、すれ違った女性の姿と重なり、思わずコンビニのほうを向き直した。


 もう一度コンビニに入るのも気まずいし、外で待っておこう。

 いつもは不良少年たちが座り込んでいる場所で、おつまみのチーズかまぼこを齧って彼女が出てくるのを待つ。


 数分ほどで彼女がレジ袋を下げて出てくる。

 私の存在に気付き、そして視線を逸らす。そのまま逃げるように去ろうとする彼女に私は声をかけた。


「待って、ひよりん」

「……あ、あの……」


 彼女はおどおどした様子で私を見て、掠れた小さな声を漏らす。

 その瞳は泳いでいて、明らかに私に対して警戒心を抱いていた。

 それでも私は、ひよりん……高校時代のクラスメイトである小鳥遊たかなし妃愛ひよりに歩み寄る。


「私を覚えてる? 高校一年生の時に一緒のクラスだった天宮綾乃よ」

「……お、覚えてないです……それでは」


 話を打ち切って逃げようとする妃愛の手を取る。

 妃愛はぶるぶる震える。怯えた野良猫みたいだ。


「少し話さない? 近くに公園があるんだけど、そこでお菓子でも食べながら昔話でもしましょう」

「あ、あうぅ……」


 私がにっこりと笑顔を浮かべると妃愛はクマがある目元を潤ませ、あわあわと狼狽うろたえるのであった

 

 

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