第3話 Fukushima Prefecture and Those born from ashes~福島県、そして、遺灰から生まれし者~
さて、群馬県を中心に新潟県と宮城県は動いていたが、本題の群馬ー福島戦争はどうだったかというと、群馬県と福島県の県境である利根市ー南会津市の境で福島県は、塹壕を引いて塹壕戦を展開した
これに、群馬県は、県境の狭さ故に、群馬県の装備などが十分に行き届くだけの補給線をなかなか確保できないこともあり、突破は困難かと思われたが、群馬県空軍により制空権を完全に掌握し、塹壕内の敵は、爆撃から逃れるためにわざわざ塹壕から這い出て、そこを群馬県に狙い撃ちされるという徹底的な作戦により一度突破されると各地で包囲殲滅をされながら、着実に師団数や備蓄をすり減らしていくのであった
そして、福島県が、あまり会津地方の方に航空基地を建てていないこともあり、会津地方を制圧し白河市・郡山市・福島市の攻略に挑もうとすると、今度は、敵の制空権が優勢になってしまい進撃速度は減ってしまったが、やはり、師団数の差を埋めるだけの戦力ではなく、福島県側の戦線の隙間を縫って丁寧に包囲殲滅をしていくと、降伏するころには10師団ほどの軍しか残っていなかった
そうして、1940年の6月8日の夕方、福島県の内堀知事は福島県南相馬市原町区深野荒戸沢にある新田川温泉はらまちユッサで何故か、一太に誘われ二人きりで温泉に入っていた
内堀「なんで、降伏したのに私は、貴方と温泉に浸かってるんでしょう?」
一太「いえ、最後の晩餐ならぬ最後の入浴に御供しようかと思いまして」
内堀「そうですね
私が知事でいられるのも、あと数時間でしょうから…」
一太「あ、まぁ
確かに、知事ではなくなりますね」
内堀「と、言いますと?」
一太は、これには答えずに
「では、私は失礼しますね
長風呂はしない
あ、そうそう是非是非、最期の言葉は考えといたほうがいいですよ」
と出て行ってしまった
一人取り残された内堀は、知事の職を失う時の言葉を考えていて、一太の発言の本当の意味を考えようとはしなかった
そして、温泉から出て浴衣になってはらまちユッサの入り口に立つと、先に出ていたスーツ姿の一太が、
「辞世の句は決まりましたか?」
と、聞くと、内堀は、
「知事として、このような結果になって申し訳なかったです
本当にお詫び申し上げる」
と頭を下げた
その内堀に向かって、一太は、
「知事、この世の辞世の句は終わりましたか?」
と、聞き
「え?」
と、驚いて顔を上げた知事の眉間の中心をにとりが素早くリボルバーで打ち抜いた
内堀にとって、不幸中の幸いだったのは、自分が死ぬことを最後まで分からなかったことにあるのかもしれない
そして、GK長官の大澤が内堀の眉間から出た血液を内堀の指につけ、講和条約の決まりごとが書かれた紙の内堀のサイン欄に押し付けて血判とした
そして、後に、南相馬条約と名付けられた条約では、福島県は全土割譲という非常に簡潔で、それでいて、無慈悲な内容が書かれていた
そして、南相馬市から群馬県庁に帰る車の中で、一太と大澤GK長官は話し合っていた
一太「今回の死傷者は、どんな感じだったんだい?」
大澤「群馬県は19950人で、福島県は88980人であり、キルレシオは、4.46015038です」
一太「キルレは、十分だが犠牲者は1万5000人は切りたかったな」
大澤「すみませんでした
軍幹部達に、言っておきます」
その二人の会話を聞いていたにとりは、車窓を眺めながら一人溜息をついた
南相馬条約は、色々なところに波及していった…
その一つとして、ある日、栃木県那須烏山市中央の島崎酒造の酒蔵で、男達が酒を飲んでいた
「では、然るべき時に動くことにします」
「頼みましたよ」
そして、然るべきは以外と早くやってきたらしく、南会津市・会津若松市・喜多方市の3都市で、松平勇雄を君主として会津県が誕生した
そして、それに連動するかのように翌日、栃木県で小此木真三郎によるファシスト政権が建てられ、手始めのように北関東平和同盟から脱退した
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