第八話「Imperfection Flow」

「悪かった」


 街中を歩くマックスの目前。包帯がそこらかしこに巻かれたヒイロが頭を下げてそこにいた。

 砂蟲の包み焼きを手に持っていたマックスが唖然とする。


「――は?」

「お前に言った全ての無礼を撤回する」


 頭を下げたまま、ヒイロがそう重々しい声でそういう。


「どういう風の吹き回しだよ」

「約束だ。決闘に負けたら、お前に謝るという」

「あ~、アルが言ったのか?」


 あの決闘から二日後の今、傷を治療したヒイロが真っ先に向かったのがマックスの下だった。


「別に怒ってねぇよ」

「知っている」

「じゃあなんで謝んだよ。誠意の籠ってない謝罪なんかいらねぇんだけど?」

「約束は、約束だ。それに――あの男が付いていくお前がどういう思いなのかを聞きたかった」

「どういう意味だよ?」


 マックスがそう聞くと、ヒイロが頭を上げる。


「……俺に勝ったんだ。お前には知る義務がある」

「答えになってねぇよ」

「付いて来い」


 踵を返すヒイロ。それに付いていくマックス。


「奴は何処で何をしてる?」

「アルのことか?そうだな。今頃、人助けでもしてんじゃねぇの?」

「そうか。ならいい」

「これも決闘の約束ってやつか?野郎とデートする趣味はないんだが」

「黙っていろ。そうすれば、すぐ終わる」

「はぁ……”あらすじのない物語に興味は持てない”」


 マックスの言葉にヒイロが少し逡巡してから口を開いた。


「――このクロッカスがどういう場所か知ってるか?」


 突然の話にマックスがヒイロの表情を見る。

 その顔は少し悲しそうだった。


「簡単に言えば、『世界から見捨てられた土地』だ。

 外交もなく、資源も少なく、辺りはレギオンの巣窟になってる砂漠。

 栄養の無い鎖された土地で生きていくには強くあらねば枯れてしまうだけ。

 脱しようとも強くなければ、刈られてしまう」

「知ってるよ。嫌でもな」

「だがな、そんな場所にでも夢は咲く。

 お前、『楽園』に行きたいらしいな。何故だ?」

「夢に理由が必要かよ」


 終始、態度が悪いマックスを見て、ヒイロが青筋を額に浮かべながらも、怒りを我慢する。


「昔話してやる。クソガキがいた。俺の恩人の息子で、俺の師匠の息子だ。

 父親はとても野心家でこの街の為に走ったが、息子は真反対で消極的だった。

 何に対しても出来る訳がないと言い放ち、何もしてこなかった奴が数年後には突然、夢を語り出す。

 要するにだ。俺はお前が気に入らない」

「率直にどーも」

「だがだ、俺はアルヴァルトに本気で負けた。そのアルヴァルトがお前を慕っていると言った。

 なら、お前には知る義務がある筈だ。この土地の現状を――。お前の父親が変えようと藻掻いたこの砂漠の現実を」


 ヒイロが歩みを止める。そこはクロッカスの隅に位置する場所。


「…………。」


 そこには一つの建物があった。

 それを見てマックスは目を細めて、ただ無言でヒイロに付いていく。

 建物の中に入ると、そこには多くの子供達がいた。


「ヒイロ兄ちゃん!」


 その子供の一人がヒイロを見るや否や駆け寄ってくる。


「おー、元気にしてたか?テトラ」


 ヒイロが駆け寄ってきた子供に目線を合わせて、その頭を撫でる。


 テトラと呼ばれるその子供の顔には特徴的な痣があった。

 痣というよりはひびに近しいだろうか。ヒビは仄かに翠色の光を放っている。

 他の子供達にも体の何処かにそのヒビが見て取れる。

 それが何かをマックスは知っていた。


「でさ!でさ!今日は!?」


 テトラが前振りのない質問をする。マックスにはその言葉の意味が分からなかった。


かな!?俺!?」

「あー……まだまだだな。俺より背ェ高くなってからじゃねぇと」


 その言葉にマックスとヒイロは表情一つ変えないでいる。


 これが普通だからだ。


 子供がどうやって生まれるか。

 その大体は男女のによって生まれてくる。

 そうして生まれた子供がどうなるかは想像に難くない。

 義務感を持った者達ならいいだろうが、そうでない者もいる。

 クロッカスではそうでない者の方が多い。

 見捨てられた子供が行きつくのはただの地獄だが、その中でも希望はある。


 そうやって見捨てられた子供が希望を見い出すのが冒険者という職業だ。


 ゼロから始めることが出来、上手くいけば地獄を抜け出せるかもしれない。

 何もない子供がそう思うのは当然で、それは当たり前のことだ。


 ヒイロもそうやって生きてきた。


 だからクロッカスでは当然の日常だ。子供が死地に向かうのが普通なのだ。


「そっか~。じゃあもっと頑張らないとな。そういやそっちの太っちょは?」


 テトラの目線が隣に居たマックスにいく。


「あー……」

「マックスだ。俺みたいなヤツに太っちょっていうのは止めとけよ。

 あんまりお勧めしない。言うんならぽっちゃりだ。分かったか?」

「分かった」

「じゃあ、兄ちゃんちょっと先生に用があるから大人しくしとけよ?」

「うん!」


 元気よく返事をするテトラはそういって他の子供達の下へと戻っていく。

 それを見届けたマックスが口を開いた。


「あの子、綺晶癌きしょうがんか?」

「――ああ。ここにいる全員がそうだ」


 綺晶癌。体外に存在するナノエーテルが呼吸などによって体内に侵入し、その蓄積によってナノエーテル同士が結合し、体内にてエーテル結晶が生まれた際に出来る細胞と同化したエーテル結晶をそう呼ぶ。

 体内に生成されたエーテル結晶は人体の成長と共に細胞と深く結びつき、大きくなり、その体質がエーテル結晶と類似したものへと変化していく。


 そして、遂には死に至る。


 それは一般的に病と定義されており、発見自体は容易で、CTスキャンや外見に出てくる翠色のヒビを発見すれば可能だが、この病の最も厄介な点は治療法が存在しないこととされている。

 この世界で最も死因の高い疾病であり、罹患する年齢は問わない。

 患者の特徴としては、高濃度のナノエーテル環境下に長い間晒された者が多いという。


「これがお前の言う現実ってやつか?」

「その一つだ。

 綺晶癌は一般的に感染症とされている不治の病だ。特に高濃度のエーテル環境下で感染する。 

 レギオンが多いドンドルドはその感染源となる大気のナノエーテルが普通よりも濃い」


 ドンドルドではレギオンの活動エリアが広い。


 彼らは異形なだけであって生き物だ。

 人間が呼吸で二酸化炭素を増やすように、レギオンは大気のナノエーテルを体内へと循環させることでその命を脈動させている。

 故に、ドンドルドは他のエリアよりもナノエーテルの濃度が濃い。


 したがって、綺晶癌に罹る者も少なくない。


「そして、綺晶癌は人から人に感染するとされている。

 ……綺晶癌患者がどういった扱いをされているか知ってるか?

 まさに病原菌扱いだ。人間としては扱われない」

「そうだな」


 綺晶癌患者は各国で隔離され、差別されている。

 当たり前のことだ。致死性のある不治の病が人から移るとなれば、それを忌避する者は多くなる。


「この国じゃ綺晶癌患者は多い。土地柄な。

 俺とてそうだ」


 そういったヒイロがシャツを上げて脇腹をマックスに見せると、そこには突出した翠の罅割れがあった。


「綺晶癌にかかった者は他の国には行けない。

 他の国からここに来た者もいる。周りが死地にも関わらず、差別が嫌という理由で来た者もいる」

「お前がクロッカスの長みたいな台詞だな」


 その言葉にマックスが少し驚く。


「フレッドさんが死んだ後、誰がこのクソみたいな治安をマシにしてきたと思ってる?」


 かつて、フレッド・マッキュリーはクロッカスにおいて、リーダーと言っても差し支えの無い程の男だった。あらゆる裏のビジネスや商会ギルドとの取引など、それらを引き継いだのが、当時決闘で成り上がっていた冒険者であり、フレッドが弟子としていたヒイロなのだ。


「商会ギルドに頭だって下げた。

 食糧も無限じゃない。限りがある。特にこんな砂漠にはな」

「お前、そんなこと一言も……」

「言うと思うか。もう、絶望していた人間に、お前に」

「――なんだよそれ」

「知ってたんだろ。フレッドさんがそういうことしてるって。

 なんで、引き継がなかった。今もそうだ」

「簡単に言うなよ。俺だって、出来るならそうしてる」

「アルヴァルトがいるから今は夢を追えるってか?」

「それは――」


 散々聞いて来た言葉がマックスの耳をつつく。

 しかし、マックスはもう自分がどういう人間かを知っている。


「そうだよ。俺は、アイツがいるから追えなかった夢を追ってるに過ぎないただの木偶の坊だ」

「……じゃあ、お前に聞く。お前の夢は本気か?」

「ヒイロ。お前は、俺が夢見がちなただの馬鹿だと見えるかもしれない。

 実際そうだ。お前が提示する現実ってヤツに俺は何一つ反論できない。

 でも、それでも、俺は夢を諦められない」

「最後にやってきたことが全て間違いだったとしても?」

「ああ、俺は、そういう人間だ。それに、アルから一つ教わったことがある」

「?」

「昔、『夢』の話をアルにした。それでアイツは『なんでマックスは楽園そこに行かないの?』って。

 だから俺は『俺達はまだ子供だから』って言い訳したんだ。俺らしいだろ?

 アルはさ『そんなの関係ないじゃん。じゃあ、俺が連れて行ってあげる』って言うんだよ。

 その時、俺は今よりもガキでアイツもガキだった。行ける訳ないのに、真っすぐな目をしてそういうんだよ。

 馬鹿だろ?でもさ、俺はこう思ったよ。俺が思ってた障害や壁なんて関係なかったんだって。

 本当に夢を追ってる奴ってそんなこと、考えてる暇ないんだよ、きっと」


 現実という物は知っている。

 でも、それが夢を追わない理由にはならない。

 現実という物を捨て去ってまで夢という物は追う価値があると。


 知っている。


 ヒイロはそのことを知っている。

 アルヴァルトがそれがさも当然であると思っていると知っている。


「……そうか。分かった。お前にこれをやる」

「?なんだこれ――」


 ヒイロがポケットから取り出し、マックスに投げたそれはカセットのような物だった。


記録装置カートリッジだ。とある座標が記録されているだろう。

 『楽園』は実在する。そんで、ドンドルドには楽園に至る為のある遺失物が眠ってる」


 そのカートリッジにはエーテルが込めらているのか仄かに翠色の光を放っていた。


「名を『ソロモンの匣』。

 ここからおよそ北西、が眠る場所にそれはある」


 彼方の夢。それが遂に動き出す。


「俺だけで行こうとしていたが、夢を同じに抱くなら、二日後の朝、港に来い。

 待っているぞ。今度は俺を失望させてくれるなよ、マックス」

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