混迷

 橙色の光が部屋全体を輝かせていた。僕達は辺りを見渡す。そこはコンクリートの壁で囲まれた部屋で、机が辺り一面無造作に置かれている。その上には律儀に設置された研究機器、またある所にはフラスコ、注射器が置いてあった。しかしそれ以外は何もない。


 そして僕達は目線を中央に向ける。そこには注射器を持ったケンド。その横にまるで護衛のように立つカール。それに木の椅子に座っている見慣れない男の姿があった。男は30代位で顔は少し丸まっており、くせ毛のある茶色ががった髪。よれよれの黒い上着に、擦れが至る所にあるデニムのジーンズをはいていた。


「やぁ、来たね。みんな。」ケンドは僕達を、その嘲笑を含んだ目で見つめる。「ケンド…。その注射器。」ホウジョウは注射器に見覚えがある口で喋った。「活性剤だよ。まだ一つしか出来ていないが…。」ケンドは嬉しい半ば残念そうな態度を見せた。


「それよりも早く打ってくださいよ。」男は注射器を撃たないケンドに対し、駄々をこねた。「おっと、すまない。それじゃ、カール、彼らの相手を。」ケンドは顔を男の方へ向け、注射器を彼の上腕部分に打ち込もうとする。


「駄目だ。それを打っては。」僕は止めようと、その男に注意を促す。しかしその時、風が僕の頬をかすめた。血が流れる。「今は俺との闘いだ。」そう言いながら、カールがナイフを持って迫る。


「マサヤ君!」ケイは近くの机の上にあった、フラスコ便を手に取る。それをカール目掛け思いっきり投げた。そして掌を広げ、フラスコ便が割れる。しかしもうその手は通じないという風に、カールは風を全面に巻き上げた。そして破片があちらこちらへ飛んで行く。


「今だ。タクオ。」後ろ側でホウジョウの声が聞こえた。と、同時にタクオと共に走り出す。向かう先はケンドの立つ所。活性剤注入を防ぐためだ。だがカールはそれを阻止しようとする。風を巻き起こす。しかし僕はその最中、彼の懐に拳を一撃かました。


 カールは体勢が崩れる。僕はそのまま押し倒す勢いで、彼に突撃した。そして共に倒れこむ。「勢いだけで。」カールは悔しさをあらわにする。「今だ。進んで。」「ありがとう、マサヤ君。」「マサヤ君。無駄にはしない。」ホウジョウ達は礼を言いながら、ケンドの元へつっ走る。そしてホウジョウ達は、手を伸ばせば付く位の距離まで迫った。しかし遅かった。ケンドはもう男の上腕部分から針を抜きかける最中だった。


 ホウジョウとタクオは早ければと、後悔の念を抱く。しかし最後に一発ケンドにかまそうと、ホウジョウは拳握りしめる。そしてケンドの顔目掛け、殴りこんだ。ケンドは動かない。そしてホウジョウの拳は、右側から突如出てきた掌によって防がれた。それはアイザワの物だった。


 ホウジョウは茫然とする。アイザワはニヤリと笑う。彼の手を思いっきり握りしめた。それは骨が砕け散る位に。ホウジョウは苦しむ。その時、アイザワは彼の拳を離す。だがその後、彼の顎に一撃を加えた。ホウジョウは顎を抑え、倒れこんだ。「ホウジョウさん。」タクオはホウジョウの傍に近寄る。そして彼を担ぎ、そそくさにその場から離れた。


「さすがは活性剤の力。アイザワ、準備運動は終わった。今度はあそこにいるマサヤにケイだ。」ケンドは彼の右肩に乗せ、耳元で呟く。アイザワは目を尖らせこちらをじっと見つめる。まるで獲物を見つめる虎の如く。


「マサヤ君。こちらは任せてください。」ケイはそう言いながら、フラスコを手に取る。「分かった。」僕はカールを必死こいて押さえつけながら、返事をする。しかしカールは抵抗する。僕は限界だった。そして遂にカールは押し切り、解放された。僕は反動で後ろに飛ばされる。


「はぁ、やっとだ。」カールは余裕げに背伸びをする。僕は左手首を振った。「それじゃ、続きを始めよう。」カールは風を巻き起こし、ナイフを手に取る。僕も拳を構える。すると後ろの方ではフラスコが割れる音がした。それがゴングの響だった。


カールは風と共に舞いながら、僕に迫る。僕もカールが迫る勢いで、彼に向かった。両者は共にぶつかろう時が来た。が、それは儚い夢だった。突如、アイザワは飛び上がって、こちらへ向かってきた。「アイザワがそっちへ。」とケイは叫ぶ。


 僕達はまるで磁石の如く反発するように、後ろへ引き下がった。その直後、アイザワは握りしめた拳をコンクリートの床へ思いっ切り叩きつけた。その時地面が円を描くように抉れた。まるで重量のある鉄球が落ちたかのように。


 僕とカール、そしてケイはその光景に口をポカンと開けた。「これが活性剤の力…。」ケイはは声を裏返させながら喋る。僕とカールは間近でそれを体験し、言葉が出なかった。アイザワはまるで蒸気機関車のように鼻から煙を出す。


 するとケンドが、この時を待っていたかのように突然手を叩く。「素晴らしい。まさにこれが活性剤の力…。素晴らしいだろう、ケイ君。」ケンドの落ち着いた声が響き渡る。「素晴らしい…。まさか?」ケイは嘲笑する。


「まぁ、いい。それで、君に話があるのだが…。」ケンドは両手を組み、人差し指同士を合わせる。「話?こんな状況で何を。」ケイは理解できずにいた。皆はただ黙って彼らを見つめる。


「こんな状況だからこそ、話がいがあるんじゃないか。それじゃまず唐突だが、初めにケイ君の恋人についてだが、えっと…。」ケンドはわざとらしく、ミサキの名前を思い出そうとした。ケイは彼のその態度を見て、顔が赤くなった。「ミサキだ!」と、突然部屋全体に響き渡るくらいの怒声を上げた。残響が数秒続く。そして壁の中へ消えていった。


「まぁまぁ、落ち着いてくれ。今日は君の恋人を殺した犯人について話すんだから。そんな興奮していると耳に入らくなる。」ケンドは両手を組み、親指同士を合わせながら話す。「犯人!それはお前のことだろ。そう聞いている。」ケイは彼の胡散臭い話に疑いの目を持つ。それと同時に親指を内側に曲げた。


僕とホウジョウ、タクオはその時はっとした。ケンドは言うつもりだ。「そんなわけがないだろう。」ホウジョウは顎を抑え、冷や汗をかきながら叫ぶ。「ケンドに騙されてはいけません!」タクオは最初大声で叫ぶ。しかし自信がなかったのか徐々に低くなっていった。僕は叫べなかった。本当に叫んでいいのか疑問に思った。


「ホウジョウ達、慌てているな。まぁ、いい。それで犯人なんだが…。」ケンドは悩みこむ態度を見せながら、言い渋る。「早く、言え!」ケイは、ケンドの態度に憤激し、また怒鳴った。


「分かった。分かった。それじゃ、言おう。それはそこに跪き、必死に言い訳を述べるホウジョウとタクオだ。」ケンドは彼らに指を指す。その後、ケンドは足を弾ませ、近くに置いている机に向かう。


「それに証拠を持っている。」そこから一冊のファイルを手に取る。とても厚かった。それくらい重要な物なのだろう。


「このファイルの名前は超能力置換法についてと書いてある。」ケンドは表面に書かれてある名前を読み上げる。


「能力置換法…。まさか!」僕はピンときた。連れ去られたあの時に聞いたことだ。そうなると洗いざらいに書いているはず。一方カールは左目にしわを寄せる。何かやましいことでもあるかのような面持ちで。


「やめろ!やめるんだ!」ホウジョウは叫びながら、額に冷や汗を流す。まるで土砂降りの雨に当たられた時のように。タクオは目を大きく広げ、口がぴくぴくと動く。言葉が詰まっている様子だった。「能力置換法…?何だそれは。」ケイは聞いたことのない名前に首を傾げる。それはアイザワも同じだった。


 ケンドは僕達の反応を見て、ニヤリと笑う。それはファイルを開けながら。「それでは知らない者達に説明しよう。まずこれは二人の超能力者を一人の能力者に移す方法だ。これを考案したのは君の親しむミカイド博士。そして極秘にこの方法を試したのも彼だ。」「だから何だ。」ケイは喉に何か詰まらせたような、唸り声を発す。


「まぁ、率直に言えば君の恋人ミサキはこの実験のモルモットにされたんだ。そしてマサルも同様にモルモットにされた。とても悲惨だった。悲鳴も上げた。しかし博士はそれでも続けた。私は止めた。しかし主導者は彼だったからと照れなかった。」ケンドは一旦そこで口を閉じる。「なんだって…。」ケイは動揺する。それから一言付け加えるように、こう話した。


「そして今君の恋人は近くにいるマサヤ君が持っている。」ケンドは人差し指を僕に向ける。ケイは黙ったまま、僕に振り向く。その時彼の顔は、両目はあちらこちらに移動させ、満月のように口を丸く開けていた。現実に追いついていなかった。


僕はただ黙り込む。そのときケンドが話し出す。「でも君は薄々気づいているだろう。マサヤ君がその能力を使った時から。」ケイはより僕の顔を見つめる。


「…。そうだ。彼の話は本当だ。僕も連れ去られた時に聞いた。その時僕も困惑した。」僕は彼の顔を見つめ、坦々と話した。ホウジョウはその時、顔を俯かせていた。


 ケンドは、僕達の様子を俯瞰するように見つめる。まるでそれが趣味だと言わんばかりに。「動揺する気持ちも分かる。あぁ、分かるさ。勝手に恋人を実験材料に使われ、その上、君にも嘘の情報を聞かされていたんだから。それはカールも一緒さ。だからその気持ちを胸に、博士を殺した。」とケンドは辺りを歩きまわりながら話す。その話を聞いたカールは、暗い面相を現していた。


「本当なんですか?ホウジョウさん、タクオさん。」ケイは悲痛な顔を彼らに向ける。「…。確かにそうだ。ケンドの言う通り、ミカイド博士、私、タクオは能力置換法の手術に参加した。そしてマサヤ君を改造し、二人の命を奪った。しかし博士が主導者なのと、抗議するケンドの話は全くでたらめだ…。」ホウジョウは念仏を唱えるお坊さんの如く、坦々と話す。


「そうです。これを主導したのはケンド。そしてマサヤ君を選んだのも、ミサキ、マサルを選んだのもケンドです。そして私達に安全な実験だと豪語したのもケンドです。」タクオは、ホウジョウの説明に補足を付け加えるよう説明した。


「それは本当なのか!」カールは暗い顔から一変、顎が外れたかのように口を開ける。その驚愕した顔をケンドに向けた。ケイもケンドの方へ顔を向ける。しかしそこには悲痛と虚無しか映らない顔があった。


 ケンドは皆の注目を集める中、それでも自信満々な様子だった。「まさか…。だったらこのファイルを見るがいい。ここに真相が書いてある。」と、ケンドは手に持つファイルをカールの元へ投げつける。


カールはそれを拾い上げる。息を呑む。そしてページをめくる。すると半頁まで来た辺りで、突然手を止める。「本当だな…。」その時、カールはファイルを投げる。もうこれ以上は見なくても良いと風に。それがケイの近くへ落ちる。


ケイはそれを拾い中身を見る。僕も近くに行き、ファイルを覗き込む。ホウジョウ達も急いで僕の元へ向い、ファイルの中身を覗き込んだ。


 そこに書いてある物は能力置換法の理論、その応用、実施内容などが詳細に書いてあった。そこに僕の名前、ミサキの名前、マサルの名前が書いてある。しかしケンドの名前は何処にもない。ケイは手を震わせながら、一ページ捲っていく。僕は息を呑む。しかしホウジョウとタクオはこのファイルに何回も目を通しているのか、百六十ページ目にある資料にピンときた様子だった。


「ちょっと待て。」ホウジョウは震えるケイの手を止める。「これは…。」タクオはまじまじとその資料を見つめる。僕はちらりとその資料を見る。そこにあったのは、人体実験の恐らく許可証か何かの様だった。そこの上の欄にミカイド博士、ホウジョウ、タクオの名前が載っていた。しかしケンドの名前はない。


「ケンドお前、書き換えたな。これは偽造書だ。元はここにケンドの名前が書いてあった。それを博士の名前に変えた。よく見ろ、書体が他の資料と違う。」ホウジョウはそれをファイルから抜き、皆に見せびらかす。皆は資料を見る。


確かに、他の資料と違い妙に太い。しかしそれは少し違う程度。普通であれば見落としてしまうほどだ。「ホウジョウ、タクオ、お前も地に落ちたな。博士をかばいたい余りに嘘を吐く。ただ単にミスだろう。こういう事は何処でも起きる。」ケンドは余裕綽々に話す。


「僕は…。どうすれば。」ケイは両目から涙をこぼし、頬を伝る。僕はどっちが本当の事を言っているのかと困惑した。それは頭がパンクしそうなくらい。その一方、一人置いて行かれたアイザワは口を噤んでいた。


「それではケイ君、今から君に聞こう。どうだ、共に仲間となり、ホウジョウ達を倒そう。彼等は君の恋人を奪ったんだ。だから共に…。」ケンドはケイに提案を申し付けた。「仲間…。本当にいいのか?」カールはケンドのその提案に疑いの念を抱く。


ケイはただ黙り込む。悩む顔がうかがえた。僕は彼のその悲痛な様子の、心を痛めた。


「…。やはりそうすぐには決められないか…。それじゃ、ケイ君。君はそこで考えておきたまえ。また後で聞こう。さてその次は…。」するとケンドは、ぎょっとした目つきで僕を睨みつけた。僕は恐怖心を全身に感じ、後ずさった。


「君には死んでもらう。余りに突然だが…。もはや君は殺されなければならない。私にたてつくのだから。」ケンドは親指と人差し指をこすり合わせる。そしてマッチ棒に火が付くかの如く、パチンという音が鳴った。「アイザワ、待たせて悪い。やってもらう。」と無慈悲にケンドは告げた。


「分かった。」アイザワは、やっと動けるのかと上半身を動かす。骨が至る所で鳴り響いた。そしてその後、素早く僕に襲い掛かってきた。まるで獲物を追いかけるチーターのように。風を引き裂く音が聞こえる。僕は避けようと右へ動く。しかし遅かった。僕は彼の硬く握りしめた拳が、腹を貫通するかの如く直撃した。


「うぐっ!」僕は今までに出したこのないような唸り声を上げる。そのまま近くにある机に背中から激突した。それは背骨が砕ける勢いだった。僕はその場に倒れこむ。腹と背中が痛み、呼吸が乱れる。


「マサヤ君。」タクオは僕の傍にすぐさま近寄る。ホウジョウもタクオに着いて行った。ケイは床をただ見つめ、気づいていない様子だった。「ふぅぅ。」アイザワは白い歯を見せ、その合間から空気をもれさせる。まるで蒸気機関のように。


「タクオさん。ホウジョウさん。離れていてください。」「しかし…。」とホウジョウは慌てふためく。


「ははは、素晴らしい。活性剤の効果は。それではやっておしまい。」ケンドは無様に倒れる僕を嘲笑いながら、アイザワに命令する。彼はただこくりと頷く。それからゆっくりと僕の方へ向かって行った。鈍い足音を立てながら。僕は何とか立ち上がろうと努力する。だが立ち上がれない。もう少し時間が必要だ。しかしアイザワは着実に向かっている。後数分でついてしまう。


その時、ホウジョウとタクオは僕の目の前に立つ。まるで自らが盾となるかのように。「マサヤ君に手を出すな。」「そうです。もし近づこう物なら全力で食い止めます。」彼らはきっぱりとそう宣言する。


「無駄な!」アイザワは彼らを見下しながら、力一杯彼らを投げ飛ばした。しかし投げ飛ばされてもまた這いつくばって足止めする。そのおかげで僕は時間を稼ぐことができ、何とか起き上がることが出来た。だが彼らは崩れ去るように、倒れこんでしまった。


「愚かな奴らめ、罪滅ぼしのつもりか。」ケンドは呆れた様子で、彼らを見下した。「確かにそうかもな。でも、頑張ってくれた。ありがとう。」僕は一言そう呟く。ゆっくりと立ち上がりながら。「ほう、そうか。やれ。」ケンドは気に食わない様子で、アイザワに命令を下す。


「今度こそ。」アイザワはまるで鬼の形相の如く睨みつける。僕も彼の顔を直視した。腹と背中がずきずきと痛む。しかし何とか持ちこたえる。


「もはや僕は限界が近づいて来ている。この一発で決めなければ。」心の中で僕はそう思う。拳を強く握りしめる。相手も拳を握りしめる。辺りがしんと静まり返った。その時、沈黙を切り裂くかのようにアイザワが前に出た。僕は構える。


そして手を伸ばせば届くくらいの距離で、アイザワは思いっきりアッパーをかました。僕は目を大きく広げる。その後、拳が当たる直前、右へ思いっ切り体を動かせる。何とか避けれた。しかしすべて避けきることはできなかった。左腹が擦れたように熱かった。


アイザワは黙ったまま首を四十五度回転させ、こちらを見つめる。まるで機械のように。僕は彼の猪突猛進ぶりに恐れながらも、体勢を立て直す。アイザワは闘牛のように唸る。そして僕を赤いマントに見立てるように、そのまままっすぐ突っ込んできた。


だが僕はさっきのように避けようとはせず、立ち止る。一瞬の隙を狙う。突撃する直前に彼の腹に一撃入れる。僕は頭の中でイメージした。その合間、精神を研ぎ澄まし左拳に力を入れた。後数歩で、アイザワは着く。両目の焦点を彼に合わせる。


そして遂に、アイザワは腕を伸ばせば付く辺りの距離まで迫った。僕は姿勢を低くする。それから力一杯握りしめた拳を、彼の腹に向かって勢いよく入れた。当たった。僕は拳の先で生暖かい感触を感じた。


「うげっ。」アイザワは今まで上げた事のないような、呻き声を辺り全体に響き渡らせる。そのまま彼は、勢いよく倒れこんでしまった。まるで直撃を喰らったボクサー選手のように。


「はぁ、はぁ。」僕は激しく両肩を上下させながら、荒い吐息を吐き続ける。ホウジョウ達は圧巻とした光景にただ黙り込む。ケイはその一部始終を見ていたのか、顔を上げていた。ケンドは唖然とする気持ちと、冷静さを取り戻そうとする気持ちが拮抗し、顔に動揺の文字が浮かんでいた。


「はぁ、やはり君は私に多大な深を掛ける。やはり殺さなくては。そのためも…。」ケンドは変に裏返った声を発しながら、アイザワの傍に近寄る。そして彼をただ黙って見下していた。まるで失望したという風に。


「うぅ、うぅ。」アイザワは殴られた腹を両手で抑えながら、亡霊のように唸り続けていた。するとケンドは急にしゃがみこみ、倒れこんだ彼の頭を優しく撫でた。さっきの様子とは大違いだった。別人に変わったように。


「アイザワ君。まだまだ君はうっかり屋さんだな。カール、アイザワを連れて行け。」ケンドはため息をつきながら、カールに指示をだす。「分かった。」カールは不機嫌そうな態度で頷き、アイザワを抱きかかえる。


 するとその時ドアが開く。大きな音を立てながら。そこから何かが投げ込まれた。それは勢いよく。皆は注目した。そして大きな音を立てて、カールの近くに落下した。それはマヤだった。


「マヤ!」カールは余りに衝撃的な光景に、女性のような高い声を出す。それからその場でしゃがみこみ、マヤの様子を見た。彼女は額から血を流し、それが汗と混じって垂れていた。


「はぁ、やったわ。」突然声が後ろから聞こえた。その声はカヤの声だった。「カヤ。」僕はまた扉の方へ振り向く。そこには服の袖が破け、左腕から血を流し右手で抑えながらふらふらと歩いているカヤの姿があった。


「大丈夫か!」僕は彼女の悲惨な姿を一目見て、すぐさま近づく。「カヤ!」ケイは驚嘆した声を出し、そのまま彼女に向かった。その時の彼は非常に熱がこもっていた。ホウジョウ達も向かって行く。


「大丈夫、じゃないけれど。でもマヤを何とか倒すことはできたわ。」カヤはもう限界と感じたのか、その場で力が抜けるように座り込む。僕達は急ぐ。そして彼女の周りを取り囲んだ。


「よくやった、カヤ。」ホウジョウはカヤの肩を優しく叩く。「そうですよ。よくやりました。」タクオは彼女を褒めたたえた。


「そう。それは嬉しいわ…。」カヤはかすれた声を出しながら、瞼をゆっくりと閉じた。そのまま彼女は倒れこんだ。しかし倒れこんだのは床ではなく、ホウジョウの太ももだった。「カヤ、ゆっくりと眠っていてくれ。」僕は眠る彼女の顔を見る。その直後、ケンド達がいる方向を見つめる。


 そこにはケンドが見下ろし、カールがアイザワを抱えながら、必死にマヤに呼びかけている様子だった。「おい、マヤ。マヤ。」その叫び声は悲痛そのものだった。「ケンド今すぐ連れて行くぞ。」カールは顔を上げ、ケンドを見上げる。その時目から一粒の雫をこぼした。「そうか、そうだな。分かったよ。それじゃ行こう。だがその前に…。」ケンドは彼の様子を見て、涙を流す。しかしそれは本気で悲しんでいるようには見えない。少なくとも僕には。


 ケンドは目から出た涙を手で拭いながら、ゆっくりとこちらへ振り向く。「ケイ君。さっきの話をよく覚えておいてくれ。それじゃ、三日後また合おう。場所は思い出の地、雑木林の研究所で。それは絶対だ。もし来なければ、活性剤を町中にばら撒く。もう量産は出来ている。」ケンドはそう言い残した後、周りにつむじ風が巻き起こる。ケンド達はその中に消えていった。風は数秒続き、その後止んだ。そこには何も残っていなかった。


ケイは顔をしかめ、考え込んだ。カヤは眠り姫のように、ぐっすりと眠る。ホウジョウとタクオは何も言わなかった。僕も何を言葉にしていいか分からなかった。


「行こう。もうここには用は無い。」ホウジョウは一言呟く。まるで念仏を唱えるように。僕達は頷いた。そしてこの場から後にした。

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