第13話
俺だって、思うことがないわけではない。
半分人間を辞めている今の状態で、他人を平気で見捨てるようになれば、本当の意味で人じゃなくなってしまうだとか。危険を顧みずに挑むのが、自分の思い描いていた探索者像だとか。
しかし、そんなものは言ってしまえば、俺の我が儘――ただのエゴでしかない。
俺一人がエゴを突き通して、愚かにも命を落としてしまった結果、割りを食って共倒れになるのはディアだ。
だから、本当にこれからのことを思うなら、他人は他人と割り切って、見捨てる覚悟が必要なんだろう。
そう、頭では分かっているが……。
「主さま!」
ディアの声で現実に引き戻された。
前を見れば、二体のヘルハウンドがこちらに駆けてきている。
……馬鹿か。ここはダンジョン――戦場だぞ。考え事をしながら呆けてていい場所じゃない。
駆けてきた一体を、すれ違いざまに斬り伏せる。
もう一体は……?
「下です!!」
「ッ!」
右下から首元に喰らいついてきた牙を、すんでのところで避ける。
死角を突かれた。眼帯を外すのを忘れていた。明らかに集中できていない。……くそ。
残る一体もなんとか倒したが、周囲には重い沈黙が横たわる。
「……すみません」
ややあって、言葉を発したのはディアの方だった。
「先ほどの話、探索が続いている今の状況で言うべきではありませんでした」
「いや……」
俺の認識が甘かったことは事実だ。ディアの指摘は当然のものだった。
しかし、どう返すべきか迷い……。
「……今日は、もう帰ろう」
結局、俺の口から出てきたのは、関係のない無難な言葉だった。
今日は帰って、美味いものでも食って、そしてゆっくり考えよう。
大抵の問題は時間が解決してくれると、二十二年という長くも短くもない人生で学んでいる。
「……そうですね。実入りはありましたし、この辺りが潮時でしょう」
「ああ」
ここから徒歩で1階層まで戻るのは骨が折れる。
1万DPの消費はでかいが、転移結晶を使った方がいいな。
メニュー画面から『転移結晶(C)』を生成。俺のダンジョンの結晶を使った時と同じように、「第1階層へ」と念じて地面に放ったが……。
「……なんだ?」
転移結晶は砕け、魔法陣は地面に一瞬浮かんだが――砂浜の絵が波に攫われるように霧散してしまった。
……一体どういうことだ? もしかして、転移結晶の考察が間違っていて、DPで生成した他ダンジョンの結晶は使えなかったり――。
「いえ、この反応は……」
何か考え込むディア。そして――
「っ!? ……危ない!!」
突然目を見開いたディアに突き飛ばされる。
「なっ!?」
その瞬間、俺がちょうどいた場所に、幅広の剣が振り下ろされ、その勢いのまま地面を穿つ。
視線を上げれば……見上げるほど巨大な甲冑。首だけがない騎士の姿がそこにあった。
「……デュラ、ハン……?」
デュラハン。首なしの騎士。
その威容は、これまでで一番の……かつてないほど、死の気配を孕んでいた。
『彷徨いの迷宮』での目撃報告は……いや、このダンジョンでアンデッド系のモンスターが見つかったという話すら聞いたことがない。
「主さま……!」
「くっ!」
続いて、横薙ぎに振るわれた暴風のような大剣を、大きく身を屈めて避ける。
……膂力はオーガを遥かに凌駕している。直撃したら、一瞬で引き肉になってしまうだろう。
「……退くぞ!」
だが、幸いにも動きは愚鈍そうだ。
足元のディアを抱え、思いっきり駆け出す。
背後を振り返れば、デュラハンは追いかけてくる気配もなく、虚空の双眸でじっとこちらを見つめていた。
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しばらく走り、昨晩過ごした広場まで戻ってきたところで、ようやく一息ついた。
「はぁ……はぁ……」
……何だったんだあいつは。
直前まで何の気配もなかったのに、突然現れて斬りかかってきやがった。
「……おそらく、ダンジョンマスターの刺客かと思われます」
「それは……やっぱり俺を殺しに来たってことか?」
「わかりません。……ですがあの瞬間、主さまの背後に現れるまで、私にも全く知覚できませんでした。あの場で生み出されたか、マスターによって直接送られたと考えるのが妥当です」
くそ、なんで今になって……俺がダンジョンマスターだって確信を得るまで待ってたのか?
なんにせよ、今すぐにでもこのダンジョンから脱出しなくてはいけない。
出費がどうのと言っていられない。ここは俺のダンジョンの転移結晶を使って――
「待ってください」
と、それをディアに制止される。
「おい、話してる時間はないぞ。いつ、あいつが追ってくるか……」
「わかっています。……ですが転移結晶はダメです。使えません」
「……は?」
どういうことだよ。
「……あのデュラハンが現れてから、魔力の流れが乱れています。おそらく今、このダンジョン――少なくともこの階層では、転移系の術式が一切使用できません」
「それ、は……」
すると何か? あいつの登場に合わせて、逃げられないように転移を封じたと?
なんつー底意地の悪い……。
「……それなら、一旦急いで6階層まで戻るぞ。別の階なら転移スクロールが使えるようになるかもしれない」
「はい。了解で、す……」
そこで、ふいにディアの動きが止まった。
「……ディア?」
歩き出そうとしたまま、前のめりになって倒れ込む。
「うっ……」
「お、おい!」
怪我でもしたのか!?
だが、さっき抱え込んだ時には何も……。
「……不覚、です」
……ディアの小さい後足の、その太腿あたりに切り傷がついていた。
よく出血も少なく、大した傷ではないように見えたが、そこから不気味な黒い文様が少しずつ広がっている。
慌ててステータスを確認してみると、そこには――
名前:ディア
種族:ケットシー
所持スキル:衰弱魔法
回復魔法
付与魔法
状態異常:死滅の呪い
「死滅の呪い……」
その文字を注視して、さらに詳しい情報を表示する。
・死滅の呪い
対象を一定時間後、必ず死に至らしめる呪い。解呪不能
「なんだよ、これ……」
「……ははっ、勝手に覗くなんて、プライバシーの侵害です、よ」
こんな時にも、こいつは軽口を叩いてくる。
……それが、俺を気遣ってのものだとわからないほど馬鹿じゃなかった。
「……あの、デュラハンのスキルか……剣に刻まれていた呪いでしょうね。掠る程度でしたが、当たってしまいました」
俺を庇った時に、傷を負ってしまっていたらしい。
そして……解呪不能。それはおそらく、あのデュラハンを倒すことができても、呪いが解除されないということを意味している。
「感覚的に、あと数十分といったところでしょうか。……あっけないですね。こんな風に、終わってしまうなんて」
まるで他人事のように、ディアは呟いた。
「……主さま」
まだ、思考が戻っていない。
だが、ディアは俺の方を見ながら続ける。
「前に、私をリコールすればいいって言ったこと、覚えてます?」
……覚えている。
ディアを召喚した初日、俺に魔眼のスキルを取らせるために言ってきた言葉だ。
「あの時、できませんと言いましたが……本当は似たようなことなら、できます。……通常、マスターが生み出したものを吸収しても、DPすることはできません。……しかし、モンスターは例外です」
ディアが何を言おうとしているのか、分かっているのに、頭が理解を拒んでいる。
「私をDPに変えてください」
俺の甘えを断ち切るように、ディアはハッキリとした口調で告げた。
「私は、主さまが召喚した、モンスターの一匹でしかありません。もうじき死んでしまう、足手まといの私を、手元に残しておく理由はありません」
「いや、それは……」
「私は先ほど……主さまに、他者を見捨てろと、自分のことだけを考えろと、言外にそう説教してしまいました」
ディアは自嘲的な笑みを浮かべて言った。
「……本当は、わかっていたのに。主さまが、人らしく生きたいと思っていることも、知っていたのに。……私は、我が身可愛さに、主さまに人でなしになれと迫ったんです」
「…………」
「……私は、主さまに相応しくありません」
だから、と。
「私を殺してください」
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