3 よくある話

 サンダルが語ったところによると奴はハンマーフェローに移り住む以前、とある国境地帯の小さな村落にドワーフ族だけで暮らしていたそうだ。

「その頃は俺にも愛する家族がいた。両親と妻と、それに走り回るようになったばかりの娘がな。もちろん、幸せだったさ。今ほど裕福ではなかったとしても」

 過去形ということは、既に家族はこの世にいないものと思われる。復讐の動機は恐らくその辺りにあるに違いない。

「当時は帝国と連合の間で、国境紛争が激化しかけた時代だった。しかし、俺達はどちらにも組みすることなく中立を保っていた。敵対しなければ害されることもない、浅はかにもそう信じてな」

 サンダルの独語に、ルンダール氏が解説を付け加える。

「ワシも憶えておる。あの時はハンマーフォローにも近隣の村々から戦渦を避けようと多くの同胞が移住して来たからな。この場にも身に憶えのある者がいるだろう。どうして、お主らはそうせんかった?」

「言ったであろう。愚かだったのだ、俺を含めて全員がな。元々が貧しい村だ。大した産業があるわけでもない。手に職を持つ者は限られ、慣れない都会暮らしに不安を覚える者も少なくなかった。生まれ育った土地を離れることに抵抗もあったのだろう。そうして踏ん切りがつかないうちに、あのことが起きたのだ」

 そう言いながらサンダルは自嘲気味に笑った。その笑みには底知れぬ憎悪と絶望、そして憤怒が渦巻いているように見えた。

「一体、何があったの?」

 セレスも思わずといった調子で問う。訊かずにはいられなかったのだと思う。

「期待してくれているようで恐縮だが、大して珍しくもない話だ。退屈させてしまうかもな。それでも良ければ聞くがいい──」


 それは何の変哲もない、ごくありふれた日の出来事だった。いつのもように平穏に暮らしていたサンダル達の下に、突然、大怪我を負った帝国兵が助けを求めてやって来た。戦闘で傷ついたことは一目瞭然だったという。

 放って置けば助からないことはわかり切っていたが、手を差し伸べれば戦争に巻き込まれる恐れがあるとサンダルは関わり合いになることに反対した。しかし、奴の妻を始め他の多くの村民は見捨てることを潔しとはせずに手当てを施した。

「ただ怪我人を助けただけで味方をするわけではない。そう言えば通用すると思ってな。人の悪意を知らぬ愚かしくも優しい者達の集まりだったのだ。だからといって、それが報われるとは限らんのは今に始まったことではない」

 その言葉を象徴するかのように、しばらくして今度は連合の追手が村に現れた。治療を受けた帝国兵を見るや否や、直ちに彼らの処刑を指示した指揮官らしき男は、村人に対しても利敵行為を働いたとして皆殺しを命じ──。


「あとは言わずとも知れよう。何が起きたか詳しく知りたければ、あの世で村人達に聞くんだな。最後まで耳を塞がずにいられるものならだが。いずれにせよ、奴らが村を去った後、そこに息をする者は誰もいなかった」

「ミアの村と同じ」

 隣でミアがポツリと漏らす。まさしくその通りだ。帝国が連合に置き換わったに過ぎない。

 サンダルの話に辺りは一瞬静まり返ったものの、それでも尚、果敢に反発する者がいた。

「ふざけるなよ。確かにあんたの身に降りかかったことは不幸だったかも知れない。けど、俺達には何の関係もないことだろ。復讐がしたけりゃ連合にすればいい」

 冒険者の一人がそう反論すると、サンダルは彼を見据えて冷たく言い放つ。

「勘違いするな。俺は連合を恨んでいるわけではない」

 嘘を吐くな、と言う冒険者の言葉を軽く聞き流して、サンダルは話を続けた。その声は悪魔が囁く呪詛のように俺達の上に重く響いた。

「嘘ではない。俺が恨んでいるのはこの世のすべての人間だ。連合も帝国も王国も関係ない。助けを求めて来た帝国の兵士も、それを受け容れた村の長も、指揮官に意見しながらも結局は命令に従った連合の仕官も何もかもが憎い。男も女も子供も年寄りも人種も身分も分け隔てなく、誰であろうと一人残らず世の中から抹消し尽くすのが俺の望みよ。今回のことはその手始めに過ぎん。いずれはもっと多くの国と人を巻き込んで、世界を破滅に導くためのな」

 どうやらサンダルの復讐心は、俺達が思うよりずっと根深いらしい。奴にとって生きている者は全員が復讐の対象のようだ。

「無関係な者まで巻き込むのはどうしてだ? 少なくともハンマーフェローの住人に罪はないはずだ」

「無関係な者などこの世にはおらん。生まれた時から邪悪にまみれた存在などいると思うか? 今は無垢な赤ん坊でも成長すれば平然と人殺しになり得る、それが人間という生き物だ。人がいる限り、俺やそこの娘のような悲劇の連鎖は繰り返される。だったら誰一人居なくなる外あるまい。例外など認めん」

「馬鹿な。狂っている……」

 確かにそうに違いない。人殺しをさせないために、人を殺し尽くすなどとという発想は常人ではあり得まい。

 だが、誰かが発したそのひと言に、奴は胸を張って堂々と応えた。

「狂っているか。その通りだ。俺は狂っていよう。とても正気を保ってはいられなかったのでな。だとしても、それで復讐が果たせるなら大いに結構。幾らでも狂ってみせる」

「そんなことをしても亡くなった奥さんや娘さんは喜ばんぞ。復讐など虚しいだけだと思わんか。家族や村人のためにも思い直せ」

 ブルターノ氏がそう説得を試みるが、知った風なことを言うな、と一喝されるだけで終わった。

「貴様に俺の家族の何がわかると言うか? 復讐などしても喜ばないだと? 無残に殺されたことのない奴が、何故そいつの気持ちを理解できるというのだ?」

 それならあんただって同じじゃないか、という声に、サンダルは、本当にそう思うのか、と問い返した。

「どういう意味だ? あんただって生き残ったからこそ、こうして復讐を誓ったんだろ」

「…………息をする者は一人もいなかった、確かそう話したはずだが。俺だけが違ったといつ言った? 安っぽい英雄譚と一緒にするな。自分だけが生き残る? そんな都合の良い展開がそうそうあって堪るか」

 言葉の真意がわからず困惑したのは、俺も他のみんなと同じだ。

「でも、実際にあなたは生きている」

 セレスが全員の気持ちを代弁するように、奴に告げる。

「そう見えるのか? あの不死の魔物アンデッド共を見た後にも拘わらず、本当に俺が生きていると?」

「まさか自分も不死の魔物アンデッドの一員だとでも言うのか? いや、そんなはずはない。もしそうなら何年も一緒にいて、我々が気付かないはずがない」

 ブルターノ氏のその言葉に、それはある意味正しく、ある意味間違っている、とサンダルが禅問答のようなことを言い返した。

「俺はあの時、確かに死んだのだ、家族と共に。今でもはっきりと憶えている。妻と娘の骸が投げ捨てられた横で、深々と心臓を槍に貫かれる感触をな。だが、奇跡は起きた……否、悪夢の始まりだったと言うべきか」

 何だろう? これまでにも増して途轍もなく嫌な予感が胸中で膨らみ出す。さっさと奴を捕らえて、この尋問を終わらせてしまった方が良いという警告音が頭の片隅で鳴り響く。

 しかし、サンダルの打ち明け話が止む気配はない。

「死の間際、俺の怨嗟の声に応える者が現れたのだ。そいつは俺の耳許で言った。『望むなら復讐の機会を与えてやろう』と。当然、俺は嬉々としてそれを受け容れた。そいつの目的やら都合やらはどうでも良かった。見返りが欲しければ魂でも何でもくれてやるつもりでな。そして宣言通りに俺は死の淵から甦り、復讐の機会を得たというわけだ。今の俺があるのはそいつのおかげと自覚している。自分でも生きているのか死んでいるのかすら定かではないがな。もっとも復讐の前では些細なことよ。別に気にはしていない。お前達が邪魔立てさえしなければそれも上手くいっていたものを」

 俺にはますます以て理解不能な内容だった。それでも中には気付いた者も何人かいたようだ。

「何を言っているんだ……それじゃあ、まるで……」

「ハッタリだ……そうに決まっている……あるわけがない」

「でも、もし本当なら……」

 その脇では経験の浅い冒険者が俺と同様、狐に摘ままれた表情で、「何のことだ? 俺達にもわかるように話してくれ」と説明を求める声を上げたが、無視された。

 未だに信じられないことを耳にしたと言わんばかりのベテラン冒険者を横目に、セレスが落ち着き払った態度でズバリと正解を言い当てる。

「──そいつの正体は魔族。憑依されているのね?」

 ここまで来れば隠し立ては不要と言うのか、サンダルもあっさりとそれを認める。

「そうだとも。これで納得したか? ならば話はここまでだ」

 魔族というのは以前にも聞いた憶えがあるフレーズだ。

 確か実体がなく、魔物や人に憑り付いて顕在化することから、向こうの世界で言う悪魔的な存在をイメージしたんだっけ。

〈それだけではなかったような……〉

 思い出そうとするが、魔族と聞き及び気付いていなかった者の間にも再び動揺が走ったことで、そちらに気を取られる。

 そうした隙にサンダルは、もはや俺達のことなど眼中にないかのように何かを呟き始めた。

 喧騒の合間を縫って、その声がやけに大きく俺の耳朶を打つ。


 ……ああ、わかっている。もはやそれしかあるまい。余計な心配は無用だ。迷いなどとうに捨てている。こうなったら俺自身の手でこの街を滅ぼすしか──。

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