第9話
「はい……あら? レイド? こんばんは……こんな夜中にどうしたのですか?」
「こ、こんばんは、シェリー。ごめんね、こんな夜中に突然。えっと……なんていうかその……急にシェリーと話したい気分になっちゃって……」
そうして居ても立っても居られなくなった僕は、迷惑だと分かっていたにもかかわらず、シェリーの家を訪ねていた。
困惑するシェリーに、取ってつけたような理由を伝える。
すると、シェリーはしばらく逡巡した後に、全てを包み込むような優しい笑顔を浮かべて言った。
「そうですか、急に話したくなったのなら仕方ありませんね。うーん……どうしましょう……あ、そうだ、広場の方まで散歩して、そこで話しましょうか」
「えっ……い、いいの?」
「はい。お母さんに事情を話してくるので、少し待っててください」
「あ、うん……」
そう言って、シェリーは玄関の扉を閉めた。
そわそわと落ち着きなく、玄関の前をグルグルと歩きながら待つ事数分。
何故か機嫌が良さそうに扉を開けて出てきた彼女は、寝間着の上に薄い防寒着を羽織り、その長く美しい髪を後ろに結っていた。
どうやら、散歩をするために装いを変えてきたらしい。
いつもと違うシェリーの姿に、僕は思わずドキッとしてしまう。
「お待たせしました」
「あ……うん……ごめんねシェリー、我儘言って。おばさんに怒られなかった?」
「少し小言を言われましたが、まぁ、大丈夫でしょう。全く、レイドが甘えん坊さんなのがいけないんですからね?」
「う、うぅ……ごめんよシェリー」
「あはは、冗談です。お母さんには少し心配されただけですし、何かあったら真っ先に相談してほしいって言ったのはこの私ですからね。レイドの我儘を聞いてあげるのも、年長者で幼馴染のこの私の使命みたいなものです」
「シェリー……」
「それに、普段なら夜中に出歩くような事はしないので、少しワクワクしちゃいます。私、こういうイタズラみたいなの嫌いじゃないんですよ」
「あはは……そうだね……」
「何だか気持ちが昂ってきましたね……そうだ、レイド、広場まで競争しましょう! 負けた方が次の休日のお昼にパンを奢るということで……それでは!」
「あっ……ま、待ってよシェリー!」
そう言って走り出すシェリーは、いつものような知的で凛とした雰囲気とは真逆の、
純粋な子供のような笑顔を浮かべていた。
まるで、昔に戻ったような感覚だった。
幼い頃はよく、こうしてシェリーとかけっこをした。
近所に同じ年頃の子供がいなかった僕達は、いつも二人で遊んでいた。
朝も昼も夜も、まるで姉弟のように、過ぎる時間を共有してきた。
けれど、成長するにつれて、二人で過ごす時間は減っていて。
美しく、優しく、才能のあるシェリーの周りには、多くの人間が集まった。
それでも、シェリーは貴重な時間の一部を僕と過ごす事に充ててくれて。
僕も、シェリーと過ごす貴重な時間を大切にしていたのだけれど……
今度は、その一部ですらも奪われようとしている。
正直、気が気ではなかった。
一刻も早く、シェリーが許嫁の件についてどう思っているのかを聞き出したかった。
無邪気に笑ってこちらに振り返るシェリーに、僕もぎこちない笑顔を返す。
けれど、心の中は全く笑えていなかった。
「あはは、私の勝ちですね! レイド、年上とは言え女性に負けているようではまだまだですよ?」
「はぁ……はぁ……確かにそうかもしれないけど……あんな不意打ちみたいなスタートを切るのは流石にずるいよ……フライングだよ……ちょっと卑怯だよ……」
「なっ……ひ、卑怯なんかではありません! これはですね……そう、兵法です! 立派な戦略の一つですよ!」
結局、広場に着くまでシェリーに追いつく事はできずに、彼女は勝ち誇ったような表情を浮かべてそう言った。
けれど、僕がそう指摘すると、彼女は慌てるように反論した。
多分、自分の行動を省みて、思うところがあったのだろう。
珍しくムキになるシェリーは、それはそれで可愛かった。
結局、シェリーはどんな時でも、どんな事をしてても可愛かった。
だから、多くの男に目を付けられる
「……それで、話したいことってなんですか?」
「え?」
「何か私に相談したい事があったから、こんな夜更けに尋ねてきたのでしょう? 普段のレイドだったら、少しでも人に迷惑がかかるような事をするはずないですもの。何か、よっぽど切羽の詰まった事情があったとしか考えられません」
「えっと……あの……まぁ、そうなんだけど……」
どうやら、シェリーは僕の様子がおかしい事に気づいていたみたいで。
気づいた上で、こうして僕と二人きりになれるような選択をしてくれたみたいだ。
僕が、周りに気を遣わずに言いたい事が言えるように。
シェリーの気遣いに、僕は浮ついた気持ちになった。
シェリーに優しくされればされる程、シェリーに対する気持ちや執着が強くなる。
けれど同時に、シェリーに対する想いが強くなればなるほど、僕の醜い部分も色濃く表に出てきてしまいそうな、そんな気がした。
シェリーは広場の中央に植えられている大木の側、レンガで舗装された壇になっているところに腰かけ、僕にもそうするように、こっちにおいでと手を招いた。
ほわほわとしてしまう気持ちを、首を横に振って断ち切り、僕は本題を切り出した。
「あの……僕も噂で聞いた程度なんだけど……」
「はい」
「えっと……その……」
「……レイド、どんな事を言われても、私はあなたに幻滅なんてしません。それに、ここで聞いた話を他の誰かに言いふらす事も絶対にしない。だから、安心して全てを話してください。一人では辛くて絶望的な事も、二人で知恵を持ち寄れば解決するかもしれないじゃないですか。あなたのためなら、私は持てる全ての知恵と力を持って尽力します。私はあなたの味方です。だから、信用して話してください」
「あ、ありがとうシェリー……えっとね……」
「はい、何でも聞いてください。私の知っている事なら全てお答え……」
「シェリーに、第三王子の許嫁の話が来た事についてなんだけど……」
「…………え?」
「だから、シェリーの許嫁……」
「えぇ!?」
煮え切らない僕に掛けてくれた、シェリーの暖かい言葉。
そのおかげで僕も踏ん切りがつき、覚悟を決めて聞きたい事を聞けた。
しかし、シェリーの反応は僕が思っていたものでも、先程シェリーが言っていたようなものでもなくて。
クールでクレバーな彼女には珍しく、動揺していた。
シェリーはみるみるうちに顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに、それでいて抗議をするように僕に言った。
「だ、誰にその話を聞いたのですか!?」
「いや……母さんが、シェリーのお母さんから聞いたって……」
「うぅ……お母さんめ……あれだけ秘密にしてって言ったのに……あの人は私の事になると口が軽くなるのが悪い癖です。まぁ、基本的にレイドのお母様にしか話さないから大丈夫なんですけど……というか、話したかった事って私の許嫁についてだったのですか!?」
「え、うん……」
「はぁ……もう、勘違いしてしまいました。私はてっきり、レイドが学校で嫌な事があって、それを私に相談しにきたものだとばかり……もう! こんな事で夜遅くに尋ねて来ないでください! 心配して損したじゃないですか!」
「ご、ごめん……」
「全くです!」
プンプンと怒るシェリーに謝りながら、僕は恐る恐る質問を続けた。
シェリーにとっては重要な事ではなかったとしても、僕にとっては命よりも大切な事だったから。
「そ、それでさ、シェリー……許嫁の話……受けるの?」
「え? あぁ、受けませんよ」
「えっ!?」
すると、シェリーはあまりにもあっさりと、そう答えた。
予想外のシェリーの返答に、僕は思わず驚いてしまう。
だって、普通なら、一市民にとってこんなにも名誉で有難い縁談はあり得ないのだから。
仮に僕がシェリーだったとしても、こんな話がきたら快諾するだろう。
それなのに、シェリーはどうして……
「驚き過ぎですよ、レイド」
「ご、ごめんごめん。でも、どうして? すごく名誉ある話だと思うんだけど……」
「それは……」
僕がそう聞くと、シェリーは顎に手を当てて考えたあと、また、さらっとした表情を浮かべて言った。
「私、結構自由の身でいたいタイプですし、自分を殺して誰かを立てたりとか、守ってもらいたいような人間じゃないんですよ。たしかに、王女になるというのは誇り高きことです。でも、名誉や誇りのために自分の気持ちを蔑ろにするのを、私は望んでいません。それに、結婚は……その……す、好きな人としたいですし!」
饒舌に、そう語るシェリー。
けれど、最後の方は何故か言葉尻が窄んでいた。
それでいて、僕を見たかと思ったらすぐにその視線を逸らして顔を赤らめている。
シェリーが何を思って、どんな気持ちでそう考え言葉にしたのかは、僕には分からなかった。
でも、きっと、賢く大人びて見えるシェリーにも、案外乙女なところがあるという事なのだろう。
「そっか……ごめんね、突然こんな事聞いちゃって」
「別にいいですけど……本当に私の許嫁について聞きたかったのですか? 言いたかった事隠してません? 大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ、ありがとうシェリー」
「そうですか……ならいいですけど……はぁ、何だか疲れました。夜も更けてきましたし、そろそろ帰りましょうか……」
「そ、そうだね」
そう言って立ち上がり、帰ろうとするシェリー。
彼女の背中を見ながら、僕は考えた。
そうか、シェリーは許嫁の話を断るんだ。
シェリーは、誰の物にもならない、他の誰にも奪われない。
それなら、もう何も心配しなくてもいい……
とは、思えなかった。
今は、そうかもしれない。
ただ、もっと大人になった時にはどうなるだろう。
シェリーが成人しても、今と同じような価値観を持っているのだろうか。
きっと、そうではないのだろう。
それに、もっともっと魅力的な男がシェリーの前に現れて、シェリーに求婚したらどうなる?
シェリーは言った、結婚は好きな人としたいと。
それはつまり、裏を返せば、好きな人ができれば誰かの物になるという事だ。
シェリーは王女に見染められるくらいに美しく賢く洗練された人間だと言うことが、今回の件で証明された。
だったら、いつ誰がシェリーに惚れて、シェリーを物にしようとしても不思議じゃないし、その中の誰かにシェリーが恋をするのも時間の問題だ。
分かっているのは、その男達の中に僕は含まれないという事だけだ。
僕には、何もない。
ただでさえ劣等で落ちこぼれなのに、王子に見染められるような女の子の心に入りこもうとするなんて夢のまた夢だろう。
だから、きっといつかは、シェリーは僕以外の他の誰かのものになってしまうのだろう。
そんなの、死んでも嫌だった。
自分でもおかしなことを言っているのは分かっていた。
でも、それでも、シェリーを奪われるのが嫌だった。
自信も能力も才能もないのに、独占したい。
ひどく醜く矛盾した自分の感情には辟易する。
じゃあどうすればいいのかと必死に考えても、分からなかった。
何もない僕に、シェリーの心を引き留める選択肢なんて無いに等し……
……いいや、ある。
一つだけ、たった一つだけ、僕にはシェリーを他の誰にも奪われず、引き留める方法があった。
ただ、それは、倫理的に褒められた手段では無くて。
下手をすれば、今までの僕とシェリーの信頼関係の全てを崩壊させかねない、ギャンブルのような悪手だった。
けれど、それを使えば、成功すれば、僕はシェリーを他の誰にも奪われないで済むわけで。
追い詰められて、現実に打ちひしがれていた今の僕には。
その最悪の選択肢を使うしか、道は残されていなかった。
「シェリー?」
「ん? どうしました?」
「……ごめんね」
「えっ? 何が……」
「ホレイル!」
手をかざして、僕は、禁断の祝福を唱えた。
……最低だ。
僕は、最低だ。
真っ向からシェリーに立ち向かうわけでもなく、こんな、彼女が今まで僕に掛けてくれた善意の全てを踏みにじるような……
でも、でも……
これで、シェリーを誰にも奪われずに済む。
最低だと思うのなら、せめて今からでもシェリーに見合う男になるように努力すべきだ。
シェリーを自分の物にするのなら、絶対に幸せにするという責任を負え。
何不自由ない人生を送らせろと、僕はそう自分に言い聞かせるように覚悟を決め……
「……ごめんねって、何がですか? それに、ホレイルってなんです?」
「…………え?」
しかし、僕の思惑とは裏腹に。
シェリーはキョトンとこちらを見ているだけで、僕が望んだような状態には全くなっていなかった。
それが、何を意味するのか。
つまりは、どんな異性でも自分に惚れさせ服従させる僕の祝福『ホレイル』は。
何故か、自分がこの世界で一番惚れさせたい異性、すなわちシェリーには全く持って通用しなかったという事だ。
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