第11話 デレデレ綾乃さん

 とりあえず暮葉を揉みくちゃにする綾乃さんを引き剥がす。

 美少女好きアイドルの拘束から逃れた暮葉は、安心したように息をついた。


「ふふっ、ごめんね~。クーちゃんがあまりにも美人さんに育ってたからテンション上がっちゃったわ~」

「だからといって、過剰なスキンシップはやめてください……」

「そうするわね。それにしても、本当に立派になったわね。まさしく深窓の令嬢って感じじゃない」

「それほどでもないですけど……変わったのは綾乃お姉ちゃんもです」

「そう? クーちゃんから見る私はどんなふうに変わってるの?」


 綾乃さんは暮葉の返答を心待ちにしているようで、うきうきの表情だ。

 その期待に満ちた表情に対し、暮葉はいつもの澄ました顔で応えた。


「昔の綾乃お姉ちゃんは……もう少し大人しかったです」

「そうかしら? 昔から私はこんな感じだったと思うけど」

「もし昔の綾乃お姉ちゃんが今のような感じだったら、私は憧れていませんでした」

「言うわねぇ。まあ、今の私が認められるように頑張るわ」

「その、決して嫌いなわけではありませんから、勘違いしないでくださいね……?」

「分かってるわ」


 暮葉は緊張を吐き出すように息を漏らす。

 やっぱり彼女も綾乃さんの変貌には気づいたか。


 昔の綾乃さんは今より大人しく、どこか影を持つ人だった。

 とはいえ、男女問わず気に入った者を愛する性格は変わらないみたいだが。


「再会を記念して飲むわよ! ハルくんとクーちゃんはジュースでいいわね?」

「あの、私はここに来る途中でジュースを飲んできましたから……」

「あらそう? もしかしてハルくんが奢ってくれた?」

「はい。佐倉くんが気を使って買ってくれました」

「やるじゃないハルくん、これでクーちゃんと仲直りできたわね!」


 ジュース買ってあげただけで仲直りできたら苦労はしないんだよなぁ。

 突っ込む気力もないのでスルーする。綾乃さんは明るく笑いながら冷蔵庫の缶ビールを取り出し、プルタブを開けて呷り始めた。


「ジュースはともかく、お菓子はどうだ? 綾乃さんが備蓄してるやつが大量にあるんだけど」

「いただきます」


 暮葉をダイニングまで連れていき、棚のお菓子を取ってテーブルに並べた。クッキーやチョコ、ゼリーやグミ、つまみ系の駄菓子など、選り取り見取りのお菓子の中から暮葉はグミを取る。


 果汁が多く含まれたグミを口に入れる暮葉を横目に、俺もつまみ系の駄菓子を食べる。こういうのは酒を飲めるようになったら、より美味しく感じるんだろうな。すでに二本目の缶ビールを開ける綾乃さんを見て思った。


 しばらく昔話や俺と暮葉の高校生活について話し、時間はあっという間に過ぎて外が夕焼けに包まれる。


 俺と一緒にバルコニーに出た暮葉は、酔い始めてソファでうとうとする綾乃さんをガラス窓越しから遠目に眺めて言う。


「綾乃お姉ちゃんが元気そうで安心しました」

「そうだな……元気すぎて少し困るぐらいだけど」

「気に入った相手を溺愛する癖は相変わらずですね」


 バルコニーから見える景色に視線を移し、風で揺れる横髪に手を添えた暮葉は、ぽつりと呟く。


「家庭の事情は、もう振り切れているみたいですね……」

「そうだったらいいな」


 五年前、綾乃さんが引っ越す原因になった出来事。

 この現代社会では珍しくない、ありふれた不幸だが、当時の綾乃さんはとても辛かったはずだ。


『私のお母さんとお父さん、離婚するみたい。今までずっと仲良かったように見えたのにね』


 そう言って悲しげに笑う綾乃さんの横顔を、俺はただ見つめることしかできなかった。そして綾乃さんは俺の頭を撫でながら、もう一度会えたら結婚しようと言ってくれたんだ。


「都会に行って、アイドルになって、いろんなことがあったんだろうな」

「世間の波に揉まれて強くなった、というわけですか」

「そうだな」

「それは、なんだか悲しいですね。きっと楽しいことばかりじゃなかったはずですし、緩やかに擦り切れていくうちに痛みに慣れたような、そんな悲しい順応です」


 誰もが生きていくなかで、楽になれるように自分を変えていく。

 変わらないというのは基本的に辛いのだ。自分ルールの強い人間は避けられるし、自分を縛ることで苦しみを生んで、どこにも歩けなくなってしまうケースも少なくはない。


 だから人は周囲に、環境に順応する。本来の自分から、より楽に生きられるほうへ、まるで存在を塗り替えるように変わる。それが良いのか悪いのかは、俺には分からないが。


 綾乃さんは昔よりも強くなった。それは物事に対してとも言える。こんな不幸、こんな苦しみは取るに足らないありふれたものだから、悲しむ必要はないので前を向かなきゃ……そう思えるようになるのが一般的に言う大人になるということなのだろうが、暮葉はそれを悲しい順応だと表現した。


「そろそろ日が暮れるので、帰りますね」

「ああ、外まで送るよ」

「ありがとうございます、佐倉くん」


 暮葉は綾乃さんに別れの挨拶をして、俺の先導に続いて部屋を出た。

 エレベーターで下に移動し、マンションの入口前に着く。


「家まで送ろうか?」

「いえ、近いので大丈夫です」

「そうか。気をつけて帰ってな」

「はい……それでは、また学校で」


 日傘を広げて去っていく暮葉の後ろ姿を俺は見送った。

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