アドリブに乗せた最期の恋

アステカ様

彼女は彼に好きとは言わない。


 余命宣告を受けた。

 あと、半年の命だと言われた時、私は頭の中が真っ白になって、帰ったあとは何も考えずにベッドに倒れ込んだ。


 最近、息苦しさと変な吐き気が続き、近くの病院に行ったら大きな病院で再検査してくれと頼まれ、私は有名な病院に足を運んで検査を受けた。

 

 肺癌、そして肝臓や胃まで転移を確認され手の施しようがないと言われた。転移した場所が多過ぎて把握しても三つ以上、治療が出来るのはあくまで延命程度。抗がん剤治療は苦しく、病院のベッドの上での生活になるとの事だった。


 私は絶望した。

 まだ高校生で、肺癌。

 おまけに余命は半年。


 ぐるぐると頭の中を駆け巡った。

 不安と恐怖と、思い出がフラッシュバックする。まだ死ぬ訳じゃないのにこんなにも怖くて、寂しく感じる。


 気が付けば涙が流れていた。

 怖い、苦しい、死にたくないと感情が溢れて身体が震えて、私の身体を呪った。


 なんで、こんな病気にかかってしまったのだろう。


 誰が悪い訳でもない。

 それでも、私は神様を憎んだ。



 ★★★★★


 

 気が付けば朝になっていた。  

 どうやら疲れて眠っていたようだ。 


 昨日の絶望感が嘘のように軽くなった気がした。身体は重く感じるけど、此処で折れてしまったらきっと死ぬまでずっと引き摺ってしまうから。


 ああ、これからはもう一秒も無駄に出来ない。どうせ死ぬなら、最期の最後まで精一杯生きて満足して死にたい。


 私は計画表を書いた。

 死ぬまでにやりたい事を計画し、書き殴った。だけど、案外思いつかないものだ。


「……やりたい事、かぁ」


 17歳の人生の中で楽しかった事をもう一度やりたい事と、挑戦してみたい事を次々と書いていく。


『好きな人に告––––』


 最後のやりたい事は途中で手が止まった。

 好きな人は居る。付き合いたいと思う人は確かに居る。けど、彼氏を作っても半年で居なくなる私に恋は出来ない。好きな人に傷を残して死ぬなんて嫌だ。


 ずっと私を好きで居て、なんて言葉で束縛して苦しめるくらいなら。


 私は最後の叶えたい事を消しゴムで消した。


 ★★★★★



「どうして…どうして!!私はこんな鳥籠の中に閉じ込められ続けるの!?私は…ただ自由になりたいだけなのに……!」


 演劇部の部室で、秋の文化祭に向けての練習に部員達は圧倒される。時瀬の演技に合わせる部員の次の台詞が出てこない。


 南は部活は真面目に取り組むタイプの人間だったが、いつも余力を残すように感情の主張を抑えるのが基本的なスタイルだった。


 それがどうだ。

 誰もを魅了するような演技と透き通った声が、感情を乗せて襲いかかって来るようで、それを見ただけで本当に演じているキャラなのではと思ってしまうくらいに騙される。そのせいか、合わせる相手がついて行けていない程に、南の演技は超越していた。


「何つーか、やっぱアイツ凄えな」

「やっぱそう思う?」


 部長の正樹まさきはその演技に感服する。

 副部長の千尋ちひろも同じようにその圧倒する演技に驚きを隠せない。


 だが、何というか


「鬼気迫るっていうか…南が練習にここまで全力を出してるの初めてみたかも」

「だよな…病み上がりだっつーのに」


 最近体調戻らなくて部活を休んでた。

 それが嘘のように元に戻って、今まで以上に精一杯に頑張っている。少し入れ込み過ぎなくらいに。


「主役になりたいんじゃない?私達は最後だし」

「ああ、確か配役決めんのは選抜だよな」

「全員出れるけど、やっぱ最後は主役として出たいじゃん?」


 確かに、高校生最後の文化祭は思い出として目立つ役を演じたいと思う気持ちはある。文化祭でやる演目は『怪盗とラピスラズリ』束縛されたお姫様を攫う怪盗の物語だ。


 配役的に考えると、三年の男子である正樹が怪盗役になる。演劇部では男子の数はそれ程多くはなく、活動人数は八人。その中で男子は二人しかいない。

 

「主役は攫われるシンデレラちゃんと怪盗だからね。束縛する男爵や悪役令嬢も台詞は多いけど」


 やはり主役になりたいと思うだろう。

 最後の文化祭、悔いを残したくないのは誰だって同じだ。


「……ふぅ」

「お疲れ、キレッキレじゃない」

「まあね。次、ちひろの練習だよ」

「うん、言ってくる。


 タオルで汗を拭いていると、お茶のペットボトルを渡された。


「なあ南、なんかあった?」

「えっ?」

「いや、こんな迫真の演技っていうか、練習でいつも余力だけは残してたし」


 まるで自分の全てを出し切るような、そんな気迫は以前の南からは考えられないくらいだ。


「次のヒロインの役はさ、私がなりたいんだ」

「だからこんなにか?」


 それにしては気合いが入り過ぎているように見える。だけど、気持ちは分からなくもない。


「まっ、最後だしね」

「……そうだな。俺達は最後だしな」


 三年生は確かに最後だ。

 高校生の青春の中で、最後の舞台だ。ペットボトルの蓋を開け、お茶を流し込む。汗流し過ぎた身体に染み渡る。


「…あっ、悪い。それ俺の飲みかけだわ」


 南はその言葉にお茶を吹いた。



 ★★★★★



「私はもう、こんな狭い鳥籠に縛られない。私は翼を広げて自由に生きていくわ」


 選抜まであと二週間。そんな中で南の演技には磨きがかかっている。


「どうかこんな鳥籠から私を連れ出してくださらない?名も知らない私の王子様」


 その微笑みに怪盗役の正樹は言葉が詰まってしまう。本当にこのまま連れ去ってしまいたいという衝動が襲ってきた。


「正樹くん、次のセリフ」

「あっ、わ、悪い」 


 正樹は怪盗役一択で固定され、他の人は役割をローテーションでやっている。だが、正樹は南が相手になると圧倒される。


「少し休憩にしよっか」


 流石に時間も経ち集中力が切れてしまった。十分だけ休憩を取る事にした。


「何つーか、お前凄くなったな」

「…おだてても、お金貸さないよ?」

「違ぇよ!何つーか、引退前なのに演技が上手くなったな」


 まあね、と返答を返す。


「……なんか、無理してないか?」

「えっ?」

「いや、鬼気迫るっつーか。お前らしくなくて、大丈夫か?」


 私らしくない。

 無理してる事が明るみになっているのだろう。答えられない。答えてはいけない。


 きっと知ってしまえば、この関係も終わってしまう。彼は優しいから、きっと無理する事を止めてしまうから。


 正樹くんは軽く私の頭に手を乗せる。困惑して彼を見る。



「深く聞かねえけど、あんまり無理し過ぎるなよ」



 ああ、彼のこういう所が卑怯だ。

 彼のこういう所に惹かれてしまったから。

  

 

 ★★★★★



 休憩時間になると南は部室を出た。

 出来るだけ部室から遠ざかるように、誰にも見られないように校舎裏の自販機に辿り着く。そして、足が止まると強い息切れを感じた。


「ハァ…ハァ…っ」


 痛い。痛くて身体が重い。

 咳き込まないように必死に耐えて、気持ち悪い。吐き気を抑え込み水道場まで駆け込む。


 ポケットに入れた薬を取り出して飲み込む。そして力無く壁にもたれかかる。直ぐに効くわけではないが、これで少なからず乗り越えられる


 薬が効くのは三ヶ月。それ以上は薬のせいで意識が飛んでしまうらしい。今だけ誤魔化せればいい。


 最後まで欺いて、最高の思い出を作って死ねるまで、まだ倒れてはいけない。


「……クソッ、ビビってる」


 死がこんなに怖いと思わなかった。

 半年と言ってもそれは安静にしていればの話だ。週二とはいえアレだけのパフォーマンスは文字通り命を削っている。


 症状が早い。あと、二ヶ月で文化祭。明日が選抜のオーディションだ。それまで保つのか、分からなくて怖い。


「あと二ヶ月は大人しく…しとけっての」


 最近、たまにだが吐血する事もある。

 本当に、今だけは邪魔してほしくない。青春の真ん中にいる自分の最後の時間だから。



 ★★★★★



 オーディションは成功した。

 南は怪盗に連れ去られるお姫様に選ばれた。千尋は悪役令嬢だ。


『怪盗とラピスラズリ』

 家族に虐げられて、政略結婚させられ、鳥籠の中にいるお姫様で、そこで怪盗と出会いその境遇を知った怪盗はお姫様を攫っていく喜劇の物語。


「ハァ、ハァ…」

「南、もうへばったの」

「へばって…ない」

「キレが悪い……というか」


 普通に動きが悪い。

 オーディションから一ヶ月半経ち、南はまるで別人と思えるようにキレが落ちた。本人にやる気はあるのに、息切れが早かったり、たまに咳き込む事があったりしていた。


「ごめん、ちょっとトイレ」

「あ、うん」


 南は部室から出ていく。

 最近、無理しているように見えたが今回は顕著だ。かなり辛そうに見えた。


「大丈夫かアイツ。あと二週間だぞ?」

「私、様子見てくる」


 千尋は嫌な予感がしてトイレに走る。 

 此処最近の不調に、オーディション前のあの迫真の演技。何かおかしい、南に直接尋ねようとトイレに駆け込む。


「南!?」

「っ!?」


 そこに居た南は血を吐き出している光景だった。出されていた薬と、血で滲んだハンカチ、それだけで隠していた事が何か悟ってしまった。


「何、その血……」


 見られてしまった以上、誤魔化せないと思い、南は観念して全部話した。多分あと一ヶ月で死ぬ事も、この文化祭が最期になる事も、全部話した。

 

「そ、んな……」


 千尋は絶句して声も出せない。

 余命宣告を受けて、半年の命で最期の文化祭。その為に必死になっていた南を見ていたから。

 

 もう限界なのに、もう倒れてもおかしくないのに、南はずっと一人で抱え込んでいたのだ。


「今からでも…役を代えて」


 南は首を横に振った。


「最期なの。本当に最期の私の我儘だから」

「だったら正樹に伝えて」

「やめて……!」


 ––––正樹くんには知られたくないの。

 そう呟いた言葉に千尋は何も言えなかった。それはきっと、自分も同じ事をしていたから。同じ想いだからこそ、千尋は南を止められない。


「ごめんね…」


 南はそう言って千尋を抱き締めていた。

 涙が堪えきれず、千尋は抱き返して泣き出していた。



 ★★★★★



 文化祭当日。


 高校生最後の晴れ舞台。

 泣いても笑ってもこれが最後。千尋も正樹、そして南の三人は手を合わせていた。


「最後だな」

「うん。これが最後、南はどう?」

「問題ないよ。全部舞台に置いていこう」


 それ以上、言葉は要らなかった。

 全ては舞台に置いていく、最後の文化祭に三人とも笑った。


 舞台の幕が上がり、白いドレスを着飾ったヒロイン役の南は演じ始める。


「ああ、此処は鳥籠。私は囚われた小鳥。こんな場所がある限り、私はきっと自由になれない」


 舞台は進む。


「貴様、また外に出ようとしたのか!いいか、貴様は私の言う事を聞いていればいいんだ!」


 舞台は進む。


「本当に醜い。鳥籠の鳥の羽も捥げ、飛べもしない哀れな鳥ね。貴女はずっとそこで飼われていなさい」

 

 舞台は進む。


「囚われのお姫様。どうかこの俺に攫われていただけませんか?」


 舞台は終わりへと進んでいく。

 最後のラストシーンは連れ去られていく姫と怪盗のラブシーン。連れ去ったお姫様を抱き締め、愛を囁く怪盗のシーンで幕は降りる。


 最後だ。南の台詞が回ってきた。


「っっ–––––!」


 そんな時だった。

 南は突如、咳込み始めた。止まらない咳を抑え込もうと必死に耐える。


 そして、南は膝を付いた。

 舞台の真ん中で抑えた手を伝って少なくない血が吐き出される。


「––––南!!!」


 会場は騒然、舞台は混乱し、演技ではない南の苦しい様子に観客は騒ぎ始める。


「––––っ、みな」


 役を演じるのを辞めて駆け寄ろうとする彼に南は無理矢理腹から声を出した。



「っ、私は!!」



 舞台を止めたくない思いが、命を燃やす。



「私はきっと…長くないでしょう」



 この状況すら舞台の一部と錯覚させる。

 アドリブなんて初めてで何を話していいか分からなくても、心に思う事を舞台に焼き付けるように南は告げ始めた。


「私は…貴方が求めるような宝石には慣れません。きっと花のように、枯れて直ぐに散ってしまう。そんな存在です」


「私は確かに自由を求めました。ですが、きっとその自由さえ儚く、刹那の時間と思えるくらい短い時です」


「貴方が私を求める程、貴方はきっと後悔してしまう。きっと貴方の心に傷を残してしまうから」


「––––それでも」


「こんな私を、貴方の力になれない私を」


「貴方より先に散ってしまう私を」


「きっと貴方を後悔させてしまう私を」


「貴方は愛せますか?」


 血濡れた手を胸に当て、南は問うた。

 覚悟を、信念を、意志を、愛を彼女は彼に問うように告げる。

 


「––––それでも、貴方は私を愛してくれますか?」



 真っ直ぐな瞳で彼を見つめる。

 彼女の想いが台詞に隠せないくらいに彼の心に伝わった。


「馬鹿だな、お前は……」


 ただ一言、そう呟くと血塗れた手を握って、抱き寄せると、彼に唇を奪われた。


 驚愕し、黄色い声が体育館を埋め尽くす。



「これが、欲しい答えにならないか?」



 抱き締められて、背中を撫でられて、唇を奪われて僅かに保っていた冷静さを失うくらい何も考えられなくなる。頬が紅潮して上手く言葉が出ない。



「どうか俺に貴女を攫わせてください。お姫様」



 ああ、好きだ。

 こんなにも私はこの人に恋をしてしまったんだ。涙も後悔も全部噛み締めて、私は差し出された手を取った。



「––––喜んで、私の王子様」


 

 首に腕を回して私だけの王子様に連れ去られていく。そして、舞台の幕は降りていく。


 大歓声と拍手が埋め尽くした。

 舞台は成功だった。南の最期の青春が終わった瞬間だった。













「よっ、南」

「おつかれ、正樹くん」

 

 舞台が終わると、南は屋上で目を瞑っていた。夕焼けが綺麗に彼女を照らし、祝福してくれているみたいだ。


「舞台裏の片付け、サボるのは良くないぞ」

「それ完全にブーメランだよ」

「確かに」


 彼は笑って私の横に座る。


「お前、大丈夫なのか?」

「ごめん……多分、もう限界」


 正樹はその意味を悟った。

 無理をしてきた理由を理解してしまったから。ドレスを着たままの彼女はまるで眠り姫のようだ。


「病院、行かないのか?」

「行った所で終わる場所が変わるだけだよ」


 薬はもう飲まない。

 痛みで気を失ってしまうから。此処が終着点になりそうだ。


「肩、貸して?」

「えっ、おう」


 最後の力を振り絞って、動けない身体を動かし、肩に頭を乗せる。

 震えた手で彼の手を握る。とても温かくて、この温もりがとても好きだった。トクトクと心臓の音が聞こえる。若干早くてドキドキしてくれている事に頬が緩む。


「ねえ正樹くん」

「ん?」


 目を瞑ったまま最期の言葉を彼に伝えた。




「––––幸せになってね。私の分まで」




 貴方が好きとは言えない。

 彼の幸せは私では叶えられない。彼が好きだから、溢れて止まらないくらい好きだから。


 私は私の為ではなく、彼の幸せを応援する。私では叶えられない幸せを彼に叶えてほしいから。


 だから、私は彼に想いは告げない。


 思い出も恋も、涙も全部舞台に残した。


 手を握り、肩に寄り添うこの時だけで私はもう充分幸せだから。



「ったく、俺は充分幸せだっつーの。お前はどう……」



 返事は無かった。

 


「南……?」



 南は目を開ける事は無かった。

 彼女が握っていた手の暖かさに、とても安らかで幸せそうな顔をしていた。

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