第三話「路地裏の喧噪」

「グリフォンの討伐確認しました。お疲れ様でしたね」


 浮かない顔をしているマックス・マーキュリーの前には世にも奇妙な喋る大鼠が受付に座っていた。


「まさかビギナーでグリフォンを討伐するとは思いませんでしたよ。凄いですね!」

「ん――ああ。ありがとう。お世辞だとしても嬉しいよ」


 マックスの周りにはガヤガヤと人が行き来している。


「お世辞なんかじゃ!ここクロッカスの商会ギルドじゃ、あまり見ないですよ。

 ビギナーの方が初の仕事を生きて戻ってくるなんてね」

「ああ、そう」


 適当な返事に大鼠はただ笑顔をマックスに見せ続ける。

 奇妙な大鼠を見て、マックスは被っていた帽子のツバを触る。


 クロッカス商会ギルド。

 岩壁に覆われたクロッカスの外と中を繋ぐ唯一の洞穴。通称『みなと』にそれは存在する。

 綺空艇きくうていと呼ばれる空を飛ぶ船。それ自体が商会ギルドの仲介所となっている。


「ええ!マックス様。商会ギルドを代表して、このメムメムが雄才である貴方様の冒険者登録を心より感謝申し上げましょう」


 商会ギルドとは、ヴィオラ大陸より遥か西に存在するにその本部を置くあらゆる商事を把握・管理している組織。

 大厄災である『再生』が起こり、およそ400年程前に出現したレギオンと人類の存亡をかけた大戦争『ラプラス戦役』終結時、人類の惜敗と同時に経済回復を名目として立ち上がった組織で、壊滅状態となった世界の開拓などによって経済の回復に一役買うこととなった冒険者達に彼らは経済支援をすることになった。


「では、こちらが今回のレギオン討伐による報奨金です。ささ、お受け取りを」


 マックスがメムメムによってに提示された機械端末を見て、その口端が引き攣る。

 そこには、『500R$リドル』という数字が映っていた。


「ごひゃ――。え!?」


 かなりの大金だ。唯の平民からすれば一カ月は生きていくのに困らないほどの。

 だがしかし――。


「こんなに貰えるのか?」

「えぇ、冒険者方は命を賭しているのですから、これくらいは。

 まぁ、こういった報酬を用意していても、居なくなる冒険者が後を絶ちませんが。

 おそらく金を貰う利益より、レギオンと戦うという行為自体に怖気づいたといったところですかね。

 この世で自分の命よりも価値のあるものはない、というほどですから」


 メムメムの言葉にマックスが少し帽子を深くかぶる。


「どうかなされましたか?マックス様」

「いや?なんでもない」

「そうですか。なら、こちらの画面をタッチしてください。それで報酬の受け取りは完了となります」


 そう言われると、マックスが嫌な思考を一旦遮り、目の前の端末をタップする。

 すると、マックスのポケットから軽い振動が伝わる。

 そこから取り出されたのはマックスが持つ機械端末だった。

 そこには目の前の数字と同じ額が『受け取り完了』と表示されていた。


「受け取った」

「では、今後ともこのメムメムをご贔屓に。

 どうか勇敢な貴方に自由の女神のご加護があらんことを」


 そのやり取りを最後にマックスは商会ギルドを去る。

 船底の出口から『港』に出る。

 そこには、くたびれ、全身が包帯にくるまれた者達が目の輝きを失って、立ち往生していた。


 片目が失った者、片腕を失った者、片足を失った者、様々な負傷した冒険者がそこにはいた。


 否が応でもマックスの眼に映るそれはとても綺麗な世界とは別の物であった。

 ふと想像する。そうなった自分達の姿を。

 その先に待ってるただの価値のない死。

 自分達がそうはならないと思っていても現実がそれを否定してくる。

 それと同時にグローの言葉が頭に湧き出てくる。


 人は死ぬ。何かを残して死ぬこともあれば、何も残せぬまま死ぬこともある。

 それなら当然前者が望まれるだろう。


 およそ、8年ほど前の話。


 マックスの父親であるフレッドが死んだ。

 冒険者であったフレッドは、レギオンとの戦闘中に命を落としたという。

 当時、同じく冒険者でフレッドの相棒であったグローがそう語った。

 それからだ。グローが、マックスの面倒を見るようになったのは。


 唯一の息子を残して、ただ一人死んで、あげく息子は家族を失い、何もかもがそこにはなかった。


(親父なら……こういう時……どう思うだろうな)


 マックスとフレッドがまともな会話をほとんどしたことはなかっただろうし、それぐらい良い父親ではなかった。

 学も教わらなかった。愛も教わらなかった。何も教わらなかった。


 それでも、フレッドに関して今でもマックスが覚えていることはある。

 度々、フレッドがマックスをクロッカスの外に連れていったことがあった。

 あれはマックスの母親であるナターシャが病気で死んだ後からだっただろうか。


 無限に広がる砂漠、空に浮かぶ太陽、夜になると煌めく星空。

 クロッカスの外の景色はマックスにとって刺激的だったが、必ずしも良いものばかりでは無かった。

 砂漠に転がる骨死体。見ただけでも恐怖を覚えるレギオン。

 しかし、マックスにとってはクロッカスだけだった世界が広がった。


 それは今後も広がり続けるだろう。未だ見たこともない景色を求めて。

 そして、それは安寧の暮らしを続けるだけでは手に入らない物だ。


 故にマックスは冒険者を夢に見た。自由の景色。その世界の美しさに焦がれて。


 醜さを見て見ぬふりをしていなかった訳ではないが、冒険者のその部分に少し、マックスの心がざわつく。


 気が付けば、クロッカスの中にいて、そこは路地裏だった。


 目の前に二人。行く道を塞ぐように壁に寄りかかっていた。


「なんだあんたら」


 友好的、とは考えられない。腰にナイフを携えている彼らの眼は飢えた者の瞳をしていたからだ。


「お前、外から帰ってきた所だろ」

「だったら?」


 背後にも三人、左右の路地二人。囲まれている。


「さっき、商会ギルドでお前が報酬を受け取ってたのを見た奴がいる」

「へぇ……」


 マックスが表情を読まれまいと、被っていた帽子を深く被った。


「ってことは、今のお前は財布が潤ってんだろう?」

「さぁ?」

「俺達最近厳しくてよぉ……分け前をちょっと分けてくれるだけで良いんだ。

 ボランティアだと思ってさぁ、なぁ、頼むよ。肉だるまちゃん」


 マックスの太った体型を見て完全に馬鹿にしているだろう。

 彼らは笑っている。まるで太った羊を見つけた狼のように。


「ちょっとってどれくらいだ?」

「あ~、そうだな。九割、とか?」


 渡した方が良いだろうか、と思う。結局、収支で言えばプラスだ。

 そうすれば、自分の身は安全が保障されるだろう。

 でもその後は、どうだろうか。恐らくこういう連中はこういったハイエナ行為を止めないだろう。


「…………。」

「ヘヘ、どうしたんだよ。黙りこくって」


 一人がナイフを抜いて近づいてくる。


「どうにか言えよ。どうせ死にかけのレギオンぶっ殺してきたハイエナ野郎だろ?

 十割って言わないだけマシだと思って欲しいぜ。なぁ、クソデブ?」


 拳を握るマックスの体が震えている。


「……だっせぇな」


 マックスにとって危険が利益であるとは思えない。危険な物に挑むなら逃げた方がマシだとそう思う方の人間だろう。

 けど、マックスは知っている。危険な物の先に待っている物が価値のある物だと。


「あ?今何――ごっ――!」


 マックスの拳が男の顎に叩き込まれ、痩せていた男の体が一瞬宙に浮き、そのまま倒れる。


「――テメェ!」

「聞こえなかったか?だせぇって言ったんだよ」


 ぼそぼそと呟くマックスに向かって男達が拳を構える。


「良い気になりやがって、お前らやっちまうぞ!」


 前後左右から男達がやってくる。

 それに対してマックスが前の男に向かって拳を握りながら走る。

 お互いの拳が交差し、頬にめり込む。


 それを皮切りに一体多数の殴り合いが始まる。

 拳と拳のぶつかり合いがしばらく続き、痛みも感じづらくなってくる。

 明らかにマックスがボコられているが、男達が止めようとはしない。

 マックスの意識が揺らぐ中、一発を目の前にいた男に叩き込む。

 技術も何もない喧噪の中、運によるクリーンヒットが炸裂する。

 態勢が崩れた目の前の男に次の一撃を叩き込もうとしたその時――。


「おら!」


 既に背後に迫っていたもう一方の男がマックスの後頭部を鉄パイプで殴った。

 揺れる脳。響く痛み。

 遂には立っていられなくなり、片膝をついてしまう。


「初めから大人しくしてりゃ、痛い思いもしなくて良かったのになぁ!」


 再度、振り下ろされる鉄パイプ。

 しかし、それがマックスに届くことはなかった。


「お前は――!?」


 歪んだマックスの視界には見覚えのある顔があった。


「大丈夫?マックス」

「あ、アル?」


 アルヴァルト。マックスの相棒が相手の鉄パイプを片手で受け止めながらそこに立っていた。


「な、なんでお前ここに――」

「おやっさんから伝言があってさ、探してたら見つけた」

「おやっさんが?あぁ~、そういうことね」


 意識がはっきりしてきたマックスが膝をついて、もう一度立ち上がる。


 グローがアルヴァルトに言った言葉はマックスには分からない。

 だが、容易に想像できる。元冒険者であるグローもこういった道を通ったのだろう。

 つまりはグローからのお節介といったところだろうか。


(……おやっさんもおやっさんで口下手だなぁ。まぁそれは俺もか……)

「で、こいつら何?」


 マックスの無事を確認したアルヴァルトが敵意の眼をハイエナ冒険者達に向けた。


「おい、アルヴァルトってあの……」

「ああ、ヒイロさんとタイマンして勝ったっていうあのガキの名前と一緒だ」


 後ろの方でアルヴァルトにビビりながら噂話をしている男たちがそう話している。


「こいつら?こいつらは……そうだな。俺達の敵だ」

「ふーん。じゃあ殺す?」


 鉄パイプを握られた男が目の前のアルヴァルトを見て、冷や汗をかく。

 握られた鉄パイプを取り返そうと力を入れているが、びくともしないからだ。


「殺すなよ。同業者に目ぇつけられんのは流石に御免だ」

「分かった」


 アルヴァルトがグン!っと鉄パイプを引っ張ると、目の前の男がそれだけで態勢を崩す。

 そしてそのまま、鉄パイプを握った方の腕で顔面を殴った。


「ブッ――!!」


 路地の隅に置かれてあったゴミだまりに吹き飛んだ男はそれだけで鼻血を出しながら気を失い、アルヴァルトの手はそのまま鉄パイプが握られたまんまだった。


「う、うおおおおおおおお――!!」


 雄叫びが路地の中に響く。

 残った人数は五人。

 その内の一人がアルヴァルトに向かってナイフを構えて走ってくる。そして、それに連なるようにもう一人が角材を持って突っ込んでくる。


 上段からの角材による振り下ろし。ガラ空きの胴体にアルヴァルトが鉄パイプで軽く突く。

 みぞおちに入ったその一撃で男が固まり、胃の中の物を吐きだした。構わずその顎を膝蹴りで壊す。

 間髪入れずにナイフを持った男がアルヴァルトの横腹目掛けて突き刺そうとするが、アルヴァルトがこれを体の回転だけで容易に躱す。躱した直後に、ナイフを持った相手の手を蹴ると、地面を滑ってナイフが飛んでいく。


 もう二人、左右からの挟み撃ちが来る。同時にナイフを失った男が突進をしてくる。

 その突進に対して、アルヴァルトが前に進み、相手の肩に鉄パイプを絡ませる。

 いつの間にか相手の背中を取ったアルヴァルトがそのまま鉄パイプを相手の脇の下から力一杯引くと、肩の外れる音と相手の叫び声が聞こえた。


「ぐっあああああああああ――――!!!!」


 まだ挟撃の二人が残っている。

 が、その一方にさっき肩を外した男の体を背負ってぶん投げた。二人共、地面に転がって倒れ込む。

 もう一方の男に向かう合う。大柄だ。身長にしてアルヴァルトの二倍はあるだろう。


 鉄パイプを握る力が強くなる。走ってくる大柄の男に向かって低姿勢で走り込み、そのままスライディングと共に股下を抜けて、ふくらはぎを鉄パイプで強打し、骨を砕く。

 大柄の男はそのまま、前方に倒れ込み、膝をつく。


 ちょうど、もう一人が起き上がって、向かってくるタイミング。

 大柄の男が膝をついたおかげでそれがはっきりと見える。


 アルヴァルトが鉄パイプを振り上げて、向かってくる男目掛けてぶん投げる。

 それは見事、相手の額に命中し相手はそこで気を失う。

 跳ね返ってきた鉄パイプが空中で舞っているのが見える。アルヴァルトが大柄の男の背中を踏み台にして跳んだ。

 空中で掴んだ鉄パイプを、そのまま後ろの振り向きざまに振り下ろす。


 その一撃で大柄な男の肩を砕き、再起不能にした。


「は……嘘だろ?」


 最初にマックスがぶん殴った男がいつの間にか起きていて、目の前の事実を受け容れられずにいる。

 人数有利の喧嘩がアルヴァルトが来てから一瞬で覆ったのだから無理はない。


「クソッ!!」

「逃がす訳――」


 劣勢になったのをマズいと思ったのかそいつが逃げだしたのを見て、それをアルヴァルトが追おうとするが、その腕がマックスに止められていた。


「もういい。どうせもう喧嘩を振っては来ないだろう」

「分かった」


 マックスの顔をアルヴァルトが凝視する。

 その顔はたん瘤が幾つか出来、顔が酷く腫れていた。

 元々、大きな顔立ちであったが、更に膨れて豚みたいになっている。


「大丈夫?マックス。ルノに頼もうか?」


 ふらふらのマックスをアルヴァルトが肩を貸して、二人で歩き出す。


「あ?あぁ、大丈夫だ。こんなの屁でもねぇ」


 強がりだ。明らかにマックスの潰れた顔からは涙が流れているのが微かに見えている。


「……なぁ、アルヴァルトぉ……」

「ん?」

「冒険者……嫌じゃないか?」

「何急に?」

「別に、ちょっと聞きたかっただけ」

「嫌じゃないよ」

「じゃあ好きか?」

「うーん……好きってのが、良く分かんないし、嫌ってのもあんまり分かんないけど……」


 マックスがアルヴァルトの表情を観察する。


「ちょっと楽しみなんだよね。色んなところに行くの」


 その表情に嘘が混じっているとはとても思えないほど芯が通った顔をしている。


「俺は賢くないからどう言ったらいいか知らないけど……」

「……そっかぁ。まぁ、なんていうか……良かったよ」

「どうしたの?」


 アルヴァルトの返答を聞いたマックスの頬が和らぐのが見える。


「いや?なんでもない。帰ろうぜ。体中痛くて、やってらんねぇわ」

「うん。分かった」

「そうだ、アル。結構稼いだから今夜はパーティでもしよう。

 何食いたい?」

「なんでもいいよ」

「おっし、じゃあ、屋台で肉食おう肉。食ったことあったけか?」

「ない」

「マジかよ。めちゃくちゃうめぇから気絶すんなよ?」

「分かった」


 そうして、二人は何でもない会話をしながら路地を歩き続ける。

 ボロボロのマックスの顔は酷い有様だったけれど、何処か肩の荷が下りたようなそんな顔をしていた。

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