第十一話「それは厄災と呼ばれる」
風が吹く。程々に心地よいその風は照り付ける太陽の暑さを少しは和らいでくれているだろうか。
未だ縄に縛られたままのアピス一行の目の前に立ち、砂の海の上を進む砂上船の行く末を見つめるヒイロが口を開く。
「アピスっつったか」
「おう。さっき振りだな」
「おい。まだ味方だと思われてないみたいだが?」
「しっ、黙っとけ」
横から茶々を入れるジャックを制するアピス。
「で?なんだよ。こんな盛大な船、用意して……まさか観光でもしてくれんのか?」
「お前、ソロモンの匣を探してるんだってな」
「ああ、そうだな」
「俺達もそいつを探している。そんで、丁度だ。そいつの目処が着いた。
今、そこに向かっている」
「ほう。それは吉報だな。とてもうれしい。この縄が無かったら飛び跳ねたいくらいだね」
「ただ、場所が厄介でな。ドンドルドにいる奴ならまず近づかない場所だ」
「というと?」
「ドンドルドには全くといっていいほど、外から人間が来ねぇ。
何でか知ってるか?」
「危険な場所だからと聞いているが?」
「そうだ。危険な場所だ。レギオンがそこら辺に跋扈していて、クロッカスの外を出歩くにも、武装が必要だ。武装をしたとしても、死なない訳じゃない。
だがだ。それだけじゃ、イリュシオンが国交を絶つなんて真似をする筈も無い。
なんせ、イリュシオンは大陸最強とも謳われる騎士団を抱えている。
そいつらにかかれば、クロッカスが平和になるのも簡単な話だ」
「あ~……つまり?」
「ドンドルドには、大陸最強の軍団でも勝てない存在がいる」
そのヒイロの物言いにアピスが腑に落ちたような顔をする。
「アニキィ!反応が出た!そろそろ禁足地に入るぞ!」
船首にいるゴリアテが双眼鏡を持ちながらそう叫ぶ。
ヒイロがその声に辺りを見回す。
船の中には数多くの武装した冒険者らしき者達がいた。
そして、船の周りには同等くらいの船が何隻かこの船に付いてきている。
「禁足地?」
禁足地。ドンドルドにて、冒険者がそこに立ち入ることはない。
『luooooooooooo――――――!!!!』
耳を劈くような音が聞こえる。
砂が震え、空気が震え、大地が揺れる。
「え!?なになに!?」
縛られたドロシーがその音にキョロキョロと周りを見渡す。
「それは厄災と呼ばれる――だ、そうだ」
船の前方。およそ二キロほど先の砂の海が膨らむ。
「来るぞぉッ!!!!」
船員の一人がそう叫ぶ。
地響くそれは地震ではない。
轟音が響き、それは姿を現す。
「「――――――ッ!!??」」
その場の全員が静かにそれを見つめる中、ジャックとドロシーが絶句する。
砂漠の中から出ている姿でさえ、およそ2キロメートル。
砂漠から姿を露にしたそれは雲に届き得るほどの姿をしている。
「出やがったなクソが」
冷や汗を垂らすヒイロの頬に無理矢理の笑みで皺が出来る。
「なんじゃ――ありゃ」
「うっわ、ドラコーだ。初めて見た」
静かに開いたドロシーの口からそう聞こえる。
「はぁ!?なんじゃそりゃ!?」
「知らないの?本当にジャックは何も知らないんだね」
「
討伐者無し。目撃情報も希有。おまけにイリュシオンお墨付きの討伐不能指定登録を受けた
リントブルム。その全身を見たことのある者はおよそ存在しないとされるレギオン。
ドンドルドにて『潜る災厄』の名を持つ怪物である。
「要するに会ったら、他の事どうでも良くなるくらい全力で逃げろってヤツ」
ワクワクした様な笑みを見せるアピスを余所目にジャックが唖然としている。
「で、だ。あんなんを前にどうしようってんだ?ヒイロ」
「俺達の目的はこの先の座標に存在する。ので、あれを突破する」
簡潔にヒイロはそう言ってのけた。
リントブルムがこちらに気付いたのか凄まじいほどの巨躯を捩じり、倒れてくる。
圧倒的な物量による押し殺し。単純でそれでいて、最強の戦法だ。
「アニキィ!来るぞぉ!」
「死にたくなけりゃ右に舵を切れぇ!」
その声に操舵主が面舵一杯右に切る。
「おいおいおいおいおいおい!?」
迫り来るその義体が大木のように倒れてくるのがジャックから見える。
遠くに見えていたその巨躯はやがて、眼前に。
その外殻にはエーテル回路が無数に張り巡らされていた。
頭部と思われる場所には涎を垂らすが如く、牙のような数千の歯車が火花を散らしている。
その口腔の奥には深淵のように深いエーテルの光が見えた。
けたたましい音と共に砂漠に波が出来る。
砂上船がその波によって揺らぎ、間一髪でリントブルムの体を避けた。
「こんなん命がいくつあっても足りねぇだろうが!?」
「だから、お前達の手も借りてぇのさ。俺には果たさなければならない夢があるからな。
縄を解いてやれ。ここからが本番だ」
ヒイロがそういうと、アピス達の縄が船員達に解かれていく。
「勝算あるんだろうな?」
「俺達が勝つ必要は無い。匣に辿り着くことが俺達の勝利条件だ。
無論負ける気はない」
「ハッ!上等!」
アピスが義手で作った拳と手をパンッと打ち合わせる。
「死ぬ為に冒険している奴なんざいねぇって話だ。
付き合うぜ。お前の夢ってヤツによ。ヒイロ!」
その言葉を皮切りに、前を進む砂上船の前にヒュドラレギオンの群れが砂漠の中から現れ、砂上船目掛けて突進してくる。
「ヒュドラかよ!?なんで!?」
「まるでリントブルムの子分みたいな感じだな。
共生関係ってやつか?」
リントブルムはその巨躯故に無意識にエーテルを辺りに垂れ流す。
その為、エーテルを原動力とし、同じ地中に住処を持つヒュドラレギオンが近辺に見受けられるという。
「どうでもいい。野郎共出番だ!あの邪魔な蛇共やっつけちまえ!」
「なんか流されてねぇか俺ら」
「さぁ、まぁでも、面白そうだからいいじゃん」
「お前、本当楽観的だよな」
「それが取り柄だもん」
元気なアピスを目にして、乗り気でもないが、自由の身になったジャックとドロシーがそう軽く言い合う。
そして、ドロシーが腕に付けたデバイスを触ろうとすると、ジャックがそれを制止する。
「む、なんで――」
「約束忘れたか?お前が出んのは俺が死んでからだ」
「あっそう。じゃあ、早く死ねば?」
「可愛げのねぇ奴。子供はもう少し甘え上手になった方がいいぜ」
「うっげ」と言いたそうな顔をドロシーがする。
それを無視してジャックが前に出る。その手には刀が握られている。
「アピス!手当は出るんだろうな!?」
「もちろんだ!生きていたら、なんでもくれてやる!」
「そうか。じゃあ、頑張らないとな」
ジャックがそう言い残して船首に跳ぶ。
「馬鹿か!?一人じゃ――」
ジャックが居合の動作を取るとその体から赤いエーテルが滲み出る。
次の瞬間、砂漠を這う三体のヒュドラレギオンが船首のジャック目掛けて牙を剥く。
「一人の方がいい。でねぇと、斬っちまう」
次の瞬間、ジャックの姿が消えると共に三体のヒュドラレギオンの首が真っ二つに切れていた。
既に骸となったヒュドラレギオンの長い胴。その上をとてつもない速さで走るジャックがいた。
ヒイロの無線から声が聞こえる。
『梅雨払いは任せな。死なない程度に頑張ってやるよ』
「何者だ、アイツ」
「さぁな。強ぇだろ?」
リントブルムの巨躯から距離を取る船の向かいからは風が吹く。
突如として現れたヒュドラレギオンの群れは未だ這いずり回るリントブルムの傍を這うように地中から次々と出てくる。
「アニキィ!とんでもねぇエーテルウェイブだ!
あのデカブツまだこっちに来るぞぉ!」
その巨大な頭を地面に沈めたリントブルムが地中で叫ぶ。
『ooooooooooooooo――――!!!!』
地面が、大気が揺れる。さっきよりも数段と激しく。
「これは――アーツか?」
激しく振動する砂漠は砂粒同士で音を出している。まるで大地の鳴き声だ。
そこに――。
「っ――立ってられん!」
「う、うるせぇ……!」
ボオォン!!。
聞こえる爆発音。
「今度はなんだぁ!?」
ヒイロが規格外の力を前にして、耳を塞ぎながら口を開いて叫ぶ。
次の瞬間。
船にいた全員の視界の天地がひっくり返る。
「――は?」
その一部始終を
砂上船がひっくり返り、跳び上がっている。
束の間の無重力を終え、その船が落ち始める。
砂上船からは砂漠の大地から複数の砂が爆発が地面に起こっているのが見えた。
今、砂上船が空を飛んでいるのは、その地面の爆発のせいだろう。
「――んな馬鹿なことがあるかよ!?」
船員の一人がそう叫ぶ。
「チッ、ここまでか――。各自!エクソによる機動戦闘に移行!
散れ!散って、ポイントまで辿り着け!」
ヒイロが無線を全員に繋いで叫ぶ。
空を降りるヒイロのうなじが服越しにぼんやりと光る。
光るそれはニューラルユニット。通称
それ一つでエクソの操作、無線通信、エーテルウェイブ測定器など、その他諸々の役割を果たしている冒険者にとって無ければならない代物。
微小なエーテライトを内蔵し、神経接続されたそのデバイスは脳幹に直接繋がれており、神経操作とエーテル感応を複合することによって、そのサイズが極小でありながら、体の一部のように操作することを可能にしたデバイスである。
但し、これは人体に有毒たるエーテライトを内蔵するNUTを脳幹付近に埋め込むという極めて危険な外科手術を以て、成されている。
よって、エクソを駆る者は皆、このNUTをうなじに埋め込んでいる。
「
音声認証による神経操作によって、背中に装着しているバックパックに格納していたヒイロのキュイラスエクソが展開され、ヒイロの体が徐々にエクソによって武装されていく。
NUTへと接続されたエクソがエーテルセルが光り、その機能を起動させる。
地面との距離は僅か。
叩きつけられる前にスラスターを全力で下に吹かす。
体に反動の圧力がかかり、骨が軋む。
そうして、遥か上空からの着地を成功させる。
だが、待っているのは安全ではなく、未だ危険な砂漠の最中。
ヒュドラの群れの一体がその着地を狙っていたようにヒイロに迫り来る。
腕部の徹甲砲を展開させる暇もない。
ヒイロが腰に差してあったスパイクエッジを逆手で取り出し、構える。
ヒュドラレギオンのコアの位置は強固な上顎に守られた下顎に剥き出しになってある。
その蛇のような体躯の中からその一点を正確に狙うのは至難の業。
ヒイロがスラスターを吹かし、ヒュドラへと前進する。
態勢を低くすることで、ヒュドラの体躯を躱し、その刹那に下顎にあるコアへとスパイクエッジをぶち込む。
スパイクエッジに刻まれた『震動』の術式が発動し、ヒュドラが下顎内部から破壊されていく。
ヒュドラの頭部を貫通したヒイロがそのまま、前へと進む。
後ろを振り返ると、上空にあったはずの砂上船が見るも無残な状態で地面に叩きつけられてた。
その傍にはエクソを展開できなかった者達の死骸がそこらにあった。
それを見たヒイロが僅かに舌を打つ。
僅かに視線を反らしたヒイロの耳にエーテルウェイブ測定器の警戒音が鳴りだす。
前を向くと、もう一体のヒュドラが地面から牙を剥いて、やって来ていた。
回避の間に合わない間合い。
狩場では一瞬の気の緩みが命取りとなる。
眼前には口を大きく開いたヒュドラ。
次の瞬間――。
ズドン!!という音と共に砂煙が上がる。
「い、生きてる?お、俺まだ生きてるか?生きてるよな!?」
そこに聞き覚えのある声が砂煙の向こうから聞こえる。
「大丈夫だって」
「お前いつもそういうけど、こっちの身にもなれよ!
こんなん命がいくつあっても足りねぇぞ!?」
「でも生きてるんだからいいじゃん別に。マックスは天才だから死ぬ訳ないでしょ」
「その理論がいつまでも通ると思うなよ!?」
砂煙の中から二人の人影が見えてくる。
その声を聞いて、ヒイロが静かに笑う。
「遅ぇよ。クソデブ。もう来ねぇと思ってたぜ」
「……その言い草はねぇだろうが。こちとら装備を改装すんのに時間がかかってんだ。
それに、ギルドから借りた小型飛行機に乗って飛ばしてきたんだ。これでも急いだ方だボケ」
「それでなんで空から降ってくんだよ?」
「そりゃ……」
「こっちのが速いから」
砂煙が晴れる。
そこにはクルミのように頭部が割れたヒュドラがいた。
そして、その頭の上には知った顔が二つあった。
一人。その者が駆るワーカーモデルのエクソには背部スラスターが一基改装されており、そこからエーテルが漏れ出しているのが見える。
エーテルセルも大型の物に変えているようだ。
その者とは――。
「お前もだ。遅ぇよ。アルヴァルト」
「ごめんヒイロ。ソロモンの匣ってのはどっちにあるの?」
「おい。こんなんに謝るな馬鹿」
今回の作戦における主戦力の一つ。アルヴァルトその人とアルヴァルトに抱えられたその相棒たるマックスである。
「ここから十二時の方向だ。共に行くぞ。突き進め」
「おっけー」
アルヴァルトが行先を見つめる。
そして、間髪入れずに背中のスラスターを吹かせようとする。
途端、それまで震えていた大気の揺れが激しくなる。
「!?」
『loooooooaaaaaaaaaaaaaaa――――!!!!』
再び、潜る怪物が叫びを上げる。
「な、なんだぁ!?」
突然のことにアルヴァルトがマックスを肩から降ろして臨戦態勢を取る。
その叫びは匣の守護者たる龍の怒り。
王の秘宝を盗んだ盗人への怒り。
「痛ッつ――――!!」
その叫びを聞いたアルヴァルトの頭に鋭い痛みが走る。
痛みは死へと向かう体への警告。
それがアルヴァルトを襲う。
「ど、どうしたアル!?」
余りの痛みに立ってはいられない。
マックスの言葉はアルヴァルトにはあまりよく聞こえない。
それほどまでに痛い。
それでも、あの龍の雄叫びだけは嫌でも脳に響く。
「――ハァ……ハァ……ハァ……!!」
本来、見えない筈の。見えなくなった筈のものがうっすらと。
本来、聞こえない筈の。聞こえなくなった筈のものがはっきりと。
――忘れたか?
誰の言葉かは分からない。いや覚えてない。
――不敬なる者よ。
だが、確かに聞いたことのあるその声は、一体どこで聞いただろうか。
――約束を果たせぬまま、今も何故、のうのうと生きている?
「や――く――そく?」
――ならば、今一度、機会をやろう。これは我が神の寵愛なり。
忘れ去られた筈の過去が今まさに追憶される。
その視界の端で、アルヴァルトは足元の地面が崩れていくのが見えていた。
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