第11話


「フィロメラ!」

「わ、ワァ……バットタイミング……」

 突然現れ、私の名前を呼んだ黄金色の髪の青年グランを警戒するアンドロメダ達に「私の使い魔ファミリアだから安心して」と伝える。それにキースリングが「使い魔ファミリア!?」と素っ頓狂な声を上げた。

 なんだ、文句でもあるのか。とキースリングに視線を移そうとして、濡れた感触にア、と口から声が漏れる。慌てて血で汚れた体操着を隠そうとするが、離れた距離でも匂いでわかったのか彼の顔は険しくて。

 ──彼から溢れ出る魔力で空気が震え、大地が悲鳴を上げた。

 ビリビリと肌が刺激され、ゾッと鳥肌が立ち、重苦しい威圧感に息が詰まる。形になった魔力に首を絞められてるみたいな感覚。

 慣れてる自分でもこんなに苦しいんだから慣れてないアンドロメダ達はキツいのでは、と思って確かめるように見れば案の定。

 アンドロメダは地面に座り込み、気絶寸前の状態。ヨシュアは立ってるものの、気持ち悪いのか右手で口を抑えてる。キースリングは死んだ人間と同じような顔色で体を震わせ、唯一平気そうなディランは不快そうに眉に皺を寄せていた。

「フィロメラ」

 凪いだ海のように静かな声に名前を呼ばれ、意識をグランに向ける。

 険しい表情カオをしていたはずなのに、今は普段と変わらない表情カオをしていて、それが少しだけ怖く感じた。

 彼の指先が慎重に、だけど、慈しむように血で汚れた首筋に触れる。

「……エリゴスか」

「ア、触って判るものなんだ。あのね、これは対価だから気にしないで。……そう言っても、気にしちゃうよね」

 眉を下げて笑えば美しい顔が歪む。何故。と言及する視線から逃げるように俯いた。

「俺があなたの傍に居ないから血を要求したのか」

「ちがうよ、私のほうから提案したの。エリゴスは私の血を対価として求めることが多いから、彼女が提示した量だと貧血になると思って、……あの、ごめんなさい」

 沈黙が重たい。おそるおそる顔を上げると、憤怒の顔。怒りの形相、とまではいかないけれど、冷ややかな怒気が肌を刺激する。魔力がまた噴き上がり、後ろからドサッという音。

「……怒ってる?」

「あなたには怒っているように見えるか」

 声はやっぱり静かだった。

 グランは私に声を荒らげたことも、怒りをぶつけたこともない。一度もないのだ。それゆえ、対処の仕方が解らない。どうしたらいいんだろう。不安から動悸が激しくなる。

 ふと感じた気配に視線をやる。近付いてくる気配は知ってるものだ。

「ソロモン」

「……マルコシアス? ウェパル?」

 現れたのは序列35番目の悪魔・マルコシアスと序列42番目の悪魔・ウェパル。

 マルコシアスは30の悪霊の軍団を率いる侯爵。グリフォンの翼と蛇の尾を持った黒い狼の姿をしていて、人間の姿にもなることができるが、今は狼の姿だ。

 ウェパルは地獄の29の軍団を率いる公爵。美しい水色の長髪にアリスブルーの瞳の人魚マーメイド。絵本に出てくるような人魚の彼女は、陸のためか人の姿となってる。

 二人の登場にグランの魔力が抑えられた。

 どうしてここに。と、ふたりを見る。硬い表情のマルコシアスと、アリスブルーの瞳からほろほろ涙を流すウェパル。ぎょっと目を見開く。

「えっ、な、なんで泣くの? ウェパル?」

「あぁ、愛しき我が王よ……! どうか、どうか、わたくしをお嫌いにならないで……!

あなたに嫌われるなんて、わたくし、ああ、とても耐えられないっ……!」

「ええ〜……?」

 地面に座り込み、幼い子供のようにウェパルはわんわんと泣き出してしまった。

 グランの魔力のせいでディラン以外の人間はグロッキー、グランとマルコシアスは睨み合っていて頼りにならない。どうしろって言うのだ。

 あー、うー、と意味の無い呻き声を上げること数秒。ひとまず、アンドロメダ達を移動させよう。グロッキーなアンドロメダ達を放ってウェパルとマルコシアスの話に集中するほど良心は捨てていない。

 魔力量はギリギリ喚び出せるかどうか。指輪に魔力を集中させ、詠唱をして心から彼を求める。

「おいで、セーレ」

 足元に薄紫色の魔法陣。体に刻まれた印章が魔法陣と同じ色を強く放つ。眩しい光が収まると、目を瞑った金髪の美男子が現れた。

 目蓋が開き、視線が交じる。タレ目のエメラルドが嬉しそうに弧を描いた。

「お喚びかな? 我が王よ」

 彼は26の軍団を支配する序列70番目の悪魔・セーレ。東の王・アマイモンの配下。

 セーレの能力は移動したり、ものを瞬きの間に世界中のどこにでも運ぶこと。

 そして、盗まれたものや隠された宝物、あらゆる物事に関して真摯に語る、悪魔にしては優しい性質で召喚者の願いを叶えてくれるのだ。

 72柱の中で片手で数えられる良心的な悪魔の一柱でもある。

「応えてくれてありがとう。アンドロメダ達友達を安全な場所に運んでほしいの」

 グランの溢れ出た魔力で先生達も異変に気付いたはずだ。一部の生徒も気付いただろう。

 なんせ魔術学院に通う生徒は私以外優秀なのだから。

「ああ、良いとも。それが君の願いであるのならば私はそれを叶えるだけさ」

「対価はどうする?」

「そうだね……、彼が赦してくれるのであれば透き通るように美しい君の可憐な肌に触れても?」

 私は構わない。……だけど。窺うように彼の顔を見る。

「決めるのはあなただ、フィロメラ。俺はあなたの決定に従う」

 全く気にしていない。という風な顔のグランに苦笑を漏らし、あとで彼にお礼を言おうと決める。

「セーレがその対価で良いのなら」

 エメラルドがあまく細められ、柔らかな笑みが浮かぶ。瞬きの間にセーレとアンドロメダ達の姿が見えなくなる。……これで漸く話に集中できる。

「……ねぇ、ウェパル、泣かないで話してくれないかな? 私に嫌われるかもしれないと思っていながら、どうしてこんなことをしたの?」

 ウェパルはすすり泣いて、うわ言のように「どうか嫌わないで」と呟くだけ。話してくれる気配はない。

 どうしたものかと困ってると、マルコシアスが前に出てくる。背中に私を隠そうとするグランの袖を掴み、大丈夫だからと首を横に振る。

「ソロモン、我から話そう」

 話してくれるならどちらでも構わない。マルコシアスは息を吐き、話し始める。

「言い訳にしか聴こえないだろうが、あの小僧を殺す気はなかった。ただそう、半殺し程度に痛めつけて二度とぬしに手出し出来ぬようしたかっただけなのだ。……ヘルハウンドとケルピーの件はすまない、主を巻き込むつもりはなかったというのに」

「ヘルハウンドとケルピーはやっぱり、マルコシアスとウェパルが?」

 こくん、とマルコシアスは頷いた。

「ああ、我らが召喚した。そこの悪魔に邪魔をされ、一刻も早くあの小僧を消……、恐怖を与えなければと」

 お前らやっぱりキースリングのこと殺すつもりだったな。

 という言葉は飲み込んで、話の続きを促す。

「どうして、キースリングを狙ったの?」

「どうして? あの小僧は首謀者なのであろう? 人間風情がソロモンに危害を加えるなど、到底赦されるものではない。だというのに、そこの悪魔は何もせず見過ごしているというではないか! 我らが望んでやまない個人との契約をしていながら、ソロモンを害する者を見過ごすなど」

「──マルコシアス」

 熱くなってきてるマルコシアスには悪いが言葉を遮らせてもらった。

「私はお前らにその話をした覚えはないよ」

 72柱でそのことを知ってるのは極一部だけ。グランでも生徒に危害を加えようとしたことがあるのに、ソロモンに大きすぎる感情を向けてる彼ら彼女らがそのことを知れば生徒に手を出すことは目に見えていたので黙っていた。

 それなのに、何故知ってるのだろう。

「お前らにその話をしたのは誰?」

 言葉を詰まらせ、目を逸らす彼に一歩歩み寄る。背後から咎めるように私を呼ぶグランに「大丈夫」と返し、魔力を声に乗せて彼の名前を呼び「あのね」と笑った。

「これはお願いじゃなくて命令だよ? 誰がその話をしたのか言え」

「……、ボティスだ」

 告げられた名前に、額に手を当てて天を仰いだ。ウェパルの気遣う声が遠く聞こえる。

 そっか、そっかー、ボティスか……。

 ボティスで良かったと言うべきか、それともボティスが話したのがウェパルとマルコシアスで良かったとでも言うべきか。彼の性格上、一番被害が少なそうな二人を敢えて選んだ可能性もある。

「はぁ……あの愉悦野郎……マジでいい加減にしろ。イヴに禁断の果実を食べるよう唆した蛇と一緒じゃんかアイツ……口止めでもしとけばよかったかな……」

「我が王よ、君の友人達は無事に──……おっと、話を遮ってしまったようだね」

 眉を下げて謝罪を口にするセーレに首を横に振って「気にしないで」と伝える。

「もう終わったから大丈夫。ありがとう、セーレ」

「お礼を言う必要などないよ、我が王。だけれど、君からのお礼は心が満ち足りるね」

「うーん……全てがキザったらしい」

「ふふ、そうかな?」

 彼はくすくす笑い、片膝を着いた。エメラルドがあまく細められる。

「我が王よ、君の手に触れても?」

「どーぞ」

 壊れ物を扱うように、そっと私の手に触れた。

「手の甲に口付けをする許可を頂きたい」

「手に触れるだけだと等価交換ではないからね、いいよ、好きにして」

 嬉しそうに笑う姿はどこか幼く、セーレを睨みつけるグランとウェパルに苦笑。

 唇が手の甲に触れる。わざとらしく鳴るリップ音。鋭さを増す視線。息をひとつついて「グラン、ウェパル」と呼べば鋭さがなくなる。困ったものだ。

「……毎回思うんだけどさぁ、手の甲に口付けだけじゃ対価が釣り合ってないよ。エリゴスみたいに、とは言わないけど、もっと欲張っていいんだよ?」

「そんなことはないとも。君の肌に触れ、あまつさえ口付けをするんだ。これ以上の対価はないだろう」

「……マ、アスタロトに比べたらセーレの対価はまだ納得できるけども」

 序列29番目の悪魔・アスタロト。彼女が求める対価は決まって名前を呼ぶことだ。アスタロト、と呼んだだけで花が咲いたような笑みを浮かべ満足そうに帰って行く。

 本人が満足そうにしている手前、何も言えないが、それが対価でいいのかと毎回思う。

「彼女は君を愛しているからね」

 セーレの言葉に曖昧な笑みを浮かべる。

 アスタロトが愛してるのはフィロメラじゃなくてソロモンでしょうに。

「私はもう戻るよ、また喚んでおくれ」

「うん、その時はまたよろしく」

 魔界に戻るセーレを見送り、ウェパルとマルコシアスに視線を移し、柔らかな声音で二人を呼ぶ。

「ウェパル、マルコシアス」

 肩をビクゥ! と大袈裟に跳ねさせ、窺うように私を見上げる彼女に微笑んだ。

「そんなに怯えなくても怒ってないよ。私のためにやってくれたんでしょ? やり方は乱暴だったけれど、二人の気持ちは嬉しいの」

「我が王……!」

「でも」

 目を隠している前髪を掻き上げる。声のトーンを落とし、二人を見下ろした。

 マルコシアスが目を伏せ、ウェパルが引き攣った声を上げる。

「罰は与えないといけない」

「ああ、甘んじて受け入れるとも」

「……そ、それが、我が王のご意思ならばっ……!」

 何やら覚悟を決めてる二人には申し訳ないが、そこまで酷いことをするつもりはない。

 二人の頭にチョップをする。それなりの強さでやったが、悪魔の二人からすれば大した痛みではないだろう。ぽかんと痛がる様子もなく口を開けて私を見上げる二人がその証拠だ。

「もう二度とこんなことはやらないこと。分かった?」

「……ソロモン、罰にしては甘すぎる気がするぞ」

「あっのねぇ罰を与える方の身にもなってくれないかな!? 罰を与えるって言っても出来るだけ酷いことはしたくないのこっちは!」

 文句があるならグランに任せるけど、と言えば二人は顔を真っ青にして首を横に振った。

 何をしたらこんな風に青ざめるんだ、とグランをチラッと見ても微笑まれるだけ。言うつもりはないらしい。

 先生達と合流すべきか考えてると、視界がぶれてふらつく。ウェパルの声にならない悲鳴。体が支えられる。

「フィロメラ」

 気遣うような声にへらりと笑う。

「うぅん……さすがに、疲れたかも……。指輪の力を使った上に、悪魔を三体召喚するのはやっぱり今の私の魔力じゃキツい……もう絶対やんない……」

「頑張ったな、フィロメラ。あとのことは全て俺に任せてあなたはゆっくり休んでくれ」

「でも、グランだって疲れてるでしょ?」

「俺のことは気にしなくていい。ああほら、瞼が下がってきている。眠たいのだろう?」

 グランの腕の上にお尻が乗っかるような形で抱えられる。

 寝る時間が少なかったことと、魔力を限界まで消費したこともあって眠気がピークに達してた。

 それでも後始末を任せるのは忍びなくて、ぐぬぬ、となんとか瞼を開けようと格闘するが、ひやりと冷たい手に目を覆われてしまう。

「グラ、」

「おやすみ、フィロメラ。良い夢を」

 魔力のこもった砂糖菓子のように甘い声。そっと口づけをされ、眠りに落ちた。



 恋人にするようなことをするのは如何なものかと叫びながら起きればテントの中で、中にはグランやウェパル達の姿はなく、隣にはぐっすりと眠っているアンドロメダ。

 実は全部夢だったんじゃないかな……という私の淡い期待は、血で汚れた自分の体操着を見たことで全て現実だったことを悟った。

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