第十五話「追憶」

 立ち込める煙の中、銀の甲冑が無傷で立っていた。


「――マジかよ。良いの入っただろ」


 目の前の事実にヒイロの顔が歪み、青くなっていく。


「全く、人間という者は希望というモノを前にすれば直ぐに調子に乗る」

「――クソッ!」

「世界には希望など無いというのに――」


 ヒイロが構えた――つもりだった。

 視界に赤色の雫が跳ねる。


「――遅すぎるのだ、お前達人間は。全てがな」


 距離があった。


 瞬きでは到底、間に合わない距離だ。


 だが、目の前の銀の剣士によってヒイロの胸部に大きな斬り傷が出来ていた。


「死ね」


 返しの太刀がやってくる。


 しかし、ヒイロの耳には聞こえていた。


 耳鳴りにも似た希望の飛来音が。


「ヘッ、遅刻だ馬鹿野郎」


 銀の剣士の太刀が頭上の破壊音と共に押し返される。


 倒れ込むヒイロ。


 朦朧とするその意識の中、漂う煙を退かす星のようなエーテル粒子が舞っているのが見えた。


「ヒーローは遅れてやってくるってマックスが言ってたから」

「無事かーーーー!!?」


 大きな声がヒイロが見上げていた大穴から聞こえる。

 その声の主はマックスだった。大穴から顔を覗かせてヒイロを見ているのが見えた。


 そして、当然、目の前で銀の剣士を見据えている冒険者はアルヴァルトだ。


「無事な訳――ゴホッ――ねぇだろ……」

「大丈夫。そう簡単に人は死なないよ」

「あんなんで斬られれば死ぬわテメェ……人のことなんだと思ってんだよ」

「で?戦えるの?」

「……ッ、テメェマジで……」


 煽るような口調のアルヴァルトにヒイロが青筋を立てて、口から血を零しながら立ち上がる。


「無理ならいいんだけど……」

「戦えるわボケ。舐めんな殺すぞ」

「そうか。良かった」


 コツコツ、と床を歩く音が聞こえる。


「死に急ぎ連中がもう二匹増えたようだな」


 銀の剣士が太刀を手に下げながら歩いてくるのが見える。


「アンタ、武器を持って殺しに来るってことはさ。俺達の敵ってことだろ?」

「さぁな。少なくとも、俺は全ての敵だ」


 途端、その姿が消える。

 アルヴァルトの瞳が真横にその姿を捉える。


「カッ――!?」


 しかし、同時にヒイロの呻き声が聞こえる。

 銀の剣士の蹴りがヒイロのみぞおちに入っているのが見えた。


 スパイクエッジを置き去りにして、瓦礫の山に吹っ飛ぶヒイロ。


「ヒイロ!」


 返す刃。


 太刀が既にアルヴァルト目掛けて振るわれている。


 寸前でその太刀をアルヴァルトがスレイメイスで弾く。


 流れるような切っ先は流水というより風。


 眼下から来る刃に対し、アルヴァルトが上体を反らして、ギリギリで躱し、そのままバク転の動きで距離を取る。


 未だ空中に舞うアルヴァルトの視界から再び、銀の剣士の姿が消えた。


 見えなくなった敵に対し、アルヴァルトが五感を極限まで高める。


 音、風の流れ、匂い。


(後ろ)


 空中で体を捩じり、スレイメイスを自分の背後に向けてノールックで振るう。


 火花が散る。


 そこには太刀を振るった銀の剣士の姿があった。


 瞬き一つとっても命取りになるような一連の動きで、アルヴァルトの全細胞が泡立つ。


「しぶといな」

(うっそだろ。アルが圧されてる?)


 その一部始終を見ていたマックスが戦慄する。

 銀の剣士の動きが全く見えなかったからだ。


「大丈夫か?ヒイロ」


 ロープを使って下りてきたマックスが眼前の二人に注意を払いつつ、倒れているヒイロの下に駆け寄り、肩を貸す。


「なんなんだアイツ。急に現れて……消えたりして……。

 ワープでもしてんのか?」

「――ちげぇよタコ」


 肩で呼吸をするヒイロがふらふらとしながらもそう答える。


「あの白いの……だよ」

「えっ、いや嘘だろ。全く動きが見えないぞ」

「弾丸が見えないのと同じ原理だ。人間の動体視力が追いついてねぇんだろ」

「じゃあ……」

「ああ、アイツは音よりも速く動ける。どういう理屈か知らんがな」


 アルヴァルトが銀の剣士の動きを観察する。

 片手で握る太刀の先は地面スレスレをなぞり、構えを取っていなくとも、洗練されていて、全く隙がない。

 アルヴァルトは思考している。どの一歩で自分の首が飛ぶかではなく、どの一歩で殺すか。

 構えるスレイメイスがゆらゆらと揺れている。

 その瞳はまだ見ぬ世界への期待で満ち満ちていた。


「小僧……隙を伺っているな?無駄だ。お前では俺には勝てない」

「あっそう。俺はそうは思えないけどな」

「先の打ち合いで理解できていないなら、話にもならん。

 人は皆そうだ。未知に挑もうという時、己の範疇の知識で挑もうとする。

 そして、勘違いをする。

 目の前の未知は、もう既に己が知識の範疇内だと」

「難しい話?」

「力の差を理解しろという話だ。

 残念だったな。お前達がもっと賢ければ、こんなところでまだ死ぬことはなかっただろうに」


 銀の剣士が一歩を踏み出す。そこがアルヴァルトの必殺の間合いだと知らずに。


 アルヴァルトが背部のスラスターの出力を一気に上げる。


 瞬間的で爆発的なスラスターの機動により、アルヴァルトが銀の剣士の眼前に迫る。


 下段から振るわれるスレイメイスが銀の剣士に襲い掛かる。


 反応すら難しいその一撃はアルヴァルトの攻撃の中で最速。


 だが――。


 その速さでは銀の剣士には届き得ないことをアルヴァルトが直感で感じ取る。


 更に下。


 アルヴァルトの動きに合わせた太刀の横薙ぎが空を切る。


 懐から後ろに回ったアルヴァルトが銀の剣士の視界から外れる。


(ここ!)


 振り上げられるスレイメイス。


 しかし、その攻撃は切り返しの刃によって、弾かれる。


 エクソ出力を最大まで上げた渾身の打撃を片腕の薙ぎによって、いとも簡単に防御された。


 速さはまだしも、膂力さえも、アルヴァルトの遥か上を行っていることが分かる。


(こいつ……)


 アルヴァルトがスラスターを吹かせて再び仕掛ける。


「――『白淵はくえん』」


 エーテル粒子を舞わせるアルヴァルトが見据える銀の剣士が何かの構えを取る。

 太刀の切っ先が地を向き、アルヴァルトを差すように前に出している。


 次の瞬間、風が吹く。

 風は空間を歪ませ、その歪みは認知不可能な速度でアルヴァルトへと向かう。


「――――。」


 いつの間にか振り上げられていた銀の剣士の太刀。

 地面が真っ二つに割れ、壁が左右でズレて見えている。


 そして、マックスの視界に、アルヴァルトのさっきまで右腕だったモノとスレイメイスが宙に舞っているのが見えた。


 目の前で起きていることが信じられない。


 マックスの瞳孔が開き、それが嘘で在ってほしいと願うように、叫ぶ。


「アル!!!!」


 アルヴァルトの瞳の先が右腕から眼前の敵へと変わる。


 苦悶の表情を見せることなく、ただ冷静に、勝ちを見据える。


 その視界にヒイロが落としたスパイクエッジの片方が映った。


 全ての意識をスラスターへと移す。


 背部のスラスターが輝かしい光を放ち、右腕を失ったアルヴァルトの背中を押し出す。


 僅かに崩れた体制で落ちていたスパイクエッジを左腕で拾い、突っ込む。


 すぐさま《震動》を発動させ、構える。


「――追憶リコール


 それを見た銀の剣士がアルヴァルトに向けて手を翳すと、その手が銀の光を纏う。

 銀の光を放つそれは、アーツである。


 光は大気のエーテルに呼応し、そのエーテルを冷気へと変換する。


 アルヴァルトが異変に気付くが、それ既に遅過ぎたと言えるだろう。


 いつの間にか、アルヴァルトの周りに幾つか光の粒が降っていた。


 それは雪にも思えるように綺麗で、アルヴァルトが包み込まれる。


「『六華りっか皎蕾こうらい』」


 光の粒がアルヴァルトの体へと付着する。


 途端、光の粒が爆発し、氷の花がアルヴァルトの肩に咲く。


 連続的に爆発した光の粒はその全てが氷の花となり、アルヴァルトの体を瞬く間に氷漬けにしてしまった。


「――――ッ!?」


 アルヴァルトが身動きを封じられつつも、体を動かそうとするが、やはり動かない。


「希望を持ったか?だが無意味だった」


 凍てつく空気の中、銀の剣士は静かに歩みを進める。


「――めろ」


 マックスがその死の歩みを見て、言葉を零す。


「滑稽だな。お前達が夢見た希望とやらは、こうも簡単に――」


 銀の剣士が太刀をアルヴァルトの胸に突き立てる。


「壊れるのだから」


 アルヴァルトの胸に突き立てられたその刃が心の臓を静かに抉った。


めろおおおおおおおおぉぉぉーーーー!!!!」


 マックスの叫びは虚しくも響き、アルヴァルトを捕えていた氷が砕けて散り、地に伏せてその体が倒れ込む。


 その倒れ込んだ体からは血がドクドクと溢れ出ている。


「さて、次はお前達だ」


 死神が来る。


「――マックス。今すぐ逃げろ。時間稼ぎなら少しは出来る」


 歩みを止めずにやって来ている。


「どうした?早くしろ。テメェも死にてぇのか!?」


 動揺しているにも関わらずこの場の最適解を導き出したヒイロの叫びは既にマックスには聞こえていなかった。


 マックスの視線はピクリとも動かないアルヴァルトの方を向いたまま戻ってこない。

 その瞳からは僅かに涙が溢れている。


「うるせぇふざけんな!まだ終わってねぇよ!アイツが死ぬ訳ねぇだろうが!」


 らしくもなく、声を荒げる。


 血走った眼でただ願う。


 嘘で在って欲しい――と。


 ◆


 澄み渡る青空。風が心地よく吹く丘の上で大きな木の下にアルヴァルトがいた。


「おっと、ようやく会えたか。全く、酷い待ちぼうけを食らってしまった」

「アンタは……」


 そこにはもう一人。酷く見覚えのある顔をした青年が立っていた。


 小麦色の髪に、澄み渡るような空色の瞳。


 まるで鏡を見ているかのようだった。


「俺か?悪いがそれは知らない。俺はただ君をここで待っているようにと言われたただの影に過ぎないからね。名前はない」

「ここは?」

「ここは――まぁ、簡単に言ってしまえば、『楽園』だよ。いや、正確に言えば、『楽園』だった物――か」

「ここが?」

「ああ、君の『楽園』さ。君が創り出した『楽園』だ」

「俺が?」

「そうさ。君意外にはいない。

 あぁそうそう。いやいや、そんな話をしている場合じゃないんだよ。

 君がここに来たって言うことは、緊急事態ってことで、尚且つ俺が使命を果たす時が来たってことだ」

「使命って……なんだよそれ」

「君は無意識の中で。それは君がに辿り着いたということを意味する。

 でも、君の心の臓はもう少しで完全に止まってしまう」

「……あ、そうか。そう言えば俺、刺されてた」

「そう。あともって五秒ってところだろう。それは困る。そうなってはを果たせない」

「約束?」

「君は長い長い旅の途中で忘れてしまったんだよ。

 いわば赤ん坊だ。世界に生まれ落ちて間もない。そして、何も覚えていない空っぽの野生の器だ。

 だから、

「――どういう」

「ほら手を出して」


 アルヴァルトが言われるがまま、目の前の青年の言う通りにした。


「いいかい?この先、君にはあらゆる苦難や障害が待っていることだろう。

 だがしかし、決して諦めることはしてはいけない。もし諦めてしまえば、君は死ぬほど後悔をする。

 これは助言だ。ね」

「――?」

「記憶は君を強くする。まずは思い出せ。そうすれば、記憶は君の力になる」

「思い出せって言われても――」

「安心しろ。君は必ず思い出す。なんせ君は――」


 青年はアルヴァルトに何かを託す。それは翠色の光を放つ。


「――悪魔的だからね」


 そういって、青年は何かを思い出したのか安心したように笑って消えていく。


 ◆


 ヒイロが錯乱したマックスを見かねて前に出る。

 武器すらも持っていないその状態でアルヴァルトを圧倒した目の前の死神に相対す。


「来るんじゃねぇよ。それ以上来たら顔面にコイツを見舞う」


 懐に仕舞っていた果物ナイフを銀の剣士に向ける。

 その抵抗を銀の剣士は鼻で笑う。


「見てきた筈だ。何も残せぬまま死にゆく者達の姿を。

 自分達はそうはならないと、本気で思っていたか?」


 既に眼前まで迫った銀の剣士が今度は今にも暴れ出しそうなマックスに向かってそう呟く。


「こんな筈じゃなかったと。そう、思うか?

 だが、現実などこんなものだ。

 それを予測できなかったお前達の、当人の想像力が足りなかっただけだ」


 銀の剣士は太刀を上段に構える。


「呪うならこの世界を呪え」


 今まさに振るわれようとしているその太刀がぴたりと止まる。


 エーテルの流れがおかしい。


 肌で感じられるほど。


 明らかに何かが起きているのがその場全員が分かった。


 銀の剣士が後ろを振り向く。


 動かなくなった筈のアルヴァルトの屍の片手が、いつの間にか中央に坐す『ソロモンの匣』の台座に触れているのが分かった。


 ピリッ、と。銀の剣士が全身に電撃が奔るような感覚に襲われた。


 嫌な予感が銀の剣士に、今まさに倒れているアルヴァルトに向けて太刀を振るわせた。


 だが、既にそこにアルヴァルトはいなかった。


 再び振り返る銀の剣士の眼には背中を向けて、超高濃度のエーテルを纏って立っているアルヴァルトがいた。

 

 空気がアルヴァルトを中心に渦巻いているのが分かる。


「――馬鹿な」


 信じられないといいたそうな声を銀の剣士が絞り出す。


 その隻腕の先には『ソロモンの匣』そのものが浮いていた。

 その立方体のオブジェクトは先ほどまでとは明らかに様子が違う。

 翠色に鈍く光っているのが分かる。


「『ソロモンの匣』を起動させた――だと?貴様、一体――」

追憶リコール――」


 アルヴァルトが呟く。構わず、銀の剣士が手を翳し、アーツを発動させる。


「『六華・氷雨ひさめ』!」


 銀の剣士を中心に幾つかの氷の槍が虚空に生まれ、アルヴァルト向けて放たれる。


機能装填インストール――」


 土煙が舞う中、氷結した地面の氷が剥げていく。


 膨大な量のエーテルが一点に固まり、それは形を成して、銀の剣士の前に現れた。


『――Demonデモン・Ex《エクス》・Machina《マキナ》』


 人の姿ではなく、機械。いや、レギオンといった方が正しいだろうか。


 獲物を屠る為の鋭い爪を持ち、黒く鋭利な尾がゆらゆらと揺れ、その口元は笑っているかのようにギラギラとした牙が剥き出しになっているが、目元だけがアルヴァルトだ。  


 その姿は確かに人ではなく神でもなく、獣であり悪魔だろう。

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オービタルアークゼロ ―ExMachina/Albumnotes― ソクラテス一郎 @wakameramen

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