第5話

 翌日、洞穴に差し込む陽光に照らされて目が覚めた。どうやら寝過ごしてしまったらしく、朝とは呼べない時間になっているようだ。


「……夢、じゃないか」


 メニューと念じれば、メニュー画面のホログラムが目の前に出現した。昨日の出来事は、やはり夢ではなかったらしい。


 少しはマシになった頭で、改めてこれから俺が取るべき行動方針について考えてみる。

 とりあえず『何もしない』というのは選択肢から除外した。今の俺は金だけではなく、DPも稼がなくては生きていけない身体になっている。今まで通りギルドの依頼で日銭を稼ぐだけの生活では、ほぼ確実にDPが枯渇してしまう。

 一日に自然消費するDPは1440。外での活動になるのでその二倍。このダンジョンから南西方向にある王都まで、間の宿場町を経由せずに馬を飛ばしても往復丸二日かかる道のりだ。つまり、最低でも二日分――2880DPの倍の5760DP分の何かを持ち帰ってこなくてはいけない。ダンジョン外のゴブリンで換算すれば約三十体だ。

 ……どう考えても、今の生活を続けるのは現実的じゃないな。今回はたまたまゴブリン討伐で数日分のDPが確保できたが、そもそもこんな依頼は数ヶ月に一度あればいい方だ。


 じゃあどうやってDPを手に入れるんだという話だが……本来ならダンジョンを経営していくことが一番の近道なんだろうな。

 ダンジョンの存在を近隣に触れ回って、初心者向けダンジョンだと銘打って探索者を呼び込む。もしくは料理屋や温泉でも作ってレジャー化してみるとか。ここらへんはZ氏がダンジョンマスターと聞いて真っ先に思い浮かべていた案だ。


 まあ決して悪くはないと思うが、昨日思い浮かんだダンジョンマスター殺害説を考えるならやめるべきだな。探索者を呼び込むために目立った結果、他のダンジョンから刺客を送り込まれてソッコーで殺される展開もあり得る。

 昨夜はミノタウロスがどうとか阿呆なことを考えていたが、もっと暗殺向きの小さいモンスターが送り込まれるのが可能性としては高いんじゃなかろうか。それか俺の知らない滅茶苦茶に強い人間擬態型のモンスターとかな。何せ二百年のアドバンテージだ。DP切れで生存が危ぶまれるような俺と、知識と経験は比べるべくもない。


 となると、残る手段はあと二つ……だが、一つは人としてどうかと思うので実質あと一つ。


 それは、ダンジョンに挑戦することだ。もちろん俺のダンジョンここではなく、他のダンジョンマスターが作ったダンジョンに。

 他のダンジョンで手に入れたアイテムは、自分のダンジョンに取り込んでDPにすることができる。……というのも、先ほどレアゴブリンの爪をダンジョンに取り込んだところ、『ゴブリンの爪の首飾り』として2万6800DPもの収入になったのだ。

 五年間も身に付けていたお守りを失ったことを物悲しくも感じたが……メニューのアイテム生成を確認すると、取り込んだアイテムは同額で再生成できるらしい。質屋かよ。

 ちなみに手作りの道具なんかを取り込んでも1DPにすらならなかった。ハンドメイドが高く売れるってわけじゃないってことだな。


 なので俺の現在の所持DPは3万と320。王都にある『彷徨いの迷宮』とここを往復するには十分で、なんならDPを使っていくつかアイテムを生成するくらいの余裕もある。

 ……そうじゃなけりゃ、こんな冷静じゃいられない。4000DP足らずじゃ三日後には死んでるし、王都を往復する時間を考えるとどう足掻いても絶望だ。


 というわけで、ダンジョンに潜るのはほぼ確定。しかし、いくつかの懸念もある。

 最も大きな懸念は、ダンジョンに入った瞬間にマスターに俺の存在がバレることだ。もしマスターに存在を察知され、それがマスター殺しの犯人だったら一発アウト。

 それ以外でも、鑑定スキル持ちにステータスを鑑定され、俺の種族がおかしなことになっていることが露見し、ギルドから人類の敵認定される可能性もある。

 ……鑑定スキルを欺くことのできる隠蔽スキルなんかがあればいいんだが、今現在のラインナップには表示されていないな。


 それと、もう一つ心配事として、俺自身の実力のこともある。

 五年前、死闘の末に討伐したのが、ただのゴブリンじゃなくレア個体のゴブリンだったことはわかった。しかし、残念ながら俺は五年前と比べると確実に弱くなっていると思う。ダンジョン外でぬるま湯のような依頼ばかりこなしてきたんだから当然だ。

 基礎鍛錬だけは習慣で続けてきたが、あの頃のように必死で打ち込んでいるわけでもなく、命の危険を感じるような戦いも久しくしていない。戦いの勘も存分に鈍っていることだろう。

 あの時のレアゴブリンが正しくゴブリン十体分の強さだと仮定すると、だいたい8階層くらいまでは潜れるはずだが、果たして今の俺にそれだけの実力があるか?


 …………ダメだ。考え出すとキリがない。


 どちらにせよ、俺にはダンジョンに潜るという選択肢しか残されていない。ダンジョンに潜って、DPに変換できるドロップアイテムやお宝を手に入れて、余裕ができたら装備やスキルオーブを生成して、いずれ来るかもしれない刺客に備えて俺自身の強化に努める。それが今とれる最善手だろうな。


「……よし」


 そうと決まれば、すぐにでも王都に帰らなくては……と思って固い地面から立ち上がった瞬間、ぐぅ~と盛大な腹の音が鳴った。


 ……そういえば、昨日は朝飯を食う前に依頼を受けたから、携帯食料くらいしか口にしてなかったな。宿場町に着くまで我慢するか……と考えたところで妙案が浮かんだ。


 今の俺はダンジョンマスターだ。アイテム生成を使えばDPと引き換えに食い物を生み出すこともできる。試さないことには使い勝手もわからないし、少しくらいはDPを使ってみてもいいだろう。


 さて、アイテム一覧から、『飲食物』をソートして調べてみると……地球産の知らない食い物が大量に表示される。


 とりあえずこれだ。100DPの『ツナマヨおにぎり』。手のひらに収まるようなサイズだが、ゴブリン一体を召喚するのと同じコストだ。

 おにぎりというのは米を三角や丸の形に固めた料理らしく、米自体を食ったことのない俺にとっては未知の食い物だ。Z氏の記憶を辿ってみると、特別美味かったわけでもないが、梅など他の具と比べると評価は高い。どういう味かはなんとなくわかるが、ガキの頃に村で拾い食いした木の実くらいには不鮮明な記憶だな。

 ちなみにZ氏がわりと好物だった『牛カルビ焼肉弁当』は500DPなので今はやめておく。買えはするが、まだそこまでの贅沢はしたくない。


 目の前に表示されたホログラムのアイテム名をタップしようとすると、手が触れる前にピロリンと変な音が鳴り、何もないところから『ツナマヨおにぎり』が現れ、手のひらの上に落ちた。どうやらフリーハンドでいいらしい。


「……つーか、ほんとに出てきたな」


 これ、実際に見るとびっくりだな。どういう原理でDPが食い物に変換されるのか……まあいいか。

 包装のビニールを中心からたどたどしく剥がし、両端を引っ張ると三角形の黒い塊が現れた。ビニールの間に切れた黒いもの――海苔が取り残されてしまったので、取り出して食べてみる。


 ……うん、別に味はしないな。


 あまり期待せずにツナマヨおにぎり本体にも齧り付いてみると……。


「……うっま!!!」


 いやいや、マジかよZ氏。これが大して美味くないとかマジか。


 米は粒がしっかりしており、噛みしめるたびに仄かな甘みが感じられる。中に入っていたツナマヨ――ツナと呼ばれる魚のほぐし身と、マヨネーズと呼ばれる酸味のあるまろやかな調味料が絶妙にマッチし、素朴な米の味を一つの料理に昇華している。味のしなかった海苔も、仄かな磯の風味とパリッと小気味よい食感をおにぎりに加えるという重要な役割があったようだ。


 俺は感動した。思わず食レポしてしまうくらいには感動した。感動すると同時に、ちょっとZ氏が憎らしくなった。


 ふざけんなよあいつ。こちとらクソ不味い土みたいな味の携帯食料を食って、街にいる時ですら固い黒パンとお湯みたいに薄いスープで生きてきたんだぞ。こんな贅沢しといて「異世界転生やったー!!」とか言ってんじゃねえよ。


 ……まあそれは正確には神様とやらのセリフだったが、そんなことは忘れる程度には怒り心頭だった。

 だが、おにぎりを三口ほどで食いきって、少し冷静になってみたら一つの考えが頭に浮かんだ。


 ……DPを稼げば、異世界の美味い食い物がいくらでも食える。


「…………まあ、なんつーか……頑張るか」


 生きる、という大前提のような目的の他にも、小さな目標ができてしまった。


 ダンジョンに潜ってDPを稼ぐ。殺されないように強くなる。……そして、美味いものをたくさん食う。

 久しく忘れていたが、かつてダンジョンに挑んだ俺は、そんなちっぽけな夢だってたくさん持っていたはずだ。


 さっきまでの暗澹とした気持ちは、気がつけば少しだけ晴れていた。

『命など、陽と地と詩とで満たされるほどのもの』というのは誰の言葉だったろうか。おそらくZ氏の記憶にある言葉だろうが、夢破れた後悔に苛まれるよりは、小さなことに幸福を感じる方がよほど良い人生だと思う。


 唐突にダンジョンマスターなどという存在になってしまい、正直言ってまだ心の整理はできていない。

 数時間後には、置かれた状況を思い出して憂鬱に沈んでいるかもしれない。

 それでも今は、死なないために足掻いて、美味い食い物のために頑張ろうと思っている。


 いい加減な目標設定だが、ネガティブ思考の俺には、きっとそのくらいがちょうどいい。


 だから、とりあえず――


「牛カルビ焼肉弁当……食ってみるか」


 このくらいの贅沢はしてみてもいいだろう。

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