2 狗狼族

「ユウキは甘過ぎるわよ」

 魔眼により一時間は身動きが取れない獣娘を前にして、愛剣を二度と離すまいと胸の前でひしと抱き締めたセレスがそう抗議の声を上げた。

 すぐに衛士に突き出すべきだと主張する彼女に対し、俺が待ったを掛けたためだ。

 ハンマーフェローのルールでは、子供と言えど罪を犯せば問答無用で追放となる。届け出た時点でそれは避けられない。

 そうなる前に事情を訊こうと思ったのだが、愛剣を失くしかけたせいか、セレスがいつになく冷淡だ。

「事情も何もどうせお金に困っていたんでしょ。この街は性別や種族による差別はないけど、誰にでも優しいってわけじゃない。稼ぐ手段を持たない者には暮らしにくい場所よ。それだけに犯罪に走る者も少なくない。そうした一人一人の事情を鑑みていたら都市の運営は成り立たないわ。だから厳しい措置を取らざるを得ないのよ。それは子供であっても例外じゃない」

 領主の娘だけあって領地運営の難しさを熟知しているセレスの言い分は理解できるのだが、俺にはどうしても賛同できなかった。

「それにこの子、たぶん狗狼族よ」

 狗狼族? と俺が訊き返すと、ええ、とセレスが頷いた。

「獣人の中でも特に戦闘能力に秀でたことで知られる種族よ。それ故に戦争では傭兵として重宝されたと伝え聞くわ。私も会うのは初めてだけど、さっき見た身体能力の高さと見た目の特徴からして恐らく間違いない」

「伝え聞くって、今は違うの?」

 俺の質問に、セレスはやや不愉快そうに続けた。

「国同士の争いが落ち着き始めると、今度はその戦闘力の高さが逆に危険視されて各地で迫害されるようになったみたいね。それで今は人目を避けて山奥でひっそりと暮らしていると聞いたことがあるけど」

 そんな種族がどうしてハンマーフェローにいるのだろうか? 俺はますます興味を抱き、未だ自身の身に何が起きたのか不思議がる彼女の脇にしゃがみ込むと、目線を合わるようにして語りかけた。

「私の名はユウキよ。こっちはセレス。あなた、名前は?」

 特に強情を張るというわけではないようだ。獣娘は素直に口を開く。

「アミーリア。でも、みんなはミアって呼ぶ」

「じゃあ、私達もそう呼んでいい?」

 私達、と自分も含められたことにセレスは不満顔を向けるが、それは無視して俺は了解を得るため訊ねた。

 獣娘改めミアは好きにすれば良いといった風に首を振る。

「じゃあ、ミア。早速訊くけど、どうしてセレスの剣を盗んだの?」

「ミア、強い奴わかる。この前、戦い見た。セレス、強い。だから武器、奪った」

 どうやら彼女は文法を操るのが苦手のようだ。独特の言い回しでそう話す。

「戦いを見たって、どこで?」

「路地。ミア、近くで寝てた」

 それは恐らくこの前の帰り道で襲われた一件だろう。

〈あの時、傍にいたってことか〉

 つまり、そこでセレスの戦闘を目撃した。

 あの戦いを見たなら、例え彼女の正体が黄金級冒険者と知らなくとも強いことは見間違えようがない。

 それにしても路地裏で寝ていたって、親や仲間はいないのだろうか?

 無関係を決め込もうとしていたセレスも気になったようで、堪え切れなかったらしく、つい口を挟む。

「あの場所で寝泊まりしているの? あなた、親は?」

「いない。ミア、一人で来た」

 家出だろうか? 見た感じは中学生に成り立てくらいに思えるが、もしかしたら彼女の種族では成年に達しているのかも知れない。

 そうだとしてもセレスが強いと何故、剣を盗む必要があったのか? 謎は深まるばかりだ。

「ミアはセレスの剣を盗ってお金に換えようとしたの?」

「違う。セレス、弱くなる。ミア、復讐のため」

〈復讐とは穏やかならざる単語が出てきたぞ。にしても話が飛躍し過ぎていてまったく要領を得ないな〉

「私に復讐しようってわけ? でも、あなたに恨まれる心当たりがないんだけど」

「違う。ミア、セレスに会うの初めて」

「あなた、一体何を──」

 まあまあ落ち着いて、と俺はセレスを宥める。とにかく急いで事態を解明しないと、セレスのイライラが募って今にも暴発しそうだ。

 とはいえ、何を訊けば手掛かりとなるだろうか? 考えた末、俺はこんな質問をぶつけてみた。

「復讐って誰に復讐するの?」

「帝国」

 そのひと言に俺とセレスは顔を見合わせ、二の句が継げなくなる。

 今までの流れから、どこをどう辿れば帝国なんて話が出てくるのか、さっぱり理解不能だ。

「帝国って、まさかウェザリス帝国のこと?」

 辛うじてセレスがそう訊ねるので精一杯だった。

 ミアが頷く。どうやら聞き間違いではなかったらしい。

「狗狼族の子がハンマーフェローで私の剣を奪って帝国に復讐するって、どういう意味?」

 セレスがわけがわからないというように俺を見る。

「私に訊かれても……」

 俺だって戸惑う気持ちは同じだ。

 結局、このまま放置してはおけないということで、魔眼が解けるのに合わせ、ひと先ずミアを連れ帰ることにした。


 一旦、店に戻って事情を説明し、このことは公にしないよう関係者に口止めしてからギリルの工房に帰った俺達は、とりあえずあり合わせの物で腹ごしらえをすることにした。

 その間は逃げても無駄だと悟ったのか、ミアは大人しく為すがままになっていた。

 だが、テーブルに置かれた夕食を前にすると余程腹が減っていたらしく、食べて良いと許可を与えた途端、もの凄い勢いで喰らい付く。

 その様子を見て、一緒に食卓に着いたギリルもドリルも目を丸くする。

「何じゃ、ずっと食べておらんかったのか? 剣はくすねるのに、食べ物は盗らんとはどういうことかの?」

「どうやらセレスの剣を盗んだのは、お金が目当てではなかったようなんです」

 ミアを連れ帰った際にざっくりした説明しかしなかったため、疑問を呈したギリルに俺はそう解説してやる。

 その脇では慌てて口一杯に詰め込んでむせるミアを見かねたセレスが、水を飲ませてやったり、取らないからゆっくりと食べろと諭したりと、甲斐甲斐しくあれこれ面倒を見ている。

 何やかんや言っても優しい姉でもある彼女とすれば妹のような存在を放っては置けないのだろう。

 そうして落ち着いたところで、ギリル達も交えて、先程の話の続きを訊く。まずは突然、会話に出て来た帝国についてだ。

「ミアはウェザリス帝国に復讐したいんだよね? それはどうして?」

 そう訊ねた俺に、彼女は暗い目をして答えた。

「帝国、みんな殺した。父も母も。ミアの村、もうない」

「えっ?」

 それを聞いた俺達は、暫し絶句する。

 途切れ途切れにミアが語ったことを要約すると、彼女達はウェザリス帝国とイスタニア連合の国境地帯に小さな集落を築いて、ひっそりと暮らしていたそうだ。

 村の生活は基本的に自給自足。狩りをして獲物を獲ったり、畑で農作物を育てたりして、極力外界との接触は避けてきたらしい。

 それが半年程前にいきなり現れた帝国兵が、村を蹂躙した。

 無論、彼らも抵抗しなかったわけではない。

 だが、かつては戦闘種族として怖れられた狗狼族も帝国の圧倒的な数と装備に太刀打ちできようはずもなく、村民は次々と殺され、家屋は残らず焼き払われた。

 父親が猟師だったミアの家が村外れにあったため、唯一、彼女だけが両親の助けで逃げ延びることができたそうだ。

 何故、村が襲われたのか、その理由は今以てミアにもわからないということだった。

「半年程前というと、帝国と連合に小競り合いがあった頃じゃな。辺境で偶発的に起きた戦闘らしいが、あの時は確か帝国側に大きな損害が出たんじゃなかったか」

「ああ、そうだ。それで帝国の動きを連合に伝えた内通者が付近にいるんじゃないかと、一時噂になっていたな」

 ギリルとドリルがそんな会話をする。

「じゃあ、もしかしてミアの村は……」

 俺の推測にギリルが頷いて、言った。

「恐らく、内通を疑われたんじゃろ。いや、仮にそうじゃなかったとしても将来的にその可能性があるというだけで、帝国にとっては排除するのに充分な理由だったに違いない」

「そんな酷い」

 セレスが信じられないことを聞いたかのように呟く。

「確かに酷いことじゃ。だが、その帝国に武器を卸しておるワシらにそれを非難する資格はないわい。帝国がこの娘の敵というならワシらも同罪じゃ」

「待ってくれ。アニキの言い方は一方的過ぎるぞ。俺達は国同士が争いを起こさないように、バランスを取って武具や防具を供給しているんじゃないか。戦争をさせるためじゃない」

 ギリルの言葉にドリルがそう言って反論する。

「同じことよ。少なくともこの娘にとってはな。ワシらが造っておるのはどう言い繕っても人殺しの道具に他ならん。それ以外に使い道は無かろう」

「しかし──」

 ちょっと待って、と俺は過熱しそうな二人の会話に割って入る。彼らがしているのは重要な案件には違いないが、今はそれを議論している時ではない。

「二人共、本題を忘れないで。まだ、ミアの話は済んでない。ミアが帝国に復讐したい理由はわかった。でも、それとセレスの剣を盗んだことと、どう関係があるの?」

 俺は改めてミアに訊ねた。少し考えて、彼女は言った。

「セレス、困る。この街、滅ぶ。戦争起きる」

「戦争が起きる……?」

 独り言のように洩らした俺の呟きに、ミアは頷いた。

「私が剣を失くして困ると、ハンマーフェローが滅んで戦争が起こるってこと?」

 セレスが確認すると、またしてもミアが首肯する。

「どういうことかしら?」

「一つずつ確かめよう。ミアはセレスが強いって知ったから、弱くしようと剣を盗んだ。それは合ってる?」

 ミアの答えはイエス。

「セレスを弱くすると、どうしてこの街が滅ぶと思うの?」

「そう聞いた」

「セレスが弱いとハンマーフェローが滅ぶって?」

 今度の答えはノー。

「違う。もうすぐこの街、襲われる。その時、セレスがいない方がいいと思った」

〈ハンマーフォローを襲う? 一体、誰が?〉

 俺は胸中に湧き上がる疑問を押し留めて、慎重に会話を続ける。

「……つまり、ミアはハンマーフォローが襲われるからセレスが邪魔だと思ったのね? 彼女がいたら街を護るから?」

 そうだ、とミアは告げた。要するにセレスから剣を奪ったのは、街の護り手を減らしたかったためらしい。

 それがどれほどの影響があるのかは彼女にとって重要ではなかったのだろう。

 実際、黄金級冒険者が護りに加わるか加わらないかは、直接的な戦闘力云々というより精神的な支えの面で大きかったように思う。

 そこまで考えていたわけではなかろうが、期せずしてミアがやろうとしていたことは、この街の防衛力を大いに削ぐ結果になっていたかも知れない。

 そうなることは防げた。

 だったら残す問題は、本当にハンマーフェローが襲われるのかという一点のみだ。

「ミア、ハンマーフェローを襲うっていう話、誰から聞いたの?」

 俺はやっとのことで核心に迫る質問を口にした。だが、その答えは期待していたものとは違っていた。

「知らない。ミア、路地で寝てた。通りがかりの人、一人で話してた」

「独り言ってこと?」

「違う。誰かと。でも他に人いなかった」

〈一人なのに誰かと話していたとは、どういうことだろう? この世界にスマホのような通話技術があるとは聞いたことないが……〉

 ひと先ずその疑問は棚上げして、肝心なことを訊ねる。

「何て言っていたのか、なるべく詳しく教えてくれる?」

「あと少しでこの街、消える。そうしたら戦争が起きて、帝国でも大勢、人が死ぬ。そう言ってた。ミア、それが望み。そのためなら死んでもいい」

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