第二話「命知らずな馬鹿野郎共」
ドンドルド。砂漠がほとんどのこの地はレギオンによる被害がヴィオラ大陸で最も顕著に出ているエリア。
この地はヴィオラ大陸の中枢たる中央連合国イリュシオンから完全に脱却した地であり、公的な援助等々、あらゆる助けはない見放された土地。
ヴィオラ大陸の端に追いやられたそこに秩序はなく、弱肉強食によって成り立っている世紀末のような場所である。
そして、ヴィオラ大陸で最も考古学の研究の対象となっている。
そこは『再生』が始まった場所ともされている。
黒い烏が太陽の下で飛び、その横ではグリフォンなどの飛行するレギオンが飛んでいる。
そんな辺境の場所でも主要都市とされる場所がある。
名をクロッカス。
自然に出来た岩壁に囲まれたそこには、ドンドルドに住まう人間のほとんどが住んでいる。
当然、アルヴァルトもそこに住処を持っている。
ただの路地にボロボロの布切れで簡易に屋根を作ったそれを住処と呼ぶのなら、だが。
「マックスに言われて来てみたら……」
そこに座るアルヴァルトの傍には、ルノが救急キットを携えて立っていた。
その顔は何故か青ざめていた。
「おはよう。ルノ」
「『おはよう』じゃない!また、こんな大怪我して……」
ルノ。アルヴァルトとマックスの幼馴染であり、この街でも顔の効く少女。
砂漠とは相容れない海のような群青の長い髪に太陽のような白い瞳。
「毎回、傷を治す私の身にもなってよ」
そういったルノがポーチから小さい杖を取り出す。
エーテル水晶が嵌められたその杖を持って、アルヴァルトが包帯を巻いていた方の腕を持つ。
エーテル水晶。粒子状のナノエーテルが高濃度高密度の状態に水晶状にエーテル自身が形成する稀有な鉱石。エクソに使われるエーテル電池にもこれが組み込まれている。
「やっぱり折れてる。何をどうしたらこうなるの?」
「ごめん。それはマックスに口止めされてる」
「それ言っちゃってるのと同じ。ったく二人共やんちゃなんだから」
呆れた物言いのルノが折れているアルヴァルトの腕に持っていた杖を近づけた。
「――
ルノが言葉を紡ぐと、杖のエーテル水晶がぼんやりと光りだす。
青い粒子が杖から舞い上がり、それはアルヴァルトの傷ついた体を包みこんでいく。
痛みが和らいでいく。傷が、腫れが、元の状態へと戻っていくのだ。
「やっぱりルノのアーツはすごいな。
元通りだ」
「な、なに急に」
アーツは何もレギオンだけの専売特許ではない。
人間の中にもアーツを用いる者が存在する。
原理が未だ解明されていない技術たるアーツを人間が使えるのは珍しいと言える。
生まれ落ちた時から使える者もいれば、ある事を発端に使えるようになる者も存在する。
ルノは後者。
発端は父親が怪我を負った時だと、アルヴァルトは聞いている。
「そんなに凄いものじゃないよ。
こうしようって思ったら出来るの。
ただそれだけ」
ルノは少し照れくさそうにそういう。
「話は終わり!
ああ、そうそう。父さんがちょっと来いってさ」
「ゲッ、おやっさんが?」
ルノの言葉にアルヴァルトが口を引きつらせる。
「うん。いつも通り、リキッドで待ってるって」
「うーん」
渋るアルヴァルトにルノが意外そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「まぁ、あんまり行きたくはないかな」
「何言ってるの。ほら私も一緒に行ってあげるから」
そういって、ルノが座るアルヴァルトに手を差し伸ばす。
「うん。分かった」
差し伸べられた手を取ることなく、アルヴァルトが治ったばっかりの体を自分で起こし、路地の外に出ようとする。
そこに――。
「おうアルヴァルト!今日の調子はどうだ?
丁度、ウチの新作が出来たんだ。食っていかないか?」
一人の男がアルヴァルトを見つけるやいなや喋りかけてきた。
クロッカスの通りでサンドイッチの露店をやってるバッケオだった。
「バッケオ。悪いけど、今からおやっさんのところに行くところなんだ」
「おお……そうか。じゃあまた今度だ。
そういえば、薬屋のばあちゃんが薬草が無くて、困ってたって言ってたぜ」
「ふーん。じゃあまた行くよ」
なんの気もないその言葉を最後にして、アルヴァルトがそこを去ろうとする。
しかし――。
「アルヴァルト!こんなところにいたのか!探したぞ!」
そこに新しい客がやってくる。
「助けてくれ!」
「ルオーネ。今度は何をしでかしたんだ?」
ルオーネ。お調子者の男。ちょくちょく、悪事を働く。
まぁ、それらのほとんどがそんなに大した悪事ではないのだが。
「嫁さんの大事にしてたグラス割っちまってよぉ。
もうカンカンなんだよ!どうにかならないか?」
「それくらい自分でどうにかしてくれ」
そっぽを向くアルヴァルトにしがみつくルオーネの顔は正に泣き顔そのものだった。
「頼むよ~」
「悪いけど――」
「アルヴァルト!」
困った顔をするアルヴァルトをよそに新たな来客が次々と来る。
「財布を無くして――」
「ウチの子が反抗期で――」
「新作の乗り物を――」
アルヴァルトを中心にそこがどんどんと大所帯になっていくのがルノから見ても分かる。
「困ったな」
「はぁ……なりふり構わず、人を助けてるからこうなるんだよ」
ルノが小さい声でそう呟く。
アルヴァルトは、この街でちょっとした有名人だ。
それは、アルヴァルトが大事を成したとかそういう訳ではない。
明日のご飯を食べれるから。
そういう理由で、アルヴァルトは物心ついた時から人を助けるようになった。
最初はなんてことはない人助けだったかもしれないが、今となっては街にとっての何でも屋だ。
昔から体力だけには自信があったからなのか。
見境なく人からの依頼を受けてはこなしていた。
そういったことがあり、街でアルヴァルトを見かけると頼りを向けてくれる人間が後を絶たない。
「うーん。どうしよう」
人混みの中、こちらを見つめているルノを見つけたアルヴァルトがあることを閃く。
「よ」
「え?」
ふわりと、アルヴァルトの体が空を舞う。
人混みの頭上を超えたアルヴァルトがルノの前に着地すると、その両腕をルノの腰と太腿に回す。
「ごめんルノ」
「ちょ、え、えぇ?」
「ちょっと掴まってて」
少し頬を染めたルノを気にすることもなく、アルヴァルトがもう一度跳ぶと、建物の屋上へといつの間にか着地していた。
そして、後ろを振り返るとアルヴァルトが素っ気なく人混みに向けてこう言い放つ。
「皆。ごめん。困ってるのは分かったけど、後にしてくれ。
先約がいるんだ」
「お、おお」
屋上を跳んで移りいくアルヴァルトの身軽さに全員が驚いて上を見上げる。
抱きかかえられるルノがアルヴァルトの腕の中で動き藻掻いている。
「ちょ、ちょっと!アル!は、放して!」
「駄目。怪我したら危ないよ。もう少し行った所の裏道で下ろすから我慢して」
「大丈夫!大丈夫だから!」
ルノの頬がだんだんと赤くなるのが見て取れる。
「大丈夫じゃないでしょ?ルノの体熱いよ」
「それは……!違くて……!」
照れてる様子のルノに全くアルヴァルトは気付くことはない。
ルノの視線はアルヴァルトの瞳に。
しかし、アルヴァルトがルノの方を向くことはない。
「ほら、もう下ろしてやるから」
風を切っていたアルヴァルトが路地に降りると軽快に着地すると共に、ルノを放す。
アルヴァルトがルノの様子を見る。
もじもじしているようなそんな感じだ。
「どうしたの?どっか怪我した?」
「違う……もう!なんでもない!」
ルノが突然そっぽを向く。
アルヴァルトが何故ルノの機嫌が悪くなったのかを分からないでいる。
「じゃあ、行くよ!」
そういったルノが路地の向こうに走っていく。
アルヴァルトを振り切るように。
「なんで急に走るんだよ。変なの」
アルヴァルトは分からない。まだ、何も知らないから。
◆
『再生』と評された大厄災。それは突如として現れたエーテルによって星そのものが生まれ変わった厄災。それから世界はおよそ四世紀の時間を過ごした。
人が生み出したテクノロジーのほとんどが使えなくなり、当時の流通・システム・科学・歴史など、その他諸々となる常識がひっくり返った。
世界が退廃し、あらゆる全てが壊れ、そしてまた歴史が生まれた。
破壊と再生の輪廻。運命というものは止められない。ただ流れる川にようにそこにある全てを流して大海へと放り込む。
「それで?掛け金は?」
「20。今度は俺が勝つ」
「馬鹿が。そういって、前は負けてたろうが」
「今日の俺は女神に愛されてんだよ」
バーカウンターの奥で静かに歴史の本を読んでいたグローの耳にカードを捲る音と楽し気な声が聞こえる。
カウンターの仕切りの上には、『リキッド』という文字が掲げられ、店主であるグローが経営する店だ。
流すミュージックは決まってロックのリキッドは、長らくクロッカスにあるが客の出入りは決して激しくない。
だが、知る人ぞ知る名店である。
賭け事自由、違法売買自由、仕事の契約だって自由。だから基本的に拠り所の無い冒険者にとっては有名な場所だ。
ここで成される全てにグローは関与しない。たった一つを除いて、だ。
キィ……とリキッドの扉が開く。
「お、やってるやってる。連れてきたよ。お父さん」
そこにはグローの娘であるルノがアルヴァルトを連れてそこにいた。
「ア、アルヴァルト……。あのアルヴァルトか?」
ルノではなく、その後ろにいる。アルヴァルトを見て、そこにいた全員が凍り付く。
「久しぶり。おやっさん」
「おぉ……アル。来たか。とにかくこっち来て座れ」
アルヴァルトは言われるままカウンターに立つグローの下へと行くと、そのまま席につく。
「飯は?」
「まだ食ってない」
「じゃあ食ってけ。なんか作ってやる」
「いいの?」
「ちょうど昼飯作ろうと思ってたんだよ。
チャーハンでいいか?」
「うん」
その隣にルノが座る。
「私の分もある?」
「ああ」
グローがフライパンをコンロの火にかけ、油を注ぐ。
「で、おやっさん。何で呼び出したの?」
その疑問にグローが後目でアルヴァルトの方を見やる。
「……お前、朝何してた?」
グローの言葉にアルヴァルトが少しの間、逡巡し、カウンターの下で指を組む。
「別に何も。散歩してたかな」
「ほぉ?散歩してて、腕が折れるもんか?」
「なん――」
「なんで知ってるかって?ルノがマックスにそう聞いたって言ってたんだよ。
テメェは相変わらず嘘が下手だな」
アルヴァルトがグローの背中を見て、今朝グリフォンを狩る前にマックスに言われていたことを思い出す。
――いいか?おやっさんには冒険者を始めたってのは絶対に言うなよ。バレたら何されるか分かったもんじゃねぇ。
そう言っていた。
「ウチに来ていた冒険者が話してた。
朝方、お前らくらいの背格好の奴等が輸送機に乗って外に向かったってな」
「輸送機って……」
良い匂いがする。穀物が胡椒で味付けをされた料理。
皿に乗せられたそれがアルヴァルトの前に置かれる。
「さて、本当は何処に行ってた」
グローがアルヴァルトの瞳を見つめる。その真偽を確かめるように。
「おやっさんごめん。それは言えない」
「……あぁそうか……。お前ならそう言うだろうな」
頑なに口を開かないアルヴァルトを見て溜息を吐くグロー。
「とりあえず食え。話はそれからだ」
「うん」
アルヴァルトは言われるがまま、出された料理を食う。いつの間にかルノにも同じものが出されていた。
それを見て、グローが店の奥へと歩いていく。
そして、耳の裏に埋め込んだ無線装置を起動させる。青く点滅した無線が何処かに繋がったことを意味する。
繋げた波数は噂に聞いていた最近商会ギルドに登録した二人組の
『――お……仕事の依頼か?悪いね。今ちょっと忙しくて――』
そして、無線から聞こえた声はグローにとって聞きなじみのある声だった。
「随分と幅を利かせてるみたいじゃないか?ん?マックス」
そう。マックスである。
『な――その声!?おやっさん!?』
慌てたマックスの声が無線の向こうから聞こえてくる。
「そう言えば、今、店にアルが来てるんだが……お前今何処にいる?」
『……アルが?』
「マックス。前にも言ったと思うが、冒険者なんてのはなるもんじゃない」
『…………。』
グローの言葉にマックスが沈黙する。
「仕事なら他にいくらでもある。それが嫌だってんならウチの手伝いでもやってたらいい。
でも、冒険者だけは絶対に止めておけ。お前はただの冒険気分かもしれないが、冒険者には常に死が付き纏う。
稼ぎは良いかもしれんが、金に命を賭けるだけの価値は無い」
『金じゃないよ……おやっさん』
「じゃあなんだ。世間も見えてねぇガキが一丁前に夢を語るってか。
馬鹿馬鹿しい」
『なんでそんなこと言うんだよ。昔は……』
「今と昔は違う。それにだ。アルを巻き込むのもよせ」
『巻き込んでなんかいない』
「お前がそのつもりでもそうなっちまうんだよ。
アルはお前を信頼している。それは、お前がアルの命の恩人だからだ」
およそ十年程前、ドンドルドの砂漠に流星が降った日。
マックスは冒険者である父に連れられて、砂漠にいた。
そこに、死にかけの少年が倒れていたという。
マックスが見つけた白い布にくるまれたその少年は後にアルヴァルトと名付けられた。
それがマックスとアルヴァルトとの出会い。
以降、アルヴァルトはマックスの為ならどんなことだってするようになった。
無論、冒険者になりたいというマックスの願いまでも聞き届けるようになった。
『……違う。アルは自分で冒険者になりたいって思ってるよ』
「それはそうだ。なんせ自分の命の恩人が思う夢ってのは、自分がなりたい夢と勘違いしちまう。
本気でな」
『だから違うって……。俺も、前まではそう思ってた。
でも違うんだよ。アルは本当に冒険者になりたいって思ってんだ』
マックスの声色が強くなるのを無線越しで感じる。
「じゃあ聞くが、何でそう思う」
『それは……分からない、けど』
「ハッ、分かんねぇなら話は終わりだな。これ以上はアルヴァルトが可哀想だ。
アイツの為を思うならそろそろ、まともな夢を見てみたらどうだ?
今年でお前も十七だろ?大人になる時だ」
『……じゃあ、おやっさんの言うまともな夢ってなんだよ。
求めもしないやりたくもないそんなことをやってなんになるんだよ。
俺は……俺は自分のやりたいって思ったことをやりたいよ』
聞き分けの無いマックスの言葉にグローの眉に皺が寄る。
「その途中で犬死にしてもか?」
冒険者は年若い者達の間では羨望の対象だ。
レギオンを狩り、それによって生まれる商会ギルドの利益から報酬が支払われる。
報酬は大金で、命を賭けるだけで生涯分の金を稼げる。
だが、それはレギオンを狩り続け、尚、生き続けなければいけないという話を除けば、だが。
冒険者がレギオンとの戦闘中に命を落とすという話は珍しくない。というよりは頻繁にその話が冒険者の耳に入ってくる程だ。
そういった冒険者という職業は、もはや職業などと呼べるものではない。
ただ単に命知らずな馬鹿だと、そう思うだろう。
現にこのクロッカスではそういった夢を見た年若い冒険者が後を絶たない。
それはクロッカスが夢も希望も失った者達の終着点だからだろう。
イリュシオンに保護されることもなく、金もなく、行く当てもなく、そんな者達が集まる。
それはクロッカスが良くも悪くも自由だからだ。
統治する者もおらず、法もなく、外との繋がりを絶たれたそこはまともな夢を見るには少し過酷だと言える。
「フレッドみたいに」
思わず出たその言葉にグローがすぐさま口を手で覆う。
『…………。』
「マックス。すまん。少し――」
グローが謝りかけたそこで『ブツッ』と無線が切れる音が聞こえる。
「――っ、はぁ……」
舌打ちをしたグローが壁にもたれかかり、頭を抱えた。
「…………。」
少し逡巡した後に、グローがカウンターに戻ると、食事を終えたアルヴァルトとルノがいた。
「どうしたの?おやっさん」
「いいや?何でもない。
だが、今日はもう店仕舞いだ。帰れ」
「えぇ?もう?まだ昼だけど」
ルノが勿体ないと言わんばかりの顔をして、そういう。
「いいから帰れ。飯を食ったんならな」
「分かった」
アルヴァルトが言われるまま、席を立って踵を返す。
その後ろ姿を見て、グローが口を開く。
「アル。お前……もし、マックスが死んだら……どうする?」
「父さん?」
ルノがいきなりのグローの言葉に戸惑うがアルヴァルトが真っ直ぐな目をしてグローに言葉を放つ。
「……さぁ?正直分かんないけど、そうはならないよ」
「なんでだ?」
疑問を投げかけるグローにアルヴァルトが即答する。
「俺がいるから」
「……そうか。じゃあマックスに言っとけ。
たまには顔を見せろってな」
「うん。分かった」
アルヴァルトはそういって、リキッドを後にした。
「さぁて、お前らも帰れ帰れ」
リキッドにいた冒険者連中がその言葉に興が覚めたのかぞろぞろと店の外に出ていく。
「……急にどうしたのさ」
残ったルノがグローにそう問う。
しばらくしてグローが煙草を取り出して火を点ける。
「ちょ……煙草は止めたんじゃなかったの?」
リキッドに煙草の煙が漂う。
「たまには吸いたくなるもんなんだよ」
グローがその煙が漂う天井を仰ぐ。そして、昔の青い春を思い出す。
フレッドとの輝くような過去の春。
――グロー。楽園って知ってるか?
「ったく。馬鹿野郎が」
彼は語っていた、遠く彼方の『夢』を。
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