悟りのカッテチャン

吾輩は藪の中

その1

 人が死ぬ時はいつだと思う? って聞かれたら、私は真っ先に、と答える。


 自分でも、この答えは相当にひねくれてるのは分かってる。勿論わかってるよ。


「それでは、号令をお願い致します」


 国語教師のその言葉を合図に、この高校の生徒達の手は机にふれる。


 とても行儀よく、機械的で――もはや言葉通りでも比喩的にも正確に、誰かの言う事を聞く準備をおこなった。


 私は、イヤホンを外し、遮断された別世界から戻ってきた。


「起立」


 名前は忘れたけど、女子の委員長の号令が掛かる。またもや機械的に立ち上がる生徒達。


 そんな光景を見ると、色んな事を思い出して無性に腹が立ってくる。


 私は集団行動が苦手過ぎるみたいだ、嫌いになりたい程に。


「お願いしま〜す」


 膝上までのたけにしたスカートを抑えながら、首だけを下にうなずかせ、存外ぞんがいな礼をする私。


 どうせ誰もスカートを見ないのに、何故か気を付けてしまう。


 靴下だって、長い白なんだ。露出してあるのは膝だけ。色気のい、の字もなければ、性別としての女のお、の字もなかった。


「ちゃくせ〜き」


 何が着席だ。太陽系M-17マーズ高等学校の席であれば、是非とも着陸からの着席をしたいくらいよ。


 ……はぁ、"憂鬱"だ。

 

 だから私はいつも、思考してしまう。


 どこの誰でもない人に話しかけるように、吐き出すように。


 吐き出した物が力を持ち、怪物にでもなってこの世の構造全てがひっくりかえってしまえば良いのに、なんて冗談半分に考えながら。


 狂気じみた正気で、暴走してく妄想。


 誰も私の話を理解できると思えない、だから話せない。もし話せたって、返ってくる答えはこうだと思う。


『え? なんでそんな事いうの? 心を預けられるって、良い事じゃん!』


『もしかして、そんな事言って構ってもらいたいの? うわぁ〜、塩崎さんって超変だねぇ!』


『ダメだよ。人の事を大切にしなきゃ。昔から、物には魂が宿るって言うでしょ? そんな言葉もあるんだから、人の事はもっと大切にしないと』


 ――うっさいわ! その台詞ぜんぶシュレッダーで切り刻んでから、「バーカ!」って文字にして家までウーバーイーツ配達してやる!


 ……嘘。自分でひねくれてると分かりながらも、結局こうやって反論してしまう。心の中で大量に。


 あ〜〜〜あっ。


 別に、どれもこれもっ本気には思っていない。冗談で考えているんだよ。


 心を預けられるからって、人が死ぬとも思ってないし、そういう言葉を掛けてくれる皆の事をバカだとも思っていない。


 ただ、ただねっ。


 私は何故か、誰かの近くにいる時、異様にを覚えるんだ。


 異様に、異様に。


 あ〜、例え話をしましょう。


 私は幼稚園の頃に、初めて出来た友達がいたの。それはとても幸運な事に。


 名前は『ミナ』ちゃん。


 推理小説っぽく存在Aにしようかな? とか思ったけど、そこに辿り着くオチも芸も無いからやめとく。


 それはミナちゃんにも申し訳ないし。なんなら、この世界から見た私が、存在Aみたいなもんだからさ。


 はい、えーっと。とにかく、そのミナちゃんと私は、小学校3年生かな? ぐらいまでずっと仲良くしてたんだよ。


 朝は一緒に登校をして、授業の合間の休み時間は必ずどっちかの席に行って、給食もこっそりミナちゃんの所に行ったりして、お昼休みは2人でカッコいい俳優さんやアイドルの話をして、たくさん笑った。


 帰る時も、ずっと一緒だった。なんなら、そのまんま家に遊びにも行った。


 朝のラジオ体操がどこかから流れてきても、一緒。お昼の少し騒がしく、良い匂いのするランチの時も一緒。


 疲れたーという声と共に、帰路を急ぐ足音がそこかしこに聞こえる夕暮れ時も、一緒。


 明日はきっと良い日になりますように、そんな願いを込めて夢へといざなわれていく夜だって、時には一緒に居た。

 


 お揃いの服は麗しく輝き、可憐に彩られた髪留めはくったくなく笑い、私達の想いを暖かく切り取ったあの写真は色褪せない。


 

 お互いにいた似顔絵は、それはそれはもう、美しい女性としてえがかれていました。



 本当の本当に、何もかもが楽しかった。


 だけど、いつしかそれは、無くなっていった。


 いつからそうなってたんだっけ。分からない。


 気付いたらもう、あのは居なかった。どうしてそうなったかなんて事も、覚えていない。


 

 ただ1つ覚えていたのは。


 

 私に向けていたあの娘の笑顔は。


 

 いつも側で、私を私で居させてくれた笑顔は。

 


 もう一生、私に向けられる事は無い。



 そう悟ってしまった、あの時の。



 あの時の、気持ち悪い感情だけだった。


 

 ――例え話になってない? いいえ、なっているの。


 この一連の流れの責任は、全て私にあるから。


 あの子と一緒に居る事、それが、いつの間にか私の苦痛になっていた。


 だから私は、ミナちゃんに対して変な態度を取って、この結果を招いた。


 だからミナちゃんは、あんな顔をして、あんな事を言ったんだ。


 全部、全部、私が悪かったんだ。


 ……そういう事だよ、分かった? 私がどれだけ阿呆でひねくれ者で孤独で独り言を呟いてる痛い子だっ、て事。


 そうだ、1つだけ教えてあげるね。私とミナちゃん、その後に何回か席が隣同士になったんだ。


 でも、2人は全く話さなかった。卒業するまで、全く。


 親友同士の面影は1つも、1つも、残っていなかったんだよ。


 

 あぁ、そういえば。私とミナちゃんの席って近いのに、何故かいつもさ、手の届かないような、そんな感じに……思えてたんだよね。



「え〜と、では次の問題に行きます。答えてもらう人はぁ、塩崎さん。『塩崎しおざきみもり』さんっ」


 ――国語、そうだ。今は国語の時間だったね。


 はぁ〜、嫌だ。


「はい……」


 気だるそうに立ち上がり、その長い黒髪の、傷んだ毛先をいじりながら教科書を見つめる。


 眼鏡に微かな青空が見えた。窓の外は晴れで明るいのに、太陽も光の反射も上手く見えなかった。


「ではですね、太宰治だざいおさむの代表作でもある〈人間失格〉の、第1の手記冒頭に書かれている1文を答えてください」


 どこかで、誰かがペンを落とす音がした。


「あ」


 っ、っ、ははっ。っ、なにそれ、最悪。


「塩崎さんっ」


 右側から聞こえる男子の声に耳を傾けず、立ち上がる無様な私。


 ペンが椅子のどこかに当たる音がして、止まった。


 私の人生と同じくらい簡単に。


 ごめんね、『宮森みやもり』君。今ちょっと私、性格の悪さが出てるみたいで、とてもあなたのような美しい人に、合わせられる顔がないみたい。


「し、塩崎さんっ?」


 先生から問いかけられた瞬間、頭の中に、こんな言葉が聞こえてきた。



 Q. 〈あなたの人生〉という小説にある、このシーンでの作者の心情を答えなさい。




「…………を送ってきました」



 

 お揃いの服は暗澹あんたんとした暗闇にボロボロと捨てられ、可憐に彩られた髪留めはシクシクと泣いて、私達の想いを切り取った写真は冷たくかすんでいき――――。




 お互いにいた似顔絵は、それはそれはもう醜い化物として、えがかれていました。







○●○●







 冬だ。冬が今ここに居る。


 いつも側で体を叩いてきて、凄くうっとうしい。だから嫌いだ。


 早く私の側から離れて欲しい。


 高校の冬はイベント事も多くてうんざりしてる。


 あんなにたくさんの人間と関わらなきゃいけないなんて、極悪商人や胡散臭い宗教の勧誘よりも劣悪だ。


 同調圧力ダメ、ゼッタイ、断固拒否。


 それに、悪い事は全部、冬に起きるって決まってるの。


 いじわるな神様が、私にそんな罰を与えて、今頃どこかで笑っているのよ。


「塩崎さんっ!」


 この世ではないどこかに意識を取り残されてる気分でいたから、びくっとして、机を大きく揺らしてしまった。


 自分の見ていた景色が、ジェットコースターに乗ってる時みたいに一気に切り替わる。


「え、誰かが私を呼んだ……」


 教室のどこかから聞こえた声は、まるでそこに音が込められているみたいに、透き通るような心地の良い物だった。


 辺りを見回して確認すると、声の主は右方向から現れた。


「あっ、えっ、みみっ、宮森みやもり君っっ。な、何っ?」


「さっき、落としたシャーペン拾ってくれてありがと! 俺が拾えない方まで行っちゃったから、どうしようかと思っちゃったよ」


 うっ。眩しい笑顔。私とは一生縁の無さそうな、明るくてカッコいい男の子――『宮森 叶翔みやもり かなと君』。


 学校内スクールカーストでも、かなり上位の実力者。


 つまり教室内だけでなく、学校全体で人気のある存在。


 おでこが少し見えていて、前髪は、細く平行に整えられた眉毛に、丁度かさなっている(なんかこれ、センター分けっぽい前髪ってどこかで見た気がする。よく分かんない)。


 今風の、ふわふわ爽やかで、中性的かつ眉目秀麗びもくしゅうれいな顔立ちの黒髪美少年。


 話してる所を見られたら、他の女子から何を言われるか分からない。傷付けない程度に、会話を早く終わらせないと。


「だ、大丈夫だよっ。私の右が宮森君で、左に居る私の左足側まで落ちたんだよっ。拾うのは私の責任っ。かっ、監督不行届にはしたくないしっ」


 どんな会話してるの私? おおむね間違った事は言ってないけど、ぎこちなさすぎるでしょうっ。


「へぇ〜〜。塩崎さん、優しいんだね」


「へっ? い、いやそんな事ないよっ。ほら国語も終わって次は掃除だよっ。早く行かないと、先生に怒られる」


 無理だ、色々と耐えられない。人と話すってだけでダメなのに、それが人気者とだなんて。


 彼の右側を通り、早足で逃げていく。上履きの足音は随分と重たく響き、木塗りの床を駆けていった。


「あ、待って!」


 なんでっ、なんで声を掛けるの!


 皆にバレちゃうよ!


「は、はいっ」


 教室の入口付近で、怯えるような震え声を発した。数人の生徒に見られている恐怖から、足も、左右に悲しくダンスをしている。


「えっとね」


 宮森君は、自分の机からノートを引っ張り出し、私に近付いてきた。


 目の前で静止し、彼の体の前にそれを出して表紙を見せてきた。そこに書いてある文字を目で追うと、「国語」と明記されている事が確認出来た。


「さっきの国語の授業で塩崎さん、途中から書けてない所あったでしょ。ペン拾ってもらったお礼に、後で見せるから。俺の所、ちゃんと来てね?」


「あっ……いや、でも、えっえぇ?」


 驚いた。私がボーッとして、書けてない事が分かっていたのか。


 というか、多分ペンを渡した時に見えたんだと思うけど。


 って、視線っ。視線ヤバいっ。


 とりあえず返事だけでもしておこう。


「あっ、うん。分かった。また後で話そう、ごめんねどうも」


「うん。また後でね!」


 心臓をドンドンドンドンと叩いてきそうな程、息も詰まる程、攻撃力の高い笑顔を放ち手を振る宮森君。


 到底、それに対して振り返す勇気など私にはなく、うつむいたまま小走りで掃除場所に向かっていった。


「はぁ、はっ、くっっ」



 誰かから、愛想や笑顔や優しさを、貰える権利なんてっ、無いよ。







○●○●







 掃除が終わった。いつもなら軽い足取りで、教室までのルートを、頭の中で歌いながら帰っている。


 ちなみに、今の私のプレイリストはラップメタル。


 ヒップホップという、言葉を巧みに操ってリズムを刻んでいく音楽と、ギターやドラム、ベースの低音をより重たく過激に演奏するメタルという音楽を組み合わせた物。


 人によっては、色々と混ざり合ってるって事で、ミクスチャーロックとも言ってるみたい。


 私はこうやってラップする事で、強い女で居る気分を味わう事が出来るのだ。そうだ、私はきっと強いのだ。


 一向に強くなれる気配は全くしないけど。


 それに、こんな説明なんて今はいらないか。


「はぁぁ。帰りたくない。まさか宮森君からも胡散臭い宗教の勧誘みたいなのされるなんてぇ」


 まぁさ? 爽やかで優しかったから? 少しは緩和されたけどさ?


 でも、やっぱりあれは怖かったよ。うん。怖かった。


 ……あっ、て、てことはぁぁ!


 やっぱり皆やさしい顔しながら私を、神聖かつ神秘さに溢れるいかにも『ボクタチ』『ワタシタチ』は怪しくないよ?


 みたいな場所に連れていって、大事な私の最初を劣悪に辛辣に独善的に享楽的に奪っていくんだぁぁぁぁ!


 有りもしない嘘をでっち上げて、既成事実を作られて、冤罪えんざい事件を勃発ぼっぱつさせられて私の人生をブチ殺す気なんだぁぁぁぁ!


 近所の風俗店に売り飛ばされるんだぁぁ!


 理不尽なノルマを課せられて、それを達成出来なかったらもっと酷い事をされるんだぁぁ!


 世界は最低だということが分からないように、頭をボカスカ殴って、記憶の脱皮を強制させられるんだぁぁぁぁ!


 偏見にまみれた一辺倒な人間にさせられるんだぁぁぁぁぁ!


 そんな理不尽や、クソみたいに見せ掛けだけの人類なんてブッ壊してやりたいんだぁぁ!


 こうなれば決まりよ塩崎みもり! 


 今日中に、太宰治みたいに身を投げて来世に期待するの!!


 誰にも迷惑を掛けないようにこっそりっちゃうのよ!!


「来世ではっっ、食物連鎖も殺人衝動もヒエラルキーも人種差別も無いユートピアで、皆に嫌な思いをさせない可愛い女の子になって可愛い女の子と結婚出来ますようにぃっっ!!!!!!」


 …………あっ。


 だ、誰も見てないよね?


「あっ、あっ」


 明らかに不審者な声を出しながら周りを見てしまったけど、良かったぁ誰も居ない。


「ふぅぅ。良かったぁ〜、とりあえずダイナミックにビルから身を投げてこよ〜っと」


「そうか。俺、から手伝おうか?」


「えぇそうねぇ。それはもう、アクション映画並みの凄い物が出来ちゃうから是非とも………………『俺、空とか飛べるから手伝おうか?』」


 創作物にありがちな展開と台詞にゾワゾワしながら、声の主を探す。


 ちなみに、今私が居る場所は理科室のすぐ近くにある廊下。


「どこにいるの? てか今日なんか、声の主を探してばっかな気が」


「ここだよ。窓の外を見てごらん」


「窓の外? ん〜っと、あぁ〜〜ぁいっ!?」


 居たよ。居てしまったよ。嘘じゃない、見た。



 空を飛ぶ、姿みたいな奴を。



「うわ、うぅわ、うわうわぁ〜〜〜。私ほんとにダメになったみたい。統合失調症? 双極性障害? うつ病? やぁっばとりあえず帰ろ〜」


「お、おいちょっと待て。これを見て驚きもしないってどんなメンタルしてるんだ」


「それよりも、身投げとスーパーの卵の値段と洗剤で頭がいっぱいなので無理です〜」


「生きたいのか死にたいのか分からないラインナップだな」


「死にたいと思う事と死にそうな事は別物なので、生きる準備だけはしておかないと〜」


「大丈夫かい? さっきも中々に大きな声で、独り言を言っていたようだし」


「えっ。幻覚が私の脳内で喋った事を知っている。本格的に病院に行こうかな。あ、ナプキン買お」


「いやいや、あんたが口に出した事だし。あと病院からスーパーに向かっちゃってるけど大丈夫か。東と西が逆転した地図を使ってるだろそれ」


「どちらかと言えば北と南ですね」


「そうかそうか、今すぐ日本地図をほぼ完璧に計測した伊能忠敬さんを呼んで、地図を変えて貰った方が良いな」


「そんなメル友みたいな扱い無理です……ていうか、あなた何なんですか」


 頭を働かせずに、通しで会話をしてしまった。


 ほぼ意味の無い会話だったけど、微妙に会話のリズムが良かったから、言葉が川に流されていくように滑らかに泳いでいっていたよね。


 で、ようやく頭が働いてきたので、彼に質問をする事にした。


 一応これでも私は小説をたしなんでいるほうだから、こういうのに理解が無い訳ではないし。


 て、理解が無い訳ではないって、なんか変なの。


「俺の事? 俺はアマっていうんだ、よろしく」


 そう言うと、アマは窓の向こうからこっちに移動してきた。


 廊下の真ん中くらいに居る自分の目の前――さっき理科室の近くで窓を向いていたから、本当に丁度真ん中に降り立つようにアマは来た。


 まるで、目の前に障害物が無いかのように、なんなく通り抜けて。


「うわっ。現実で遭遇しても、ほんとにこういうのすり抜けちゃうんだ。スゴ〜。創作物と一緒」


「そうだね。あんたら人間がよく観てる作り話と、大体一緒さ」


「ふぅ〜ん。ね、アマって漢字なの? 海女さんとか尼さんとか。それとも違う言語?」


「漢字は、天空の天と書いて「アマ」っていうんだ。単純だろ?」


「大分単純ね。もっと複雑な意味があるのかと思ってた」


「この名前、素敵だろ。良い名だよなぁ」


 狐のお面をして素顔は見えないけど、なんかその嬉しそうな声を聞くとお面も笑ってるように見える。


「っ、な、なんか。随分と自分に自信ありげな言い方」


「ん? いや、自分というかこれは神社の巫女様から付けてもらった名なんだ。だから素敵だろって」


 何を言ってるんだ? という感じの気の抜けた声で語り掛けて来た天を見て、私は一瞬青ざめた顔を浮かべる。


 それから、ぎこちのない笑みを作って間違ってごめんなさいという誠意を見せた。


「ご、ごめんなさい。他の方から付けてもらった名前だなんて知らなくて」


「別にいいよ。確かに、俺って少し態度大きいって巫女様にも言われるからな。もっと〈ハライ〉は凛として居なければいけませんよ、って言われてるし」


 手(というか羽根)を頭(もはやトサカ)の後ろにやって、いやぁ困ったなぁ〜と言わんばかりの仕草を見せる天。


 なんかこう見てると、面白い鳥を見てるみたいで態度のデカさも可愛く見えてくる。


 って今、気になる単語が。


「あの……〈ハライ〉って?」


 小説でも聞いた事の無い単語に、少しだけ興味が湧いていた。


「気になる? 〈ハライ〉ってのはな、人の苦い思い出やトラウマを払い除ける存在の事を言うんだ。主に、巫女様から命を授かって各地を飛び回ってる」


「へ、へぇ〜〜。なんか凄いねぇ〜〜」


 本当は目をキラキラ輝かせて聞きたいけど、なんか馬鹿にされそうだし私のキャラじゃないしで、とりあえず素っ気なくしちゃった。


 本当の本当は興味津々なのに。こういう所、私の嫌いな所だな。


「俺達は、巫女様から命を授からない限り、動く事は出来ない。もしもそれを破って、動いてしまったが最期、そいつは針山地獄の上を一生歩く事になるみたいだぜ」


「いっっっ! それは怖い……」


「まぁっ、破った事ある奴いないから知らないけど! ははは!」


「…………」


 なんかキャラ掴めないなぁ。


「……あんた、俺の面を見てなんかキャラ掴めないなぁとか思ってるだろ」


「っ! い、いいえ? そんな風に思った回数は、映画で泣く回数よりも少ないけど?」


「ちなみに泣く回数は?」


「あっ、えと、1つの映画で……ご、ご、べべ、別に言わなくても良いよね?」


「5回泣いてるんだな」


「いや、あの」


「最大でも4は思える辺り怪しい。というか思ったより泣くな」


「う、ううっ、うるさいなっ。ももも文句ある?」


「意外とピュアで可愛いと思ったが?」


「…………なんか、私ちょっと天の事を嫌いになりそうだわ」


 というか既になってるかもしれない。可愛いとかスラスラっと言う辺り、なんかムカつく。


 どうせそうやってスラスラっと色んな子に言ってるんだよ、そうだ! だからやだ! やだやだ!


 ……なんか私のがキャラ掴めないかも。


「えぇーー。なぁんだよ、せっかく助けてやろうとしたのにさぁ〜。あんたのあの叫び聞いたら、どんな〈ハライ〉でも気になって来ちまうぜ?」


 頬を膨らませていた私に、天がしょんぼりとした声でそう言った。


「え、それってどういう事?」


 元の暗そうな顔(私の通常)に戻り、疑問符をストレートに投げ付けた。


「さっきの話でも言ったが、〈ハライ〉は人のトラウマなんかを払い除ける奴らで、〈フコウドアイ〉で対象を見付けるんだよ」


「〈フコウドアイ〉?」


「そう。俺達はそれを感じ取って、交渉を相手に持ち込む」


「交渉? それはどんな内容なの?」


 すると天がこちらに近付き、羽根を広げてこう言った。


「簡単だよ。相手の願いを叶える代わりに、それと同等に見合うトラウマをもう一度呼び起してもらうのが条件。それに加え、幻覚も観てもらう」


「そ、それって……。本当に叶うの?」


「叶うよ」


 羽根を閉じて、即答する天。


「じ、じゃあ例えば、おっ、おおっ、おおお、お金持ちにして下さいって願ったらどうなるの?」


 恐る恐るたずねてみる。


 あまりのキョドりように、口から出た言葉は天に真っ直ぐ飛んでいかず、軟弱な飛行で地面にへたりついてしまったかもしれない。


「……………………………………」


 やばい、本当に飛んでいってなかったかも。


 息をのんで、緊張の色を隠せない顔で答えを待つ。


「そのくらいのレベルになると、恐らく本人はトラウマの段階で耐えられず、精神を壊してしまうかもしれないな」


「えっ! そっ、そんなっ」


 驚きや落胆、多くの感情を複合させた表情で私はうつむく。


 上手い話には裏があるというけど、これはそれを完全に体現していた。


「じゃあ、高望みとかはしちゃダメなのね。……って、もしもトラウマが些細な物しか無かった場合はどうなるの?」


 極端な話、りんごジュースを飲むとお腹が痛くなった、だからその飲み物は忌々(いまいま)しいトラウマである。とかが最大の人もいる可能性はあるよね。


「残念だが、小さいトラウマでも、願いと同等のレベルに増幅されるみたいなんだ。詳しくは俺にも分からない。巫女様の話ではそうみたいだからな」

 

「そうなんだ……。あんまり上手くいかないね」


「俺もなぁ、なんかそれ矛盾じゃね? とか思うんだけど、その理屈は覆せないんだってよぉ」


「毛づくろいしながら言うと説得力が……ていうか、そもそもなんで人の願いを叶える為にトラウマを必要とするの? なんの意味でそんな事を……」


「巫女様曰く、フコウドアイを放っておくと、いずれ世界に災いが降り掛かる恐れがある、との事だってさ。だから俺ら、あんたらでいうヒーローみたいなもんらしいぜ!」


 災い、か。


 確かに、人間の歴史を振り返ってみても、たくさんの災いは降り掛かっているのは確かだし。


 っ。私、そんなのを、体にまとってたんだ。


 人に迷惑掛けちゃう、そういう事になっちゃうんだよね。


 じゃあ、早い所それを払い除けてもらわないといけないじゃん。


 誰かに迷惑掛けるのだけは、本当に勘弁。


「天。私の願いを叶えて欲しいの。なるべくフコウドアイを下げたい」


「えっ、決断が早いなぁ。いいの? 本当に辛いらしいよ、トラウマを呼び起こす時」


 天が羽根をバタつかせて驚いた。かなり意外だったみたい。


「大丈夫だよ。私、丁度叶えたい願いがあったから。それじゃ、言っていい?」


「お、おう、いいぜ」


 戸惑いの声を出しながら、その見た目に異様な溶け込み方をしているスーツをピシッと伸ばす天。


「宮森叶翔君から国語のノートを見せてもらうのではなく、『水梨 瑠羽みずなし るう』ちゃんから国語のノートを見せてもらうようにして下さい」


「了解。しばし待ってくれ」


 そういうと、彼の目の前に御札が現れた。どこからともなく。


 ここに、フコウドアイを吸収するのかな。


「…………よし、出来た」


「そ、そんなに早く出来るの?」


「あぁ、あんたのフコウドアイが、しっかりとした形を持っていたからな。早く出来上がったよ」


「しっかりとした形?」


「そう。あんた、相当な人生を送ってきたんだな」


「…………………………えっと、いいよ、とりあえず始めよっか」


 何も答えられなかった。いや、答えたくなかった。


 なんだかんだで言っても、こんなの、よく分からない怪物であろうと言いたくもなかった。


 変人とか、狂人とか、はたまた極悪人だと自分を思っていても、結局わたしは凡人なんだ。


 そう思えてしまった。


 常識とか恥ずかしさとか、まだ持ってたんだ、自分。


「……いいか、ヤバくなったら、"解"って叫べよ。この儀式から逃れられる可能性が出てくるからな。それじゃ、いくぞ」


「…………うん」


 次の瞬間には、もう既に景色は変わっていた。





――――――――――――――――――――――――――――――





 暗かった。いや、赤い。赤暗あかぐらいという言葉を作りたい程に。


「なにこれ…………」


 周りを見渡す、右、左と。


 右側に見えたのは、干した洗濯物と白い壁。左はカレンダーや棚、散らばった物があった。


 全てに見覚えがある。これは……。


「私の家……。でもなんか、家だから見覚えが有るとか、それだけじゃない。何故だか、どこかで見た事がある気がする」


 胸騒ぎがした。左心房さしんぼうが歌い出した。メタルソングよりも早く、重たく、凶悪に、速さも強さも加速させていく。


「……あっ。なによ、みもり。またあんた片付けもしないで」


「………………っっっっ!!」


 冗談じゃない、ノートを見せて貰う相手を、1人だけ交換するだけだ。


 なのに、なんで……。


「今1番、思い出したくないトラウマが選ばれるの……??」


 入ってきたのは、母親だった。


 酒と煙草たばこの匂いを、害悪な程にき散らし、胸が大きく見える半袖シャツと脚をかなり露出させた短パンで、買い物袋をたずさえていた。


「あぁ? なんの話よ。いいから早くこれ片付けな。それ終わったら洗濯と飯、さっさと作って」


 私は知っていた。この先、どういう展開が待ち受けているのかを。


 私は絶望していた。このトラウマに、更なる恐怖が植え付けられる事を。


 洗濯、とか。料理、とか。


 聞くだけで、動悸どうきがしてくる。


 だから、学校でもどこでも、イヤホンは欠かせなかった。そんな言葉、歩いていたらどこでだって出くわすから。


「……なに、なんで止まってんの」


 私はこれを、断われるのだろうか。そうしてしまったら、何か変わるのだろうか。


 あぁ、っ、なんで今ミナちゃんの事を思い出したんだ。なんでっ……。


「で、でで、出来ません」


 そう考えている内に、いつの間にかその銃弾は飛び出していた。


 至近距離から放ったにも関わらず、この母親という皮を被った鬼には、その球がめり込まなかったみたいだった。


「は? なんで」


「あっ、いやっ、ちがっ…………」


 うつむいたまま、震える肩で大きく息を吸う。


「やりたく、ない」


 沈黙。鳴り止まない心臓の音が、一層自分の耳に届いてくる。


 目の前の鬼は、地域で評判の良い短い黒髪が美しい人、という外面そとづらを持っていた。


 だが、


 旦那のお金を使っては、違う男と遊び、娘を苦しめ、夜の商売で下卑げびた声を上げながら、これまた見知らぬ男の欲を受け止めるそんな女等、美しくも無かった。


 けがれた糞溜くそだめに住み着くような女だ。


「あっ、そ」


 次の瞬間、私の視界から、母親というカワの被った鬼が消えた。


 正確には、私の髪をあいつが引っ張りながら、顔を床に叩き付けた、が正解だ。


「いっっっ! たっ、痛い!!」


「あたし仕事で疲れてんだよ……金払ってもらって、ただ遊びに行ってるだけのあんたと違うんさ!! 生意気な口叩くんじゃないよ!」


 髪が乱れ、今日を楽しく過ごす為に綺麗に整えた潤沢が、消えていく。


 何度も、何度も、


 ただの畳なのに、それは猛威を振るって、怨みを持って、人としての尊厳が無くなる程に殴ってきた。


 殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴られて。


「痛い! 痛いよっ! やめてっ、もうやめて……。痛い痛い痛い!! やだっ、やだっ、やだっ!!」


 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。


 畳に血があった、皮があった、髪の毛があった、小さかったそれらは、どんどんどんどん大きくなっていった。


「だいっ、たい! 仕事で交わったっ! どこの馬の骨とも分かんねぇようなクソブスジジイの子なのにっ、娘面してっ! 思春期なんかかましてんじゃねぇよ!!! ドブスがっ!!」


「えっ……仕事で? どこの馬の骨って、ど、どういう……」


 自分の言葉が出てくる前に、首に重たい何かがのしかかった。


「あ゛ぁ゛っ゛っ゛!!」


 叫び声が、自分の物だと認識出来なかった。得体の知れない化物の、甲高くておぞましい声だと思った。


 それ程までに、焼けるような激痛を首に感じた。


「う゛ぅん゛ん゛っっ!! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死゛ね゛っっっっ!!!!」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!! いやっ!!」


 私の視界は、また移り変わった。床と壁と天井を、2回程往復した。


 首に感じた激痛は、一瞬無くなったが、程なくしてまた訪れてきた。

 

 今すぐにでも楽になりたい、圧力や熱が何百時間も体に染み渡っているような痛みが襲う。


 そして、私をそんな風にした正体を、奇妙な形で目にしてしまった。


 鬼の手には、鎌が握られていた。


 そいつの目の前で、首から血を大量に吹き出し、今にも倒れそうな体があった。


「いっっっ……いやぁぁぁっ!! 首っ、くっ、首が首が首が首が!!」


 首のあった所からは、未だに血が吹き出している。


 血の雨を一心に浴びる私は、汚れを洗い流すのではなく、汚れをまとうかのような汚物でしかなかった。


 最低だ、クズだ、ゴミだ、人権侵害だ、尊厳の冒涜ぼうとくだ、酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い!!!!


 どうしてっ、ただ普通で居たいのに、ただ穏やかで居たいのに、ただ楽しくしていたいのに、ただ仲良くなってみたいのに、ただっ……。


 普通に生きていたいのに。


 それだけなのに。


 どうして私だけ、私だけ、私だけ、私だけ、私だけがこんな目にわなきゃいけないの? どうして? 教えて。


 神様がいるなら教えて、私は何故苦しむの。


 何故、痛みがあるの。どうして。


「うわっ……切り落としたらめっちゃ血ついた。無理……。今から男から金せびらなきゃなのに」


「っ! ……返してよ! 首も、人生も、お父さんも、返して! 私の大切を全部返して!!」


 血の雨に邪魔をされながら、殺してやりたい相手の顔をにらみ付ける。


「返して欲しいのはあたしの方だよっ!! お前が、あたしの人生を壊したんだ! お前が旦那を殺した! 一応言っておくけど、あのクソブスジジイも、あんたがんだよ」


「は……? 違う……違う違う違う!! 私はそんな事してない!!」


「いいや、あんたがやったんだ。……こういう風に」


 生首のまま否定をすると、鬼が私の首を掴んで棚の近くにあった鏡に顔を思いっ切りぶつけた。


「あ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁっっっ゛っ゛!!!! や゛め゛ろ゛ぉぉっっ!!」


 額も髪も毛穴も、目も鼻も口も顎も、頭の骨格全てに激痛が走る。


 何度も鏡の割れる音を聞きながら、血を流し、骨を折られていった。


「んんっ! んんっ! んんっ!! 死ね死ね死ね……汚れてる、あいつの子は汚れてる、生まれてくんな、生まれてくんな、生まれてくんな、生まれてくんな!!!!」


「っ、っ、っ、っ、っ!!」


 顔は原型を留めてなかった、そこら辺の草むらに投げ入れても、気付かない。粗大ごみのよう。


 憎らしい、この女が憎らしくてしょうがない。


 今すぐにでも、その鎌を奪ってズタボロにしてやりたい。


 その願いも叶わず、ただひたすらに、私の顔は醜悪しゅうあくに砕けていった。


「触んなよこのクソガキ!!」


 鬼は、もう既に倒れて地面に血を流していた私の体に、首を叩き付けた。


 コロコロと転がった私の首は、机の脚にぶつかって止まる。


 視界に鬼と体をとらえて。


「た、す……け……」


 首をぶつけられてるときに、舌を噛みちぎったのだろう、声も全く出なくなっていた。


 そもそも、生首の時点で喋るのも困難な筈(はず)なのだから、皮肉で滑稽こっけいで無様で阿呆あほうだ。


「じゃあな、お前の教育費から金とって、弁当買ってくるわ」


 そうやって、奴は棚を漁り始める。


「…………………………」


 悔しくて涙が溢れた。


 グチャグチャな顔に、それが流れた。


 私が一体何をしたというのだ。


「おまえのせいだからだよ」


 どこからか声が聞こえた。


「……?」


 私の首の断面から、何かが作られていく。


 それはゆっくりと創られ、髪の毛も生えていく。


 一瞬で、私になったのだ。


 気持ち悪かった。生えていく過程も、生える意味も。


「おまえは、わるいことをした。こんなことをされるのもあたりまえ。ばかかよ。あたまわるいな、


 違う、私はそんなんじゃない。


「ひとごろし、ひとごろし」


 違う……違うっ!!


 私は人殺しじゃない!!


「ひとごろし、ひとごろし」


 生えた首は、また血を吹き出しながら、吹っ飛んでいく。


 そして、また生えてくる。生えては切れ、生えては切れ、何個も何個も、私の生首が目の前に積み重なっていく。


「ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし」


 声が反響してくる、全ての生首が、私を見て責めてくる。


 違う、違う、違う。


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 人殺しじゃない!!!!


 私はっ、私は……っ!!





 生首達のその声を聞いた直後、ぶつっとテレビの電源が切れたように、私の目の前は真っ暗になった。






―――――――――――――――――――――――――――






「塩崎さん、さっきは私の代わりに問題を答えてくれてありがとうっ! でも、そのせいでノート取れてなかったよねっ。だからこれ、見せてあげる!」


 酷い目にあった私はその対価として、目の前の可憐な女の子との対話を実現している。


 正直、あんな目に合うのであれば、宮森君のままでよかった。


「うっ、ううん。そんな事ないよ。それじゃ、水梨さんの帰る時間もあるし、早く終わらせちゃうね」


「ゆっくりでいいからねっ♪」


 可愛いな……なんか癒やされていく感じする。


 それじゃあ、サクッとやらなきゃ。


 私はノートを貰い、テキパキと写していく。


「…………あれ?」


「ん? どうしたの、水梨さん」


 なんだか真っ青な顔で、私を見つめる可憐な彼女。


「……っ! 塩崎さん、なんで……」


「え?」



、生きてるの」

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悟りのカッテチャン 吾輩は藪の中 @amshsf

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