第四話「誇りと名誉」
クロッカスには本来いるべき統治者がいない。
それはこの街が統治する必要がない街だからである。
食糧、水、特産品、観光、富。この街にはそういった街によってある特徴がない。
逆にそれが特徴とさえされているほどに貧しい街なのだ。
あるとするならば、クロッカスが位置するドンドルドはレギオンの巣窟と成っているので、冒険者にとって稼げるといった所くらいだろう。
そんな砂とレギオンしかない場所で統治をしようとする者が出てこないのも道理だ。
それでも、夢を抱く者がもう一人、クロッカスの岩壁、その
そこから遠く離れたメントスが街中を歩いている途中、その姿が見えた。
「おい。またやってるよあの人」
太陽を背にした人のシルエットが遠くから見える。
片腕で足上げ腕立て伏せをしているようだった。
「ああ、ヒイロのアニキか?ほっといてやれ」
メントスの隣を歩くゴリアテがそういう。
「アルヴァルトとかいうガキに喧嘩で負けてから、ずっとああだ。
次は負けない為にもう一度鍛え直してるんだと」
「ああ……聞いたことある。確か……なんだっけ?
どっかの店で酒の勢いで暴れてたら、そのアルヴァルトってヤツに伸されたって話だったか」
「そ。俺もその場所に居たんだが、まぁ、本人には悪いけど、瞬殺だったな。
ガキの回し蹴りを顎に貰って一撃だった」
約二週間前の出来事。
クロッカスの『リキッド』という店で珍しい喧嘩が起きた。
喧嘩自体はこの街では日常茶飯事なことであるが、負けた相手が相手だった。
その名をヒイロ・スパイクという。
「その……アルヴァルトってヤツ、そんなに強いのか?」
「は――バッカオメェ。んな訳ねぇだろ。
あんときゃ、ヒイロのアニキも相当酔ってた。酔っ払いがガキに負けても、不思議じゃねぇ。
中級相当のヒュドラレギオンをソロ討伐したあの豪傑のヒイロだぞ」
「まぁ……そうか。じゃあ、噂はただの噂ってことか?やべぇガキがいるっていう」
クロッカスでも屈指の実力を冒険者として示してきた彼がアルヴァルトという少年に一撃で負けたという出来事だ。
そして、その出来事からアルヴァルトという名前が独り歩きを始め、中にはその少年を『鬼人』だと脚色する噂もあるくらいだ。
「当たり前よ。長年冒険者をやってきた俺の目から見ても、あのガキがそんなやべぇヤツだとは思わねぇ」
「じゃあヒイロさんが負けた理由って?」
「単なる飲み過ぎだな。あんときゃ呂律も回ってなかったぜ?」
「そっか~。でも、じゃあなんであんな修行みたいなことしてんだ?」
「鍛え直してんだと。次は負けねぇってさ」
その噂が出てきてからというもののヒイロは毎日のように体を追いこんでは汗を流している。
「なんていうか。真面目だよな。
ゴミの掃き溜めみたいな俺達にはとてもじゃねぇがまともに直視出来ねぇよ――ってぇな!?」
太陽を見上げていたゴリアテの肩が走ってきた誰かにぶつかる。
「テメェ何処見てんだ!?あぁ!?」
ぶつかった男がこけて、ゴリアテの方を見て、その口を開く。
「う、うるせぇ!」
「んだとぉ!?」
男の顔にはいくつかの殴られた跡があり、ひどく怯えているようだった。
「今それどころじゃねぇんだよ!」
言葉を吐くと、男はすぐさま走ってとてつもない形相で何処かに行ってしまった。
「チッ、んだよ。うぜぇなぁ」
「知ってるぜあいつ。たしか路地裏で冒険者のハイエナしてる奴らの一人だ」
「ほーん……」
「大方返り討ちにあったってところだろうな。ざまぁねぇぜ」
「どうでもいい。俺らには関係ねぇ」
「そうだな」
そういって、何もなかったかのようにメントスとゴリアテが歩き出す。
ただのクロッカスの日常。しかし、その日は少しばかりいつものクロッカスとは異なっていた。
およそ6丈離れた路地裏でさきほどゴリアテにぶつかった息の上がった男が座り込んでいた。
「ハァ――ハァ――ハァ――!!」
汗がへばりついた服を仰いで、体を冷やす。
「んだよあのガキッ――バケモンじゃねぇかッ――!」
しかし、それよりも頭の中からあの少年の目つきがこびりついて離れない。
まるで、獲物を狩る狼のような獰猛さと凶暴さを持ち合わせた眼光。
辺りを見回し、誰も追いかけてきてないのを確認して、再び起き上がる。
「おや?浮かない顔をしているね。僕の友人」
声がする。とても嫌な笑い交じりの声だ。
「誰だ!?」
男が声のする方向を向くと、そこには上裸にジャケットを着た男が木箱に座っていた。
そこには誰もいなかったはずなのに。
「おいおい。人の名前を忘れるなよ。前にも会っただろ?」
「――悪いがお前みたいな変態には会ったことがねぇ」
奇抜なハット帽子にサングラスをしているその男は何処か異様な雰囲気を醸し出していた。
「いんや?会ったことがある筈だ、デッドール君」
「なんで俺の名前を――」
「アレは確か……そうだな……18回目の……あぁそうか。だったら、君が僕の事を覚えていないのも無理はない」
意味の分からない会話を続けるサングラス男が木箱を降りてデッドールに近づいてくる。
「まぁ、そんなことよりだ。脇役の君に力を授けにきたよ」
「はぁ?何言って――」
「ハハ、良い返事だ。正に噛ませ役として相応しい。
だけど?僕としては君にはもう少し活躍してほしいのさ」
「――さっさと要件を言え。そんで俺の前から失せろ」
「急ぐなよ。話はこれからだ」
笑い交じりのその声がデッドールにとって妙に耳障りが良く聞こえた。
「力があれば何でもできる。富も名誉も思いのまま。まるで全てを変えてしまえそうなそんな力」
目の前にいた筈のサングラス男がデッドールの瞬きの間に背後に移動していた。
「でも君にはその力がない。だから非行に走る」
「――それで?」
明らかに普通の様相ではないサングラス男。
その様子にデッドールは少し冷や汗を垂らす。
「冒険者を屠ろうとしたけどそれも失敗に終わった。現実は残酷で明日はずっと暗いまま。
もう後がない君には訳の分からない男を頼るしか方法はない」
サングラス男の口が耳に近づき、囁くような声が聞こえてくる。
「さってぇ、デッドール君。君の非行はここで終わるのかな?」
「……お前は、一体何だ?」
「僕かい?そうだなぁ……。
僕は悪役で、正義の味方で、君の親友さ。親友を助けるのは、当たり前のことだろう?」
「…………話を聞くだけだ。もし、お前が俺の敵だと分かったら殺してやるからな」
サングラス男の言葉を聞いたデッドールが覚悟を決める。
「ハハ、いいね。その意気だよデッドール君。それでこそ僕の親友だ」
それを最後にその路地裏にいた筈の二人はいつ間にか、吹いた風と一緒に消えていた。
◆
AM8:00・クロッカス『港』付近の砂漠にて――。
照り付ける太陽の下、二人の戦士が向かい合う。
アルヴァルトとヒイロ。
双方の名誉を掛けた決闘が今、始まろうとしていた。
――およそ十三時間ほど前。
アルヴァルトとマックスが夜のクロッカスの屋台にて、食事をしていた。
昼とは違い、照り付ける太陽はなく、月の仄かな光が大気中のナノエーテルを照らしている。
その様はエーテルが爛素と呼ばれるのも納得の美しさだろう。
「うおぉ……うまっそぉ……」
その美しさに比例して、マックスの目の前にあった一切れの焼かれたバカデカイ肉は一層輝いていた。
ただその肉は牛肉でも豚肉でも鳥肉でもない。ましてや、羊肉や馬肉などでもない。
強いていうなら、人の手によって限りなく牛肉の霜降りステーキに味と食感を近づけられた合成食料といったところだろう。
クロッカスには家畜がほとんどいない。本物の食肉は高価で、とてもいち冒険者の手に入る物ではない。
本物ではなく、偽物。しかし、人の舌が、鼻が、目が喜ぶのは本能。その本能が訴えかけている。
これが旨い物だと。
思わずマックスの口から涎が溢れる。テーブルを挟んだ向かいに座ってるアルヴァルトも涎を垂らしていた。
「凄く良い匂いだ」
「ああ、早速食おうぜ」
偽物の肉を頬張ると二人の口の中で旨味が迸る。
喜びという感情が湧いてきて、旨いと脳が錯覚する。
「――うめぇ……」
マックスの口から感嘆の言葉が零れ出る。
「うん。本当にうまい」
「だろう?これで合成食料ってんだから、本物は一体、どれほどうめぇんだろうな?」
「それもこれから分かるだろ」
「だな」
二人が遠い未来を思い、夢に杯を交わしていたところ。
向かってくる足音が聞こえた。
「おい。あれって――」
「マジかよ」
ざわざわと道を歩く人々がその男の歩みに目が惹かれる。
「お楽しみのとこ悪ぃな」
その言葉にアルヴァルトが肉を口に運ぶ手を止めて、声のする方に振り返ると――。
「?」
そこには大柄の筋骨隆々の男が立っていた。
そして、マックスがその男を見ると、飲んでいた水を勢い良く吹き出す。
「ぶふッ!?――な、なんでお前がここに!?」
その男を名を人はヒイロ・スパイクと呼んだ。
「腰抜けマックスか。冒険者になったんだってな。全くよく呑気に生きてられるもんだ、何もしねぇ癖に夢だけはデカく語りやがる。よく似てるぜ、お前の親父と」
「い、いきなり来て悪口かよ。傷つくねぇ」
「そうやってへらへらしてんのも気に食わねぇ」
口端をピクピクさせていたマックスを見て、ヒイロがゴミを見るかのような目で蔑む。
「弱いやつは死に方も選べねぇって言うが、お前が冒険者をやったところでどうせレギオンに殺されて、犬死するだろうな。フレッドと同じようにな」
「…………へっ、お高く留まりやがって、親父があんときテメェを助けてなかったら、今頃死んでただろうが」
「テメェ……言わせとけば……まぁいい。今日はお前に用はねぇ。
あるのはそっちのお前だ」
ヒイロがアルヴァルトを指差して、その顔を睨んでいる。
「俺?」
「ああ」
「何の用?俺、あんたのこと知らないんだけど」
「ハッ、人の顔に泥を塗っておいてよく言うぜ、クソガキ。
丁度二週間前に、グローの店でお前に負けた男だ」
その言葉を吐きながら、ヒイロは拳を握る。
「単刀直入に言う。アルヴァルト・ダーウィーズ。
お前に――決闘を申し込む」
「――は?いきなり――」
「俺が勝ったら、お前はクロッカスを二度と踏み入れるな。いいか?」
突然の言葉にマックスは唖然として口を開ける。
「分かった」
マックスの言葉を遮るようにアルヴァルトがその申出を受け取った。
「そうか。じゃあ明日の朝、『港』で待っている。
男の戦いだ。逃げるなよ、クソガキ」
それだけ。
用を済ませたヒイロが踵を返して、何処かに行ってしまった。
「――ど、どっか行きやがった……ってか、お前もなんで承諾してんだよ!?。
分かってんのか。決闘っていや殺し合いだぞ!?」
「分かってるよ」
「だったら――」
「前に言ってたでしょ、マックス。
売られた喧嘩は絶対に買えって、冒険者は舐められたら終わりだって」
「それは……そうだけどよ」
「大丈夫だよマックス。俺が負けると思う?」
「……いや、思わねぇ」
アルヴァルトの自信。それはクロッカスにいて、これまで幾多あったトラブルの際にアルヴァルトが文字通りその拳で全てを解決してきた。
その過程で、マックスはアルヴァルトが何かで誰かに負けるところを見たことがない。
「じゃあ、大丈夫だよ。マックスがそう思えるなら俺が負けるなんてことは絶対にない」
そういって、アルヴァルトはマックスに僅かに笑いかける。
「よし、そうと決まれば、飯食って寝るぞ。
寝不足は冒険者の天敵だからな」
「うん」
――そして、現在に至る。
『アル、エクソの調子はどうだ?出力改善したんだが』
「ん~あんまり分かんないかな?」
無線からのマックスの声が聞こえてくる。
輸送車の中にいるマックスから遠くに見えるアルヴァルトがエクソの感覚を確かめるように体を動かしている。
『そっか。じゃあその武器はどうだ?使えそうか?』
アルヴァルトの手には自作のモノではなく、平たく加工され、剣のような鉄根が握られていた。
以前のグリフォン討伐後、使っていた鉄根が破損していた。
故に、マックスが討伐報酬にて新たなに調達していた物、スレイメイスという武器である。
「前の方が軽くて好きだったんだけど」
『まぁ、そういうなって、これでもいい値段したんだぜ?』
「まぁ、壊れないなら武器なんてなんでもいいよ」
そういって、アルヴァルトが目の前のヒイロを見据える。
「それで?準備はいい?」
「……お前、舐めてんのか」
「はぁ?」
ヒイロがアルヴァルトのエクソを見て、怪訝そうな顔をしていた。
「キュイラスじゃない旧式のワーカーモデルなんざ着けやがって、ふざけてるだろ」
「このエクソのことか?」
アルヴァルトが装備しているエクソ、旧式のワーカーモデル。
それはエクソ発展黎明期に初めに開発されたエクソであり、最低限の筋力増強の術式しか施されていない。
「逆に、アンタのエクソは俺には重そうだ」
ヒイロが装備している一般的に冒険者の間で普及しているエクソ、キュイラスモデル。
改良された筋力増強の術式に加え、硬化の術式を施した頑強な装甲を全身に纏っている。
普通なら人間が身動きできない重量のエクソだが、そのエクソ自体の出力によって、頑強な装甲を以てしても高機動を損なわない。さらに拡張性を重視した腕部や背部には各武装を装備できるマウントが装着されており、いかなる状況にも対応が可能となるように設計されている。
「待ってやる。今すぐキュイラスに付け替えて来い。
負けた後の言い訳にされても面倒くせぇからな」
「……うーん。別にどうでもいいよ。
それで、アンタが負けた時の言い訳にされるのも面倒だ」
「クソガキが……」
『あ、あ~――お互いに火花が散ってるところ申し訳ありませんが、この度は観客も多い故、あまりマナーを損なわないようにお願い致します』
アルヴァルトとヒイロを見つめるドローンが一機、二人の頭上を飛んでいる。
おそらく、中継映像でクロッカスに放送されているのだろう。
「そういえば、アンタが負けたらって決めてなかったよな」
「あぁ……そうだな。なんでもいいぜ。好きに決めろ」
「じゃあ、俺が勝ったらマックスに謝れよ」
「あ?」
「昨日マックスに言ったこと全部取り消して謝れって言ったんだ」
「随分懐いてるじゃねぇか。あんなデブの何処がそんなにいい」
「良いとか悪いとかじゃないよ。仲間だから」
「フン」
『では、決闘の見届け人としてこのメムメムが始まりの合図をさせていただきます。
――女神デアエへの誓いをここに――
その言葉を始めの合図として、誇りと名誉を懸けた戦いが始まった。
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