第2話


 グランの言葉に、へにょりと眉を下げる。

「う〜ん……生まれ変わりと言われてもやっぱり実感が……」

「何故? あなたはソロモンの生まれ変わりだ。俺が保証する」

 そんな心底不思議でならないという顔をされても困るし、生まれ変わりであることを保証されても困るのだけど。

 自分が『あの』ソロモンの生まれ変わりだなんて何年経っても実感が持てない。令和の日本を生きていた記憶はあるけれど、自分がソロモンとして生きていた記憶なんて全くないから余計に。

 地球でのソロモンは旧約聖書に登場する古代イスラエルの王だ。父はダビデ象で知られるダビデ、母はバト・シェバ。古代イスラエルの最盛期を築いたとされる一方、堕落した王とも云われてる。また、偉大な魔法使いあるいは魔術師として知られる。

 この世界での彼は王ではない。ただ、王以上に価値がある存在で、魔術師で知らない人間は居ない(むしろ魔術師で彼を知らないなんて魔術を学ぶ気はあるのかと言われそう)と思う。

 否、魔術師ではなくても知ってるだろう。

 だって彼は神に祝福された者だから。

 私は自分がソロモンの生まれ変わりであることを否定した。勘違いではないかと。けれど、ソロモンの生まれ変わりだと言うのは彼だけじゃなかった。

 彼が使役していた72柱の悪魔達。

 そして、学院長などの権力者達。

 彼らが私がソロモンの生まれ変わりだと判断したのは4つ。

 ひとつめは、魂。

 これは悪魔や妖精などの所謂人外枠にしか判らないことらしいが、私はソロモンと同じ魂をしてるとのこと。美味しそう、懐かしい、食べたいと言われた。確実に魂を狙われてる。

 ひとりならまだしも、73人の悪魔が言うのだから間違いないと思う。……受け入れるかどうかは別として。

 ふたつめは、印章。

 この世界にも『レメゲトン』あるいは『ソロモンの小さな鍵』と呼ばれる魔導書グリモワールがある。作者はやはり不明だ。

 その魔導書に書かれてる『ゴエティア』にはソロモンがどうやって悪魔を使役したのか、使役した悪魔の性質や使役方法が書かれてる。実際に読んだことはないのでどんな風に書かれてるのか分からないけど。

 魔導書は確か、魔術協会本部で厳重に管理されてるはずだ。入学する前にちらっと見せてもらったことがあって、ヴィンテージ風とでも言うべき、それともアンティーク風とでも言うべきか。マ、雨宿り目的で立ち寄った古本屋で見つけた感じの洋書だった。

 その本には悪魔の印章シンボル──シンボルが描かれ、それが私の体(顔以外)に刻まれてる。生まれた時から刻まれてるのか、それとも前の記憶を思い出した時に刻まれたのかは解らない。

 みっつめは、指輪。

 ソロモンが神に与えられたと言われる知恵の指輪。その指輪をはめることができるのはその指輪を与えた神か、指輪を与えられたソロモンだけ。

 ソロモン以外の人間が指輪をはめようとしたら雷に打たれるか悲惨な末路を辿るとも。

 前の記憶を思い出した頃にグランに渡され、それ以来ずっと右手の薬指にはめていたものが知恵の指輪だった。それを知ったときの衝撃を、何と言い表せばいいものか。

 よっつめは、瞳。

 さっき私はソロモンは神に祝福された者と言ったのは覚えてるだろうか。

 この世界は赤い瞳の人やピンクの瞳みたいな、前の世界では珍しい瞳の色をしてる人がいる。そんな珍しい人の中でも特に希少とされるのは、紫の瞳。

 この世界では紫は神の色だから縁起が良い色とされていて、紫の瞳の人間は神に祝福された者として周囲から崇め奉られるほど。

 ソロモンは希少な紫の瞳をしていた。

 そして、その生まれ変わりである私も彼と同じく紫の瞳をしてる。

 これだけ合致してるのにソロモンの生まれ変わりだと認めない受け入れない私がどうかしてるのかと思うが、突然「あなたはマリー・アントワネットの生まれ変わりだ」と言われたらあなたは認めることや受け入れることができるかって話だ。

 そんなことを考えてると、グランは目を隠すために伸ばされた前髪を払った。

 この前髪が私がいじめられている理由のひとつなんだろうなぁ。

 顔が分からないから不気味なんだと思う。

 魔術で目の色を変えればいいのかもだけど、そうするとただでさえ少ない魔力がなくなるから実習が難しくなる。薬でどうにかすればいいのだろうが、体質的な問題で難しい。

「人間は愚かだ。その瞳の人間を祝福された者と囃し立てるくせに、その祝福された者に嫌がらせをするのだから」

 嫌悪感丸出しの声に苦笑い。

「それに関しては隠してるからしょうがないよ。ただでさえ紫の瞳の人間なんてソロモン以降現れていないのに、私がソロモンの生まれ変わりだってことも知られたら変に騒ぎ立てられるのは目に見えてるし、犯罪とかに巻き込まれたり誘拐とかされたらやだし」

「その時は俺が対処する。あなたが憂う必要などない」

「や、グランが対処したら相手が死ぬよね? 殺す気満々だよね?」

「俺は常々、あなた以外の人間は死んだ方が良いと思っているが?」

 わぁ……いい笑顔。いっそ清々しさを感じちゃうね。と思いながら首を横に振る。

「意味もなく殺すのはダメ。ア、意味があるからって嫌がらせしてくる生徒に手を出すのもダメだからね。ただでさえ面倒なのに、もっと面倒で厄介なことになるから」

「俺が今一番殺したいのはその生徒なのだが」

「ダーメーでーすー。大人しくしてください。これは命令です」

 くつり、とグランが喉で嗤った。冷たい手のひらが頬に添えられる。

「命令ならきちんと命令すべきだ、主殿フィロメラ。俺は悪魔だが、あなたと契約している。主であるあなたの命令には逆らえない。命令の仕方は前に一度教えたはずだが?」

 深紅の瞳をゆるりと細め挑発的な笑みを浮かべながら私を見下ろすグランに、口元がひくりと引き攣る。

 こ、この野郎。

 確かにグランの言う通り契約した悪魔は主人の命令には逆らえない。けど、それは契約した悪魔が自分よりも弱かった場合の話であって、私とグランには当てはまらない。

 だというのに、「主であるあなたの命令には逆らえない。命令の仕方は前に一度教えたはずだが?」なんてセリフは、どう考えても喧嘩を売ってるとしか思えない。

「じゃあ……命令じゃなくてお願いってことにする。お願い、グラン。生徒を殺さないで」

「あなたは……ずるい人だな。命令よりもそちらの方が強制力が強い」

 困ったように眉を下げてグランは笑う。

 しょうがない、とでも言いたげな深紅が私を見てくすぐったい気持ちになった。

「承知した。生徒は殺さない。それでいいか?」

「うん。ありがとう、グラン」

「構わない。俺が我慢するだけであなたの憂いがひとつでもなくなるのなら、俺はいくらでも我慢しよう」

「グランのそういうとこ、私は好きだよ」

「悪魔らしくない、とよく同族に言われるがな」

 それを言ったのはボティスかベリアルか、それともバアルかアスタロト辺りか。おそらく、全員だろう。

 グランと個人的に契約してるせいか72柱の悪魔達はグランに対する当たりが強く、会う度に自分と個人的に契約しないかと誘惑してくる。その度に殺し合いへと発展しそうになるのだから、止める身にもなってほしい。

 思い出したら胃が痛くなってきた。労るようにお腹を撫でる。

「悪魔って狡猾で残虐非道、人間や世界に災いをもたらすって言われるし……ねぇ、悪魔が災いをもたらすって本当なの?」

「あなたはどう思う?」

「質問を質問で返すのはよくないよ。でも、うーん……よくわからないかなあ。私にとって悪魔は身近な存在だったし、グラン達は育ての親でもあるわけだし」

 今の私は両親の顔を知らない。

 知らない、と言うよりも記憶になかった。私が「私」であることを思い出す前の記憶がなかった。「私」が目を醒ました時、私の傍に居たのはグランだけだった。

 彼がこの世界のことを、私がソロモンの生まれ変わりだということを、魔術を、生きる術を教えてくれた。

 私が悪魔グランに育てられたことを知ってるのは教師陣だけのはずなのに『フィロメラ・ブランシェットは悪魔に育てられた』なんて噂が入学した数日後に流れ、いじめられるという悲劇。或いは喜劇。

 教師の誰かがこっそり話していたのを生徒が聞いたんだと思う。最悪だ。嫌になる。

「私には優しくても、他の人間にはそうとは限らない。マ、これは人間にも言えるよね」

「そうだな」

「さっきも言ったけど、グラン達は基本的に人間を下等生物として見下してる。それなのにどうして人間と契約を交わすの? 人間に従わないといけなくなるのに」

「フィロメラ、あなたは退屈や暇は好きか」

「え、好きじゃないけど。むしろ好きって言う人が珍しいと思うよ」

「悪魔は特に退屈や暇を嫌う。だから人間と契約を交わす」

「退屈しのぎのために?」

「ああ。退屈をしのぐことができる上に、魂を貰うことができる」

 一石二鳥ってことなのかな。人間側は願いを叶えてもらうことができて、悪魔側は暇つぶしができて魂をもらえる。

 人間からしてみれば、Win-Winではない。

 悪魔と契約したときの対価は基本的に自分の魂だ。例外的に魂以外の代償もあるけれど、悪魔に願いを叶えてもらうのだから魂が妥当だろう。

「……あれ?」

「フィロメラ?」

「ア、ううん、なんでもない」

 誤魔化すようにへらりと笑い、ふと頭によぎったことを考える。

 私がソロモンの生まれ変わりだと云うのなら、彼の魂は72柱に奪われていないということだ。

 それは、どうして?

 知恵の指輪を身に付けていたから、彼が神に祝福された者だから手出しできなかった。と、理由を考えてみるが解らない。いつか、聞いてみよう。

「……フィロメラ」

「グラン?」

「戻る。何かあったら呼んでくれ」

 名残惜しそうに私を膝から下ろし、ベンチに座らせてからグランは影の中に戻った。

 グランから戻るって言うのは珍しい。普段は私のほうから影の中に戻ってとお願いするのに。

 何故? と思っていたら耳に届いた声に、ああ、なるほど、だから影の中に戻ったのかと納得する。

 学院で彼の存在を知ってるのは教師くらいで、庭園に来たのも彼が生徒に見られないようにするためだから。

「フィロメラ! やっぱりここに居たわね!」

「もうすぐ授業が始まるよ、フィロメラ」

「アンドロメダ、ヨシュア」

 得意げに胸を張る美少女とにっこり笑っている美少年に私は微笑んだ。

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