第一章~遅咲きの探索者~
第1話
「ん~? ……なんだか美味しそうな匂いがする」
「……あ、ああ、森で野兎を見つけたから、焼いて食ったんだ。手持ちの香辛料もあったしな」
正確に言うと、香辛料どころか、ニンニクとショウガ含む香味野菜と、醤油と砂糖が混ざり合ったタレの匂いだが。
……最高に美味かったわ。牛カルビ焼肉弁当。これが地球――というか日本では、一般庶民が毎日でも食べられそうな、手ごろな値段で手に入るという事実に驚きを隠せない。そのうち日本以外の料理にも手を出していきたいな。特に気になっているのはファストフード系だ。
「へぇ、香辛料を持ち歩いているなんて、お兄さんグルメなんだね~」
「そうか? ……まあ、そうかもしれないな」
美味い食い物のためにダンジョン探索を頑張ろうと思ってるくらいだからな。今まではろくに金もなかったので意識しなかったが、意外と食い意地は張っている方なのかもしれない。
「それにしても、まさかこんなに早く再会するとはな」
「私もびっくり! 帝国の国境近くの街道が閉鎖されててね~。仕方がないから王都に戻る途中だったの」
「それは間が悪かったな」
「ほんとだよ~。仕方がないから王都の西にある村々を回るつもり」
そんなわけで、俺は再び行商人の少女の馬車に乗せてもらっていた。
少女にとっては不運だったろうが、徒歩で途中の宿場町を経由するより早いので、俺としては非常に助かった。
ちなみに北のゾルタイル帝国は治安維持のための警邏だので街道を封鎖することがままある。珍しいことだが初めてというわけでもないのだろう。少女もそこまで気にした様子はなかった。
それからしばらく馬車に揺られ、御者台の少女とぽつぽつ会話をしながら時間は過ぎていった。
出発が昼過ぎだったこともあり、やがて日は暮れ、今日は街道の真ん中で野宿をすることになった。護衛という建前はあるものの、タダで乗せてもらっている手前、天幕を張ったり焚火を付けたりは俺の方で請け負った。
特にトラブルもなく、翌朝起きて馬車を出発させ、宿場町をスルーして街道をひた走った。
途中、携帯食料を齧っていた少女に、50DPで生成した乾パン――あらかじめ小袋に詰め替えた物だ――を渡したら飛び上がるような勢いで喜んでいた。……そりゃそうだよな。旅人御用達の携帯食料、土を食ってるようなもんだし。
食い気味に出所も訊かれたが、知り合いに貰ったものなので詳しくは知らないと言ってはぐらかした。……ちょっと、いやかなり不用意だったかもしれない。ツナマヨおにぎりと牛カルビ焼肉弁当のせいで完全に感覚が狂っていた。反省せねば。
と、そんな一幕もあったが、その日の正午前には王都の正門前まで到着することができた。
少女の方は馬車の待機列に並ばなくてはいけないため、そこで別れることになった。送ってくれた礼を言うと、「こちらこそだよ~」と返された。いや、感謝されるようなことはしてないと思うが……まあいいか。
厳つい門番の男に身分証代わりのF級探索者タグを掲げると、素性を確かめられることもなく中に通される。ザル警備とは言うまい。名前は知らんが、何度も顔を合わせている門番だしな。
王都の造りは周りが城壁で囲まれた、いわゆる城塞都市というやつで、過去に隣国と戦をした際には堅牢な守りとなったらしい……が、ダンジョンが発見されてからは戦争らしい戦争も起きていない。
ダンジョン黎明期こそ、ダンジョンの利権を求めた隣国が攻めてきたりもあったそうだが、スキルの恩恵を得た探索者集団を雇って圧倒的実力で撃退してからはそんな事態も起きていない。各国のお偉いさんが内心何を思っているかは知らないが、表立って争いが起きていないのは良いことだ。
宿や飲食店が立ち並ぶ大通りを素通りし、他に寄り道もせずに中央の探索者ギルドに向かった。
「…………」
探索者ギルドの、剣と盾を組み合わせたような看板を眺めながら、これまでの五年間を思い返す。
依頼の達成報告に探索者ギルドを訪れるたび、俺はいつも暗澹とした気持ちになっていた。
探索者として真っ当にダンジョンに挑む才能溢れるやつらを見ると気分が沈み、そんな自分に嫌気が差してさらに落ち込む。ギルドの一階は酒場として営業もしているため、酔っ払った品のない連中に『万年F級』だの『名誉探索者』だの揶揄われることもちょくちょくあった。それをいちいち真に受けるほど繊細でもないが、全く気にせずいられるほど無感情でもない。
今日は誰にも絡まれなければいいなと思いつつも、おそらくそうもいかないだろうなと予感してもいた。
両開きの扉を押して、ギルドの中に入る。酒場で飲んだくれているパーティがいくつかと、掲示板の前で素材納品の依頼を物色する探索者。昼間ということもあって人はさほど多くない。ギルドが一番混むのは、朝一と夕暮れ時だ。
ほとんどの人間は俺が来たことにも気づいていないが、数人ほどは俺に気付いて嘲るような視線を向けている。
ただまあ、こちらから何かしなければ話しかけられることもない。俺みたいにダンジョンに挫折しても探索者をやってるやつは、珍しいことには珍しいが、他に全くいないわけじゃないしな。大概は二十歳になる前に辞めているだろうが。
幸い受付は空いていたので、俺は顔見知りの受付嬢のところへ行き、ゴブリン討伐依頼の報告をしに行った。
「あ、ノイドさん。おかえりなさいませ。依頼の達成報告ですか?」
「はい、エミリさん。討伐証明はここに入ってます」
討伐証明となるゴブリンの耳と防腐用の薬草の入った革袋を手渡すと、エミリさんは「確認します」と肩口まで伸ばした栗毛を揺らして微笑み、奥の方に引っ込んだ。
エミリさんは俺が探索者を目指して王都に来た当初から世話になっているギルド受付嬢だ。ゴブリンに負けたと落ち込む俺に、探索者として必要なノウハウが書かれた文献のことや、ダンジョン攻略に役立ちそうな情報なんかをよく話してくれた。俺がダンジョンに挑むのを辞めると言った時には、ゴブリンにやられた右目の傷を心配しながらも、少しだけホッとした様子だった。
……言っちゃアレだが、ゴブリン一体に二年間も苦戦するなんて、探索者としての見込みゼロだろうしな。
ややあって、貨幣の乗ったトレーを持ったエミリさんが戻ってきた。
「お待たせしました。報酬はこちらになります。えーと、ダンジョン外の依頼は……今あるものは王都内の雑事ばかりですが受注されていきますか?」
報酬の王国小銀貨二枚と銅貨十数枚――ざっくり日本円にすると二万円と少し――を受け取りながら、俺は首を横に振る。
「いや……」
これを言うのは少し勇気がいるな。別に言わなきゃいけないわけじゃないんだが、世話になっている義理というやつだ。
「あの…………俺、今日はダンジョンに潜ろうと思って」
「えっ……?」
「……おいおい、ちょっと待ちな」
聞き耳でも立てていたのだろうか。エミリさんが何かを言う前に、酒を飲んでいた探索者パーティのうちの一人がこちらに近づいてきた。
バンダナを着けている赤髪の若者で、首から下げたタグの色は金――A級だな。このダンジョンにおいてはほぼ最高位の探索者で、俺より遥か格上の実力者だ。
「テメェ、数年前にゴブリンに負けてダンジョンから逃げたっていう万年F級だろ?」
……正確にはゴブリンに勝ってダンジョンから逃げたのだが、それを言っても仕方がないだろう。
「悪いことは言わねえからやめておけ。数年も外で遊び歩いてたやつが、ふと思い立って潜っていい場所じゃねえよ。ダンジョンは」
これは果たして善意の忠告か、無能を嘲りたいだけか……おそらくは前者だろうな。
俺より若干年下に見えるが、ダンジョン探索者としてはずっとベテランだ。言っていることは完全に正論だが、こっちだって、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。
「……探索者の命は自己責任だろ。問題ない。それくらいは覚悟の上だ」
赤毛の探索者の目を見てハッキリと告げると、やがて赤毛は「……勝手にしろ」と言ってテーブルに戻った。自分たちより格上の探索者が先んじて動いたためか、俺を揶揄おうとしていたやつらは、すごすごと立ち上がりかけた膝を落とした。
……ふぅ。緊張したな。
Z氏が読んでいたラノベ? というやつだと、「俺様が試してやるぜ!」とばかりに荒くれ者に襲われる展開が多かったが、流石に職員も見ている中でそんな無体を働く輩はいなかった。
というかあの赤毛、言ってる最中チラチラとエミリさんの方を見てたな。もしかして、いい恰好を見せたかっただけだったり? ……というのは流石に邪推が過ぎるか。
「あの……本当に大丈夫ですか?」
と、成り行きを見ていたエミリさんが遠慮がちに訊いてきた。
「申し訳ありませんが……アドルフさんの仰ることはごもっともです」
アドルフ、というのがあの赤毛バンダナの名前らしい。
「実力のある探索者ですら、ふとした油断で命を落としてしまうのがダンジョンという場所ですから……」
「…………」
一体、なんと答えるのが正解だろうか。
昔自分が倒したのがただのゴブリンではなく、レア個体のゴブリンだったと教えるべきか?
……いや、なんで今まで言わなかったんだという話になるし、作り話感が半端じゃない。
少し悩んだ末……俺は嘘にならない程度の言葉で茶を濁すことにした。
「……大丈夫ですよ。実は、つい先日スキルを習得することができたんです。流石に、何の策もなく挑んだりはしませんって」
「そんな、急に……本当ですか?」
「ええ、本当です」
実際、新しいスキルは覚えている。戦闘スキルではなくダンジョンスキルだが……。
エミリさんは不安そうに眉を寄せたまま、小さく息を吐いて頷いた。
「……わかりました。もとより、探索者のダンジョン挑戦を拒否する権限は、ギルドにはありませんから」
ですが、と付け加えて――
「危なくなったら、ちゃんと逃げてくださいね」
「……そりゃもう。俺も命は惜しいですから」
本心からそう答えると、エミリさんはようやく少し安心したように笑った。
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ダンジョンの入り口は、ギルドから少し歩いた区域に存在している。
探索者以外の立ち入りは禁止されているため、地下へと続く階段の前、監視役として立っているギルド職員にタグを見せて通してもらう。見慣れない顔でおまけにF級だからだろう。怪訝そうな目で見られたが、別に止められることもなかった。
幅の広い階段を降りていき、降りきると迷路じみた岩肌の洞穴が出迎える。
ここから先は、もうダンジョンだ。
五年前、自分の才能のなさに絶望して、もう訪れることはないだろうと悟った場所。
今はただの人間ではなく、ダンジョンマスターとして、他のマスターが作ったダンジョンに挑もうとしている。
目的は生きるため。生きて、強くなって、美味いものを食べるため。
「……よし」
改めて気合を入れ直し、俺は探索者として再起のダンジョンアタックに臨むのだった。
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