5 深夜の告白
「駄目じゃ駄目じゃ。どうあっても強度が足りん。やはり材質に問題があるわい。だが、他の金属を使おうにも買う金がない。魔石も全然足り取らん。どうする? どうしたもんじゃのぉぉぉ」
その日、仕事を終えて店から帰宅した俺達を待ち受けていたのは、そんなギリルの嘆きだった。
「只今、戻りました」
「おお、帰ったか。すまんすまん、気付かなかったわい」
どうやら彼は独り言のつもりだったようだ。その割に扉の向こう側にも聞こえていたのは、ご愛嬌ということにしておこう。
「ところで帰ってすぐのところを悪いんじゃが、機関部の動作について意見を聞かせてくれんか?」
「それはいいですけど──」
俺は食卓の上にチラリと視線を走らせて、そこに手付かずの朝食を認め、溜め息を吐きつつ言う。
「また食べてないじゃないですか。食事、出がけに用意したままで残ってる」
忘れておったわ、とギリルは済まなさそうに口にするが、こんなことは今に始まったわけじゃない。
一つのことに集中すると他が何も見えなくなる質のようで、しょっちゅう食べることを失念して作業に没頭している。
それだけ俺の頼みに懸命になってくれるのは嬉しいが、倒れられでもしたら元も子もない。
「セレスからも何か言ってやってよ」
俺が水を向けると、セレスがやや呆れながらも口を開いた。
「ユウキの言う通りですよ。仕事も大切ですが、根を詰め過ぎるのは良くない。休養も大事にしないと。それに、お金の問題なら私達が何とかしますから」
セレスが言うように金のことなら不本意ではあるが、『妖精の園』で働く期間を延長すれば何とかなるはずだ。カミラさんからもずっといて欲しいと言われているので、断られることはないだろう。
その分、冒険者に復帰するのは先送りになるが、致し方があるまい。
だが、ギリルは俺達に頼る気はないようだ。
「何じゃい、聞こえておったのか。いや、これ以上お前達の世話になるわけにはいかん。ワシの方で何とかする。いっそのこと使わぬ道具は売ってしまうか。それなら少しは足しになるじゃろう」
「世話になるだなんてそんなことはありません。元はと言えばこちらが依頼したことですから、必要な費用をお支払いするのは当然です」
俺はそう言ってみた。ギリルの借金のせいで曖昧になってしまったが、本来はそうあるべきことで間違いない。
それでもギリルは頑なだ。
「費用なら借金を帳消しにしてくれることでお釣りがくるわい。そもそもこんな面白い話に金を取ったらバチが当たるというものよ」
どうやら興味のあることが最優先で金儲けは二の次のようだ。
他の依頼もこんな調子で引き受けていたのだろう。
道理で貧乏するはずだ。
何と言って納得させようかと考えていると、またしても入口から声が掛かる。
「そんなに愉しいことなら俺にも一枚噛ませろよ」
振り向くと、今度もまたいつの間にかそこにいたドリルが断りもなく勝手に入って来る。
「何しに来た。お前は忙しい身じゃろ。こんなところで油を売ってて良いんかい」
「俺でないとやれない仕事は大急ぎで片付けてきた。あとは弟子達で何とかなる。どうしても無理な時は呼びに来るから心配は要らん」
「わざわざ空き時間を作ってまで顔を出すとはどういう風の吹き回しじゃ。ワシの作る物に関心なんぞなかったんじゃないのか」
確かにギリルが不審に思うのも無理はない。弟とはいえ既にドリルは名匠として評価を得ている職人だ。今更、キワモノに手を出すとは思えないのだが……。
そんな雰囲気を察したのか、ドリルは頭を掻きながら言った。
「アニキが大声なのが悪いんだ。毎日、隣からあーでもないこーでもないと聞かされてみろ。気にならない方がどうかしている。俺だって職人の端くれだからな。問題がありゃ解決策を考えちまうんだよ」
どうやらギリルの独り言は隣に筒抜けだったらしい。そういうことなら納得の理由だ。
「それで今言っていた強度のことだが
「馬鹿にするでないわ。ワシだってやろうと思えばやれるに決まっておろう。ただ、そんな高価な材料は持ち合わせておらん」
「俺の工房にあるストックを使やあいい。今、持ってくる。待ってろ」
そう言って踵を返し自分の工房に戻りかけたドリルをギリルが慌てて追いかける。
「まだそうするとは言っとらん。勝手に決めるな」
「材料は俺が出すんだ。金を取るなんて言わねえから試させろよ」
しばらく兄弟で押し問答を繰り広げていたが、最終的にはギリルが、好きにしろ、と言い放って決着したようだ。
俺とセレスはその様子を眺めていて、互いに顔を見合わせると肩を竦めた。
言葉にしなくとも感じた思いは同じに違いない。即ち──。
〈結局は似た者兄弟で合ってるんだろうな〉
その日の深夜。
夜中に偶然目が醒めた俺は、乾いた喉を潤すため階下に降りたところで、工房に明かりが灯っていることに気付いた。
またもやギリルが徹夜をしているのかと思い、さすがに注意しようと中を覗き込むと、そこでは弟のドリルがテーブルに広げた図面と何やら睨めっこの様子。
俺に気付くと手招きして呼び寄せる。聞きたいことがあるみたいだ。
〈うん、やっぱりこの兄弟、そっくりだわ〉
ギリルの方は工房の片隅に敷かれた毛皮の上で大の字になって盛大な鼾を掻いていた。腕には珍しく空になった酒瓶を抱えている。
俺達の前では深酒を止めていたみたいで、ここで寝泊まりするようになってから初めて目にする光景だ。
何だかんだで弟と一緒に作業することが嬉しかったのだろう。
ドリルから訊かれた質問に、二言三言答えた後で俺は言った。
「詳しい話は明日にしませんか? もう夜も遅いことだし、ドリルさんまでギリルさんの二の舞になって貰っては困ります」
「それもそうだな。滅多にやらないことだったんでつい浮かれちまったようだ。すまん」
素直に反省する辺りが、彼の人柄の良さを現していると言えよう。
「さすがはご兄弟ですね。夢中になる様が瓜二つ」
俺のその言葉に微かな苦笑を浮かべて、ドリルが兄の方を見やった。
「……性格は全然違うんだがな。自分で言うのも変だが、俺は昔から真面目ひと筋で俺達の師匠からは、お前の作品には遊び心が無いってよく言われたよ。ギリルの不真面目さを少しは見習えってな。まあ、見習い過ぎるなともよく言われたが。けど、こればかりは性格だから変えようがない。だから俺はひたすら実直さだけを心掛けて鍛冶に打ち込んできたよ。そのおかげで世間の評価もまずまずは得ることができたわけなんだが……アニキが……ギリルがおかしな物しか作らないのは俺のせいなんだ」
「えっ?」
どういうこと? と俺が訊くより早く、ドリルが話を続けた。
「確かにアニキは偏屈で変り者だ。それは間違いない。ただそれだけじゃなく鍛冶師としての腕前も俺より遥かに上なことはずっと昔からわかっていた。剣や鎧を作らせても一級品だってな。たまたま寄り道しなかった俺の方が先に世に出ただけさ。そんなところにアニキが同じものを作って出してみろ。他人なら単に強力な商売敵が現れたで済むが、俺達の場合は兄弟というのが重しになって俺の評判なんてたちまち下がるに決まってる。別に自分の腕を見下してそう言っているわけじゃないぜ。他の奴になら負けやしないさ。相手がアニキだからそう思っちまう。それがわかっていたからだろう。アニキはおかしな物しか作らなくなった。やろうと思えばまともな武具や防具だって打てるのにな」
そう言ってドリルは俯いた。
ギリルが変り者と言われるようになったのに、そんな理由があったとは驚きだ。
だが、どうして俺にそのことを話したのだろう?
誰かに聞いて欲しかっただけで、俺でなくても別に良かったのかも知れない。偶然その場に居合わせたのが俺だったというだけのことだ。
それでも俺は、これだけは伝えておきたいという気分で口にした。
「それなら私はドリルさんに感謝しなければなりませんね」
「何だって?」
ドリルが顔を上げて心底驚いたように俺を見る。
「だってそうじゃありませんか? ドリルさんが先に世間の注目を集めていなければギリルさんは真っ当な鍛冶師の道を歩んでいたかも知れない。そうなると私の頼みなんて門前払いされていたこともあり得ます。つまり今、私の妙な依頼を引き受けて貰えているのはドリルさんがいてギリルさんが変り者と言われるようになったから。少なくとも私はそれで助かりました」
それに真面目なギリルさんなんて想像が付かない、そう付け加えると、ドリルはしばらく唖然として、それからおもむろに声を抑えて笑い出した。
「確かにその通りだ。アニキにそんな姿は似合わないな。やはり、おかしな物を嬉々として打っている方がしっくりくる。そうか、これで良かったのかもな」
ひとしきり笑った後、ドリルが沁み沁みとそう言った。
あの時、ああすれば良かった、あんなことをしなければ良かったと考えたことのない人間なんていないはずだ。
誰だって先のことはわからない。だから後悔したり、不安になったりもする。
それが異世界だろうと、人種がヒトでなかろうと同じだったことに、俺は少しだけ安堵した。
世界は違ってもここに居るのは紛れもなく自分と同じ悩みを持ち、喜んだり悲しんだりできる人々に他ならない。
決して理解不能で正体不明な存在ではないのだ。
だとしたらこの先にどんな困難が待ち受けていようともきっとやっていけるに違いない。
この時の俺は確かにそう思えていた。
そして、数日後のいつもの帰り道──。
辺りは薄暗い夜道。滅多に灯りのないこの世界ではさして珍しくもない光景。
特に冒険者である俺達にとっては、不気味な森の奥深くや地下遺跡の探索を思えばどうということもない日常の一コマに過ぎない。
だが、後ろめたい行為をしようという者にとっては、格好の暗さということになるのだろう。
「おい、貴様ら。この俺を憶えているか?」
この時もそんな感じで路地の暗がりから声を掛けられ、現れた男を見て俺は首を捻った。
どうやら隣に並ぶセレスは呼びかけられる前から男の存在に気付いていたようだ。その顔にも見憶えがあるらしい。
「誰?」
短い俺の問いかけに、呆れたように答える。
「自分が捻り上げた相手の顔も憶えてないの?」
それで思い出した。
『妖精の園』で働き始めてすぐの頃、店で問題を起こして放り出されたどこかの金持ちのドラ息子だ。
まだ、この街に滞在していたのか。とっくに地元に帰ったと思っていたよ。
俺達のファンになって出待ちしていた──というわけではなさそうである。
こうした時間にこうした場所で待ち受けていたとなると、目的は十中八九仕返しだろう。
案の定、血走った目を俺達に向けながら、こんなことを話した。
「あの後、俺がどんな目に遭ったかわかるか? 親父には能無し呼ばわりされ、取引相手のはずだった商会からは見放されて、側付きの者達からも陰で馬鹿にされる始末だ。それもこれもみんなお前達とあの店のせいだ。このままおめおめと家に帰れるものか。お前達に思い知らせてやらねば俺の気が済まん」
彼がそうなったのは全て自業自得なのだが、どうせ言ったところで無駄だろう。
それよりも男の合図でさらに五人程の屈強そうな男達が姿を見せる。ただのゴロツキという感じではなさそうだ。身に帯びた装備も鍛冶の街、ハンマーフェローにあって不審がられない程度には整っている。
もっとも俺はともかく、それだけでセレスの相手が務まるとは思えない。
世間知らずの坊ちゃんは黄金級冒険者の実力に関しても無知だったようだ。
五人にしても襲う相手がセレスとは聞かされていなかったのかと思いきや、どうやらそうではないらしく、男は居丈高に言った。
「言っておくが、ここにいる者達はお前の名前にも臆することがなかった連中だぞ。黄金級冒険者と聞いただけで尻込みした他の奴らとは違う。おかげで集めるのに苦労したがな。どうせ戦乙女だの何だの言っても所詮は多少剣の腕が立つというだけでちやほやされてきた女に過ぎまい。五人もの男を相手にして無事に済むはずが無かろう。せいぜい無様に逃げ回って、叩きのめされるが良い。さあ、存分にやってやれ」
恐らく彼は筋金入りの温室育ちに相違あるまい。魔物に遭遇したことはもちろん、本物の冒険者が身近にいたこともないのではないか。
自分の思い通りになる世界で、自分に都合の良い想像だけを膨らまして生きてきた人間。そんな姿がありありと思い浮かんだ。
男の事実誤認も甚だしい言葉を聞き、五人の襲撃者達は何か言いたそうに顔を見合わす。そのうちの一人が代表する形で口を開いた。
「……悪いな。こっちも色々と事情があってね。どうしても金が要るんだ。雇い主はああ言ったが、正直勝てるなんて誰も思っちゃいない。幸い金は前払いで貰っているんでね。あとは華々しくやられるだけさ。そんなわけで遠慮はいらん」
「おい、貴様。何を言っている? 五人もいてやられるだと? 話が違うではないか。俺はこいつらを痛い目に遭わせるためにお前達を雇ったんだぞ」
「違いはしないさ。襲撃は引き受けると言ったが、勝てるとは言ってない。本気で叩きのめす気ならこの十倍はいないと話にならないぞ。この場でそれを知らないのはあんただけだ。約束はきっちり果たすからもう黙っててくれないか」
その言葉を聞いてセレスが一歩前に踏み出す。
「見たところ全員が冒険者崩れのようだけど、覚悟はできているようね。だったら相手をしましょう。ただし、どんな事情があるにせよ、こちらには関係ないことだから考慮しないわ。それで良ければかかってらっしゃい」
そう言いながら愛剣を引き抜くと、正眼に構えた。
結果は言わずとも知れよう。
僅か数分後には五人の屈強な男達が地面に倒れ込んでいた。
幸いなことに全員が致命傷になるような怪我は避けられたようだ。誰も死なずに済んだのは、ああ言いつつもセレスが配慮したからに他ならないだろう。
その有様を見て、慌てて現場から逃走しようとした首謀者のドラ息子は俺が捕らえて、地面に組み伏せていた。
しばらくして騒ぎを聞き駆け付けた衛士に六人を引き渡す。
金で雇われた五人に関しては、その後ハンマーフェローを追放となった。
といっても、そこまでは想定していたらしく、伝え聞くところによると、外で家族と落ち合いどこか新たな土地を目指して流れて行ったという。
五人にどんな事情があったかは知らないが、殺されても文句は言えない覚悟で手に入れた金だ。願わくはそれが無駄にならないことを祈ろう。
主犯の男も同様に追放されたが、彼の場合、付き従う者は誰もいなかったそうだ。
実家に戻ったのかも定かではない。
いずれにしても関わることは二度とないだろう。
終わってみればどうということのない出来事には違いなかった。
魔眼を使う必要もなく、後味の悪い思いをしなくて済んだ。それだけで上等だ。
実際に二、三日もしたらほとんど思い出すこともなくなっていた。
まさか、あの路地裏の片隅に、物陰から息を潜めてそれを見守っていた者がいたとは思いもせずに。
そのことが新たな事件の引き金になるとは尚のこと。
それはセレスのこんなひと言から始まった──。
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