第5話


「キャンプ?」

 無事に作成し終えたレポートを提出してから数日後の薬学の授業中、ペアを組んだアンドロメダが話した内容に私は首を傾げた。

 キャンプって、なに?

「フィロメラ……あんた先生の話全く聞いていなかったでしょう?」

「……えへっ。教えてくれる?」

「も〜! あんたってばしょうがない子ねえ〜!」

 口ではそんなことを言いつつ、どこか嬉しそうにアンドロメダは説明してくれた。

 一年に一度だけ行われるキャンプ。場所は不規則。上級生は現代風で言うソロキャンプで、下級生はペアを組んでやるから難易度が低い。おまけに上級生の場合、目的地には各自で行かないといけないという決まり。到着が間に合わなかった場合は教師が迎えに来てくれるそうだ。

「でもなんでキャンプなんか……」

「魔術を使わないで生きるための練習らしいわよ。魔術師ってどうしても魔術に頼るところがあるから、魔力がない時に遭難でもしたらどうしたらいいのか分からないだろうからって」

「なるほどね〜」

「あとは、親睦を深めるためだとか」

 アンドロメダは自嘲的な笑みを浮かべた。

「私、あんたとヨシュア以外の人間と親睦を深められる気がしないわ」

「アンドロメダなら大丈夫だと思うよ? アンドロメダは優しいし可愛いし綺麗だし」

「……それ、関係ある?」

「あるよ。誰だって優しくて可愛くて綺麗な人と仲良くしたいもの」

「……人たらし」

「なんて?」

 頬だけじゃなくて耳まで赤く染まったアンドロメダがキッと私を睨み、髪の毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

「ごめんごめん」

「ふんッ!」

「それで?」

「コホン。部屋割り……テントは寮と同じ部屋の人間みたいよ」

「ア、やっぱりテントなんだ。自分達で設営する感じ?」

「ええ。それでテントの設営だけど、ぶっつけ本番ってわけじゃなくて練習もきとんとするって言ってたわ」

 無臭だった鍋から砂糖に似た甘い匂いがしてくる。びんに手を伸ばしたアンドロメダより先に手に取った。

 アンドロメダは『適量』を大さじでドバドバ入れるところがある。実験は彼女の方が得意だけど、『適量』を大さじでドバドバ入れるのはちょっとよく解らない。

「寮と同じ部屋ってことはアンドロメダと一緒だね。よかったぁ。知らない人と一緒なんて眠れる気がしないから」

「あら、そうなの? あんたなら誰と一緒でも眠れそうだけど」

 やっぱりそういう風に見られていたか、と苦笑を漏らす。実は仲のいいアンドロメダと一緒でもゆっくり休むことができないと言ったら、彼女はどんな反応をするのだろう。

 見てみたい気もする。でも気分を害してしまうだろうから絶対言わない。

「キャンプ……かぁ」

「フィロメラ?」

「ううん、なんでもないよ」

 行かないと内申点って下がったりするのかな。

 教室のどこかで爆発が起き、あらあらと困ったように笑うベアトリーチェ・ルビアン先生(若草色の髪と瞳の女性。妖精と人間のハーフで二十代に見えるが、実年齢はヘルシング先生より上とのこと)の声が聞こえた。

 手順通りやれば爆発なんて起きやしないのに。どうして爆発がするか解らない。もしかしてそんなことを思うからいじめられるのだろうか。

 念入りにびんの蓋を閉めてため息をついた。



 あちらこちらで同級生がキャンプについて楽しそうに話していて、それを上級生や教師が微笑ましそうに眺めてる。

 困ったことになってしまった、と息を吐く。何が困ってるのかと言うと、キャンプの件だ。正直な話、行きたくない。できることなら学院の外に出たくない。

 神に祝福された者で、ソロモンの生まれ変わりのせいか人以外のものに好かれやすい。特に悪魔。隙あらば魂を奪おうとしてくる。

 学院は魔獣と呼ばれる怪物や悪魔除け(グランや72柱などの上位悪魔には効かない)の結界が張られてるため学院に侵入することはできない。内側で召喚された場合はそもそも結界として機能しない。

 学院に張られてる結界は外側からの侵入を防ぐためのもので、外側には強力だけれど内側は酷く脆い作りをしてる。そういう制約。

 寮の自室に戻って何度目かも分からないため息をつく。

「キャンプとか行きたくなさすぎる……」

「オレは行った方がイイと思うぜ? ソロモン」

 グランでもない男性の声が聞こえて身体が強ばる。

 ここは女子寮だ。男性の出入りは基本的に禁止されていて、声の主は私をソロモンと呼んだ。私がソロモンだと知ってるのは一部の人間と悪魔だけ。

 肌に感じる気配は悪魔のもの。誰にも気付かれずに学院に侵入できたということから上位悪魔なのは確実だ。

 早くなる鼓動を落ち着けるように息を吐き俯けた顔を上げる。机の上に腰かけた見慣れた青年の姿に、強ばった身体から力が抜けていくのがわかった。

「……驚かせないでよ、……ボティス。心臓に悪い」

 黒髪に金色の瞳、鬼のように2本の角が生えた精悍な青年。彼は序列17番目の悪魔ボティス、地獄の大総裁にして伯爵。

 ボティスはにんまりと笑った。反省してる様子はない。

「アンタの驚いた顔は最高に唆る」

「反省してください。どうして部屋に居るの? 喚んでないよ。あと、机の上に腰をかけないの」

「つれねぇこと言うなよ、オレとアンタの仲だろ?」

「はいはい。行った方がいいってキャンプのことだよね?」

 遮音の魔術を部屋にかけてベッドに腰かける。

「あぁ。行ったらアンタの未来は変わる」

「具体的に言うと?」

「今後、学院で過ごしやすくなる」

「過ごしやすくなるってことは……嫌がらせがなくなるの?」

「おっと、ここから先の未来視は有料だ。なんせオレはアンタの言う通り喚ばれたワケじゃねぇからなァ?」

「もうっ、ああ言えばこう言うんだから。最後まで教えてくれればいいのに」

「悪魔が対価もなしに何かを与えることなんかフツーはないんだよ」

 見慣れた天井が見えて押し倒されたのが分かった。覆いかぶさったボティスはゆるく目を細めていて、頭の中に「殺すか?」とグランの低い声。

 物騒だわぁ、と苦笑い。大丈夫だから、と返す。グランとボティスの仲は最悪で、下手したら学院が更地になる可能性がある。

「なぁ、ソロモン。いい加減魔界に来いよ。人間の世界はしがらみが多くて生きづれェだろ?」

「……否定はしないよ」

「なら魔界に来い。生きづれェ場所に居る意味なんかあるのかよ? ねぇよな? そーれーにだ、天界がアンタを見逃すとは思ってねーよな?」

「……知恵の指輪を返還したら、見逃してもらえないかな?」

 きょとん、としたと思ったら。

「アハハ! 無理に決まってんだろ」

 真顔でそう返される。

「ですよね」

 天界が私、と言うよりも、ソロモンの魂を狙ってることは知ってる。学院に入学する前にグラン達に教えてもらったから。

 私が人間界にいる内は彼らは手を出して来ないだろうが、魔界に行くなんて選択した日には天界と魔界の戦争になってしまう。やめてほしい。

「ねえ、そろそろ退いてくれると嬉しいんだけど、」

 目を隠す前髪を払われ、指の腹で目の下を撫でられる。

「可哀想なソロモン。その忌々しい瞳を生まれ持ったばかりに天界の連中に目を付けられるなんて可哀想としか言いようがねェよ」

「……なに、おまえ、私を哀れんでるの?」

「あァ。憐れんでるんだよ、可哀想なソロモン」

 この世界に生まれてから可哀想、と思われることが多かった。

 両親が居なくて可哀想。悪魔に育てられて可哀想。いじめられて可哀想。嫌がらせを受けていて可哀想。可哀想カワイソウかわいそう。

「アンタを利用するだけ利用して捨てる人の世界なんて捨ててちまえ」

 金色の瞳に映る私は笑ってた。どこからどう見ても、私を知らない誰かが見ても『笑っている』と思うような完璧な微笑み。

 笑顔は威嚇だって聞いたことがある。私が今浮かべてるこれはきっとそれに近かった。

「私は可哀想じゃないよ、ボティス。哀れむのはやめて」

「アンタほど可哀想な人間をオレは知らねェよ」

「ボティス」

「はいはい」

 本当に分かってるのかと思うほど返事が軽い。

 彼を押しのけて起き上がる。

「帰る。行くかどうか迷ってるアンタに行った方がいいって言いに来ただけだしな」

「そう。わざわざありがとう」

「ソロモン、魔界の件はちゃーんと考えておけよ? アンタに魔界で生きてほしいって思ってる悪魔は結構多いんだぜ?」

「気持ちだけもらっておくね。私は人間だから人の世で生きて、人間としてまた死ぬよ」

「ハハッ、相変わらず強情なヤツ」

 頬にかさついた感触。鼻を刺激する染み付いた血の臭い。影が不自然に揺れて蠢いて魔力が強くなっていく。

 バチバチと弾ける音にため息をこぼす。

「グラン、ダメだよ、落ち着いて。ボティス、グランを刺激するのも揶揄うのもやめて」

「教えた対価をもらっただけだろ? またなァ、愛しいソロモン」

 愉快そうに嗤ってボティスは魔界に帰っていった。ああうん、お前の対価をきちんともらっていくところは好ましいよ。

 影の中から出て来たグランに抱き寄せられる。無言のまま私を抱きしめる彼の背中に手を回して、宥めるようにぽんぽん叩いた。

「……あなたは」

「うん」

「あなたは、無防備すぎる」

「うん、ごめんね。グランが居るから、って気を抜いちゃってるね」

 ごめん。と、もう一度謝るとため息をつかれる。耳元で囁かれた「悪魔おれの前で気を抜かないでくれ」という言葉に、それは多分無理だよ、と思ったが呑み込む。

 ボティスの未来視は絶対だ。キャンプに行けば私は今より生きやすくなる。過ごしやすくなる。

 それなら──

「……しょうがない、よね」

 変なことが起きなければいいなぁと思いながら、アンドロメダが来るまでの間、グランの腕の中で仮眠をとることにした。

 彼の腕の中は妙に落ち着くのだ。

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