第16話
…………。
「……へぇ~、完全に混ざっちゃってる。どうなってんのこれ?」
「思うに、固有スキルの効果ではないか?」
……混濁した思考の中、頭上から声が降ってきた。
一人は若い女の声。もう一人は渋い男の声だ。
「固有スキル……ってなんだっけ?」
「各ダンジョンマスターに与えられた固有のスキルのことである。聖女様も所持しているであろう?」
――俺は、生きてるのか?
どうも、記憶がはっきりとしない。俺は一体、何をしていたんだったか。
頭痛を堪えながら目を開ける。周囲にダンジョンの岩肌は見えない。にもかかわらず、ここがダンジョンの中であると、本能的に理解していた。
「あ、目を覚ましたわよ」
至近距離で俺の顔を覗き込んでいたのは、十代前半ほどに見える、人形のように整った顔立ちの少女だった。
ゴスロリ調の衣服を身に纏い、片手には閉じた状態の日傘を持っている。……そして、その肌は人間とは思えないほど青白く、口元からは鋭く尖った犬歯が覗いていた。
……おそらくは、ヴァンパイア。
「――ッ!」
「あ、待って。動いちゃダメよ」
飛び起きようとした瞬間、少女のか細い指が俺の額に触れる。
途端に、身体は硬直し、石にでもなってしまったように動かなくなった。
少女の赤い両目が怪しく光っているのを見て、それが俺の持っているスキルと同種のものだと悟る。
「『停滞の魔眼』……オリヴィア様にいただいた眼よ。あたしのお気に入りなの」
……指一本も動かせる気がしない。
相手に直接働きかける魔眼の効果は、彼我の魔力量によって増減するはず。それは、俺とこの少女の魔力量に、天と地ほどの開きがあるということを意味していた。
「……む~、なんか生意気」
なんとかできないか考えを巡らせる俺を見て、少女の赤い目に嗜虐的な色が宿る。
「ねぇ、今、ここで遊んでも――」
「駄目に決まっているであろう。その者を生かすと決めたのは、聖女様御自身である」
「ちぇ~」
少女に問いかけられ、掣肘したのは隣に立つ長身の男だった。
白の貫頭衣を見に纏った精悍な男は、背中に禍々しい黒の翼を生やしている。なんらかのモンスターであるはずだが、俺のモンスター召喚に該当するモンスターは存在しないように思える。
「お、お前らは……何なんだ? それに、聖女様って……」
幸い、発声は禁じられていなかったようで、喉から掠れた声が漏れ出た。
「他人に名前を訊くなら、まず自分からじゃない?」
「我は堕天使のエドキエルである!」
「あ! なんで先に答えちゃうわけ!?」
隣にいる男が元気に名乗ってくれた。
堕天使……やはり、俺のモンスター召喚には表示されていないモンスターだ。堕天使がモンスター、というのもしっくりこないが……。
「我もこの者に誰何しようと考えたところである。故に、我が先に名乗るのが道理」
「あんたが答えたら、あたしも答えなきゃいけない空気になるじゃない!」
「であるなら、お主も名乗ればいいのである」
泰然とする男に、歯軋りをして睨みつける少女。
しかし、少女はやがて観念したように溜め息を吐いた。
「……あたしはシルヴィア。ヴァンパイアの真祖よ」
……真祖。何者かに血を吸われて吸血鬼になったのではない、純粋な吸血鬼。
召喚時のオプションで設定できるのか、何らかの条件で成るのか、はたまた少女が適当を言っているだけか、今の状態では判断がつかない。
「まあ、あんたの名前なんて超鑑定で最初から見えてるんだけどね。ノイドって、何の変哲もない名前ね」
「超鑑定……」
超鑑定は鑑定よりさらに詳細な情報が見れるスキルだ。
俺の持っている隠蔽スキルではステータスを誤魔化せないはずで……ということは、俺の種族や特殊称号も見えているはずだが、そのことに言及する様子はない。
「……にしても、本当にこいつがデュラちゃんといい勝負したっての? ステータスも顔も平々凡々だし、とてもそうは見えないんだけど」
「そう聞いてはいるが……あやつも甘いところがあるかならな。……それと、顔は関係ないであろう」
「関係あんのよ! イケメンは実力者って相場が決まってるんだから」
なんだよそれ。つーかデュラちゃんって誰だよ。
デュラちゃん。デュラ、デュラ……デュラハン?
「――ッ!?」
その瞬間、ようやく俺が何をしていたか思い出した。
『彷徨いの迷宮』の第7階層。呪いの剣を持ったデュラハンに無謀な戦いを挑んだんだ。戦力差は圧倒的で、死にかけもいいところで、それでも諦めなかったのは――
「ディア!!」
「わっ!? い、いきなりおっきな声出さないでよ! びっくりするじゃない!」
「ディアは……!?」
自分で口に出してみて、頭の奥の冷静な部分が状況を整理し始める。
デュラハンとの戦闘を経て、俺が気を失ってから、数十分も経過していないとは到底考えられない。それは、呪いを解除することは叶わなかったということで……。
「ディアって……ああ、あのケットシーね。あの子なら――」
と、少女が言いかけた瞬間、ヴァンパイアの少女と堕天使の男は何かに気づき、揃って背後に傅いた。
それは、デュラハンとの戦闘で止めを刺される直前にも見た光景だった。
「…………」
……果たして、しずしずとこちらに歩いてきたのは、豪奢な聖衣を身に纏った女性だった。俺と大して歳は変わらないように見えるが、不思議なほどの威厳を振りまいている。
その数歩後ろを歩くのは、首のない巨大な鎧騎士――デュラハンと、白銀の艶やかな毛並みをした狼。
俺の側にいた少女と男も無言でそちらに合流し、聖衣女性を先頭として、背後に三人と一匹が並んだ。
そして、女性の胸元に抱きかかえられていたのは――
「ディア!」
「騒ぐでない。……すでに呪いは取り除いてある」
見れば、ディアは穏やかな顔で寝息を立てているようだった。解呪不可の呪いだったはずだが、俺が知らない方法でなんとかしてくれたらしい。
ディアが生きていることに心の底から安堵するが……こいつらの思惑が全く読めない。
俺の予想が正しければ、あの女性はダンジョンマスター――この『彷徨いの迷宮』を管理する存在のはずだ。
ならば当然、後ろのデュラハンを嗾けた黒幕であり、こいつのせいでディアが死にかけたと言ってもいい。なのに、なぜ今度は助けたのか。
こいつらは、俺にとって敵なのか、敵じゃないのか。
「まず、其方に問いたいことがある」
その琥珀色の瞳が、まっすぐに俺を射抜いた。
場の空気が、一瞬にして重苦しくなったと錯覚してしまうほどの威圧感。デュラハンのように直接的な強さではなく、何か、根源的な格の違いのようなものを感じる。
「其方は、人か? それとも人ならざる者か?」
少しの欺瞞も許さないとばかりに、後ろのモンスターたちも眼光鋭く俺を睨み据える。
おそらく、ここで回答を誤れば、俺は殺されるだろう。
そう確信しながらも……この問いだけには、どうしても嘘を吐くことはできなかった。
「俺は……」
琥珀色の瞳を見返して――
「……人間だ」
人間でありたいと、そう願っている。
「…………」
しばしの沈黙。
無限のようにも思える時間の末……女性は、精巧すぎる顔立ちを崩して破顔した。
「ならば、よい」
「……え?」
「まだ、名乗っておらなんだな」
女性は一つ頷き、
「妾はオリヴィア。神より賜った名は迷宮管理者C。……神命を果たすため、人の子へと、絶えず試練を与え続ける者」
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