2 黒幕
「何故だ? どうしてこうなった?」
その呟きは路地裏の奥深くの暗がりから灯りが洩れ出すように聞こえていた。
「そんなはずはない。計画は完璧だった。奴が裏切りさえしなければ──」
声の主にとって、直前までの流れはまさに自分が思い描いたシナリオ通りだったのである。
本来ならこの後、途切れることなく現れ続ける
どちらにどう転んでも支障のない完璧なプラン。なのに突然、手を結んでいたはずの
おかげで信じられないほど短期に決着が付くことになった。これでは大国も派遣の口実を得る機会を失ったに等しい。
「所詮はアンデッドなどに頼ったことが間違いだったか。ああ、わかっている。これで終わりというわけではない。また一からやり直せば済むことだ。時間は掛かるだろうが、次こそは──」
「いいえ、次はないわ。あなたの企みはここで終わりよ」
俺は漆黒の空間に向けて潜めていた声を発した。少し前から奴を付けて、登場のタイミングを見計っていたのだ。
当然、俺一人というわけではない。近くにはセレスやミアは無論のこと、戦いに加わった全員というわけにはいかなかったが、俺達から話を聞いた冒険者の代表が何人かと、職人ギルド長のルンダール氏、そして冒険者ギルド長のブルターノ氏が控えていた。他の冒険者や住人は後始末の真っ最中だ。
「──……これは皆さん、お揃いでどうされたのかな?」
暗がりから姿を現した人物──商人ギルド長のサンダル氏が何事もなかったかのようにそう語りかけた。しらばっくれる気のようだ。
もっとも素直に認めるとは俺も端から考えていなかった。
「惚けても無駄よ。今の話はここにいる全員が聞いていたわ。あなたが一連の出来事の黒幕ね」
俺が確信を以て告げた言葉にもサンダル氏改めサンダルは動じる気配を見せない。幾らでも言い逃れはできると高を括っているみたいだ。
「はて、何のことだろうか? そう言えば最近、独り言が増えてきてね。妙なことを口走る癖があるようだが、気にしないでくれ給え」
なるほど。どうやら虚言癖で押し通すつもりらしい。だが、これには俺ではなく、冒険者ギルド長のブルターノ氏が反発した。
「ふざけないで貰おう。この期に及んでそんな言い訳が通用すると思うのか」
まあ、彼にしたら共に手を携えてこれまでやってきた共同経営者が会社を乗っ取るどころか潰そうとしたようなものだから、その憤りは理解できる。ここは口出しせず偉い人に任せるとしよう。
「そう言われても事実であるからして致し方がない。それとも妄想を抱いたら誰でも黒幕となるのかね?」
「あくまでシラを切り続けるか」
今度は職人ギルド長のルンダール氏が口を挟む。
「議長まで私をお疑いのようだ。どうしても私を黒幕に仕立て上げたいならそれなりの証拠を見せていただこう。独り言などという曖昧なものではなくてね」
「証拠か……そもそもどうしてワシらがお主を疑ったか、わかっておらぬだろう?」
ルンダール氏が核心となるべき問いを投げかける。
そう。サンダルには彼に疑惑を向けた理由をまだ話していない。
「それは……確かに気にはなる。では、そこに証拠となるものがあったと? 参考までに聞かせて貰えるのかな?」
ようやくサンダルの表情にもやや警戒の色が浮かぶ。それでも証拠は残していないという自信が垣間見えた。
「良かろう。ユウキ殿、説明してやって欲しい」
おや、ルンダール氏がこっちに丸投げしてきたぞ。
きっかけとなった本人に振らなかったのは、たぶん正解だろう。
面倒だからと断るわけにもいかないので、わかりました、と引き受ける。
「あなたが黒幕だと見抜いたのは、そこにいるミアよ。彼女はあなたが先程のように路地裏で誰かと話しているのを偶然、耳にした。内容は何者かにハンマーフェローを襲わせて、戦争を引き起こすというものだった」
それはギリルの工房で俺達に語ったことだ。ミアはその話を真に受けて、自分の復讐のために利用としようと思い立ち、セレスの剣を奪いかけた。ある意味、今の状況はそこから来ていると言って良い。
しかし、サンダルは即座に否定の言葉を口にする。
「そんなはずはない。もしや鎌をかけているのかね? だとすれば詰まらないやり口だな。私には何のことか見当も付かないと言わせて貰うよ。本当に私を見たというなら、どうして今まで黙っていたのかね? 私を知らなくとも種族や特徴から探し出すことはできたであろう」
「確かに探すことはできたかも知れない。見ていた──ならね」
俺はわざと勿体ぶった言い方をしてみる。奴がしてきたことを考えれば、この程度の嫌がらせでは物足りないくらいだ。
「どういう意味だ?」
若干の苛立ちが混じった口調でサンダルが言った。
「残念ながらミアは顔まで見ていなかった。声を聞いただけでね」
「何だと?」
一瞬、怪訝な表情を浮かべたサンダルだが、意味がわかると、クククッと忍び笑いを洩らした。
「声を聞いただけで私が黒幕だと断定したのか? 呆れる外はないな。似た声の持ち主など幾らでもいよう。それが証拠とは話にならない」
勝ち誇ったように奴は言うが、それは誤解だ。そのことを俺は指摘する。
「違うわ。証拠は他にある」
「ほう……それは何だね?」
「匂いよ」
「匂い?」
鸚鵡返しで訊ねたサンダルにもわかるように、俺は説明してやる。
「ミアは種族由来の鋭い嗅覚で個人を識別できるのよ。もっともそれを知ったのは最近になってからのことだけど。まあ、わかっていてもハンマーフェローの住人全員の匂いを嗅いで回るわけにはいかなかったから、偶然に頼る以外どうしようもなかったでしょうけどね。その偶然が先程、起きたってわけよ。対
ミアは頷いて、はっきりと告げた。
「ミア、憶えてる。間違いない」
「嘘だ。そんな戯言を誰が信じるものか」
ワシらは信じるぞい、と俺達の背後から頼もしき声がした。振り向くまでもなくガルドのものだとわかる。彼が冒険者一同を代表して言った。
「ワシらはそのお嬢の鼻に随分と助けられておるからの。少なくとも共に迷宮から戻った者なら疑う奴は誰もおらんわ」
ガルドが言っているのは、迷宮でミアが魔物の接近を匂いで知らせて不意打ちを未然に防いでいたことだ。その精度は迷宮内に限れば俺の魔眼をも凌駕する。
そんなガルド達の後押しはもちろん心強いが、どの途、それがなくとも奴を追い詰める算段に抜かりはない。
「冒険者の言うことなど──」
再度、否定しかけたサンダルの言葉を強引に遮った俺は、胡麻化しの利かない方法を提示する。
「疑うならテストしてみればいいわ。やり方は簡単でしょ。ミアに匂いを嗅がせて、誰のものか当てさせれば良いだけだもの。それに──」
最後にダメ押しとも言える内容を口にした。
「あなたが黒幕だということは、あの
今度こそ、奴は二の句が継げなくなった。
〈黒幕の正体を告げたというのは嘘なんだけどね〉
サンダルであることはほぼ確信していたが、万一違っていた場合、交渉が決裂する恐れがあったため、そこは敢えて避けたのだ。問われれば答えざるを得なかっただろうが、それもなかったしね。
だが、アンデッド軍が撤退したという事実のみしか知らない奴には見抜きようがないことだろう。
サンダルは押し黙ったまま、微動だにしなくなる。
それを肯定の証と受け取ったのか、ルンダール氏が最後通牒を突き付ける。
「わかったであろう。もはや言い逃れはできぬ。大人しく──」
「……黙れ。うるさい。正体を知った程度で図に乗るな。これしきのことで諦めるくらいなら、初めから計画などしてこなかったわ」
明らかにそれまでとは口調の異なるサンダルに、全員が警戒を強める。そんなことはお構い無しにサンダルの独白は続く。
「三十年だぞ。三十年かけて準備をして、やっとここまで漕ぎ着けたのだ。それを……昨日今日現れたお前達に邪魔されてなるものかッ!」
驚くほどの怒りを露わにしてサンダルがそう吼える。だが、さすがにルンダール氏は場慣れしていると見え、それに気圧されることなく、どういうことか、と訊いた。
「知れたことだ。毎年、目立たぬ範囲で武具や防具を
そうか。それでようやくわかった。
まさかそれほど以前から計画が立てられていようとは思いもよらなかったため、誰も気付けなかったのだろう。しかも、取引相手があの
もっとも得心するよりも、周囲からはこの由々しき事態に動揺の声が拡がる。
「それじゃあ、去年イゴーリ達のパーティーが還って来なかったのはあんたのせいだったって言うのか? 奴は俺の義弟だったんだぞ」
「他にもいるさ。毎年、何組かのパーティーは行方不明になっているからな」
「以前から武具防具を横流ししている組織の存在は噂になっていたが、よりにもよって商人ギルド長自らが魔物に渡していたとは何たることか」
ルンダール氏やブルターノ氏までショックが隠し切れない様子だ。
それにしても三十年とは凄い執念と言える。だが、何故にそうまでして? という疑問が残ったままだ。
同じように感じたらしきセレスが、俺に先んじて奴に訊ねた。
「どうしてそこまでしてこの街を襲おうとしたの?」
それに対して奴は、何をわかり切ったことをと言いたげな表情で返した。
「どうしてだと? これほどの執着が復讐を置いて他にあると思うのか」
〈復讐……やっぱり。それってもしかして……〉
「ハンマーフェローに恨みがあると申すか?」
何とか平静さを取り繕ったルンダール氏が、セレスに代わってそう詰問する。
それを聞いたサンダルが、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ハンマーフォローなどどうでも良い。だが、お前達が理由を知りたければ教えてやろう。今から三十年程前の出来事だ」
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