第10話 保健室の雪白姫

 保健室に入った瞬間、消毒液の匂いがした。

 白い空間は綺麗に掃除されて清潔に保たれている。保健医は不在でベッドの使用者もいないようだ。


 ただ一人だけ、デスクに座り弁当箱を広げている少女がいた。

 雪のように白い髪と肌、ルビーをはめ込んだような紅い瞳。

 暮葉は俺を見て紅眼を細めると、弁当箱の卵焼きをつまもうとしていた箸を置く。


「佐倉くん、どうしてここに?」

「話があるんだ。綾乃さんの件について」


 暮葉のそばのベッドに腰を下ろす。

 俺に近づかれて少しだけ緊張の色を見せる幼馴染に向け、率直に頼み事を言う。


「次の休日、綾乃さんに会ってくれないか。どうしても嫌ならこれ以上は頼まないけど、少しでも気が向くのなら顔を見せてやってほしい」

「……はあ」


 溜め息を吐き出す暮葉は、細めた目で俺を見つめた。

 

「そのためにわざわざ保健室までやってきたんですね」

「ごめん、一人の時間を邪魔しちゃって」

「……お昼休みのここは私以外、誰もいません。先生は気を使って出ていってくれますし、生徒が来ることも稀です。だから安心して昼食を楽しめたのですけど、今日は闖入者が現れてしまいましたね」

「いや、マジでごめん。この通り!」


 深く頭を下げると暮葉は呟くように言った。


「まあ、いいでしょう。佐倉くんは知らない仲ではないですし」

「ありがとう。それで、返事は……」

「次の休日には予定があるので無理です」

「そうか。返事をくれて感謝する。それじゃあ――」


 暮葉の一人の時間をこれ以上は邪魔できない。

 そそくさと保健室を出ようとしたら、暮葉の静かな声が俺を止めた。


「待ってください。次の休日は無理ですけど、行かないとは言ってないでしょう?」

「つまり、いつかは来てくれるのか?」

「……ちょうど今日の放課後が暇なので」


 今日か……急な話だが、まあ俺も綾乃さんも基本的にいつも暇なので問題ないか。


 しかし、暮葉がうちのマンションに来るとするならば、ここで俺と綾乃さんの関係を明かしておいたほうがいいだろう。もともと幼馴染たちにはそうするつもりだったが、ついに俺がアイドルと恋人関係になったことを誰かに明かす時が来たか。


 変にもったいぶっても仕方ないので、できるだけサラっと明かそう。


「実は俺と綾乃さんは付き合ってるんだ。それで一緒のマンションに同棲していて」

「……へえ」


 かなりキツめのジト目で睨みつけられた。

 なんか不機嫌そうだ……もしかしたら簡単に明かすのはまずかったかもしれない。


「佐倉くんが年上の美人お姉さんと恋人に……そして一つ屋根の下で同棲……ふぅん……」

「暮葉さんだって俺が綾乃さんに告白されたのは知ってるだろ?」

「それはまあ、中学に入る前にあなたが自慢げに言っていたのを聞いてましたから。それにしても、本当に恋人になるとは思いませんでしたけど」


 そう言って暮葉は箸を持ち、卵焼きをつまみ上げて口に入れる。

 気のせいかもしれないが、咀嚼がやけに荒っぽいような……どこかヤケクソ気味に弁当を食べ始める暮葉に俺は戸惑った。


「佐倉くんたちの事情は分かりました。今日の放課後になったら迎えに来てください」

「は、はい……授業が終わったらすぐにお迎えに上がります暮葉様……」

「よろしいです。そろそろ一人になりたいので出ていってください」

「承知しました……」


 とりあえず退散だ。暮葉様の機嫌を損ねてはならない。

 可及的速やかに保健室を出た俺は、放課後になったら暮葉に飲み物の一つでも奢ろうと決めた。


 昼食をとれないまま昼休みは終わり、空腹を我慢して午後の授業をやり過ごす。放課後のチャイムが鳴り響いた瞬間に鞄を持って教室を出た。


 早足でA組の前に到着し、暮葉の姿を探す。

 彼女もまた授業が終わってすぐに教室を出たみたいで、鞄を肩にかけた真っ白な幼馴染のそばに歩み寄る。


「暮葉さん、行こう。マンションまで案内するよ」

「ええ、そうですね」


 周囲の生徒に変に思われても面倒なので、俺と暮葉は距離を取って進みつつ校舎を出た。


 暮葉は太陽の光に弱いため、常日頃から日傘を差して外を歩く。今日は大して晴れてもないので、日傘の下の顔には余裕のある表情が浮かんでいた。


 途中で暮葉に自販機のジュースを奢る。俺が差し出したジュースの缶を無言で受け取った暮葉は、桜色の唇を飲み口につけ、んくんくと喉を鳴らした。


 マンションに辿り着くまで俺たちの間に会話はなく、二人っきりでエレベーターに乗るのが少し気まずかった。最上階の部屋のドアを開いて、暮葉を招き入れる。


「わあ……こんなに広い部屋に住んでいるんですね……」

「綾乃さんがアイドルで稼いだ金を存分に注ぎ込んだんだ」

「その本人はどこに……」


 暮葉は綾乃さんの姿を求めて広い部屋内を見回す。

 俺はベッドがあるほうに歩き、掛け布団にくるまる彼女を揺さぶった。


「綾乃さん、起きてくれ。お昼のおやつタイムが終わったからってグースカ寝ている場合じゃないぞ」

「うーん……なんなのよぉ……私の眠りを妨げるなんて、いくらハルくんでも許されざる行為――って、クーちゃん!?」


 立ちすくむ暮葉に気づいてベッドから跳ね上がる綾乃さん。

 そして勢いよく飛び込み、久しぶりに再会した年下アルビノ少女を抱きしめる。


「こんなに素敵なお嬢様になっちゃって! 可愛すぎて食べちゃいたいぐらいだわ!」

「綾乃お姉ちゃんは相変わらずですね……」


 綾乃さんに頬ずりされる暮葉は、助けを求めるように俺をジト目で見た。 

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