悪魔に育てられた少女

真中夜

第1話


 鈴を鳴らしたような声。風に靡く髪を抑える。教えられた内容に小さな声でお礼を言うと、声の主はきゃらきゃら笑って柔らかな風で頬を撫でた。

 はぁ。異世界でもいじめのやり方って変わらないんだなぁ。

 と、何度目になるかも分からないことを思う。

 ばじゃん! と頭から冷たい水を被った。

 ぱたぱた水滴が落ちてきて、それがこめかみを伝って頬を滑る。髪はもちろん制服もずぶ濡れになったせいで肌に張り付いてる。気持ち悪い。足元には水溜まりができてた。

 くすくす聴こえる笑い声に、痛ましさやら軽蔑に満ちた視線に、濡れた髪を掻き上げようとした手を止めて息を吐いた。

 魔術師の魔術師による魔術師のための学院カレッジに入学してから早一ヶ月、よくもまあ飽きずにやるものだと思う。いっそ感心してしまう。そんなに暇なら勉強でもしていればいいのに。

 水をかけられたり、持ち物を盗まれたり隠されたり、階段から突き落とされそうになったことはある。だけど、暴行や恐喝をされないだけまだ良かった。双方にとって、だ。

 入学しなかったわけではないけれど友達と離れたくないから退学はしたくない。暴行と恐喝をした相手は良くて大怪我、悪くて死亡か生き地獄。学院も生徒が死亡したとなれば評価が落ちることになる。

 まだ聞こえてくる笑い声に、煩わしい視線に自然と息が漏れ、苛立つ。苛立ちはエネルギーを消費する。だから、苛立ちたくないんだけど。

 ゆらゆらと不自然に揺れ動く影が視界に入って頭が痛くなってきた。はぁ。深いため息が漏れる。

 ──大丈夫。私は大丈夫だよ。気にしなくていいから。おねがい。

 懇願するようにじっと見ていれば、私の気持ちを理解してくれたのか影の動きが止まる。……理解してくれたわけではない。ただ、私の願いを叶えてくれただけ。

 それでも止まってくれたことにほっと息をつく。彼が出て来たら私が我慢してる意味が本当になくなってしまう。

 このままここに居るとまた絡まれて面倒なことになるので人が居ない場所に移動しよう。

 水溜まりは私に水をかけた人間が処理すればいいと思う。


   ◇◇◇


 人がそんなに居ないだろうな。と思って来たのは庭園だ。

 ぐるっと周囲を見渡して頷く。うん、予想通り生徒も教師も居ない。これなら大丈夫そう。

 庭園には花壇と畑、それからおしゃれな噴水が設置されてる。

 花壇には季節の花から季節外れの花が植えられてて、畑にも季節の野菜から季節外れの野菜が植えられてる。畑で取れる野菜は学食とかで使われてるそうだ。

 魔法薬学で使われる薬草(一番分かりやすいと思うのはファンタジーで定番のマンドレイク)などは温室で育てられてる。

 庭園と温室で分ける必要性があるのか。とは思うが、温室は授業で使われることがある上に人通りも多いのでサボりたい私としては助かってる。

 サボり場スポットである庭園は人気がないらしく、寛げるように設置されたベンチには誰もおしゃれな噴水もあるから最高。

 三人は余裕で座れそうなベンチに座って、空いてる隣をぽんぽん叩く。

「誰も居ないから出て来ていいよ、グラン」

 さっきと同じように影が揺れて、蠢いて、中からヒトが出て来る。

 金と言うよりも黄金と表現できる髪に赤い眼をした美しいヒト。

 彼の名前はグラン。私と契約を交わした悪魔であり、育ての親でもある。

「立っていたい気分?」

「……いや、そういうわけではない」

「なら座ろうよ、私の首が疲れちゃう」

「承知した」

 軽々と抱き上げ、ベンチに座り、自分の膝の上に置くと満足そうに頷いた。彼がパチンと指を鳴らすと濡れていた体や制服が乾いた。

「……乾かしてくれたのはありがとうだけど、膝の上に載せるのはやめてくれないかな……」

 遠回しに『下ろしてほしい』と伝えても下ろす気はないようで、前髪を払われ額にちゅーをされる。宥められてるような気分だ。もしくは、子ども扱い。

「フィロメラ。俺はあなたを大事に思っている」

「うん……知ってる。めちゃくちゃ知ってる。今、身をもって理解させられてる」

「では何故?」

 この何故は、どうしてさっき自分を止めたのか。

 だって。と、微笑む。

「私が止めなかったら殺してたでしょ?」

「ああ」

「だから止めたの。グランがあいつらを殺したら私は多分魔術協会に保護という名の監禁をされて、グランはまた封印でもされちゃうんじゃないかなあ。せっかく出て来れたのにまた封印されたくないでしょ?」

 魔術協会とは四人の賢者と呼ばれる魔術師が設立した、魔術師の魔術師による魔術師のための組織だ。魔術を管理し、互助し、発展させることを使命としてる。

 だから、私が通う学院は魔術協会が次世代の魔術師を育成するために立ち上げた教育機関で、魔術師になる素質がある14歳以上の子どもがこの学院に集められてる。学院の目的は育成することだけでなく、経験を積むことだったり横の繋がりを作るためとかもあるんだけど……それがなかなか難しい。

 いじめられてるので。友人です、と胸を張って言えるのは二人だけだ。その二人も周囲の人間との仲はあまりよろしいわけではない。はっきり言ってしまえば、距離を置かれてる。

「俺を封印できるのはあなただけだ、フィロメラ」

 私の言葉にグランは眉をキュッと寄せた。

「あなた以外が俺を封印できるはずがない」

「買いかぶりすぎだよ、グラン。私はグランを封印できるほどの魔力も技術も経験もない。あなたが下等生物だと見下す人間と同じ、弱い存在だよ」

「あなたは昔から自分の評価を下に見る傾向が強い。もっと自信を持っていい。フィロメラ、あなたは悪魔おれに育てられた。悪魔おれに育てられたあなたが弱いはずがない」

 グランは「それに」と続け、私の右手を掬う。

 百合の刺繍が施された手袋を右手から取れば、手の甲には薄紫色の刺青が彫られ、薬指には彼の人が遺したとされる知恵の指輪。

 薄い唇が、指輪に触れる。

「あなたはソロモンの生まれ変わりなのだから」

 私はフィロメラ・ブランシェット。

 日本で生まれ育った記憶がある所謂転生者というやつで、偉大な魔術師であり神に祝福された者であるソロモンの生まれ変わり……らしい。

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