第9話

 ゆっくりと、こちらに近づいてくる羽柴君。


 いつもと、何も変わらない彼のはずなのに。


 何故か、今の彼からは謎の威圧感と言うか、言葉にし難い迫力があった。


 私の周りにいた人達も同じように感じていたみたいで、誰も羽柴君に話しかけることができずに、ただただ静観する事しかできていなかった。


 そのまま私の下へとたどり着いた羽柴君は、私の手を取り、言った。



「探しましたよ、島風さん。こんな空気の悪いバカの吹き溜まりみたいな場所にいたら停学になっちゃいますよ? 帰りましょう、明日も学校なんですから。」


「え……あ……はい……」




 あ、あれ……羽柴君ってそんな汚い言葉を使うような子だったっけ?


 と、困惑している私なんてお構いなしに、そのまま私の手を引き出口へと連れ出そうとする羽柴君。


 言われるが、されるがままに、私も彼の後ろについて行こうとする。


 けれど、それを簡単に許して貰えるわけもなく、状況を理解し飲み込んだであろう若林が羽柴君の肩を掴んだ。



「おい! なんだお前! 突然現れて調子乗ってんじゃあああぁぁぁぁぁ!」




 しかし、若林は羽柴君の肩を掴んだ瞬間に宙を舞い、そのまま地面へと叩きつけられた。


 若林は、何が起きたか理解できずに混乱しているみたいで、そのまま真実を知ることなく気を失った。


 それもそうだろう。


 直接見ていた私ですら、目の前で何が起こったのか理解できずに、混乱しているのだから。


 私も、私の周りにいた人達も、全員が揃いも揃って口を開けて絶句していた。


 何が起こったのかは、この目でしっかりと見ていたから、理解しているはずなのに。


 それなのに、百聞は一見に如かずとも言われるはずなのに、私は、私がこの目でみた事実を受け入れられずにいた。


 羽柴君が……あの羽柴君が……人を投げ飛ばした!?


 あの、クラスでは目立たずに、勉強ばかりしている羽柴君が……


 やっぱり、その事実は到底受け入れられるものではなくて、どこか、今私が見たのは全て幻覚か何かなのではという疑問が頭の中に湧いてきた。


 そうだ、そうだよ、あの地味で穏やかな羽柴君がそんな事できるはずがない。


 そもそも、人間が空中で一回転して吹き飛ぶようなはずがない。


 それらは映画やドラマの中だけで発生するフィクションなわけで、現実で発生するわけがないんだ。


 やっぱり、何かの見間違いだと必死に自分に言い聞かせていると、あっけにとられていた久守さんの取り巻きの男の子三人が正気を取り戻したのか、怒声を上げて羽柴君に詰め寄った。




「なんだおまっうっ!」


「うぇ!」


「ぽっ!」




 けれど、羽柴君は触れられる前にその三人を一撃で撃沈し、その場に跪かせる。


 まるで透明人間に足掛けでもされてるみたいに、人間が羽毛のように倒れていく。


 襲い掛かるその様は、まるで獲物を狩る虎のようで、倒れた人間を見下す姿は風神を彷彿とさせた。


 やっぱり、私が見たのは幻覚なんかじゃなかったみたいで。


 全て、羽柴君が引き起こした現実だった。


 でも、理解はできても、やっぱり受け入れる事は難しくて。


 あの羽柴君が、どうしてこんな乱暴な……と、困惑してしまう。




「島風さん?」


「は、はい!」


「帰りましょう?」


「は、はい……」




 困惑している私は従順に従う事しかできずに、再び彼に手を引かれて出口へと向かった。


 しかし、それを良しとしない者がまた一人、私達二人の前に立ちはだかった。




「ちょ、ちょっと! 何よあんた突然っんん!」




 勇敢にも、男四人をなぎ倒した人間の前に立ち、抗議をした久守さん。


 けれど、文句を言い切る前に羽柴君に首根っこを掴まれ宙に浮かされてしまう。


 久守さんをつるし上げ下から見上げる彼を見て、再び私は言葉を失った。


 普段の羽柴君とは、まるで違う。


 これが彼の本性なのだろうか。


 女性にも全く容赦をせず、人殺しのような目を向ける彼こそが、本当の『羽柴虎太郎』なのだろうか。


 もしそうだったのなら、うざいくらいに絡んでいた私もどうにかしている。


 店から出たら、私も〆られてしまうのではないだろうか……


 そう思ってしまうくらいに、今の彼は、羽柴虎太郎は恐ろしかった。


 まさしく、「修羅」だった。




「うっ…やめ…はなし…」


「何だ? これくらいで音を上げるのか? 情けない。俺には分かるぞ。お前、弱い人間を見つけては虐げ奪ってきたような人間だろう?」


「ち、ちがっ……」


「嘘をつくな。お前の目はそういう卑怯な奴らと同じ色をしている。何人もそういう人間を見てきた俺を騙せると思うなよ?」


「うぅ……うがっ……」


「何だ、もうギブアップか? お前が虐げてきた人間はこれ以上の苦痛を受けて、長い間もがき苦しみ耐え忍んできたはずだぞ? それをお前は……お前が今感じている苦しみなんてまだまだ序の口だ。たとえここで俺に殺されたとしても文句は言えない程の罪をお前は重ねてきた。違うか? そうだろう?」


「…いやっ…ごめん…なさい…許してくださ……」


「はっ、雑魚が」




 抵抗するためにもがいていた久守さんの動きが段々鈍くなり、呂律も回らなくなり限界を迎える寸前で、羽柴君は首を締めあげていた手の力を緩め、久守さんを放り投げた。


 そのまま羽柴君は再び私の手を掴み、出口に連れて行こうとする。

 

 羽柴君に掴まれている右手がガタガタと震えている。


 きっと味方のはずで、私を助けようとしてくれているはずなのに。


 私は羽柴君が怖くて怖くて仕方がなかった。




「おいガキ! お前俺の店でなにやって…」




 店を出る直前、店主がいちゃもんをつけようとした……その前に。


 目の前にあったテーブルを蹴り上げて威嚇し、ギラリと睨みを効かせて羽柴君が言った。



「どうする? この場で客と関係者全員肉塊にしてやってもいいし、後から店にとって都合の悪い事実かき集めて社会的に抹殺してやっても良いんだぞ? 未成年売春を黙認している店なんて、叩けばもっと埃が出てくる吹けば飛ぶような味噌っカスだろ? どうする? 選べ」


「うっ……」


「はっ……高校生のガキに言いくるめられるなんて情けない……まぁいいや、とりあえず社会的にも肉体的にも死にたくなかったら、金輪際俺とコイツに関わるな。いいな? ちょっとでもウロチョロしやがったら……殺す」




 青ざめて項垂れる店主の顔を背に、私たちは店を出た。


 地下にあった店から階段を使って地上に降り立つ間に、徐々に徐々に昂っていた気持ちが静まり、落ち着きを取り戻していく。


 そうして正気を取り戻した私が最初に疑問に思ったのは、言うまでもなく彼に対しての事だった。




 …………えぇ!? 羽柴君って何者!?




 そう思うのはごくごく自然の事で、ましてや普段の大人しく真面目な羽柴君を知っている私からすれば当然だろう。


 どうして私がいる場所が分かったのか、どうしてあんなに強いのか、どうしてその強さを隠していたのか。


 疑問を挙げればキリがなかった。


 けれど、質問したい気持ちを抑えて、一番最初に羽柴君に掛けるべきであろう言葉を、私は口にした。


 きっと、羽柴君は私を助けるために、あの場所に来てくれたのだろう。


 だったら、色々とツッコミたいところはあるけれど、初めに言うべき言葉をこれ以外にはあり得ない。




「あ、あの……羽柴君……助けてくれてありが……」




 しかし、言い切る前に、私は羽柴君に壁に押し付けられて、言葉を遮られた。


 凄い力で私を押さえつけ、私の目を睨みつける羽柴君。


 その迫力に言葉を失っていると、羽柴君はゆっくりと口を開き、言った。




「おい……」


「は、はい!」


「いいか、お前は今日何も見なかった。冴えないクラスメイトと放課後遊びに行って、帰っただけだ」


「は、はい!」


「今日見たことは忘れろ? いいな? 記憶から抹消して、絶対に誰にも言わない。そして、明日からも何一つ変わらない、いつも通りの高校生活を過ごす。お前の隣の席に座るのは地味で真面目で大人しいガリ勉陰キャだ。わかったか?」


「は、はい!」


「わかったなら、それでいい。帰れ」


「う、うん……あの羽柴君……」


「もし……誰かに今日あった事を言ったり、俺の本性がバレる事があったら……」


「……あ、あったら?」


「お前も……殺す!」


「ひっ……ご、ごめんなさぃーーーー」




 あまりの迫力に、私はその場から走って逃げてしまう。


 やっぱり、やっぱり羽柴君の本性はこっちの方だったんだ!


 暴力で全てを解決し、弱い者から奪い笑う、私が忌み嫌った強者の側の人間。


 私は、そんな人間の秘密を知ってしまい、脅されてしまった。


 あの久守さんや、若林とかいう男を捻り潰してしまうような巨悪に。


 それが何を意味するのかは、言わなくてもお察しの通りだろう。


 つまり、私は今、中学の頃と同じ道を辿ろうとしているという事だ。


 いいや、中学の頃よりも状況は悪いのかもしれない。


 とことん私も運が悪い。


 中学に引き続き、こんな人に目を付けられてしまうなんて……




 あぁ……私の高校生活どうなっちゃうの……泣

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