第十三話「星の方舟」

 もう遅く、空が橙色に染まりつつある時、遠くで繰り広げられる戦火を余所に商会ギルドでドンドルドを担当するメムメムの綺空艇がドンドルドの外への航路を辿っていた。


「よろしいので?メムメム様?あそこは不毛の土地ですが、冒険者のお陰で金にはなります。

 商会ギルドとしては、まだ価値がある土地なのでは?」


 綺空艇の甲板に一人外を見つめる鼠人間であるメムメムの傍でクマがそう聞く。


「クマですか。休んでいいと言ったのに」

「上司が起きているのに、部下が寝るなど出来ませぬ」

「左様ですか」

「それで、メムメム様。何故撤退するかをお聞きになっても?」

「……クマ、我々が何故、ドンドルドなどという土地にギルド中継をすることになったかをご存知でしょうか?」

「純粋に販路の拡大の為と聞いておりますが」

「表向きはそうですね。ですが、私がこのドンドルドの任を任された際、我らの王ラッテン・クーニッヒが言ったのです。

 私にの任を、と」

「監視?商会運営ではなく?」


 クマがメムメムの言葉に首を傾げる。商会ギルド本部からはそういった伝令は来ない。

 基本的に商会ギルドの内部の者は商事を任されおり、監視などは他の探索隊などに任せているからだ。

 そうではないのなら、それほどまでに機密な事案ということに他ない。


 しかし、そのような重大な事案はドンドルドには存在しない。


「ええ、我らの王はその言葉だけを私に残しました」

「それは一体、どういう……」

「『ソロモンの匣』という話を知っていますか?」

「え、ええ……聞き及んでおります。『第一の男』が遺した『楽園』への足跡だとか」

「それがもし本当に存在するとしたら、世界はひっくり返るでしょう。

 ところで、商人にとって、最も大切な物とは何か知っていますか?」

「知識……ですか?」

「それもそうですが、最も商人が手に入れるべき物とは情報です。

 情報が無ければ、情勢が読めなくなり、知識もなくなる。

 知識がなければ、モノの価値が計れない。価値を計れなければ、商売は出来ない。

 情勢を知り得てこそ、真の商人たると私は考えている。 

 つまり、我らが王が欲したモノはドンドルドに存在すると噂される『ソロモンの匣』の行方、といったところでしょう」

「……分かりませんね。なら尚更、今ドンドルドを離れるのは止めておいた方がいいのでは……」

「でしょうね」


 メムメムがそういってほくそ笑む。


「最近、私の船から出される探索隊が消息を絶つことが多いことは知っているでしょう?」

「ええ、直近だと二件も報告されています」

「内一件の様子を確認に行った探索隊がこう言いに来ました。

 『氷漬けになった砂漠一帯に氷像となったベヒモスがいた』と」

「ベヒモスが!?」


 大型として区別されるレギオン種ベヒモス。

 並大抵の冒険者ではまず歯が立たないとされる程の危険度を持つレギオンだ。


「ここは昼になれば、うだるような暑さを持つ灼熱の砂漠です。

 そんな自然現象は有り得ない、となると、それは誰かの工作。

 ならば、そのような所業を出来る者は私は一人しか知らない」

「いや、まさか……がこの地に……?」


 至って静かだったクマの表情が険しくなる。


「それに加えて、ヒイロ様とその他数十人に砂艇を貸し出しました。

 なんでも、禁足地に出向くとか。

 私とて、命は欲しい。白い死神がこの地に来ているのなら、まず逃げる方を優先とします。

 命あっての物種ですからね。巻き添えを喰らうのは避けたい」

「では、これからどうするので?」

「ドンドルド周辺に斥候を忍ばせます。ドンドルドから出てくるような者がいれば、それが『ソロモンの匣』の所有者でしょう」

「ならば、直ぐに斥候を――」

「その必要はありません。これから夜が更け始める。

 事はそれが終わってからでも間に合うでしょう。今は休息の時です」

「……分かりました」

「なら、自室で眠っておくように。倒れられても困りますからね」

「ハッ」


 恭しく礼をしたクマがそのまま甲板を去っていく。

 それを見届けたメムメムが沈みゆく夕陽を見つめながら、溜息を吐く。


「ふぅ……これでようやくメムメムとしての役目を果たしたと言えるでしょう。

 私の知らぬ先代よ」


 ◆


「痛ってぇ……」


 猛スピードで大穴に突撃したドロシーの前にケツを向けてズッコケているアピスがいた。


「なァ!?」


 顔を伏せていたアピスが急に立ち上がってドロシーに怒声を浴びせる。 


「いやゴメンて、勢い余っちゃってつい……」

「『つい……』じゃねぇよ!?オメェアタシが死んでたらどうするつもりだったんだアァン!?」


 ついさっきの出来事。『箒星』の端に捕まっていたアピスが地面に着地する寸前、ドロシーの急ブレーキで前へと放り出されたのである。


「だって、仕方ないじゃん。眼の前壁だとは思ってなかったし」

「頭脳派じゃなかったんか?アァン!?ゴルァ!?」

「う、うるせぇ……」


 ドロシーの顔に唾が跳ぶほど近くでキレていたアピスが辺りの様子がおかしいことに気付いて、振り返る。


「――おぉ」


 そこには砂漠とは似ても似つかない金属の壁が一面にあった。


「情緒不安定じゃん。ウケる」

「チッ、るっせーなボケ」


 床も同じように金属で覆われており、ほんのりとエーテルが流れているのが肉眼でも確認できる。


「で?ここどこらへんだ?」

「あーえっとね。丁度端っこらへんかな?」


 ドロシーがドローンでマップを表示すると、自分の現在地が丁度地下空間の端に示されていた。


「よし、じゃあ行くぞ」

「え~歩きぃ?」

「お前の箒にはもう乗らねぇ。まぁけど心配すんな。ここはゆっくり調べたい。良かったな休めるぞ」

「へぇ~以外だね。直ぐに向かうとかじゃないんだ?」

「時には、寄り道が最短の道になんだよ。覚えとけ」

「いやそれは良いんだけどさ、何か面白くないなって……」


 先を行くアピスに追いつこうとドロシーが駆け寄っていく。


「急に何だ?」

「友達のいない遠足はつまんないでしょ?」

「要するに?」

「おしゃべりしたい。こんな殺風景なところを無言で歩くだけなんて寂しすぎて、死んじゃうよ」

「十分神秘的な観光だと思うがな。それに、面白くない話はしたくない」

「じゃあ、私が興味のある質問していいかな」

「いいぞ。なんだ?」

「私達の目的について」

「言っただろ」

「いや、そうじゃなくて、流石に漠然とし過ぎ。

 私も結構テキトーな性格だけど、気になるじゃん。『楽園』に行くなんて言われたら。

 なんでそう思ったのかなって」

「それも言っただろ。冒険者ってのはそういう生きモンだ」

「本当にそれだけ?」

「しつけぇぞ」

「なんかさー、はぐらかされてる気がするんだよね。

 匂うっていうかさ、私と同じ匂いが」

「…………。」


 ドロシーの言葉にアピスが珍しくも黙る。


「おかしいと思うんだよね。

 確かに冒険者なら、『楽園』とか『ソロモンの匣』の話は誰もが知ってると思うけどさ、そもそもなんでドンドルドにそれがあるなんて知ってるのかとかね」

「あんまり、人の事を探るもんじゃないと思うが」

「そっちこそだよ。どうして商会ギルドからブラックリスト認定をくらってる冒険者なんて知ってるかとか。

 どうやって、そういう奴等を集めようとしていたのかとか。

 そんなに簡単な事じゃないと思うんだよ。

 特に私達に払った前金500億R$なんて馬鹿みたいな大金持ってるのもね」

「探偵ごっこか?」

「いやいや?これから死地を共にしようってのに、アピスの事を何も知らないってのは不平等じゃない?」

「……はぁ……」 


 責め立てるドロシーについにはアピスが溜息を吐いた。


「そうだな。じゃあまぁ、ちょっとお前が落ち着く為に面白い話をしてやる。

 会話がないのは寂しいからな。

 これは知り合いの話なんだがな、そいつはイリュシオンの壁の中で平和ボケていたらしい。

 属にいう貴族ってヤツだな」


 語りを始めたアピスが目の前に出てきた階段を下りていく。


「お前、イリュシオンのベレウスに行ったことあるか?」

「ないよ。あんなところ滅茶苦茶な金持ちしか行けないでしょ」

「まぁ、簡単に言うとそこは本当に綺麗でこの世の全てがそこにありそうな場所だった。

 なんでも手に入って、なんでも不自由なく出来るような場所。

 まさに『もう一つの楽園』と呼ばれるにふさわしい場所。だったらしい」


 口を動かすアピスの顔は少し苛立ちを含んだような表情だった。


「でも、そいつにとってそこは鬱屈な日々が続くだけでしかない地獄だった。

 だから、ある日、腕利きの冒険者が出入りする為の輸送列車に忍び込んだんだと。

 それで、そいつは壁の外で絶景を見た。その景色が忘れられなくて、それを生きがいとした。

 この世には、まだ自分の知らない物がごまんとあると知った日には、それまでの人生を呪った」

「ふぅん」

「で、貴族やめて、冒険者紛いのことしてんだよそいつは」

「なぁるほど?じゃあ、私達に払った金って……」

「なんの話だ。この話はアタシが知ってる誰かの話だ。

 言っとくが、アタシの話じゃないからな」

「はいはい。分かったって」


 唇を尖らせるアピスにドロシーが少し笑う。


「じゃあ、次はさ、今の話をしよう。

 私達は『ソロモンの匣』を目指している訳だけど、『ソロモンの匣』って一体なんなのか、知らないんだよね」

「当たり前だろう。存在すら確認されていなかったんだから」

「そう。でも、アピスは何か知ってるんじゃない?

 そういう口ぶりだったし」

「お前……何も聞いてないようで、ちゃんとしてんだな」

「これでも頭脳派ですから」


 アピスの言葉が毒だと気付かずに「ふふん」とドロシーが鼻から息を出してみせる。


「……まぁそうだな。難しい話だが……何処から話したもんか」


 階段を下りていくと、そこには、分かれ道があった。


「昔話、ってやつは、あんまり得意じゃないんだがな」


 目の前の壁に異質な模様があった。

 口を動かすアピスの瞳にそれが映る。


 その模様は何かで削られているような模様だったが、アピスはそれが記号だとハッキリわかった。


 そこには『→』と矢印がでかでかと書かれていた。


「なにこれ」


 その矢印を見てドロシーが呟く。


「こっちに行けってこったろ。先人が遺した道標だ」

「先人って……ここに人が来ていたって言いたいの?」

「それ以外ないだろ。行くぞ」


 アピスが矢印に従って右の道へと向かう。


「さて、『ソロモンの匣』がなんだって話だったな。

 まぁ結論から言うとだな、アタシもそれは知らない」

「え、そうなの?」

「ああ、知らない。

 だが、それのを知っている」

「本当の名前?」

「『ソロモンの匣』なんて名前は、『第一の男』が勝手につけた名前だ」

「どういうこと?勝手に付けたって、『ソロモンの匣』は『第一の男』が最初に見つけたものでしょ?」

「物事ってのには、必ず、始まりがあって、終わりがある。

 始まりがある以上、最初につけられた名前を知っている者は、始まりを目撃した者にしか分からない」

「それ……難しい話?」

「簡単な話だ。お前、自分が名付けられた時のことなんて覚えているか?」

「覚えてる訳ないじゃん。赤ん坊の頃の事なんて」

「だろう?だが、アタシは『ソロモンの匣』の始まりを知っている」

「……え?」


 アピスの淡々とした言葉がドロシーの理解を超え、その表情を幾ばくか強張らせる。


「ドロシー。お前は、自分には全く覚えのない記憶を見たことがあるか?」

「…………。」


 『そんなことあるわけがない』と言いそうになる口をアピスが閉ざす。

 

 今、アピスが言っている一言一句が嘘ではないと、察せられてしまうほどアピスの声は静かだったからだ。


 二人が歩く道の先、暗い道の先に少しの光が漏れ出し、そこから広場に繋がっているようだった。


「アタシは何故だか、此処を知っている。この先に何があるか、此処がなんなのか。

 だから、アタシにとっては答え合わせだ。アタシ達が言う『ソロモンの匣』というものの真の名は――」


 明るい場所に出る。


 およそ、見たことの無い物が広場の中央、そこの宙にひとりでに浮いていた。


 無機質な藍色をしていて、材質は鉄のようでいて、少し違う。


 エーテライトでもマキシライトでもなく、全くの未知の物質。


 エーテルが迸るそれは機構を以て、動き、鼓動を鳴らす。


 それを我々が知り得る言葉で表すのなら――。


「――『オービタルアーク』」


 ――心臓、であろう。


「それは――星の方舟――と、呼ばれていたそうだ」

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