ハンマーフェロー編Ⅱ 遭遇の章
1 追跡劇
「ないわ」
店の営業時間が終わって、いつものように着替えようとロッカーを開けたセレスが茫然とした表情で呟いた。
「どうかした? セレス」
俺はロッカーの前で固まって動かなくなったセレスにそう声を掛ける。
「ないの……私の剣が……ない」
「えっ?」
驚いて脇からロッカーを覗き込むと、確かに今朝方仕舞っていたはずの彼女の愛剣が消えていた。
ばたん、と乱暴に扉を閉めると、背後を振り返る。
そこではちょうど例のドワーフ族三人組が同じように着替えていた。
さすがにあれ以来、ちょっかいは掛けてこない。
だが、愛剣を紛失したセレスにそんなことは関係ないようだ。
背中越しに只ならぬ気配を感じ取りこちらを窺っていた彼女達に対し、思い切りドスを利かせた調子で訊ねる。
「まさか、あなた達が……」
その剣幕に気圧された彼女達が慌てて目の前で手を振る。
「ち、違う。私達じゃない」
「そ、そうよ。し、知ってるでしょ。今まで一緒の店内にいたこと」
「う、疑うんなら私達のロッカーでも何でも調べてみればいいわ」
この様子なら嘘ではないだろう。それはセレスにも伝わったみたいだ。
そもそも店の奥にある更衣室に外部から入り込むには、それ相応の手腕が要求される。
基本的にここまで来るのは顔見知りだけなので、不審者が紛れていればすぐに誰かが気付くからだ。
故に大事な物でもロッカーに収納しておけば比較的盗まれる心配は少ないはずだった。
セレスが内部の者の犯行を真っ先に疑ったのはそのために他ならない。
だが、目立つ彼女の愛剣を他の者が手にしていれば否が応でも目に付く。ロッカーなどに隠したところで調べればすぐにわかる。そんな見え透いたことを果たして店の人間がするだろうか?
「そ、そういえばさっき店の裏口を見慣れない子供が出て行った気がしたけど」
三人組の一人が思い出したようにそう口にする。
「何ですぐにそれを言わないのよ?」
別の一人が咎めるような口調で訊ねた。
「いや、だってこんな場所に子供がいるとは思わないから、てっきり見間違えかと──」
「どんな子だったの?」
セレスが言い訳の途中で、口を挟んだ。
「チラリと見た感じではたぶん十二、三歳くらいの銀色っぽい髪をした獣人の子だったような……後ろ姿に獣耳が見えた気がするから」
それだけ聞くと、セレスは裏口目指して一目散に飛び出して行った。
俺はもう少し詳しく目撃情報を問い質してから、あることを試してみた。
それによって盗難犯の手掛かりが得られるかも知れないと考えたためである。
その試みは曲がりなりにも成功しそうだった。
更衣室での調べを終えた俺が裏口に駆け付けた時、セレスが路地の向こうからこちらに戻って来るのが見えた。
どうやら獣人の子供は見つからなかったようだ。
「駄目だわ。この辺り一帯を探してみたけど見当たらない。もう近くにはいないみたいね。私はこれから城門に向かって追ってみる。ユウキは衛士の詰め所に行って市内を捜索して貰うよう頼んでみてくれない?」
セレスが城門へ向かおうとする理由は理解できる。彼女の剣はこの街で売り払うには目立ち過ぎるためだ。換金するならきっと外に持ち出して他所で行うはず。
だが、俺はそんなセレスを引き留めた。
「待って、セレス。そっちじゃないわ」
「どうして? 街から出られたらお手上げよ。探しようがなくなる。その前に見つけるか、出て行く人の荷物のチェックを厳重にして貰わないと」
焦るセレスを何とか落ち着かせようと、俺は彼女の肩に手を置いて言った。
「犯人は城門には向かってないわ。逆方向に向かっている。こっちよ」
「えっ? 何故──」
驚くセレスに、俺は駆け出しながら理由を説明してやる。セレスも半信半疑の表情を浮かべつつ、一緒に付いて来る。
実は最近になって気付いたのだが、普通は意識して発動しなければ感知できない魔力を獣人の中には種族次第で微量ながら常に体内に宿している場合があるのだ。
魔眼を使うことで、それがわかった。
魔物以外では珍しいことなので、もしかしたら祖先にそれらと関係したことがあったのかも知れない。
まだまだこの世界の人や魔物の進化の過程については謎が多いので、考察してみれば何か有用な情報が得られるかも知れないが、ひと先ずそれは後回しだ。
もっとも魔力と言っても本当に微々たるものなので、余程意識を集中しないと気付けない。
幸いにもセレスのロッカー付近でその魔力の流れを見つけることができた。
従業員の中には魔力を宿す者は獣人を含め誰もいないので、その痕跡は犯人以外にあり得ないということになる。
そうしたことを走る合間にセレスに話した。
「そういうことなのね。それでこの先はどこに向かってるの?」
「この通りを真っ直ぐ。百五十メートルほど先を右に折れてる」
俺が極限まで神経を研ぎ澄まして見えた結果をそう伝えると、セレスはキッと前方を睨んで即座に言った。
「だったら私は予測される進路を先回りするわ。ユウキはそのまま追跡をお願い」
俺の返答を待たずに一気に加速すると、右の脇道へと飛び込んで行く。
セレスの指示通り、俺は魔力の流れに沿って真っ直ぐに通りを走り抜ける。
やがて、中心街に近付くに連れ人通りも増えてきた。
だが、斥候で鍛えた俺の目は胡麻化されない。
しばらく行くと、魔力の流れが濃くなってきた。近付いている証拠だ。
──いた!
人混みに紛れて安心したのか、前方を全力疾走ではなく小走りで駆けて行く子供の姿を発見した。
手には小柄な身体付きからすると分不相応な大きさの布切れに包まれた細長い荷物を抱えている。あれはセレスの愛剣に間違いなかろう。
証言にあったように銀色掛かったショートカットの髪の毛の間に犬種のような獣耳と、同じ毛色の尻尾が腰の辺りに覗いているのが背後から見て取れた。後ろ姿からするとどうやら少女のようらしい。
気配を消して追いつこうとしたが、勘が良いのか直後に気付かれてしまった。
慌てて逃げ出す獣娘を追って、俺も再び走り始める。
子供とはいえ、獣人だけあってさすがに足が速い。気を抜くと、また見失ってしまいそうだ。
すると、反対側の真正面に通りの横合いからセレスが躍り出た。
一瞬、ビクッとしたものの、彼女はすぐさま方向を変え、別の路地へ。
俺とセレスがほぼ並んで、同じ角を曲がる。
障害物の多い通りでは、さしものセレスも身軽さを存分には発揮し切れないようだ。走る速さはほとんど俺と遜色無くなる。
一方、獣娘は小柄な体型を活かして、大人の俺達には通り抜けるのに難儀しそうな場所ばかりを選んで走る。この街の裏通りに精通している様子が窺えた。
一体、どんな経歴の持ち主なのだろう?
捕らえてみればわかることとはいえ、俺は気になった。
その後も俺達の追跡を振り切ろうと、あちらこちらを逃げ回る。
しかし、広大な原野を追いかけっこしているわけではないのだ。
幾らハンマーフェローが広いと言っても周囲を高い壁に取り囲まれた都市内部でのことである。
いずれ壁に突き当たり、逃げ場を失うのは目に見えている。
無理をせずとも、このまま付かず離れず喰らい付いていけば良い。
向こうもそのことに気付いたのか、突如、身を翻して角を曲がり、死角に入り込んだ。
数秒遅れて、俺とセレスがその脇道に足を踏み入れる。
通りの先に人影は見えないが、俺は焦ることなくセレスに目配せして木箱が山積みなった一角を指し示す。魔力の流れはそこで途切れていた。
セレスが近くに落ちていた木の棒を拾い上げる。
「出ていらっしゃい。そこに隠れているのはわかっているわよ」
そう声を掛けた。だが、返事はない。
「知っている? 窃盗は現行犯で捕まえる際には殺しても罪にならないのよ」
〈ちょっとセレス。あまり物騒なことは言わないで欲しい〉
まさか本気ではないだろうが、愛剣を盗られたことが相当に頭に来ているのか、目が坐っている。
ゆっくりと賊が潜んでいる辺りに近寄ろうとしたその時だ。
物陰から飛び出た獣娘が、いきなり俺達に向かって突進して来た。
素早い身のこなしで俺とセレスの間を擦り抜けようという魂胆らしい。
逆方向に逃げると思っていた俺達は一瞬、面喰う。
しかし、その程度で出し抜かれるセレスではない。
獣娘に勝るとも劣らぬ反応速度で、行く手に立ち塞がろうとした。
それを見て俺は鋭く告げた。
「セレス、傷つけるな」
「でも、それだと取り逃がすわ」
だからと言って子供に怪我をさせるわけにはいかない。
何より、そんなことをするセレスを俺が見たくはなかった。
コンビの息が乱れた俺達の様子を目にして、獣娘は手に持っていた包みをあらぬ方向へ放り投げる。
賊の捕獲か愛剣の確保か、迷ったセレスの対応が一瞬遅れた隙を衝き、向こうは逃走を確信したようだ。
このままでは逃げられる、そう思った次の瞬間、目が合うと俺は思わず魔眼を発動させてこう叫んでいた。
「おすわり!」
途端に獣娘が弾かれたように正座する。勢いが良過ぎて、ざざーっという擬音が聞こえてきそうな滑り具合でその場に急停止した。
その表情には漫画の吹き出しにあるような〈?〉マークが幾つも浮かんでいるのが見て取れた。
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